第10話(第2章第4節)
文字数 6,813文字
富男は監督の不行き届きで、しばらくの間賃銀を減らされることになったらしい。
(人が一人死んでも、結局は銭に置き換えられて終わりなのか・・・)
朱夏は憤りを感じたが、透も葛はもちろん、他の人夫たちも何も言わないのを見て気勢を削がれてしまった。
梅雨が明けても、透と葛は採鉱場へ通い続けていた。仲間の死を受け入れるには、感情を殺して黙々と仕事に取り組むしかないのだと達観しているようにも見えた。
日増しに照りつけの強くなる夏の日差しの下でつるはしを振るい、切り出した重い鉄石を肩に背負って運び出す。まだ年若い二人には重労働だろう。富男による憂さ晴らしのような、懲罰的な配置に見えた。
土砂崩れが起きたのは、禁足地に踏み入った祟りがあったからだ、と動揺する人夫たちはまだ大勢いたが、役人たちにとってはこの場所から切り出す木材はやはり魅力的だったようで、村方の百姓たちをなんとか説得したのだろう。朱夏たちは引き続き同じ山で切り出し作業を続けることとなった。
「足元に、充分気をつけて作業するのだ。」
富男はおざなりに注意を喚起していた。
ある日朱夏が一番高炉へ遣いに行かされて斜面の道を駆け上っていたとき、ごろごろとまわる水車の陰に透が腰掛けているのが見えた。水路に足を漬けて涼んでいるらしい。
ふいごに向かって動力を送る水車はどくどくと水路の水を吸っては吐いており、流れに身体を浸すのはひんやりして気持ちよさそうだ。
「あの禿げた、葛とかいうのはどうしたんだい。」
と朱夏が話しかけると透はびくりとして顔を上げた。
「おまえか。あいつならまだ上にいるよ。」
採鉱場の方を指さした。休んでいたのが棒頭に見つかったとでも勘違いしたらしい。そうではないと気づいて、ほっと息を吐いた。
「一番高炉は採鉱場からまだ近いから、楽なほうだ。」
切り出した鉄石を、三つ順番に運転している高炉に運ぶ役らしい。いまは一番高炉が運転している。
「ずっと三人一緒だったのに、いまじゃ三人とも別々か。つらいことだね。」
「・・・・・・」
透は黙ってしまった。朱夏は少し言い過ぎたと思った。駒の死まであざ笑うような言い方になってしまったかも知れない。
「やっぱりおまえ、おれたちのことを嫌っているんだな。」
透は自嘲するように呟いた。朱夏は慌てて、
「別に、あんたたちが仲間を助けに行きたかったこと、わた・・・おれだって気持ちはよく分かるさ。だけどみんな、次のクエが来るかも知れなくて気が立ってたし、富男が恐くて口に出せなかったんだろう。」
と言い繕った。実際、それは本心だった。
「というか、元はと言えば、あんたらが慶二にからんできたんだろう。足手まといだとか言ったこと、どう思ってるのさ。」
「小うるさいやつだな。いや、すまなかったよ。」
透は素直に頭を下げた。
(拍子抜けがするな。いや、仲間が死んで相当参っているのか。)
意外な気がした。色々と鼻につくが、悪いやつでもないような気がしてきた。
朱夏も透の隣に腰掛けて、水路に足を浸してみた。
思いついて、ふところから塩昆布を出すと、ひとつ透に分け与えた。
「辛い! おまえ、ただでさえ喉が渇いているのにこんなものをっ。」
透は塩昆布を口に入れるなりむせ返った。
「なんだよ。おいしいだろ。」
朱夏は不満げに言ったが、透は咳をしながら水路の水をすくって口をすすいでいる。
「いや、ありがとう。」
透は落ち着くと、苦笑しながら言った。駒が死んで以来、初めて見せた感情の色だった。
「たくさんあるからさ。礼を言われるようなことじゃないよ。」
朱夏は少しどぎまぎとして言った。
「そうじゃなくてあの時さ。」
「・・・どういうこと。」
「おまえだけが、怒ってくれた。」
あのとき富男のことを睨んでいたのを、見られていたのか。
「わ、おれのことに、ずいぶんよく見てるな、あんな状況で。」
