二六。
文字数 3,499文字
岬はドアを
一応、危険はなさそうだと判断すると、左の側に退いて、後の女子陣に中に入ってくるよう促す。鈴華、和子、スーパーバイザーの順で、〝レディーファースト〟よろしくドアを押さえて迎えてくれている岬に、軽く会釈なんかしながらエントランス・ホワイエに進んだ。
全員が、半円形の二段の段差を上がってホワイエに立つと、最後に岬が段差を上ってきて、一行はロビーを見上げた。
ホワイエから更に上った階段の先の開けた空間からは、
スーパーバイザーが、また鼻をすんすんと鳴らす。今度は違う反応になった。
「……ココはいるような気がします」
あの〝影〟のことだ。
鈴華の方も、それはそうだな、と思っている。
これまで出くわさなかったけれど、最初からここで待っていたのだろう。……だって、絶対にここに来なければならないわけだから。
「わかってる」 鈴華は神妙になって頷いて言った。「──行こう」
それから一行の先頭に立って、一歩を踏み出した。
ホワイエからの階段を上っていくと、徐々に視界が開けていき、やがて淡い光に包まれたロビーに立つ。
昼間の(博物館の展示物としての)ロビーとは、まったく雰囲気が違っていた。
その理由はなんだろう? 光の具合だけじゃなさそうだけれど……。
あらためてロビーを見回した鈴華は、その豪華絢爛さと雄大なスケール感に圧倒されながらもそう感じる
正面奥の意匠が違っていた。
他にも諸々細かな調度の類が、記憶にある〝昼の帝国ホテルのロビー〟と異なっていたが、最大の違いは、東西の二階ギャラリーを繋ぐブリッジの上下だった。
記憶の中のそこには、ブリッジの下にはえんじ色の絨毯に合せた赤い厚手のカーテンが降りていて、上側の二階部分にはフランク・ロイド・ライトの
いま視界の中のロビー正面の奥には、白いテーブルクロスの輝くダイニングが見えている。そう言えばロビーの床も絨毯敷でなく、床材そのものの風合いで輝くようだ。
鈴華は不思議に思う。
でも鈴華は、この帝国ホテルの姿を知らない。
ロケ地に関する事前の資料集めでちょっと目に留めたかもしれないけれど、こんなにはっきりと(そもそもこれは本当に旧帝国ホテルの姿なのかしら?)往時の姿を思い描けるものなのだろうか?
そんな疑問が
「夢の中って、はじめて訪れた場所とか現実に存在しないはずの場所なんかに〝リアル〟を感じることってないスか? 場所だけじゃなくて出逢った
それに鈴華が、そういえば……、というふうに肯く。
「──…それは
イメージを掴もうと小首を傾げる鈴華。それにスーパーバイザーは話の腰を折って、両の指先をわしゃわしゃといろいろなところから一点に集めてくるような
「どこもかしこも、みんな一ヵ所」 理屈は知らないけどそういうことです、といった表情。
鈴華が、何となく理解できた、と頷いて返すと、スーパーバイザーは口調を改めて話を
「そうすると、稀にね……、出てきちゃうんスよ、なにかの弾みに。忘れられ消えゆくのを待つ
そのスーパーバイザーの言葉に、鈴華は目線を前へと向け直す。
なんだか切ない気持ちになった。
誰かが忘れて消えてしまう〝夢の残骸〟……それが誰かの夢の中に現れる──。
誰かに、もう一度自分を必要として欲しいと、そう想うからなのか。
わたしは
鈴華は隣の少し先を歩く岬を見た。
岬はその視線に気付いようで、少しだけ振り見やるようにした目と目が合った。
何か言うのかな? と思ったが、切り出すタイミングが掴めないのか、結局岬は前を向き、ダイニングへと入っていった。
岬にいて、鈴華もダイニングに足を踏み入れた。
はじめて見る
左右に等間隔に並んだ五組の柱。その柱と梁にしつらえられた
スーパーバイザーを除いた三人が三人とも、
ダイニングを出るとホールがあって、少し先で左右に長く開けた吹き抜けの空間に出る。ヨーロッパの城か宮殿を想わせる広い廊下は、その空間自体がラウンジなのだった。
どちらに足を向ければよいかと思案していると、スーパーバイザーが、廊下の陰にひと二人しか並べないような狭い階段を見つけた。明治村に
それを上ると先程の廊下の二階部分に沿ってしつらえられたギャラリーに出る。
廊下を見下ろしながらギャラリーを辿るとホワイエへと小さな段差があり、それを上った右手には、さらに──それこそ宮殿にあるような──大きな階段が上っている。
〝シンデレラ〟なんかでお馴染みの舞踏会が催されるホールへと続くような、赤い絨毯の敷かれた大階段……。そんな世界にまったく縁のない鈴華でも、知らず心が躍った。
──
その誰かの夢を、いまわたしたちが辿っている……そういうことなのかな?
そんなふうに思いながら赤絨毯の大階段に向いたとき、鈴華の足が止まった。
〝目指す場所〟は、この階段の先じゃない。
鈴華は背後を振り向いた。岬と和子も同じ方を向く。
「……こっちだ」
岬と和子は顔を見合わすと、確信をもって階段の反対方向に行く鈴華の後を追って、上りかけた階段から足の向きを変えた。
なにかに引き寄せられるふうに鈴華が足を向けた先は、ホテルに併設された小振りな劇場だった。
帝国ホテルにこんな劇場があったのかどうか、鈴華は知らない。
けれど
鈴華は、正面の舞台に向かい、客席の端の通路を真っ直ぐに歩いていく。
舞台の上に、なにかが置かれていた。
最初、照明のない舞台の上の
足の止まった鈴華の隣に和子が肩を並べた。鈴華と同じく、舞台に置かれた箱のような
そのライティングビューローに見覚えのあった和子は、傍らの鈴華に確認をする。
「鈴華……アレって……」
「うん」
頷いた鈴華も、和子と同じような表情になっている。
「……わたしの机だ」
鈴華は舞台に上がる経路を探して頭を振った。
舞台の両脇、左右に置かれた桟敷風の座席の通路を経て舞台袖に上がる階段がある。鈴華は
そうして舞台に上がり、いつもと同じ視線の高さで机を見る。
間違いなく鈴華の机…──母から譲られたライティングビューローだった。
鈴華は、意を決して机に近付いていくと、引き出しを開けた。
そこには、やっぱりノートがあった。
それは、鈴華の〝創作ノート〟。
引き出しからそのノートを取り出した鈴華は、舞台袖に上がってきたスーパーバイザーを見た。
その視線を受け止めたものの、意味はわかりません、というような表情だったスーパーバイザーが、ん……? と何かを感じたふうに、黒いジャケットのポケットを探り出した。そしてポケットから何かを引っ張り出す。
こんなん出てきちゃいましたよ、と視線を向けてきたスーパーバイザーの手には、なんだか年季の入った機械がある。
…──それは、機械部分が剥き出しの、手回し式のハンディ