一一、
文字数 3,689文字
鈴華が次に足を向けたのは同じ五丁目の、現在 は展望タワーになっている川崎銀行本店だった。
〝煙と何とかは高いところに昇る〟という。たしかに岬は高いところが好きだった。
昼休みは西棟校舎の屋上の機械室に上り、よく遠くを見ていた。
展望タワーに至る途中…──。
内閣文庫のルネッサンス様式を基調に造られた建物の、四本の円柱と二本の角柱が巨大なペディメント を受けている正面──ローマの神殿のように端然としている──を過ぎたとき、案の定というか期待した通りにあ の 黒い影を見た。
鈴華は自然にほくそ笑むと、その後を追う。
あの黒い影がいる、ということは、その先に岬悠人がいる、ということだ。
この先には川崎銀行本店と大明寺聖パウロ教会堂しかない。いずれにしても一本道……他に逃げ場はない。
となれば…──黒服の女性が〝邪魔をし〟に現れるとすれば、この辺りのはず……。
そうして歩いていると、視線の端に黒のボーラーハット を捉えた。
ほらね?
皇居正面石橋にあったという凝った造りの飾電燈の台座の影から現れた黒服の女性は、鈴華の行く手を遮るようにズボンのポケットに手を突っ込んで仁王立ちし、それからカッコつけて(?)マスクを外して口を開いた。……鈴華の方は、屋外ではマスクは外してる。息苦しいのがキライなのだ。
「あなたもわからない人っスね……」
いったん〝マスクを外す動作〟をした後から〝片手をボーラーハットに添えるポーズになって鍔で目線を隠す〟というのは、いささかマヌケに見えたが、でもそれは黙っていてあげることにした。
鈴華は黙って微笑むと、小首を傾げるようにする。
黒服の女性は、ちょっと気圧されたふうになって帽子に添えてた手を下ろしたが、自分を鼓舞するように小さく息を吸い、対峙する鈴華に言い放った。
「…──は、話はか わ る かもしれないスけど……、
〝どの窓も全部南 向 き の部屋から外をみたら、クマが一頭、横切っていきました──
──…その色って、何色っ?〟」
「…………」
無理くりな笑顔でそう言ってから、露骨にドヤ顔になった黒服の女性に、鈴華は閉口してしまった。
なぞなぞ、ですか……。
この先の岬が展望タワーを下りるまでの時間を稼ぎたいのだろうが、ここまであからさまだとは……。
この女性 も追い詰められているのね……。
鈴華はなんだか、この謎の黒服の女性が憎めなくなってきている。
それもあって、彼女の〝なぞなぞ〟に付き合ってやることにした。
「〝白〟」
鈴華の回答に、う……、とわかりやすく表情 を変化させた黒服の彼女は、慌てて片方の手をパタパタと振って、
「ちょちょちょ……っと、理由……! そう理由を説明できなくちゃ」
鈴華の回答に審議の意思表明をしてみせる。
「──説明のない答えは無意味っスよ」
粘る黒服の彼女に、鈴華は答えの説明をしてやった。
「南 向 き の 窓 し か な い その部屋は〝北極点〟にあるんでしょ? 北極に居るクマはホッキョクグマで、色は〝白〟」
黒服の彼女が、再び、う……、と表情を変化させ、泣きそうになる。……ほんと、わかりやすい。
「そ、それじゃあ……」 懲りずに黒服の彼女が二問目を考え始めた。
「…──〝一日には二回あるのに、一年には一回しかないという、不思議なモノがあると言う。それっていったい?〟」
「〝ち〟……いち にち に二回、いち ねんに一回」 指折り数えて示してみせる。
うう……、と黒服の彼女。だが彼女はあきらめない。
「〝切れないのこぎりの刃を使うと、よく切れるようになるものって、何?〟」
「〝息〟でしょ……切れないのこぎりで無理するから〝息が切れる〟」
終に、ううっ……う、という感じの表情 になった黒服の彼女は、両の手でこぶしを作って息 むようにしていたのだが、どうしたことか、ふふ、ふ……、と、いきなり格好を崩し、その両腕を胸の前からゆっくりと下ろした。
そうして立ち塞がっていた道を譲るように、半身を退いて腰を引くようにすると、優雅に鈴華に歩を進めるよう促した。
どうやら岬が展望タワーから下りる時間は稼げたと、そう確信を持てたらしい……。
一転して余裕の表情となった黒服の彼女に、鈴華は真っ直ぐに近付いていった。
黒服の彼女の腕をはっしと掴む。
……え? とびっくりした表情になった黒服の彼女が、掴まれた鈴華の手と、鈴華の顔とを行き来した。
「あ、あ~れぇ……。早く行かないと彼氏さん、行っちゃうんじゃないスかねー?」
警戒して声が裏返ってしまいながらも、黒服の彼女は〝いったんは得た〟はずの優位な立ち位置 を信じて、引き攣った顔ながら鈴華の顔色を窺った。
鈴華の方はまったく動ずることなく応じた。
「うん、わかってる」
「…………」
想定外の反応だったようだ。
「え、え~とぉ……」
わけがわかりません、とばかりに不安気になる黒服の彼女……。
鈴華の方は、表情を変えもしない。
「……あの、どうしました?」
気圧されて、結局そう訊くしかなくなった黒服の彼女に、鈴華が言った。
「まだわからない? いまのわたしの狙いは、あ な た なの」
黒服の彼女は、しっかりと二の腕を掴んでいる鈴華の手と、顔を、もう一度見た。
◇ ◆ ◆
さあ観念しろ、とばかりに黒服の彼女の顔を覗き込む鈴華。
──あれ?