狼狽して思わず言ってしまい、後悔した。どうも独り相撲を取っているような、場違いなことをさっきから言ってしまう。朱夏は自分の頬を忙しくつまんだ。
「遠野では、人と同じように、馬の戸籍も作っていたんだ。」
透はそんな朱夏の様子を苦笑して見つめていたが、ふぅと一息つくと、目を伏せながら話し始めた。
「馬が産まれたら、米を炊いて祝った。それだけ馬を大切にして、家族も同然に思っていたんだ。おまえは名子を知っているか。旦那衆に使い潰されて、死ぬだけの一生さ。じじは、一生馬の世話をして働いた。上等の馬もたくさん育てた。だが、結局自分の馬も持てずに死んだ。おどの代になってやっと、自分の家の馬を持ったんだ。それを易々と持って行かれたんだよ。」
「去年のいくさだね。」
朱夏は三池の話してくれた遠野の物語を思い出した。馬は農耕にも荷役にも使えるし、牡馬は競りに出して侍の厩に納めることも出来る。彼の地の百姓たちは、そうして育てた馬たちを百姓や侍に売ったり、自分たちで駄賃付けをして荷を運んだりして銭を稼いでいたのだ。
「駒も、葛も、同じような境遇の仲間だよ。駒のやつは、可愛がってた馬と、顔まで似てきてな・・・」
透は色の薄い瞳を潤ませる。
「そうだったのか。おれもあのとき、大切な友だちをいくさにとられてなくしたよ。」
朱夏も春一のことを思い出して言った。春一がいなくなってから、色々なことが瞬く間に変わった。いまこの鉄山の一角で透と並んで涼んでいるのが、なにか不思議なことのように感じられた。
「そうか。つらいのは自分だけではないな・・・」
透は呟くと、疲れた顔をしたまま空を見た。それっきり二人とも黙り込んでしまった。
焼け付く夏の日差しが水車の輪の形に二人を照らしていた。
遠野の二人は、目に見えて衰弱していくようであった。
山に入って木を切り出す朱夏や慶二たちでさえ、木陰で何度も水を飲まないと作業を続けられないほどの暑さである。日差しを遮るものが何も無い採鉱場での作業は確実に二人の青年を消耗させていた。
「ベコはきまぐれだな。おれたちには馬が合ってるんだが・・・」
人足小屋で休みながら透がこぼしているのを聞いた。切り出した鉄は平坦な場所まで人の手で運び、そこからは牛に積み替えて運ばせる。彼らは牛曳きまでしているようだった。
採鉱場に登っている男たちは、木を切っている朱夏たちよりもだいぶ深山まで入り込んでいるようで、帰ってくるのも遅かった。それでいて、朝は更に早いのである。
「兄ぃ、遠野のあいつと、なんか急に仲良くなった?」
「透のこと? そうかな。」
その日の作業を終えて山道を下りながら、慶二に訊かれた。慶二は朱夏のことを「兄」と呼ぶのにももう慣れた様子である。
「そりゃ仲間が死んだのは気の毒だけど、ここに来たばかりのおれたちにいろいろとからんできたのを、おれは忘れてないからな。」
「そのことなら、悪いって言ってたよ。」
「なんで兄ぃには謝って、おれにはひと言もないんだよ。」
何だか頑固なことを言っている。太った顔でぷりぷり怒っているのを朱夏は苦笑しながら見つめていた。
確かに、水車の陰で透と話して、遠野の連中に以前とは違う親しさを感じるようになったのは事実だったし、疲れて帰ってくる彼らの世話を焼いて、食事を少し分けてやったり、手ぬぐいを洗ってやったりしたこともある。
だが採鉱場から帰ってきた二人は毎日疲れ切って、何か口をきくこともなくすぐに寝入ってしまう。あれからゆっくりと話をする機会はなかった。明らかに過酷な仕事なのだ。配置換えを申し出た方が良い気がした。朱夏は三池に訴えようとも考えてみたが、またふもとに口入れにでも行ったのか、しばらく姿を見かけることがなかった。
黒門のとなりの小門をくぐって人足小屋に戻ろうとしたとき、あたりの様子がおかしいことに気がついた。門をくぐったところの溜まりに人が集まって、斜面の上の方を指さしている。
「何かあったかな。」
