一七、
文字数 3,704文字
周りを見回せば田畑という生活道路の真ん中に、鈴華と和子、それに黒服の女 と岬悠人という異色の取り合わせが居並んでいる。ひょっとしてこれは他所 さまの迷惑かな、と鈴華は思った。交通量が少ない道路で幸いだ。
ともかく場所を移動した方がいいと思っていると、視界の中で、岬悠人が同じような表情 で肯いてきた。
この辺りで適当な場所…──人目につかない静かな場所──といえば、川べりの土手か、この先の辻を北に行った神社の境内かな……、そんなふうに鈴華が見当を付けて和子の方を向くと、彼女はそんなふうには思っていないことがすぐにわかった。
和子の視線は岬から黒服を着込んだスーパーバイザーへと移ったきり、そこからずっと動かなくなってしまっていた。スーパーバイザーの方は、気拙そうに視線を泳がせている。
「鈴華……、この人、あたしにそっくりだ」
しげしげとボーラーハット の下の顔を見つめて、鈴華の眼前を横切り、和子はスーパーバイザーに近付いていった。
「…………」
同じ造りの顔──髪型と髪の色、目の色は違う…──が向き合うと、スーパーバイザーは、映画なんかでのこ ん な と き の 古典的な反応──わざとらしく視線を泳がせ、周囲に何かないかと顔を巡らせる──をしてみせる。和子は、そんなスーパーバイザーの横顔に、これでもか、というふうに見入っていて、顔を向けずに鈴華に訊いた。
「知ってる人?」
どう応えたものか、鈴華はスーパーバイザーを見て(彼女が視線を避けるので……)、次に岬の方を向いた。
岬の目が、〝めんどくさいことになるから、全部言っちまえ〟というふうに言っていたので、鈴華は思い切って知っていることを和子に伝えることにする。
「えーとね……、そちら〝スーパーバイザー〟さん…──あ……〝supervisor〟……さん」
ちゃんと巻き舌で〝u〟にアクセントを置いて言い直した。
スーパーバイザーが、えええ? と鈴華の方を見たが、鈴華は淡々と続ける。
「──〝あちらのモノ〟と〝こちらのモノ〟が過度に関係を持っておかしくならないように、バランスを取る存在なんだって」
「ちょ……なーんでそんなことまで言っちゃうんスか!」
スーパーバイザーは鈴華を軽く睨んだが、鈴華はにっこりと肩をすくめて返す。
和子の方は、ちゃんと鈴華の言葉を聞き取っていて、気になった単語にしっかりと反応した。
「あちら? こちら?」
ふぃっと、顔を岬の方に向ける。
その視線を感じるや、岬は片手を振って応じた。
「違う。おまえの考えてるような〝存在〟じゃない」
あ ち ら という言葉の響きに、幽霊 の類を連想したらしいことは明らかだった。そうならそうで、もっと怖がるべきなんじゃなかろうか……。鈴華はそう思ったりもする。
もっとも、仮にそうだったとして、それで小泉和子が物怖じしたとは思えなかったけれど……。
そうこうしてから、鈴華は、和子の最初の驚きについての説明をしていないことに気付いて、続けた。
「スーパーバイザーさんが言うにはね、和子の顔に似てるのは、わ た し が …──」 ここで鈴華は自分を指差してみせる。「──〝わたしのすることを肯定してくれる存在〟として生み出したイメージが和子だから、だって」
「…………」
ちょっとよくわからない、という表情で和子が鈴華を見返す。鈴華はもう少しわかりやすい表現で言い直した。
「一番に心許せる存在の姿で現れるみたい」
和子は、ああ、と頷いてから、それからなんだか面映 ゆそうな表情 になったと思ったら、わずかに朱くなった。
……ちょっと、それはやめて。わたし、そういう趣味はないから。
鈴華は慌てて、
「…──って、スーパーバイザーさんは言ってる」 と、言添える。
「…………」
そんなやり取りを黙って聞いていたスーパーバイザーは、口許を引き結んで鈴華を睨んだ。
鈴華は、しれっと目線を外してしまい、和子はスーパーバイザ―の隣に立つと、ふんふんと頷いて、背丈を比べたりし始める。
岬悠人も肩をすくめたところで、スーパーバイザーは、はぁ、と溜息を吐いて言った。
「場所……変えましょう」
鈴華と和子が顔を向けると、
「ここじゃあ、何なんで」 げんなりとした顔で返した。「もう少し相応しい場所があります」
そうしてスーパーバイザーは、鈴華にとってのいつもの道を、先に立って歩き出した。
鈴華は、岬の方を向いた。
岬は、苦笑して、それから鈴華の緊張を解くふうに微笑んで、そっと頷いて返して来た。
◇ ◆ ◆
まだ青い色を残す西の空に、紅茶にミルクを溶かし込んだような雲が広がっていた。
少し先を、不思議なことを言う黒い服の女と、自転車を押す和子とが、その夕映えに朱く染まる空の方に並んで歩いている。
たぶん、和子はわたしに気を使ってくれている。
わたしの隣には岬悠人の横顔があって、やっぱり黙って数歩先の黒い背中を追っている。
……穏やかな遠くを見るような目で。
そういうときの岬には、チャラさは感じない。
整ったその顔が女子に人気なことを、わたしは今さらに理解した。
「今日は……悪かったな」
岬が。ぼそりと言うのが聞こえた。
明治村での取材のことだ。
「……できればいっしょに行きたいと思ってたんだけど、いろいろあって、い な く な る ことになった」
どうして言ってくれなかったの?
