〇五、

文字数 3,605文字


 遠足当日──。
 この日は空の高い秋晴れとなった。
 朝、鈴華が正門に着くと、もう六台の観光バスが玄関正面の前庭に停まっていた。
 通用門から自転車置き場に回ると、二年生の中でも気の早い部類の生徒が、ガシャガシャと自転車のスタンドを立てていた。その中の半分くらいは報道倶楽部の面々だ。──旧放送部の流れを()む部員はともかく新聞部から合流した部員にとっては、初の学校行事関連の〝大仕事〟だった。

「おはよー」
「……はよー」
 マスクでくぐもる声で挨拶を交わし合いながら、鈴華や他の生徒たちはバスの停まっている前庭へと向かう。今日は前庭に集合して出席確認の点呼もここで取るから教室には上がらないことになっていた。
 途中、鈴華は目に付いた報道倶楽部の面子に声を掛けていく。

「あ、馬原……、バッテリーの予備、準備できてる?」「モバイルバッテリー四つ、ちゃんと充電できてるよ。それよりこれ、ちゃんと使えんのか」
「ナミちゃん、台本、昨日差し代わってるから……」「……だいじょうぶ。夜のうちに和子からメッセ(メッセージ)が回って来てる」

 そんなやり取りをしていると、正門の先から「おっはよー!」と和子の元気な声がして、報道倶楽部の面々が一斉にそちらを向く。視線の先では、和子が勢いよく自転車から降りるところだった。……おい、だからパンツ見えちゃうぞ。

 そうして鈴華は、前庭にAからFのクラスごとにたむろし始めていた女子グループの中に入っていった。
 しばらく他愛のないお喋りをしていると和子がやって来てグループの輪に加わり、それから少しして八時二十分になると各クラスの担任が前庭に出てきた。
 鈴華らA組の担任の原國もクラスの輪に集合するよう声を掛けて、点呼を始める。
 クラス三十九人全員の出席が確認されると、いよいよクラスごとに割り振られたバスへと乗り込むことになった。


 鈴華は和子と並んで座席に着くと、報道倶楽部の幹部という特権でトランクルームに収めずに持ち込んだスクールバッグを膝の上で開き、中身をもう一度確かめた。
 オープンポケットの内側に、スケジュールや約束事、明治村の見どころなんかが書かれた遠足のしおりと、必要な箇所に自分で書き込みを入れたロケ台本がちゃんとあるのを確認する。
 と、ポケットの中に、入れっぱなしの紙の包みに目が留まった。
 丁寧に包装(ラップ)したそれは、一応の誠意が伝わるように鈴華が自分で包んだものだ。
 中には男物のハンカチ…──あの日に岬悠人が人差し指を縛ってくれたハンカチがたたまれている。


 あの後……、鈴華を後ろに乗せた岬は全力で自転車を走らせ、小さな診療所──どうやら岬のかかりつけ医らしかった…──まで送ってくれた。そこで診療を受け、指に傷は残ってしまうことになったが、末梢神経を(いた)めるようなこともなく傷は塞がって今日に至っている。
 岬は、治療の終わった後も自転車を押して家の近くまで送ってくれ、鈴華は、岬悠人が第一印象ほどには〝チャラく〟ないということを知った。不思議なことに、いま思い返そうとしても、あの診療所までの道すじが思い出せない。それが、なんとももどかしかった。

 それで鈴華の血でべっとり染まったハンカチについて〝別にそのまま返してくれていい〟という岬に、そんな不行儀なことはできない、ちゃんと洗って返すと鈴華は握って放さず、その場で返さなかったのだ。
 当惑する岬の表情に意地になった鈴華は、染み抜きをしてくれるクリーニング店を探し出して、仕上がってきたハンカチに自分で包装紙を見繕ってラップを施したものの、その(あと)タイミングを逸し続けて、(つい)に渡し損ねてしまった。

 それがスクールバッグのポケットの内側に入れたままとなっている……。
 鈴華はそっと包みを手に取った。

「……ん? 何、それ?」
 隣から和子にのぞき込まれそうになって、鈴華はそれを無造作を装ってブレザーのポケットに押し込んだ。
「…──むかし、かーさんに持たされた〝お守り〟」
「ふーん……恋愛成就?」
「なーんでそうなる⁉」 
 どこまでも屈託のない和子に、わけもなく鈴華は慌ててしまった。勢いよく頭を振って和子の方を向いてしまい、好奇心で満ちた和子の黒目がちな目と正面から目が合ってしまう。
「…………」
 大きな〝?〟の符合(マーク)を頭上に浮かべたような和子の顔に鈴華はいよいよ言葉を失って、なんとか笑みを返したものの、あとはもうスクールバッグから台本を引っ張り出してこの話題を切り上げるのが精一杯だった。