慶二が言って、みなの指さす方に顔を向ける。道沿いの畑の周りにもぽつぽつと人が溜まってさらに上の方を見ているが、朱夏たちのいる場所からは夕闇が薄暗くて何があるのかよく分からない。
「ベコが暴れとるよ。」
近くにいた男が教えてくれた。
(鉄石を運んでいる牛か。)
「ベコはきまぐれだ」と言っていた透の言葉を思い出して朱夏は心配した。
「行ってみよう。」
朱夏は様子を見に、斜面を登ろうとした。
「やめとこうよ。怪我するぞ。」
慶二は渋っていたが、朱夏がずんずん進んでいくので諦めたようについてきた。
一番高炉に比べると小さな石を基礎に据えてある二番高炉の前まで来ると、さらに多くの人夫たちが人だかりを作っていた。
「ヴォオオゥ!」と牛が嘶く声が聞こえた。
前足を高く上げて暴れ回る牛の影がようやく見えた。
「押さえよ!」
「無理言うな!こっちが蹴られちまう!」
「角で突かれちゃおしまいだ!」
その周りで役人や人夫たちが騒いでいるのも見える。
「高炉に近寄らせるな!」
役人の一人は悲鳴を上げている。木の櫓や水車と繋がったふいご、煉瓦の塔に中心の石窯。高炉は複雑な構造をしており、余計な衝撃を与えると操業にも差し障りがあるのだろう。
「た、助けてくれ! 透っ!」
(えっ)
と思って見ると、牛の上に人が乗っている。
「あ、遠野の
乗っているのは、葛だった。
「なんであんなとこに!」
朱夏は目を見開いて言った。
「あいつ、横着しよったんやろ!」
「ベコに乗って、運ぼうとしたんだろ!」
溜まっている人夫たちが、答えを教えてくれた。連日の重労働に疲れ切っていた葛は、鉄石を載せた牛の前を歩いて曳く代わりに、自分も上に乗って少しでも休もうとしたのだろう。だが馬と同じようにはいかず、牛の怒りに触れてしまったのだ。
(透はどこにいるんだ。)
朱夏は薄闇に覆われた大勢の中から、透の顔を探した。
「葛! とにかくしがみつけ! 振り落とされるな!」
(いた!)
透は暴れる牛のすぐそばで、葛に向かって声を張り上げていた。充血した目が、不安と焦りを表していた。
「切り捨ててしまえ!」
頭に血の上った役人の一人が、刀を抜いて牛を切りつけようとするのを、「葛を巻き添えにするな!」と必死に止めている。
「馬鹿者! 高炉を壊されたらいかがするのだ!」
役人は逆上して大声を上げた。
「ヴォオオオオオウ!!」
その声に反応して牛はさらに荒々しく暴れ始め、もんどりうつように激しく頭を振りながら、段々と斜面を下ってくる。
「わぁああああ!!」
葛が悲鳴を上げる。
「おい!こっちにくるぞ!」
二番高炉の前に溜まっていた人夫たちは、自分たちの方に累が及びそうになり、蜘蛛の子を散らすように斜面を下って逃げ出した。
「兄ぃ!なにしてんだよ!」
慶二が朱夏の肩を揺する。だが朱夏は逃げ出さず、葛を助けるにはどうすればよいか考えた。牛は暴れ回りながら、じりじりとこちらへ近づいてくる。
「葛!こらえるんだ!」
「こ、高炉を守れぇ!」
叫び声がそれを追いかけてくる。
「慶二!」
朱夏は慶二の手を払うと、二番高炉のそばに固めておいてあるカマスへ駆け寄ると、それをつかみあげて、中身を高炉の前に一気にぶちまけた。
「慶二! 手伝え!」
朱夏は何度も繰り返してカマスの中身をぶちまける。忽ち白い粉塵が巻き上がった。
石灰である。鉄石と木炭と一緒に高炉に投げ入れるために、ここに置いてある。
「壁を作れ!」
叫ぶ朱夏の姿を見て、慶二はようやく合点がいったように協力し始めた。
朱夏と慶二によって乱暴に撒かれた石灰は、砕けながらどんどん積み上がって山になっていく。
「こっちにぶつかれ!」
朱夏は牛にしがみつく葛に向かって叫んだ。
「こっちって・・・そんなのどうすりゃいいんだ!」
葛は泣き声を上げている。
「角を掴んで、頭を向けてやれ!」
後ろから透が必死に声を掛けている。その声が通じたのかは分からないが、牛は粉塵の舞う石灰の山に向かって突進してくる。