唐突だったが、そのときにその顔が〝誰か〟に似ていると思った。
その気配が伝わったのか、黒服の彼女がゆっくりと顔を伏せる。
間違いない。
──〝青い目〟と〝アッシュブロンドの髪〟のせいですぐにわからなかったが、確かにその顔の造形 は、よく知る人物と瓜二つ……。
「…──違います!」
ぶしつけな鈴華の視線から逃げるように背を向けた黒服の彼女が、挙動不審になって声をあげた。
「なにが?」
鈴華の方はいきなりそう言った彼女が、何を否定したのか質 しつつ、いよいよまじまじと、その横顔に食いつく。
うん。間違いない……。
「いやだから…──」
その視線に耐えかね、黒服の彼女はこう答えた。
「あ、あなたの深層意識があなたの行動を肯定して欲しいという欲求に応えて生み出したイメージが仮に〝小泉和子〟という特定個人であったとしてもですよ、それはあなたにとっての〝心を許せる対象〟であるところの彼女が反映されているだけのことで、小泉和子さんという実在の人物とは関係はない、って……まぁ、そういうことっスよ…──」
そして言ってしまってから、あ……! という表情 になって鈴華を向く。
鈴華は思う。
いや、だからそういうところも和子そっくりだって……。
「あ、いや……」
鈴華の視線に固まっていた黒服の彼女が、笑顔を作った。
「いやいやいやいや……」
必死感を漂わせて、自分の発言の打ち消しにかかった。
「やあー、アタシいま、なんか言っちゃいましたかね?」
「…………」
何と応えるべきだろう……。
鈴華は思案はしたものの表立っては丁重に無視に徹しただけだった。……幸い周囲に人影はないものの、人の視線だって気になるし。
「座って話そっか」
鈴華はそのまま黒服の彼女の腕を引いて、手近なベンチまで引っ張っていった。
「ちょっ……ちょちょっ…──」
引っ張ってこられた黒服の彼女が抗議がましい視線を向けてきたが、鈴華はそれを無視した。
「座って」
そういう鈴華の手は、彼女の腕を掴んだままだ。手を離したらすぐにでも飛んで逃げていってしまいそうだったから。
「……強引っスね」
黒服の彼女は、押し切られた形で、しぶしぶベンチに座った。その横に鈴華も腰を下ろす。
「…………」 あらためて黒服の彼女が鈴華を見る。「それで、いったい何を話そうってんスか?」
鈴華は、さっき彼女が言っていたこと──深層意識が生み出したイメージ云々…──を先に質すかどうかを迷ったものの、先に岬悠人との関係を整理しておくことにした。
「邪魔したでしょ」 先ずは大上段から打ち下ろす。
「岬悠人とはどういう関係?」
「…………」
問われて黒服の彼女は、喋るわけには参りません、というふうに口許を噤んで、あごを上げるようにしてみせた。
鈴華は掴んだ腕を手繰り寄せると、こわい顔を黒服の彼女の顔に寄せる。
黒服の方も負けじと口許を引き結んで応じたものの、やがて根負けして、ハァ、と小さく息を吐いた。
「──ええーとですね……この事案、けっこう複雑でして、詳しくお話しすることはできないんスけどね……、あなたの言うところの岬悠人からのご依頼で動かさせてもらってまス」
「…………?」
話が飲み込めない鈴華が、素直にそういう表情 をしてみせる。
黒服の彼女は、困ったように微笑んだ。
これは話が長くなりそうだと、鈴華はあらためて彼女に訊いた。
「最初に訊いとく。あなた、何もの?」
「アタシっスか?」 黒服は目を泳がせ始めた。「えー……あ~そうだな~……、こういうのが適当っちゃ適当かな…──」
そして、いよいよ怪訝な鈴華に視線を戻すと、巻き舌でこう答えた。
「〝supervisor〟──…うん、たぶんこれが一番し っ く り きます」
しっかりと〝u〟の母音にアクセントを置いて…──。
〝煙と何とかは高いところに昇る〟という。たしかに岬は高いところが好きだった。
昼休みは西棟校舎の屋上の機械室に上り、よく遠くを見ていた。
展望タワーに至る途中…──。