そう問い質 しかけた言葉は飲み込んだ。
理由はあっても、それは言えなかった。
そういうことなんだろうと、理解はできていたから。
ちらと横目で窺った岬の横顔は、確かにそういう表情で、言おうか言うまいか迷っている。
だからわたしは、質すことはしなかった。
代わりに、
「でも、見には来たんだ」
そう訊いた。
岬はすぐに応えず、少し躊躇ってから、
「まぁ……俺の方から忘れることはできないから、な……」
と、首の後ろ手を当てて目を伏せた。
わたしも、やっぱり顔が熱くなって、つぃと目線を逸らせてしまった。
それでも訊いておきたいことは、訊いた。
「わたしが、呼んだ?」
「…………」
ため息のように小さく吐き出された息の音を聴いた。
視界の端に、岬が頷くのを見た。
わたしの口許が、自然と綻んでいた。
──〝意地っ張り〟で〝不器用〟なわたしが、なんだかんだで頼りにしたのも理解できる……。
〝ぶっきらぼう〟で、
〝だけど意外と細かい所に気が回って〟
〝結局、側 にいてくれる〟。
…──そう……、
岬悠人は……、
そういうふうに、わたしが望 ん だ 存在だから……。
◆ ◇ ◆
陽の翳ようとする道を十分ほど自転車を押して歩く。スーパーバイザーが導いた先とは、突き当りに古ぼけた裸電球を吊った木柱が立ち、その脇に大きな岩の鎮座する、畑の脇のT字路だった。
鈴華は訝しむようにスーパーバイザーの顔を見た。
先の場所と比べても、生活道路の真ん中であることにそれ程の違いはないように思える。
スーパーバイザーはちょっと〝ドヤ顔〟になりかけた表情の小首を、くぃっと傾げると、黒手袋をはめた右手を顔の横に持ってきて、パチン、と鳴らした。
フッ、と一瞬、視界が暗くなったように感じて、気が付けば陽は落ちていて、周囲の風景はマジックアワー に溶け込んでいる。
それで鈴華は、いまここは、外から切り離れた空間になったということを、理屈抜きに理解した。
隣で和子も同じような表情 をしている。
頭上で音がすると、柔らかい光が周囲を包んだ。
そうして上からの光が、ボーラーハット の下の、和子とうり二つな顔を浮かび上がらせると、スーパーバイザーは、今度こそハッキリと〝ドヤ顔〟になって、鈴華と和子とに頷いてみせる。
鈴華は隣の和子に視線を遣り、和子はその視線にバツの悪い表情 になってスーパーバイザーを見返す…──。
──と、どこからか笙 の音 が鳴った。
あれ? あ! という感じにスーパーバイザーが黒く決めたレザージャケットのあちこちをまさぐり始めた。左のポケットからスマホを引っ張り出す。
笙 の音 の音量 が、少し大きくなった。
どうやら〝雅楽 〟を着信にしているらしい……。
スーパーバイザーはいそいそと端 の方に移動していき、顔を外に向けて押さえた声で通話に出た。
その表情は明らかに緊張していた。
周囲に声が漏れないように口許に左手を遣っている。
通話が進んでいくうちに、何度も何度も頭を下げ始める。
なにやら仕事上のやり取り…──それもどうやら叱責らしい──ということは、何となく理解でき た。……鈴華などは、締め切り間際の母の姿が重なってしまった。
やがて通話を終えたスーパーバイザーは、がっくり疲れたように肩を落とすと、絶望的に恨みがましい視線を鈴華と他二人に向けてきた。
鈴華と岬は視線を宙へと逃がし、和子だけが、うんうんと何だか同情の眼差しになって応じた。
スーパーバイザ―は、とぼとぼと三人の方へと戻って来た。
「怒られちゃいましたよ……」
スーパーバイザーは、少々投げ遣りな感じになって、鈴華と岬とに言った。
「……もーぅ、アタシの力じゃ限界です。ちゃっちゃと、済ませちゃいましょう」
ともかく場所を移動した方がいいと思っていると、視界の中で、岬悠人が同じような
