二一、
文字数 3,612文字
鈴華と和子は、暗い中、ぽつり灯って光源を提供している街灯の下で、待っていた岬とスーパーバイザーに追い付いた。
先を覗くと、道は右に大きくカーブを描く坂道がだらだらと下っている。
鬱蒼と繁る木々が垣根となっているが、足下はアスファルト舗装らしかった。
「……街灯?」
〝
坂道は大きい径のカーブで、先を見通せない。
「一本道?」
「そうです、一本道」
鈴華の疑問符に、スーパーバイザーが答えた。
右にカーブする道の両側は、木々が繁っていて見通しが利かない。
さっそく、木の陰に潜んだ〝影〟と出会い頭に鉢合わせてしまうことが頭を過った。
鈴華は慎重にカーブの先を見通すようにした。
そんな鈴華にスーパーバイザーは、鼻をすんすんと鳴らして、周囲を窺うようにする。
「だいじょうぶ……かな?」
なんとも頼りない語尾ながら、スーパーバイザーはそう言うと、鈴華を促すように道を譲った。
「──先、進みましょう」
鈴華は頷いて、緩いカーブの坂道を歩き始めた。
カーブは九十度右に向いたところで真っ直ぐの道となった。途中にまた街灯が立っていて、その先を同じくらい行った先で左に折れるらしいのがわかる。
途中の街灯まで歩いてきたとき、薄暗がりに目も慣れてきたのか、そこが〝見覚えのある場所〟だということがわかってきた。
坂を下りて左に曲がった生垣の右手の向こう側は池になっている。
「ねぇ、ここって……」 和子が口にした。「……明治村?」
「らしいな」
そう岬が応じた。
道なりに坂を下りた先は小さな広場になっていて、右手の池越しに目をやれば、やはり赤いレンガ造りの教会──聖ヨハネ教会堂──が、夜空の中にひっそりと建っている。
やはり明治村の一丁目に間違いないようだった。
「…──常世って、あの世でしょ?」
和子が辺りを見回しながら不思議そうな声をあげた。
「なんで明治村?」
和子の使った「あの世」という単語に、また
鈴華も眉根を寄せたが、和子ではなくスーパーバイザーの方を向いた。……ともかく何か知っているとすれば、同じ顔をしていてもこっちの方だ。
その鈴華の視線が向けられる前にもう、スーパーバイザーは呑み込み顔になっていて、こぶしを
「あーなるほど……そういうことっスか」
うんうん、とひとりで頷いて納得顔で独り言ちる。
「そりゃそうっスね」
和子と岬も目線を向けた。
衆目が集まると、スーパーバイザーは〝自信が有るような無いような〟という微妙な
「常世っていっても、ここはまだ浅い場所……言ってみれば〝お試し〟といったようなトコなんです」
〝お試し〟という軽い言葉に、岬以外の二人の小首が思いっきり傾ぐ。
スーパーバイザーは、ああ、また失敗した、というふうに表情を改めて言い直す。
「ここも常世ではあるんです。けど、まだ鈴華さんの精神世界のうちでもある。
──…まぁ、深いトコまでは、
ここで話が横道に逸れそうなのを感じとったのか、両の手で挟んだ空間を〝置いといて〟というふうに左から右に動かして、しれっと話を戻した。
「──…で、ココなんスけど……鈴華さんの記憶の
鈴華と和子は〝納得できたようなできなかったような〟といった表情で、頷いて返した。
岬はめんどくさそうな表情で聖ヨハネ教会堂の二つ並んだ尖塔を見上げて、そんなやり取りを黙って聞いていたのだが、ふと何かに気付いたように背中──一丁目の中心部──の方を
「…………」
「どうしたの?」
「いや……」
鈴華に訊かれると、岬は曖昧に応えた。
「明治村……けっこう広いよね」
和子が辺りを見回すようにして、ため息交じりの声を上げた。
「……どこに行けばいいか、わかってるの?」
「ああ、それは大丈夫っス」
スーパーバイザーが、その心配にはあっけらかんと応えた。