内閣文庫のルネッサンス様式を基調に造られた建物の、四本の円柱と二本の角柱が巨大な
鈴華は自然にほくそ笑むと、その後を追う。
あの黒い影がいる、ということは、その先に岬悠人がいる、ということだ。
この先には川崎銀行本店と大明寺聖パウロ教会堂しかない。いずれにしても一本道……他に逃げ場はない。
となれば…──黒服の女性が〝邪魔をし〟に現れるとすれば、この辺りのはず……。
そうして歩いていると、視線の端に黒の
ほらね?
皇居正面石橋にあったという凝った造りの飾電燈の台座の影から現れた黒服の女性は、鈴華の行く手を遮るようにズボンのポケットに手を突っ込んで仁王立ちし、それからカッコつけて(?)マスクを外して口を開いた。……鈴華の方は、屋外ではマスクは外してる。息苦しいのがキライなのだ。
「あなたもわからない人っスね……」
いったん〝マスクを外す動作〟をした後から〝片手をボーラーハットに添えるポーズになって鍔で目線を隠す〟というのは、いささかマヌケに見えたが、でもそれは黙っていてあげることにした。
鈴華は黙って微笑むと、小首を傾げるようにする。
黒服の女性は、ちょっと気圧されたふうになって帽子に添えてた手を下ろしたが、自分を鼓舞するように小さく息を吸い、対峙する鈴華に言い放った。
「…──は、話は
〝どの窓も全部
──…その色って、何色っ?〟」
「…………」
無理くりな笑顔でそう言ってから、露骨にドヤ顔になった黒服の女性に、鈴華は閉口してしまった。
なぞなぞ、ですか……。
この先の岬が展望タワーを下りるまでの時間を稼ぎたいのだろうが、ここまであからさまだとは……。
この
鈴華はなんだか、この謎の黒服の女性が憎めなくなってきている。
それもあって、彼女の〝なぞなぞ〟に付き合ってやることにした。
「〝白〟」
鈴華の回答に、う……、とわかりやすく
「ちょちょちょ……っと、理由……! そう理由を説明できなくちゃ」
鈴華の回答に審議の意思表明をしてみせる。
「──説明のない答えは無意味っスよ」
粘る黒服の彼女に、鈴華は答えの説明をしてやった。
「
黒服の彼女が、再び、う……、と表情を変化させ、泣きそうになる。……ほんと、わかりやすい。
「そ、それじゃあ……」 懲りずに黒服の彼女が二問目を考え始めた。
「…──〝一日には二回あるのに、一年には一回しかないという、不思議なモノがあると言う。それっていったい?〟」
「〝ち〟……い
うう……、と黒服の彼女。だが彼女はあきらめない。
「〝切れないのこぎりの刃を使うと、よく切れるようになるものって、何?〟」
「〝息〟でしょ……切れないのこぎりで無理するから〝息が切れる〟」
終に、ううっ……う、という感じの
そうして立ち塞がっていた道を譲るように、半身を退いて腰を引くようにすると、優雅に鈴華に歩を進めるよう促した。
どうやら岬が展望タワーから下りる時間は稼げたと、そう確信を持てたらしい……。
一転して余裕の表情となった黒服の彼女に、鈴華は真っ直ぐに近付いていった。
黒服の彼女の腕をはっしと掴む。
……え? とびっくりした表情になった黒服の彼女が、掴まれた鈴華の手と、鈴華の顔とを行き来した。
「あ、あ~れぇ……。早く行かないと彼氏さん、行っちゃうんじゃないスかねー?」
警戒して声が裏返ってしまいながらも、黒服の彼女は〝いったんは得た〟はずの
鈴華の方はまったく動ずることなく応じた。
「うん、わかってる」
「…………」
想定外の反応だったようだ。
「え、え~とぉ……」
わけがわかりません、とばかりに不安気になる黒服の彼女……。
鈴華の方は、表情を変えもしない。
「……あの、どうしました?」
気圧されて、結局そう訊くしかなくなった黒服の彼女に、鈴華が言った。
「まだわからない? いまのわたしの狙いは、
黒服の彼女は、しっかりと二の腕を掴んでいる鈴華の手と、顔を、もう一度見た。
◇ ◆ ◆
さあ観念しろ、とばかりに黒服の彼女の顔を覗き込む鈴華。
──あれ?
