ニ四、

文字数 2,721文字


 一行は、ランタンを手渡された岬を先頭に、鈴華、和子、スーパーバイザーの順で一列になって進む。
 ランタンの淡い光に照らされた小道は、記憶にあるものよりも狭く感じられた。まるで山の中の獣道を歩いているようだと(──…実際にそんな経験はなかったけれど)、鈴華は思った。
 後ろから伸びてきた和子の手が、鈴華の左手を握った。……ああ、和子も怖がってる。そう思うと、鈴華も右の手を、先を行く岬の左手に伸ばしていた。
 指先が触れたときに、ほんの少し躊躇ったのはどちらだったろう?
 でもそんな躊躇いは一瞬だった。
 岬は黙って左手を伸ばし、しっかりと鈴華の右手を握った。
 とくん、と胸がなったように感じる。
 こういうふうに男子の手を握ったのも初めてなら、異性の手だと意識したのも初めてだった。


 そうして暗い山道に似た小道を、手と手を取り合って進むうちに、鈴華は、そろそろ()()二の姫になるような予感がしてきた。
 するとやはり、右に大きく弧を描くような小道の中程で、鈴華の身体の中に二の姫が降りてきたのだった…──。

   ◆  ◆  ◇

 ──二の姫が弦丸の案内で山神の杜に無事に入ってから、()や二年の年月が経とうとしていた。
 朝野の家名は叔父長方に奪われその所領ともども失ったが、山神を祭る大祝(おおほうり)身位(しんい)については、他ならぬ山神が長方の()す人物に託宣を与えることをせず、事実上の空位が保たれている。
 二の姫は、本来、姉の大姫(おおひめ)が就くはずだった巫女としての修行をして、この二年を過ごしていた。

 山神の杜は夏は緑深く冬は雪深いもので、結界の中には〝(あやかし)〟と〝物の怪〟の類しか暮らしていない。
 いまだ巫女でなく()()()である二の姫が人と交わるのは月に数度、杜に接する里に素性を伏せて下りるときくらいであった。結界の中では、()がりなりにも人の似姿(にすがた)をとる存在は弦丸きりで、自然、ふたりは多くの時間を共に過ごすこととなった。

 この頃には二の姫にも、弦丸の〝(しゃ)に構えている〟ように見える処世の(すべ)が、人との交わりの薄さ(ゆえ)だということを理解できてはいた。理解はしたのだが、さりとて彼が人の世に戻れぬ身であることもまた事実、そもそもが、人の世に戻りたいなどと願っておらぬことも理解している。
 そんな二の姫も杜での暮らしに馴染(なじ)んでしまえば、館での暮らしを懐かしむようなこともなく、巫女修行に忙しい様子を見せていた。
 夕映えや月夜の晩に言葉を交わすことを重ねれば、二の姫は弦丸のことを、弦丸は二の姫のことを、いよいよ深く知るようになっていく。

 そのように表立っては杜の暮らしに慣れていった二の姫だったが、(まれ)に里に下りれば、頼まれもしない面倒事に、なにかと首を突っ込みたがるのが常であった。
 そういうときの姫は生き生きとしてよく笑い、そして弦丸は、傍らで戸惑いの表情を浮かべるのだった。

 例えば里で親しくなった衣奈(いな)という娘との物語(はなし)がそうだ…──。


 衣奈は里村の名主(みょうしゅ)の養女であった。
 里に下りたときには〝若草〟と名乗る二の姫とは年の頃も近く、出会ってすぐに打ち解けている。衣奈は二の姫の素性について勘付いてもいたようだったが、深く詮索するようなこともしなかった。
 この衣奈を通じて、〝若草〟こと二の姫は、人と妖の世界を往来して生きた。

 さて、その衣奈には宗助という許婚がおり、ふたりは互いに互いを慕い合っていた。衣奈の実父と宗助の亡き父との間で決められていた縁である。
 その衣奈に、いまは叔父長方のものとなった朝野の家から遣わされた代官が懸想(けそう)をした。横恋慕である。
 この代官が性質(たち)の悪い男で、何としても衣奈を自分のものにと手段を(えら)ばず、無理強いのあげく、(つい)には里の租税の軽重(けいちょう)にまで恣意(しい)をちらつかせるに至る。
 里村を束ねる立場の養父は苦境に立たされた。衣奈は、養女の身()に逆らうことは出来ぬと悟り、泣く泣く代官に嫁ぐことを養父に告げた。

 一方、そのような横暴に納得のいかぬのが〝若草〟である。力づくで家を奪われた自らの境遇も重なって憤懣やるかたない。
 なんとか衣奈と宗助を逃がすべく思案をはじめた。
「やめたがよい」
 里のことに必要以上に係わることを嫌う弦丸は気乗りの薄い様子であったが、それでも若草としての二の姫の猪突(ちょとつ)に〝知らぬふり〟を通すこともできず、不承不承、付き合うのである。
 館から衣奈を連れ出す算段。宗助と落ち合う手筈。その後の足取りについて……例えば路銀についても──弦丸自身は人の暮らしに無縁だった故に〝施す〟ということはできなかったが──若草にそうするよう喚起を忘れない。
 そういった細々(こまごま)としたことにまで配慮をする弦丸を、姫は心底から頼もしいと感じた。

 さて、そうして自らは二体の妖と共に衣奈の(しとね)(ひそ)み、代官を待った。
 果たして、新婦の間の褥の上に(かしこ)まった若草こと二の姫を衣奈と思い込んだ代官は、姫の側へとにじり寄ろうとしたのだったが、姫の機智と、付添う妖の術に巧みに踊らされ、気付けば館の外へと誘い出されてしまう。
 館に控えさせていた手下(てか)の者どもから離されてしまった代官は、正体を現した二の姫と妖とに散々に脅され、怖がらされ、()()うの(てい)で逃げ帰ることとなった。その時分(とき)には衣奈と宗助は山越しの国境(くにざかい)を越えてしまっており、もう手出しの出来ようもない。

 逃げ帰りしな顔を真っ赤にして怒るしかない代官に、二の姫はからからと笑い、これが自らの招いた失態であることを手厳しく指弾(しだん)して言った。
 此度(こたび)の花嫁出奔の責めを養父母に負わすのであれば、ことの顛末を朝野の家中はおろか主家緒田の家にまで(つまび)らかに明かす。この上恥を(さら)したくなくば()れにて仕舞いとされたがよい、と。
 如何(いか)な性悪の代官も、(つい)には諦めるより他なかった。

 こうしてことが終わるまで、二の姫の顔は生き生きとしていた。
 それは、杜の中に居て巫女修行をしているときには決して見せることのない表情で、傍で見ていた弦丸の心を惹きつける。
 そういうときの弦丸の顔には、羨望と、そして諦念(ていねん)とが見て取れた。

 ──…この後も、度々厄介ごとが持ち上がったのだが、弦丸は、こういう姫に振り回されつつも、ずっと姫の傍らに居続けた。


   ◆  ◆  ◇


 次に気付いたとき、鈴華は、暗い中を岬に手を引かれて歩いていた。
 指先に岬の温もりを感じる。
 と、背中越しに岬の声を聴いた。
「……もう出口らしい」
 鈴華は、もう少しだけ、岬の手を握る右の手の力を強くする。
 岬の握り返す力も、ほんの少しだけ増した。

 ──〝ぶっきらぼう〟で、
    〝だけど意外と細かい所に気が回って〟
            〝結局、(そば)にいてくれる〟……


 たぶん、もう……道の半ばまでは来ている。
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