この辺りで適当な場所…──人目につかない静かな場所──といえば、川べりの土手か、この先の辻を北に行った神社の境内かな……、そんなふうに鈴華が見当を付けて和子の方を向くと、彼女はそんなふうには思っていないことがすぐにわかった。
和子の視線は岬から黒服を着込んだスーパーバイザーへと移ったきり、そこからずっと動かなくなってしまっていた。スーパーバイザーの方は、気拙そうに視線を泳がせている。
「鈴華……、この人、あたしにそっくりだ」
しげしげと
「…………」
同じ造りの顔──髪型と髪の色、目の色は違う…──が向き合うと、スーパーバイザーは、映画なんかでの
「知ってる人?」
どう応えたものか、鈴華はスーパーバイザーを見て(彼女が視線を避けるので……)、次に岬の方を向いた。
岬の目が、〝めんどくさいことになるから、全部言っちまえ〟というふうに言っていたので、鈴華は思い切って知っていることを和子に伝えることにする。
「えーとね……、そちら〝スーパーバイザー〟さん…──あ……〝supervisor〟……さん」
ちゃんと巻き舌で〝u〟にアクセントを置いて言い直した。
スーパーバイザーが、えええ? と鈴華の方を見たが、鈴華は淡々と続ける。
「──〝あちらのモノ〟と〝こちらのモノ〟が過度に関係を持っておかしくならないように、バランスを取る存在なんだって」
「ちょ……なーんでそんなことまで言っちゃうんスか!」
スーパーバイザーは鈴華を軽く睨んだが、鈴華はにっこりと肩をすくめて返す。
和子の方は、ちゃんと鈴華の言葉を聞き取っていて、気になった単語にしっかりと反応した。
「あちら? こちら?」
ふぃっと、顔を岬の方に向ける。
その視線を感じるや、岬は片手を振って応じた。
「違う。おまえの考えてるような〝存在〟じゃない」
もっとも、仮にそうだったとして、それで小泉和子が物怖じしたとは思えなかったけれど……。
そうこうしてから、鈴華は、和子の最初の驚きについての説明をしていないことに気付いて、続けた。
「スーパーバイザーさんが言うにはね、和子の顔に似てるのは、
「…………」
ちょっとよくわからない、という表情で和子が鈴華を見返す。鈴華はもう少しわかりやすい表現で言い直した。
「一番に心許せる存在の姿で現れるみたい」
和子は、ああ、と頷いてから、それからなんだか
……ちょっと、それはやめて。わたし、そういう趣味はないから。
鈴華は慌てて、
「…──って、スーパーバイザーさんは言ってる」 と、言添える。
「…………」
そんなやり取りを黙って聞いていたスーパーバイザーは、口許を引き結んで鈴華を睨んだ。
鈴華は、しれっと目線を外してしまい、和子はスーパーバイザ―の隣に立つと、ふんふんと頷いて、背丈を比べたりし始める。
岬悠人も肩をすくめたところで、スーパーバイザーは、はぁ、と溜息を吐いて言った。
「場所……変えましょう」
鈴華と和子が顔を向けると、
「ここじゃあ、何なんで」 げんなりとした顔で返した。「もう少し相応しい場所があります」
そうしてスーパーバイザーは、鈴華にとってのいつもの道を、先に立って歩き出した。
鈴華は、岬の方を向いた。
岬は、苦笑して、それから鈴華の緊張を解くふうに微笑んで、そっと頷いて返して来た。
◇ ◆ ◆
まだ青い色を残す西の空に、紅茶にミルクを溶かし込んだような雲が広がっていた。
少し先を、不思議なことを言う黒い服の女と、自転車を押す和子とが、その夕映えに朱く染まる空の方に並んで歩いている。
たぶん、和子はわたしに気を使ってくれている。
わたしの隣には岬悠人の横顔があって、やっぱり黙って数歩先の黒い背中を追っている。
……穏やかな遠くを見るような目で。
そういうときの岬には、チャラさは感じない。
整ったその顔が女子に人気なことを、わたしは今さらに理解した。
「今日は……悪かったな」
岬が。ぼそりと言うのが聞こえた。
明治村での取材のことだ。
「……できればいっしょに行きたいと思ってたんだけど、いろいろあって、
どうして言ってくれなかったの?
