一二、、、

文字数 3,815文字


「すーぱーばいざぁ……?」
 意味のわかるようなわからないような……。
 黒服の女性を見据え、小首を傾げる鈴華。
 すぐさま、したり顔の彼女に、
「〝supervisor〟」
 と、巻き舌の〝u〟のアクセントで訂正されてしまった。
 ちょっと癪に障った鈴華は、
「〝supervisor〟?」
 同じく巻き舌の〝u〟のアクセントで言い直す。
 黒服の彼女の方は、うんうん、と大きく肯いた。答えとして選んだ〝自分の言葉〟に得意満面の様子だ。
「で、スーパーバイザーのあなたは、いったい何を管理・監督しているの?」
「…………」
 途端に黒服の彼女──スーパーバイザーの表情(かお)が固まる。言わなくちゃいけないスかね? という目の表情に、鈴華は黙って頷いた。
「あーん、これはちょっとなー……〝現世(うつしよ)〟の人に話すっていうのは……」
 ボーラーハット(山高帽)から覗くアッシュブロンドの前髪をいじりながら、()()()()し始めたスーパーバイザーを鈴華は一睨みする。
 スーパーバイザーは、しぶしぶと語り始めた──。

「えっとぉ、どっから話せばいースかねぇ……。
 んー……。
 アタシらスーパーバイザーは、常世(とこよ)のモノ、つまり〝()()()の世界に存在しないモノ〟と、現世(うつしよ)のモノ……あなた方人間とが、過度に交わらないように目を配ってます。
 それで問題になりそうなら事前に手を打ったり…──要はバランスを取る……
 うん、そういう存在です……」

 なんだか〝自分の考えをまとめる過程〟を(ひと)()ちたような、そんな言い方のスーパーバイザーに、
「常世……? 現世?」
 鈴華の方も浮かんだ疑問符をそのまま表情(かお)に出して応じた。
「…………」 互いに顔を見合せて、「…………」 数秒。
 スーパーバイザーが拗ねたような表情になった。
「ほら、信じてないじゃないスか」
 あからさまに気分を害したようすのスーパーバイザーに、鈴華は内心で笑ってしまいながら(なだ)めにかかる。
「信じる。信じるよ。だからちゃんと説明して」
「…………」 スーパーバイザーが鈴華を覗き込むように向く。
 〝ちゃんと?〟と訊いてきたようなその青い目に、鈴華は頷くと、改めて訊いた。
「……その常世と現世の監視者のあなたと岬との関係。なんでわたしが岬に近付くのを邪魔するの? ……あと、あの〝影〟はなに?」
「そ……そーれは……」
 スーパーバイザーは困ったような表情になって口ごもった。

   ◆  ◇  ◆

「──…って、え⁉」
 困ったような顔のスーパーバイザーの目線が鈴華の背後に焦点を結んだとき、その顔が色を失った。
「え……、え? いやダメでしょ、何やってんスか……」
 その混乱したスーパーバイザーの表情に、鈴華が後ろを振り見やる。

 そこに、岬悠人が立っていた。


「……岬っ‼」
 鈴華は、それまで掴んだままだったスーパーバイザーの腕を放すとベンチから立ち上がった。スーパーバイザーが、あちゃー、というふうに目を覆う。
 真っ直ぐに視線を向けられた岬は、()()驚いた、という表情で鈴華を見返すと、むしろ困ったようなトーンの声で確認してくる。
「なに、おまえ……、やっぱ俺のこと見えてんの?」
「当たり前でしょ」

 鈴華が少し怒ったふうに応じた後ろでは、スーパーバイザーが小さくパニックを起こしていた。
〝ちょちょっちょ、ちょっ……ルール違反っ、ルール違反っスよ!〟
 そんな口の動きだったかも知れない。少なくとも鈴華の背中越しのパントマイムは、そういう動き…──。

 岬悠人は、そんなスーパーバイザーに目線をやると、〝もう、いいだろ〟と言うふうに肩をすくめる。スーパーバイザーの方は、〝そういう勝手、受け入れられないでしょう!〟と困ったふうに目を剥いたようだった。

 鈴華はそんな二人の声なき意思の交換にはそれほど意識を()くこともなく、ただ岬を真っ直ぐに見て口を開いた。
「あんたね! 来るなら来るで、なんで一言もないのさ?」
 少し詰問調。いささか気の利かないフレーズだったが、いまの鈴華にはこれが精一杯だった。
「おかしいでしょう? あんたが敵前逃亡したせいで、みんな余計に作業を増やしてんだからね。ちょっとは〝悪かった〟、とか思わないの?」

 きつい声調でそう言われた方の岬は、やっぱりか、と言いそうな、なんだか面映(おもは)ゆそうな表情でスーパーバイザーにもう一度肩をすくめてみせると、鈴華に向き直って、あっさりと謝ってみせた。
「……悪かった」
「…………」
 鈴華は次の言葉がなくなって、岬の顔を見返すばかりとなる。
 スーパーバイザーも諦めたのか、動きを止めて、ただパチクリと二人の行末を見守るようにしている。

 予想外の岬に、鈴華の方は次の言葉をなかなか見つけられず、
「──…悪かった、って、それはわたしだけじゃなく、他の部員、全員に……」
 などと、しどろもどろになる。
 スーパーバイザーが、そんな鈴華に、当人の背後でひっそりと微笑んだ。

