〇四、、、

文字数 2,406文字


 ──それは、夏休み明けの九月だった。
 厳しい残暑の合い間を狙って低気圧や台風、前線、湿った空気、諸々が東海地方を襲い、やたらと湿気を(はら)んだ秋の始まりの月、わたしは、その湿気を吸ってうねり始めた髪に苛つく日々を送っていた。
 やっと梅雨を乗り切ったというのに、秋雨に入る前にこれか……。

「明日は雨ね……」
 新しい所属先となった報道倶楽部──活動休止となった新聞部のうちの希望者を放送部が引き取って新学期からの発足となった…──の部室。長机に座ったわたしは、窓から見える〝雲の多い西の空〟を見るまでもなく言った。
 その忌々しげな響きに、同じ長机の反対側の端に座った岬悠人が反応した。
 こっちを向いた視線が不思議そうだったので、わたしが湿気に広がり始めた髪を一房掴んで小さく振って見せてやると、岬は、ああ、といった表情になった。


 あの日以来、なぜだか岬悠人とわたしとの間には、接点が多くなっている──。

 帰り道の方向が一緒だからか、目に留めることが増えた。
 雨がひどくてバスで通う日なんかは、同じバスで顔を合わすときもあった。
 夏休みには図書館 (わたしは新聞部だったから通うのを日課にしてた)で会うことが多かった。
 報道倶楽部が発足すると、先に写真部に所属していた岬も共同(コラボ)企画で出入りするようになり、気付けば部員扱いとなっていて、動画の撮影・編集を担当していた。そんなわけで、どちらかというとデジタル機器というのが苦手なわたしをフォローしてくれてる。
 そのうちに岬も自転車で通学するようになって、和子(わこ)と岬と三人で自転車を並べて帰ることが増えた。

 これだけ顔を見合せる時間が増えれば、自然、言葉を交わす機会も増えていた。


 ……しばらく作業に戻っていた岬が、再び訊いてきた。
「おまえさ、その髪、ひょっとして嫌い?」
「…………」
 わたしは企画書の赤入れの手を止めた。
 顔を上げて周囲を見回すと、部屋には岬とわたししか居なかった。
 わたしは岬を向くと不愛嬌に言った。
「……嫌いよ」 正確には〝髪型〟が嫌い、なのだったが、そこは割愛した。
 そんなわたしに、岬は立ち上がると長机の端を回ってわたしの隣にまでやって来て、そして訊いたのだ。
「なんで?」
「なん……で、って、その……見ての通りこの顔に全っ然、似合ってないの自分で知ってるし──」
 まさか岬に髪のことでここまで訊かれるなんて思ってなかったわたしは、言葉に詰まって少し調子の外れた声で言い募ることになった。
 それも遮るように岬は首を傾げるように言う。
「──そんなに似合ってないかな……」
「え……」

 その言葉の意を()むことが出来ずただ見上げるばかりとなったわたしを、岬はもう一度首を傾げるようにして覗き込んで、それからつと目線を外すと、足早に部室を出ていってしまった。



 あいつとは万事こんな感じだったから、何も言わずに居なくなったのだって、あいつにとっては、別にどうでもいいことだったんだろう……。

 わたしだって、どうだっていいけど。
 そう言えば、あのときに指を縛ってくれたハンカチ……返せてない。


   ◆  ◆  ◇


 風呂から出た鈴華は、いつものように〝十分ちかく洗い髪にドライヤーを当てる〟という()()()()の儀式を終えると、台所に向かった。
 居間の母は、仕事に一段落を着けてお菓子の器に手を伸ばしている。
 そろそろ電話が掛かってくるはずだ。
 鈴華は食器棚の自分のカップに手を伸ばした。
 冷蔵庫を開いてパックの牛乳を出すとそれをカップに注ぎ、砂糖を放ってからインスタントコーヒーを浮かべた。そのまま混ぜることなく電子レンジに収める。
 温めの終了音と母のスマホの着信が鳴るのが同時だった。
 鈴華はレンジからカップを取り出すと、スプーンで手早くかき混ぜた。
 そしてカップを手に、そっと階段を上がる。
 母のお相手(ボーイフレンド)は、礼儀正しくて()()だなー、と思いながら。

 階段を上がったところ、自室の引戸の前で、母の控え目ながら楽し気な声が聴こえた。
 鈴華はカップからカフェオレが零れないように注意しながら、建付(たてつ)けの悪くなっている戸を開けた。


 母のお下がりのライティングビューローに向かい扉板を前に倒して机にする。それから引き出しの中に収めたノートを引っ張り出した。

 タイトルは『創作ノート』──。
 同じタイトルのノートは他に十三冊。これは十四冊目だった。

 鈴華はノートを広げるとペン立てに手を伸ばし、愛用の0.9ミリ(太芯)のシャーペンを引き抜いた。そしてその両端をそれぞれの手で摘まむように持って、鼻の下に押し当てるふうにしながら天井を見上げ、目を瞑る……。
 このノートに物語を書き込んでゆくときの、鈴華の〝お決まりの所作(ルーティーン)〟だ。

 やがて鈴華は、はっと目を開けると罫線の上に置いた芯先を一気に走らせていく。
 紙の上を芯先が躍る間だけ、さらさらと、心地よく芯の削れる音が鳴る。
 その表情(かお)には、集中する中にも愉し気な様子を見て取れる。

 いま鈴華は、自分の創り出した世界を、そこに住まう人物の表情を、心の動きを……書き出しているのだ。

 硬派な報道女子に憧れるリアリストの面ばかりが鈴華という少女の全てでなかった。
 子供のころに母の仕事道具の中から一冊を頂戴して以来、現実(リアル)の合間合間にページを開き、溢れ出る空想の世界の事がらせっせと書き記してきた。
 ──ノートの中には友だちや強敵、理想の大人、癇に障ることのない男の子が生きていた。

 そんな一面はそれまでずっと隠していたのだが、中等部の二年の頃に和子の勧めで、学校新聞の特集に匿名で投稿する形で(和子が担当だったのだ……)表に出すようになった。
 作品は女生徒に好評で新聞部の活動が休止となっても、朗読動画の形で報道倶楽部が引き継ぐことになった。

 和子は「これは意外な二面性ね」と評して面白がりながら、発表された作品の筆者が鈴華であることを伏せ続けてくれている。
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