第8話(第2章第2節)
文字数 5,778文字
朱夏と慶二は、富男に率いられて山に出ることなった。炭にする木材の切り出しは本来、木の生長が止まる冬にするのが良いのだが、昨晩小松川の言っていたように、深い雪の中では作業が進まないため、しばらく切り出しを中止していたようだ。春になって各地から人夫を集めて人手を増やし、一気にとりかかろう、という計画のようだった。
小門をくぐって敷地の外に出て、峠道の方へ登っていく。しばらく行くと、色のついた布が結びつけられた木があった。
「ここから、入る。」
と富男が指示を出す。急斜面ではあるが、前の年にも上り下りしたのか、僅かに小径が残っていた。
「ひえぇ。」と慶二が呻いた。
もちろん登れないことはないのだが、下から見た斜面は崖のようである。
「敷地の中にも森があったけど、なぜあちらから切り出さないのだろう。」
朱夏は思ったことを口にした。すると隣から、
「おまえたちは何にもしらんのだな。」と声がする。
昨晩、慶二にからんできた男だった。日の光の下で改めてみると灰のような髪の色の薄い男だった。それで一瞬年配の者かと思ったが、よく見ると歳のころは、朱夏や慶二と同じくらいのようだった。切れ長な眼で、それほど悪い顔立ちでもない。
「高炉のあるあたりの森は、杉や檜なんかの、炭にするには適さない木なんだよ。その代わりに、小屋の用材にするには適しているから、あの一角の建物が傷んだときの修繕のために残しておかないといけない。」
「そんなもんなの。」と言いながらも朱夏は、
(木によって、薬になったり材木になったり、色々あるね。)と興味を持った。
(それじゃ、例えば漆は、炭になるのかね。)
ふところのオシラサマを探りながら考えた。
「漁師は、山には向いてないのと違うか。」
「そうじゃ。」
そこへ後ろから声がした。昨日も囃し立てていた男たちで、こちらは馬面の男と、少し頭頂部の薄くなっている男だったが、彼らも朱夏たちと年齢はそう変わらないようだ。
「漁師、漁師とうるさいな。普通に教えてくれればいいだろ。」
慶二がむっとしている。
「あんたたちはどこから来たの。」
朱夏は気にせず訊いた。
「遠野だよ。」
色の薄い男が答えた。
「お城のあるところだね。」
村を出たことのなかった朱夏には、そのくらいの知識しかなかった。
「来る途中で、馬を見ただろう。あれは大半が、遠野の馬だ。その昔、遠くは加賀の殿様もわざわざお越しになって遠野の馬を吟味された。由緒正しい立派な馬たちだ。」と胸を反らせている。
少し開けたところに出て、富男は隊列を止めた。既に切り倒された株の並ぶ比較的平坦な一角を作業場として、上から切り下ろした木を集めていく。遠野の男たちは三人で息を合わせて斧を振るっている。
(色の薄いのが兄貴分ってわけ。あとの二人は腰巾着みたいな奴らだけど、山の中じゃ、息を合わせた方が仕事は捗るのかも知れない。それも一つの知恵だな。)
朱夏と慶二は黙々と、切り出された木を何本かまとめて縄で巻き、下の作業場から切り出し場の斜面までを往復する
「長さはできるだけ揃えろよ! 窯の中で隙間ができるからな。それからあんまり太いのは火が通らねえから、二つに割るんだ!」と富男が声を張って監督している。
朱夏は少し休もうと、ふところから昆布を出して口に含もうとした。すると富男にすかさず、「ものを食うのは、休憩のときだけだ! 勝手に休むな!」と指をさされた。朱夏は詫びを言ってふところに戻した。
(意外と、力が要る。)
男たちの仕事の速さに合わせて、重い木の幹をいくつも縦にして持つのは骨が折れるが、言い訳をするわけにはいかなかった。
何日かして、切り出しの最中に手斧が痛んだので、替えを取りにくるためにたまたま人足小屋の近くまで戻ると、久々に三池の姿を見た。
三池は朱夏を見つけると手招きをして、水車小屋の中に入った。三つの高炉に付属したふいごの動力である水車を動かすため、敷地内には水路が引かれている。その最下流に、もう一つの水車小屋が作られて、米つきなどに使われている。
飯炊きの時間まではまだいとまがあるのか、建屋の中には誰もいなかった。
いままでどこに行っていたのかと訊くと、また別の村に口入れに行っていたらしい。忙しそうだ。