 秋空の下、学校を出発した六台のバスは、八百メートルほど先の入口(インターチェンジ)から高速に乗ると、四十分ほどをかけて県北部の古い城下町の端に広がる目的地──『博物館明治村』の正門の前に辿り着いた。
 バスを降りてクラスの点呼が終わってグループ単位に生徒が分かれると、いよいよ『団体入村チケット』と『のりもの一日券』が配られる。

 鈴華と和子はクラスのグループではなく、クラス横断で三班編制された報道倶楽部の撮影班(クルー)で、ディレクターの鈴華、カメラ(スマホでの動画撮影)担当のE組高橋、ADの和子の三人組だ。……本当はカメラは岬悠人が回すはずだった。


 九時三十分の開村時間を待って、二百二十名弱の男女高校生が明治村の敷地に入った。
 元は名古屋に在った旧第八高等学校のものだったという正門から敷地内の小さな広場に入り、たいていの生徒はを左手の階段坂を下りていく。
 小学校中学校ともう何度も来たことのある生徒だって多かったが、秋の青い空と豊かな緑のコントラストの中、いかにも明治レトロといった建築が姿を見せ始めれば、この一年間、感染症禍で〝思い出作り〟も中々できなかったこともあって、やはり多くの生徒が愉し気に歩みを進めていた。
 屋内では必ずマスク着用と決められていたが、屋外についてはその限りではないので、ほとんどの生徒の笑顔がマスクに隠されることなく躍っている。

 階段坂を下りて旧三重県庁舎だった二階建ての木造洋風庁舎──列柱回廊が壮観──の正面を過ぎた辺りで、右手の階段を登って一丁目に出るグループと、そのままS字のスロープ(七条坂)を先へと下って二丁目の広場に出ようというグループとに分かれることになる。
 たいていのグループが赤レンガ通り──メインストリートで〝()える〟のだ…──を目指すわけなのだが。
 鈴華たち撮影組第一班の最初の撮影場所も、赤レンガ通りの基点となる二丁目広場だった。

 もっとも、某ドキュメンタリー番組そのままに、ずっと同じ場所でカメラを回すというのは学校側が首を縦に振らなかったから、三つの撮影班には村内六カ所の撮影場所から二カ所を割り当て、午前中の一時間と午後の一時間、それぞれその場所に張り付いて生徒たちをカメラに収める、ということになっている。
 六カ所の撮影場所は、生徒が提出する事前の行動計画を分析して決めた。

 遠足における〝生徒の()()〟を一部の生徒(報道倶楽部員)が閲覧し把握する、というのは〝普通に考えて〟具合の良い話ではなかったが、そこは顧問の原國が協力して(がんばって)くれた。提出された行動計画の原本から個人が特定できぬ上で必要な情報──予定している見学先の経路と時間──だけを抜粋して提供してくれたのだ。

 原國にはいろいろな意味でたいへんな労力を掛けさせてしまったはずで、それでもこの企画の実現に協力してくれた彼女に、企画者である鈴華は、只々、感謝しかない。


 二丁目の広場までやってくると、ハンドヘルド(手持ち)タイプのスマホ用ジンバル・スタビライザー片手の高橋と並んでおしゃべりに興じていた和子が、数歩後ろを歩く鈴華を振り返った。二つ結びのおさげ髪が小気味よく揺れる。
「…──ここでの撮影って、十時三十分(はん)からだったよね? 鈴華はそれまでどうする?」
 そう訊いた彼女の隣では、高橋が〝どうする?〟というふうな視線を向けていた。
 鈴華はすぐさま応えた。
「大丈夫! おふたりのじゃまはしないから」
 両の手を胸もとでひらひらと振った鈴華に、高橋が視線を外して泳がせた。
 二人の仲を鈴華が感じ取ったのは、二学期の始まる少し前からだった。ここは気を利かせる場面だと心得ている。

「わたしはここいら見て回ってるから。五分前になったら交換局の前ね」
 そう言って札幌電話交換局の石造りの玄関口(ファサード)を指差して、それから和子に指鉄砲を向ける。「……送れんなよ」

 そんな鈴華に、和子の方は(てら)いのない笑みで頷いて言った。
「うん。あたしら、灯台の方回ってくるから、じゃ後で」
 そう言って、傍らの高橋を引っ張るように品川燈台のある入鹿池の方へと歩いていく。わざとらしく照れるというようなことをしない和子が、ちょっとかっこいいと鈴華は思う。
 何事か言葉を掛けられて隣の高橋を見上げる横顔が、いつにも増して輝いていた。

 さて、二人の背中を見送った鈴華は、約束の時間までをどう過ごそうかと、とりあえず赤レンガ通りへと足を向けた。
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