そう問い
理由はあっても、それは言えなかった。
そういうことなんだろうと、理解はできていたから。
ちらと横目で窺った岬の横顔は、確かにそういう表情で、言おうか言うまいか迷っている。
だからわたしは、質すことはしなかった。
代わりに、
「でも、見には来たんだ」
そう訊いた。
岬はすぐに応えず、少し躊躇ってから、
「まぁ……俺の方から忘れることはできないから、な……」
と、首の後ろ手を当てて目を伏せた。
わたしも、やっぱり顔が熱くなって、つぃと目線を逸らせてしまった。
それでも訊いておきたいことは、訊いた。
「わたしが、呼んだ?」
「…………」
ため息のように小さく吐き出された息の音を聴いた。
視界の端に、岬が頷くのを見た。
わたしの口許が、自然と綻んでいた。
──〝意地っ張り〟で〝不器用〟なわたしが、なんだかんだで頼りにしたのも理解できる……。
〝ぶっきらぼう〟で、
〝だけど意外と細かい所に気が回って〟
〝結局、
…──そう……、
岬悠人は……、
そういうふうに、わたしが
◆ ◇ ◆
陽の翳ようとする道を十分ほど自転車を押して歩く。スーパーバイザーが導いた先とは、突き当りに古ぼけた裸電球を吊った木柱が立ち、その脇に大きな岩の鎮座する、畑の脇のT字路だった。
鈴華は訝しむようにスーパーバイザーの顔を見た。
先の場所と比べても、生活道路の真ん中であることにそれ程の違いはないように思える。
スーパーバイザーはちょっと〝ドヤ顔〟になりかけた表情の小首を、くぃっと傾げると、黒手袋をはめた右手を顔の横に持ってきて、パチン、と鳴らした。
フッ、と一瞬、視界が暗くなったように感じて、気が付けば陽は落ちていて、周囲の風景は
それで鈴華は、いまここは、外から切り離れた空間になったということを、理屈抜きに理解した。
隣で和子も同じような
頭上で音がすると、柔らかい光が周囲を包んだ。
そうして上からの光が、
鈴華は隣の和子に視線を遣り、和子はその視線にバツの悪い
──と、どこからか
あれ? あ! という感じにスーパーバイザーが黒く決めたレザージャケットのあちこちをまさぐり始めた。左のポケットからスマホを引っ張り出す。
どうやら〝
スーパーバイザーはいそいそと
その表情は明らかに緊張していた。
周囲に声が漏れないように口許に左手を遣っている。
通話が進んでいくうちに、何度も何度も頭を下げ始める。
なにやら仕事上のやり取り…──それもどうやら叱責らしい──ということは、何となく
やがて通話を終えたスーパーバイザーは、がっくり疲れたように肩を落とすと、絶望的に恨みがましい視線を鈴華と他二人に向けてきた。
鈴華と岬は視線を宙へと逃がし、和子だけが、うんうんと何だか同情の眼差しになって応じた。
スーパーバイザ―は、とぼとぼと三人の方へと戻って来た。
「怒られちゃいましたよ……」
スーパーバイザーは、少々投げ遣りな感じになって、鈴華と岬とに言った。
「……もーぅ、アタシの力じゃ限界です。ちゃっちゃと、済ませちゃいましょう」