二三、

文字数 2,317文字


 二丁目の広場からメインストリートの起点に立って通りを見やれば、赤レンガの通りには人影が溢れていた。
 通りは、一丁目の芝生の上…──西郷邸のバルコニー前──の人々を照らしていた、()()しっとりと幻想的な光に包まれていて、一見して印象派の絵画の様に見える。
 道行く人の顔はやはりぼんやりと(しゃ)が掛かったように曖昧なのだったが、それでも不思議と活気は感じられた。
 異国の情緒すら感じる不思議な光景…──。

 また少し()()()()してきた鈴華は、となりの岬を向いた。
 そして……、あ! と面食らった。
 すぐ横の岬は、いつの間にやら古風な中折れ帽を被っている。服もブレザー制服ではなく茶色のチェック柄のジャケットで、若手の新聞記者か……そうでなければ探偵かというような出で立ちだ。
 不覚にもそのすっきりとした横顔に、一瞬、見惚れてしまった。

 岬の目線がこちらに向く前に、ああ、そうだ、と鈴華は自分の装いも変化していることを確かめて声を上げた。──ちょっとわざとらしかったかな? と思いながら……。
 そんな鈴華の服装は、英国風のクラシックな縦縞ブラウンのロングスカートに、同じくクラシックな格子縞のブラウスと縦縞ブラウンのリボンタイ、スカートと同じ柄の縦縞ベスト、といったもので、こちらも岬のご同類という感じだった。
 すると、わたしのいまの役回りは、記者なのかしら? なんて()()()躍った鈴華は、後ろに向いて〝我が腹心の友(しんゆう)〟を見た。

「…………」
 その和子は、なんでこうなる? という、ぶすーーーっ、とした表情で、鈴華の視線を迎えた。
 ここでの彼女の出で立ちは、かすりの着物に丸首の立襟(スタンドカラー)のシャツ、そして短めの袴。あたまにはベレー帽を載せた書生姿だった。……ってことは、新聞社で使ってもらってる書生さん、ってわけらしい。
 その和子の視線が物凄く恨みがましい抗議を含んでいたので、とりあえず鈴華は視線をスーパーバイザーの方に逃がした。
 彼女の方は、やっぱりというか、替わり映えのしない黒の三つ揃えに黒のボーラーハット(山高帽)だ。
 スーパーバイザーは肩をすくめて苦笑を返してきた。

 と、腰のあたりに何かがぶつかった感覚があった。軽い衝撃に、なに? とそちらを窺えば、鈴華の足下には子供が尻もちをついている。かすり着物の男の子だった。
 男の子──五、六歳くらいか?…──は、鈴華たち一向を見上げて視線を巡らせると、声を上げた。
「往来でぼさっとしてんな!」
「あ……」
 男の子のそのかわいらしい剣幕に、鈴華は先ず謝った。
「ごめんなさい」
 そう謝られて、振り上げた拳の行き場に困ったか、男の子は居心地悪そうに顔を朱らめた。
 そんな男の子に、岬が手を伸ばす。
「ほら、怪我ないか?」
 男の子は、その手に自分の手が伸びかけて、あ、と顔を顰めて引っ込めた。
 それから〝澄まし屋さん〟の顔になって、ひょいと立ち上がった。着物の裾を、ぱんぱんと(はた)いてから直し、鈴華の顔をちろちろ見上げて言った。
「……ま、この人出だ。あんまり迷惑なこと、すんなよな」
「そうね。気を付けます」
 鈴華は、思わず頬の緩んだ微笑みとなって、男の子にもう一度頭を下げた。
「ほれ、帽子」
 傍らから和子が手を伸ばし、年季の入った学生帽を載せてやった。尻もちをついた際に飛んだのだろう。
 男の子は、余計なことを、と言いそうな表情(かお)を返したものの、結局、ぺこりと和子に頭を下げて謝意を示して、また人の往来の中に身を躍らせていった。
 言ってることとやっていることが一致していない。
 ててててて……、と道行く人にぶつかりそうでぶつからない小さな背中を、皆でハラハラしながら見送った。

 そのとき、隣に立つ岬が言った。
「あいつは〝俺〟なんだろ?」
 え? とその横顔を見て、それからもう一度往来に男の子の姿を捜す。
 そうかも知れない。
 かわいくて、ちょっと生意気な〝弟〟が欲しいと、母にせがんだこともあったっけ。
 あんなレトロな出で立ちとは、想像したことなかったけれど。

 赤レンガの通りに、男の子はもう見つからなかった。



 下見のロケハンで巡った道順の通り、一行は赤レンガ通りの辻を右手に折れ、四丁目へと通じる『逍遥の小道』の入口に立った。服は、また元の制服に戻っている。
 一行の足はそこで止まった。
 陽の落ちた小道はいかにも暗く、昼間通ったときとは全く趣きが違ってしまっている。
 ……いや、()()は現実の明治村ではないのだから、そもそもから違っているのかもしれない。
 少し上がりながら左に曲がる小道の両側の、黒々と枝を伸ばす木々が視界を遮り、先の様子がわからない。奥に明りを見て取ることもできなかった。…──〝常世〟の入口のイメージそのままに感じる。
 踏み入れた途端に、あの〝影〟と出くわすのではないかと、そんな考えが脳裏を(よぎ)った。
 一行は互いに顔を見合せる。
 和子が誰ともなく訊いた。
「明りとか、ないの?」

 スーパーバイザーが、えーと、たしか……、という感じにポケットを探り出した。
 するとポケットからランタン(!)が出てきた。
 なんでそんなものが出てくる⁉ と鈴華と和子が目を丸くしていると、スーパーバイザーはランタンを鈴華に手渡して再びポケットを探る。今度は小さなマッチ箱──鈴華も和子も実際に見たことはほとんどない! ──を引っ張り出した。
「使い方──…は、知るわけないっスよね……」
 好奇の目でマッチ箱を見るふたりの顔に()()を見たスーパーバイザーは、結局自分でマッチを()って、ランタンを灯した。
 火のついたランタンは岬が受け取った。

「──…さ、先、行きましょう」
 そうスーパーバイザーに促され、一行は『逍遥の小道』に足を踏み入れた。
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