「それよりどうだ、そろそろ慣れたか。春つぁんよ。」
朱夏は一瞬誰のことを言われたか分からなかったが、そういえばいまの自分は春一だと思い出した。ここにいると、「おい」とか「おまえ」とかしか呼ばれないので、一人一人の名前などどうでも良くなってくる。
「やけにからんでくる奴らが居てね。」と朱夏は訴えた。
遠野の男たちはあのあとも何かにつけて、作業に慣れない朱夏と慶二をからかってくる。山に対する知識が不足しているのは認めるが、作業がそうそう早く上達するわけではなく、正直いらついていた。
「遠野から来た奴らな。ちょっとまてよ。」と三池は手元の帳面をめくり、
「その色の薄い男は
「あんたが、人夫の管理をしているってわけ。」
「そうそう。口入れの腕を見込まれたわけだな。横山殿は労務担当役人として、藩士たちからも重宝されている。」
三池は自画自賛した。
「わたしたちが人別帳を誤魔化したから、人手が集まったんだよ。ひょっとして同じようなことを他の村でもしたのかい。」
三池はこれに答えずにひゅうと口笛を吹いた。
「まあいいや。どんなやつらなの。」
「遠野ってのは、おまえらの村から見れば、この山を挟んだ反対側ってとこか。」
「お城があるってことは知ってるけど。」
「
「だったら豊かなやつらじゃないの。だから、鉄山なんかに来させられたのが気に入らないってわけ。」
「いや、百姓はやっぱり貧しいよ。馬を育てている連中が多いが、いくさで結構徴発されたんじゃなかったかな。駄賃付けといって、育てた馬を使って商人たちの荷を運ぶ手伝いを農作業の傍らにやって、それでようやく飢えずに生きていたんだから、馬をとられたらきついわな。」
「そんなもんなの。」
(馬の話はしていたな。一人はほんとに、馬みたいな面をしているし。)
朱夏は少しだけ彼らのことが分かった気がしたが、すっかり長話をしてしまったことに気づいた。
「色々教えてくれてありがとう。約束を覚えているようで安心したよ。」
戻ったら富男にどやされるかも知れないと思いながら、朱夏は小屋の戸を開けた。
「なに、おまえは面白いやつだからな。こちらこそ、色々教えてくれよ。」
三池は中に残り、煙管に火をつけていた。
木材を切り出すのと並行して、炭焼きをすることになった。
切り出してひとかたまりにした木材は、二、三週間ほど乾燥させる。水気が抜けてから、石で出来た窯の中に一本ずつ隙間が出来ないように敷き詰めていく。天井まで隙間なく詰めてから煉瓦で入り口を封印して、火を入れる。朱夏は高炉の周りを囲んでいる赤黒い石を煉瓦と呼ぶことを初めて知った。
「窯の中は、水が干上がる十倍以上の熱がこもるが、煉瓦はその熱にも耐えられるのだ」
富男が初めて炭焼きをする人夫たちに教えている。
この鉄山で行っている精錬作業は、山から切り出した鉄石を木炭や石灰石とともに高炉の中で溶かして、ズク鉄と呼ばれる純度の高い鉄にするというものだが、単純に目方で比べれば、鉄石の一つに対して、二倍の木炭がいるという計算になる。
それゆえに人夫たちの大半が炭焼きに従事しており、焼き窯の数もかなり多かった。
(そういえば小松川さまも、木炭の量が足りないと言っていたな。)
朱夏は鉄山に来た最初の日に、小松川が馬上で人夫たちに檄を飛ばしたことを思い出した。何かと人夫を監督したがる富男だが、彼自身も木炭の増産について、役人たちにうるさく言われているのだろう。
(だからといって八つ当たりをされても困るが。)
といっても、窯の中に木を入れて火をつけてしまえば、あとは火が消えて中の炭が冷めてしまうまで、やることは何もない。その間に窯から出した炭を手頃な大きさに砕くか、また別の木を切り出しに行くなど、別の作業をすることとなる。しばらくはそうやって、教わったばかりの作業を繰り返した。
「なぜそんなことに、人手をとらなければならないのですか!」
と富男の怒号が聞こえた。列をなして木を運んでいる人夫たちが手を止めて、彼らの棒頭の方を一斉に見る。富男が「作業を止めるな!」と人夫たちを叱りとばしたので、慌ててみな作業に戻った。
「失礼失礼、荒船殿。」
ぎらぎらとした眼をした富男に対して、眼鏡をかけた男が泰然とした様子で話しかけている。
