一四、

文字数 2,671文字

 ランチミーティングを終えて、報道倶楽部の面々は、それぞれの午後の取材ポイントへ散っていく。
 鈴華たち第一班は五丁目の旧帝国ホテル(通称〝ライト館〟)の正面玄関前、移築の際に一緒に再現された〝前池〟の周辺だった。


 午後の秋の陽射しは午前中ほどの鮮烈さが消え、少しずつ穏やかになる。
 一行は、秋晴れの青い空の下に白く輝くような歩兵第六聯隊兵舎の立つ高台をショートカットすることにして、階段坂を上った。
 階段坂の躍場で、右手に日本赤十字社中央病院病棟の玄関先を過ぎる。

 今日も〝光はよく回ってる〟かしら……。

 何気なく鈴華はそう思って、()()はどういうことかしら? と自分の思ったことを不思議に感じた。
 と、背後で高橋の声が、隣に並んでいるだろう和子に言うのが聴こえてきた。

「──あれだけ採光面が広いと、廊下でも、今日はいい感じに光が回ってるだろうな」
「へー、なんかいっぱしのカメラマンだね?」
 その知識はないのに楽しそうに応じる和子。
「俺は()()()()写真部だよ」
 冗談めかすような高橋の抗議の声……。

 あれ? デジャブ(既視感)を感じた鈴華が、病院棟を振り見やる。

 いきなり立ち止った鈴華を躍場から突き上げるようになって、のけぞるように立ち止った和子が声を上げた。
「ちょ……っ! 鈴華、いきなり立ち止るの、あぶない」
「あ……ごめん!」
 鈴華はとりあえず謝って、足を速めて階段坂を一気に上りきった。
 後から上ってきた二人に腰を折って謝って和子から苦笑を引き出すと、もう〝光が回る〟云々(うんぬん)については忘れていた。

   ◆  ◇  ◆

 白塗りの歩兵第六聯隊兵舎の中を突っ切って裏手の階段を下り、機械館となっている鉄道寮新橋工場を左手に歩く。
 この辺りに星南学園の生徒の姿はあまりなく、観光客もまばらだったので、午後の静かな時間が流れていた。
 正面に、赤煉瓦の建物と中央に銅板葺きのドームを乗せた建物が大きくなってきた。
 赤煉瓦の建物は工部省の品川硝子製造所の建物で、いまは『品川硝子ショップ』としてガラスの雑貨や食器、アクセサリーなどのお店として使われている。

 ああ、そう言えば……母さんに何かお土産を…──。
 ん?
 鈴華は、肩からスクールバッグを下ろすと中を開いて(あらた)めた。
 バッグの中にショップの包みを確認して、不思議に思う。
 いつ買ったんだっけ……?
 記憶を手繰って、それがあやふやなことに混乱する。
 ……あれ?

「鈴華? あんたどしたん? ……なんかおかしいよ」
 どうやら自分に向けて投げ掛けられた声に顔を上げると、数歩先で和子と高橋が立ち止まっていた。
 鈴華は、何でもない、とばかりに笑顔を振りまいて答える。
「だいじょうぶ! 問題なしだから。ちょっと疲れてるかもしれないけど、それだけ」
 それに和子は小首を傾げるようにしたが、鈴華がにっこりしてみせると、やれやれと肩をすくめて返した。
「もー、しっかりしてよー」

 溜息を一つして歩みを再開した和子と高橋。
 その後ろを付いていきながら、鈴華は〝たしかに()()()()〟と感じている。
 でも、()()おかしいのかは、わからない……。


   ◆  ◆  ◇


 四丁目を過ぎ、ザビエル天主堂前の広場を経て、金沢監獄正門から帝国ホテルの正面玄関前に出た。
 前池は、噴水に秋の陽光が反射し、秋風が水面を渡る、といった午後のひとときを演出していて〝心地の良さ〟では明治村でも一、二を争う好ロケーションである。
 やはりこの場所は、今回企画の取材ポイントから外せなかった。
 鈴華たち三人は、そんな昼下りの前池周辺の人出に星南学園の制服を見つけると、取材に入るべく準備を始めた。

 手順としては、前池の端で最初の取材対象を待ち受けて、それから池を反時計回りに生徒を掴まえて(めぐ)り、玄関の車寄せの(ひさし)の端で何組か待ち受ける。……本当は玄関前で取材したいところだが、せまい玄関口を占有してしまっては他のお客に迷惑になるから、それは諦めた。
 それから池の反対側を同じように廻り、最後は池の斜向(はすむ)かいの芝生のスペースに並べられたテーブル席で、やってくる生徒を時間一杯掴まえて回って終わる。
 こんな感じに、あとは〝臨機応変でいこう〟だった。


 最初の取材対象が姿を現すや、和子は子鹿のように軽やかに飛んでいく。
 先頭の女生徒がその和子とカメラを向ける高橋の姿を見て、キャーっと黄色い声を上げた。
 そうやって撮影に入って、午後の取材は順調に進んでいった。

 予定していた時間内で二つのグループを取材でき、スタート位置から池を挿んだ反対側──ホテル正面玄関で三つ目のグループを待つ。
 タイミングよく出てきたグループを捕まえて和子が声を掛ける。OKをもらうと、池を囲んだ生垣がアルコーブになっているスペースへと移動した。

 もうこの頃には和子のインタビューは手馴れたものになっていて、カメラ担当の高橋との呼吸(いき)もばっちりで、鈴華はただ見守っていればいいという状態だ。
 ちょっと手持ち無沙汰となった鈴華は、玄関車寄の低い(ひさし)の作る濃い陰の中に、玄関から出て来たばかりの〝風変わり〟な後ろ姿に目がいった。
 どの辺りが〝風変わり〟かといえば、その出で立ちの全身が黒()くめなことだ。その上、黒のボーラーハット(山高帽)まで被っている。……でも()()()()の方ではないと思う。線が細く、背も低すぎる。

 その後ろ姿がどうにも気になって…──気が付くと鈴華は、その後ろ姿を追っていた。
 車寄の(ひさし)(くぐ)り、黒いジャケットの背中を後ろから追い抜くと、思い切って振り返った。
 前からその顔を覗き込む。

「何か?」
 ボーラーハット(山高帽)の下に期待した顔は見つけられなかった。
 そこには上品な紳士の顔があって、怪訝そうに鈴華を見返している。
 鈴華は、ごめんなさい、と頭を下げ、
「……人違い、でした」 と小さく謝る。
 紳士は感じ良く微笑んで山高帽に手を当てて返すと、池の北側を展望タワーの方へと再び歩み出した。

「──鈴華? どした」
 撮影班に戻って来た鈴華は、怪訝そうな表情を向けてくる和子に、ん? となった。
 表情豊かな〝アーモンドなつり目〟の上に、なぜか黒い山高帽が連想されたことに、我ながら意味がわからなくなる。
「…………?」
 また心配そうに表情の曇りはじめる和子に、鈴華は目いっぱいの笑顔を向けた。和子が、しっかりしてよ、と表情を変化させるのに片手で拝んで返す。
 一息した和子が次の取材対象をさがし始めると、なぜだか鈴華は、玄関ホールの中へと視線を()った。

 そこに何があるわけでもなかったが、妙な感覚を鈴華は感じている……。
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