唐突だったが、そのときにその顔が〝誰か〟に似ていると思った。
その気配が伝わったのか、黒服の彼女がゆっくりと顔を伏せる。
間違いない。
──〝青い目〟と〝アッシュブロンドの髪〟のせいですぐにわからなかったが、確かにその顔の
「…──違います!」
ぶしつけな鈴華の視線から逃げるように背を向けた黒服の彼女が、挙動不審になって声をあげた。
「なにが?」
鈴華の方はいきなりそう言った彼女が、何を否定したのか
うん。間違いない……。
「いやだから…──」
その視線に耐えかね、黒服の彼女はこう答えた。
「あ、あなたの深層意識があなたの行動を肯定して欲しいという欲求に応えて生み出したイメージが仮に〝小泉和子〟という特定個人であったとしてもですよ、それはあなたにとっての〝心を許せる対象〟であるところの彼女が反映されているだけのことで、小泉和子さんという実在の人物とは関係はない、って……まぁ、そういうことっスよ…──」
そして言ってしまってから、あ……! という
鈴華は思う。
いや、だからそういうところも和子そっくりだって……。
「あ、いや……」
鈴華の視線に固まっていた黒服の彼女が、笑顔を作った。
「いやいやいやいや……」
必死感を漂わせて、自分の発言の打ち消しにかかった。
「やあー、アタシいま、なんか言っちゃいましたかね?」
「…………」
何と応えるべきだろう……。
鈴華は思案はしたものの表立っては丁重に無視に徹しただけだった。……幸い周囲に人影はないものの、人の視線だって気になるし。
「座って話そっか」
鈴華はそのまま黒服の彼女の腕を引いて、手近なベンチまで引っ張っていった。
「ちょっ……ちょちょっ…──」
引っ張ってこられた黒服の彼女が抗議がましい視線を向けてきたが、鈴華はそれを無視した。
「座って」
そういう鈴華の手は、彼女の腕を掴んだままだ。手を離したらすぐにでも飛んで逃げていってしまいそうだったから。
「……強引っスね」
黒服の彼女は、押し切られた形で、しぶしぶベンチに座った。その横に鈴華も腰を下ろす。
「…………」 あらためて黒服の彼女が鈴華を見る。「それで、いったい何を話そうってんスか?」
鈴華は、さっき彼女が言っていたこと──深層意識が生み出したイメージ云々…──を先に質すかどうかを迷ったものの、先に岬悠人との関係を整理しておくことにした。
「邪魔したでしょ」 先ずは大上段から打ち下ろす。
「岬悠人とはどういう関係?」
「…………」
問われて黒服の彼女は、喋るわけには参りません、というふうに口許を噤んで、あごを上げるようにしてみせた。
鈴華は掴んだ腕を手繰り寄せると、こわい顔を黒服の彼女の顔に寄せる。
黒服の方も負けじと口許を引き結んで応じたものの、やがて根負けして、ハァ、と小さく息を吐いた。
「──ええーとですね……この事案、けっこう複雑でして、詳しくお話しすることはできないんスけどね……、あなたの言うところの岬悠人からのご依頼で動かさせてもらってまス」
「…………?」
話が飲み込めない鈴華が、素直にそういう
黒服の彼女は、困ったように微笑んだ。
これは話が長くなりそうだと、鈴華はあらためて彼女に訊いた。
「最初に訊いとく。あなた、何もの?」
「アタシっスか?」 黒服は目を泳がせ始めた。「えー……あ~そうだな~……、こういうのが適当っちゃ適当かな…──」
そして、いよいよ怪訝な鈴華に視線を戻すと、巻き舌でこう答えた。
「〝supervisor〟──…うん、たぶんこれが一番
しっかりと〝u〟の母音にアクセントを置いて…──。