「去年はまだ始めたばかりで、炭にまで気が及んでなかったでしょう。今年の木で試して見たいのですよ。」
「増産を、厳しく言われているのです。窯も人も、貸せませんよ。」
「そうつれないことをおっしゃらずに。ひとつ分だけでよいですから。小松川殿にも了解は取ってあります。」
「・・・・・・」富男は忌々しげに眼鏡の男を見て、「ではそちらの窯を。」と朱夏たちが作業している窯を指した。
「なんだろうあれ。」と慶二が首を傾げている。
「何か別の作業を言いつけられるのかもね。」
富男の面倒そうな様子を見て朱夏は想像したが、全く見当がつかない。そこに、
「おそらく白炭を作るんだろうな。」と声を掛けられた。
振り向くと朱夏たちと同じように木を抱えた遠野の連中が首を揃えていた。
「窯の中の温度を細かく調節して、冷める前に窯から出して砂と混ぜる。そうやって作る白炭は、黒炭と違って温度の調節をやりやすかったりするんだよ。」
透が目を合わせずに言う。
「へえ、あんたたち、普通に喋ることもできるんだね。」
朱夏はからかってやったが、後ろから駒と葛が、
「漁師はそんなこともしらんのかって、透はそう言ってるんさ。」
「そうじゃ。」と囃し立てる。朱夏はむっとしながら、
「で、そんなことして何か得があるのかい?」と挑発するように訊いてみた。
ところが透は抱えた木をよいしょと抱え直しながら、
「おそらく黒炭と白炭で、どのくらい鉄を鍛えるのに違いがあるのか、ということを試したいのだろうが、しかし・・・」となにやら自問自答している。
(こいつにもはっきり分かっているわけではないのか。)
朱夏は窯の方に向き直ろうとしたが、
「人夫の中にも、よく分かった者がいますね。」
と突然彼らに話しかける者が居た。顔を上げると、先ほどの眼鏡の男が目の前に居た。みなが驚いた顔をしているのを見て取ると男は、
「失礼失礼。私は田中
「わたしたちのふるさとでは、炭を焼く者も多かったですので。」
と透が殊勝に答えている。
「そもそも高炉の中で何が起こっているのか、ですよ。人夫のみなさんはただ鉄石を高温で熱すれば勝手にズク鉄ができると思っているかも知れませんが、話はそう単純ではないんですよ。」
突然講釈が始まった。鉄山の中でも最も存在感のある三つの高炉だが、櫓の上に登って鉄石や木炭を窯に放り込んでいるのは熟練の男たちばかりで、朱夏たちのような来たばかりの若い連中にとっては、遠くから仰ぎ見るだけの場所だった。中で何が起こっているかは少し興味があった。
「化学反応と言って、鉄と結びついているオクシゲンという成分、日本語にすれば酸のもと、というほどの意味ですが、これがいまみなさんがせっせと焼いている炭や石灰と結びついて、鉄から離れるというしくみになっているわけです。」
「木炭を作るのも、そうなのでしょうか。」と透が訊いた。
「広い意味ではそうです。木も、動物も人間もそうですが、炭の素と水が結合して身体を作っているのです。そこから窯焼きによって水を分離させて、炭だけを残すのです。結びついて、離れて、そうしてよりよいものを作る。不思議なものですよね。」
(人と人ともそうしたものと言えるだろうか。)
集成の説明を必ずしも理解したわけではないが、結びつき、離れる、という言葉に朱夏は連想した。自分もまた三陸の人々と離れて、この鉄山に何かを求めてやってきた。
「人と人ともそうしたものと言えるだろうか。」
朱夏が考えていたのと同じことを、透が口にしたので驚いた。
「なかなか面白いことをいう方ですね。人夫には人夫の世間という高炉があるのかも知れませんね。」と集成は軽やかに応じた。
「一つ、分からないことがあります。」と透が集成の方を見て疑問を投げかけた。
「高炉は、十年以上も動かしておられるのでしょう。黒炭と白炭を比べるなど、もっと以前から試しておられたのではないのですか。」
「いい質問ですね、実にいい質問です。」集成は楽しそうに言った。
「田中殿! 人夫にあまり構わないでくだされ! 作業がとまりまする!」
と後ろから富男の叫ぶ声がする。
「ぜひお答えしたいのですが、私の一存ではそれが出来ないのですよ。いずれまた。機会があれば、お教えいたしますよ。」
集成は踵を返すと、にこやかに富男の肩を叩きながら、掛屋の方へ去って行った。