「ヴォオオオオゥ!!!」
「わぁあああ!」
がらごろごろと水車よりも何倍も大きな音を立てて牛は石灰の山に突っ込み、あたりが霧のように真っ白になった。山は勢い余って空中に投げ出された葛もばすっと優しく受け止めたようだ。
「ヴォウ・・・」
(大人しくなったか。)
「ごほっごほっ。」
慶二は咳き込みながら目頭を押さえている。
唖然とした顔をしながらこちらを見ている透や役人たちを見ながら、朱夏も大きくくしゃみをした。
「えらく派手にやらかしてくれたみたいだな。」
久しぶりに鉄山に戻ってきた三池は、石灰まみれになった朱夏たちを見て軽口を叩いていた。労務担当役として、帰ってくるなり後始末をどうするかの相談に参加させられていたらしい。
「全く退屈しない方々ですね。」
傍らで集成が相槌を打つ。
「石灰で壁を作って、牛を止めたのか。いい機転だ。」
三池はずっと噴き出しそうな顔だ。
(こらえてないで、笑えばいいじゃないか。)
朱夏は気恥ずかしかった。
「それで、おれたちはどうなるのですか。沙汰を待っていれば良いですか。」
慶二が心配げに尋ねた。
「富男は厳罰を願い出ていたけどな。増産に水を差すと言って。」
三池は評定の様子を教えてくれた。
「だが、富男にも引け目がある。元はと言えばあいつが身体の出来ていない遠野のがきどもを採鉱場に配置したのが、采配に難があったとも言えるからな。確かに石灰を喪ったのは痛手だが、高炉は守られ、大きなけが人も出なかった。まあそれで良いではないか、という雰囲気だったよ。」
そういう雰囲気に、三池が導いてくれたのだろうと想像した。
「ありがとう。助かったよ。なんだか目を付けられてしまったようだ。」
「礼には及ばんよ。というか、そうはいってもやはり、お前らには沙汰を申し渡さないとならん。」
石灰については、できる限り使えるものは回収することとし、その役は、品質について田中集成の監督を受けながら、実際に石灰を撒いた兄弟二人があたること。そして回収は、増産体制に水を差さぬよう、今日のうちに終えること。
「すまんな春つぁんに慶二よ。今日のうちにというのはさすがに無体だとおれも粘ったが、富男の言い分も聞いたふりをしてやらないとな。それと、おれも帰ってきたばかりで書き物が残っているから、手伝ってやれん。」
三池は謝った。
「いいさ、富男と弁舌でやりあって、片付けだけに済ませてくれただけで充分だよ。」
朱夏は爽やかに言った。透と葛も近く配置換えになって、もう少し楽な仕事に就くことになるだろう。何も文句はない。
それに、駒を喪った透が、葛までも喪うようなことにならなくて本当に良かったと思った。
「早速はじめましょうか。」
集成が指示を出した。
「砕けていない分は、白い色が見えるまで表面の土を払ってください。そして粉になってしまった分は、
「二回繰り返しか・・・手間が掛かりそうだな。」
慶二が弱音を吐いた。
「まあ頑張ってください。ああ、でもわたしも今の説明、二回繰り返した方がいいですかね。」
「どういうことですか?」
朱夏と慶二が顔を上げると、石灰の山の向こうに人影が見える。
「俺たちも手伝うさ。明日までなんて、おまえたちだけじゃ無理だろう。」
透と葛が腕まくりをしてこちらに向かってくる。
「あら。だれがこいつらに話したんだ?」
と言って口笛を吹いた三池は、すたすたと掛屋の方へ去って行った。朱夏はその尻を蹴っ飛ばしてやろうかと思った。
「今回は本当にありがとう。」
透が照れたように言う。
「命を救われたこと、忘れない。おまえもちゃんと言え。」
振り返って葛に声を掛ける。
「何だよ、えらく素直になりやがって。まあいいさ。別におまえらがにくいわけじゃないんだ。」
慶二も頬を掻きながら応えている。夜の鉄山に、四人の笑い声がこだました。
「雨降って地固まるといいますが、石灰を混ぜるとさらに良い土になるんですよ。」
集成が眼鏡を光らせながら、余計なことを言った。