 岬は、わずかに呼吸を整えると言葉を続けた。
「おまえには、挨拶も謝ることもできない〝決まり〟だったから、皆にもしなかったんだ。……ま、結局、こうやって謝ることになったわけだけど……他の連中には、奥村の方から謝っといてくれよ…──」
 そうして決まり悪そうに、今度こそ鈴華に背後のスーパーバイザーを意識させて、言葉を継ぐ。
「これ以上の干渉は、さすがにルール違反になっちまうらしいから」
 鈴華は背後のスーパーバイザーを見やる。スーパーバイザーがツと目線をずらして言った。
「たぶん、これが最後になるんで……〝事後承諾〟となるはずです……」
 その言葉──〝事後承諾〟──の響きに、最初は怪訝に、それからハッとしてふうになって、鈴華は再び岬を向いた。
 岬が、不思議な表情で頷く。
 鈴華は、湧き上がってきた不安に言葉が出てこない。

 それでも、何か言わなくちゃ、と鈴華が言葉を探し、岬が笑顔を作ろうしたとき──。

 また、おかしな具合に風が吹いた……と感じた。


 岬の表情が硬くなり、耳を澄ますようにしつつ周囲へ視線を走らせる。
 スーパーバイザーも辺りを窺うようにして、すんすん、と鼻を鳴らした。
 もうこのときには、ベンチの周辺の空間には、スゥ……、スゥ…──と、幾つもの黒い染みが浮かび上がっている。
 やがて岬とスーパーバイザーの視線が皇居正門石橋飾電燈の台座の脇に留まると、その一点にそれらの染みが線を引くよう流れ集まっていく。そしてそれらは渦を巻き、みるみるうちに〝揺らぐ影〟となって岬と対峙していた。
 その非現実的な光景を前に、鈴華もまた不穏な(しるし)を感じ取る。

 ちっ、と岬が舌打ちをした。
「最後の最後で、捕まっちまったか……」
 そう言って影の出方を窺うようにする。
 鈴華の傍らでは、スーパーバイザーも同じような面持ちで影の方を見遣(みや)っている。
 鈴華だけが、いま一つ状況を理解できていない。……ただ、黒く揺らぐ〝影〟が不穏なモノであるということを理解できるだけだ。

 と、影がぞろりと岬の方に動いた。
 それに反応した岬が腰を落とすと、影が、()()()()と飛びかかった。岬はすんでのところで身を(かわ)し、バランスを崩さずに距離を取った。
 そんな眼前の活劇に、鈴華が思わず悲鳴を上げる。
 岬が鈴華に顔を向けたとき、その視線を追うように、たしかに影が身動(みじろ)いだ。影は鈴華の存在を窺うように動きを止めた。

「うそ……まっずい……」
 鈴華は隣で、スーパーバイザーが震える声を上げるのを聞いた。
 鈴華はスーパーバイザーの方に目線を巡らせかけて、その動きを止めた。
 視界の端に、影が鈴華を見据えるのを捉えたからだ。

「…──っ‼」 影の動きの変化に、岬が叫んだ。「奥村っ、逃げろ!」
 鈴華は後ろに(からだ)を飛ばそうとして、そこにはベンチがあることを思い出す。
 それでわずかに反応が遅れた。
 黒い影が迫って来る。

 鈴華の腕が、隣からぐっと強く引っ張られた。
 スーパーバイザーが両の腕で()き抱くようにしたことで、鈴華は影に組み付かれることを何とか(かわ)せた。そのままスーパーバイザーに腕を引かれて後退(あとじさ)り、影との距離を取る。
 影は、鈴華の居た空間で動きを止めたあと、ぞろりと鈴華とスーパーバイザーの方へと向き直った。
 鈴華はこのとき、〝ああ……この黒い影は、いまはわたしを狙ってるんだ〟と、正しく理解した。
 得体の知れないモノに襲われる……。
 混乱と恐怖が背筋を伝った。

 ち、と岬が覚悟を決めたような表情で腰を沈めた。
 それを見たスーパーバイザーが、鈴華の顔を覗き込んで言う。
「あーもうこれ(まで)です! 鈴華さん、こっち見て‼」
 そう早口で(まく)し立てると、黒い手袋の左手を鈴華の眼前に(かざ)した。
 え? と思う間もなく視野が暗くなり……

 …──鈴華の意識は遠退(とおの)いていく。




   ◆  ◆  ◇




「──…か……りか……、鈴華?」
 和子の声で我に戻った鈴華は、もう一度向かいの()()()へと視線を巡らせると、何を見たのか思い出せず、結局、和子と高橋とに視線を戻す。
 二丁目と三丁目の境……市電京都七条駅の辺り。

「……あ、うん」
 鈴華は曖昧な返事をすると、怪訝そうな二人に笑顔を向けてみせた。

 何か釈然としないような……。
 いったい何に気を捕られたのだっけ? それさえ朧気(おぼろげ)だ。
 不思議な感覚…──。

 けれどもう時間だ。
 撮影に入らなければいけない。

 鈴華はスクールバッグから書き込みの入ったロケ台本を引っ張り出すと、午前の撮影に気を引き締めることにする。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み