「この明治村はあくまで鈴華さんのイメージで、実際には一本道なんスよ」
鈴華と和子は、再び〝?〟という表情になってスーパーバイザーを見返す。
「…………」
スーパーバイザーは、説明するのも面倒だ、というふうに
「──先に行きましょう」 そう言って、スタスタと先導するように先に立って一丁目の中心の方へ歩き始める。
岬が黙って後に続いたのを見て、鈴華と和子もそれに続いた。
学習院長官舎を過ぎて一丁目の中心…──西郷從道邸前に広がる芝生の辺りまで来ると、やはりここが現実の明治村でないということが呑み込めてきた。
西郷邸の洒落たバルコニーを持つ洋館とその周囲には、柔らかな光が溢れていた。
ナイター開園──夏季に実施されているのを鈴華も知っていた…──のライトアップとは明らかに違っていた。
もっとしっとりとした、不思議な光だ。
私的な園遊の夜会でも開いているのだろうか。芝生の上にはきらびやかな服に身を包んだ老若男女の人影が群れていた。
彼らの顔を見たとき、鈴華は息を呑んだ。
その〝人影〟が、
夜会に興じている彼らの顔は、皆〝
でも、不思議と怖くはない。
それは和子も同様のようで、とりあえず二人は、この眼前の光景が現実の明治村ではなく、異界の一幕であるということを理解したのだった。
そうしてこの奇妙で幻想的な夜会に足を踏み入れた鈴華と和子だったが、気後れを一瞬感じただけで、すぐに自分たちも〝いまや異界の一部〟であるということを体験することができた。
夜会の中を縫って歩く一行の服装は、いつの間にやら、この〝場〟に(……大方は)相応しいものに替わっていたのだった……。
鈴華と和子は、スカートの腰の部分が持ち上がったバッスルスタイルの…──明治時代の鹿鳴館なイメージの…──ドレス姿となっていた。色は和子が明るい
岬は明治の書生のイメージそのままに、かすりの着物に丸首の
スーパーバイザ―は、レザーでないだけで、やっぱり黒が基調の三つ揃えだった(……
始めのうちこそ自分と鈴華のドレス姿に目を丸くした和子だったが、着たこともなかったドレスというものに満足すると、早くも状況を楽しみ始めた。
「これが鈴華のイメージする明治村なんだー…──」 物珍し気に周囲に首を巡らせながら横を歩く鈴華に笑って言う。「
鈴華も、いくらか気恥ずかしくはなったものの、自分の
鈴華はふと岬の表情が気になった。岬はいまスーパーバイザーと一緒に
──もし振り返っていれば、
見知った顔など居やしないはずの園遊会の中で、最後の最後にひとりだけ顔の輪郭がぼやけておらず、誰であるかしっかりとわかる娘と
長い黒髪の男好きする顔…──発育の良すぎる身体を破廉恥な色味の赤いドレスに包んだ、同じ年頃の少女──。
鈴華はことさらに意識を向けないように目線を正面に据えたが、少女の方は、早々に後ろを歩く岬へと目線を……色目を向けたのだった。
一気に不愉快な気分になったが、何とか歩調を速めずに、和子ともども、すまし顔を真っ直ぐ上げてすれ違うことができた。
色目を向けられた岬が、どんな表情をしたのかは知らない。
少し行ってから和子が口を開いた。
「大場優菜だったね」
「うん」
そう頷いたきり黙って歩く鈴華に、和子は、もう何も言わないことにした。…──たぶん、夏休みに岬にちょっかい出されたことが相当
それでもうこの時には、鈴華と和子の服装は星南学園の制服に戻っていた。
この後……、
一行はスーパーバイザーの言う〝一本道〟の意味をすぐに体感することになった。
どの方向に進もうが、気付けば必ず一つの道すじを辿ることになるのだ……前後の繋がりなんか、お構いなしに……。
道すじは、鈴華と岬が先週の下見ロケハンで巡った道順で、それは不思議な、まるで夢の中を進むような感覚だった。