二九、
文字数 2,615文字
「俺が
そう言って二の姫へと視線を移した弦丸に、当の姫の胸はいっぱいとなる。
──…そうだった。
そんな二の姫に、弦丸はただ、大丈夫だと、頷いてみせた。
「若いな。……まだ子供ではないか」
衆目の面前に進み出た弦丸に、鬼一法眼はそう正直な心証を口にした。鬼一に弦丸との面識はない。
いっぽう弦丸は、そんなことはどうでもいい、という
「見た目はな。これでもそなたの倍ほどは生きている」
その言には鬼一はもとより二の姫も目を
いずれにせよ、そのさばさばした言い様に、鬼一は苦笑いを浮かべ嘆息した。
「ほう……やはり物の怪か」
「少し違う……が、そのようなこと、どうでもよい」 弦丸は先を
鬼一は右手を上げて、
「捕らえよ」
周囲の妖たちが、再び弦丸を庇って人の垣根となる。それを制して弦丸は前に出た。
「俺を捕らえれば、それで仕舞いか? 姫を放し自由とするか?」
「わたしは神域に巣食う無道の物の怪の調伏を
そう請け合った鬼一に、長方が声を上げた。
「……法眼殿!」
鬼一それを片手で制した。
「杜の件はわたしに差配が任されている。朝野殿は控えられたい」
そうにべのない言葉で遮られた長方は、険しい表情を鬼一に返した。が、表立ってはそれ以上何も言わず、弦丸、次いで二の姫へと視線を転じるに留める。
「…………」
そのやり取りを黙って見ていた弦丸は、やがて納得したふうに肯いた。
それで鬼一法眼が手下に目配せをして、二人の武士が進み出たとき、
「お待ちください!」 二の姫が声を上げた。
「──この者は山神さまの情けで
姫の必死の声音に武士が足を止め、鬼一を見やる。鬼一は再び弦丸に目線をやった。
ただ黙って見返すばかりの弦丸に、鬼一は得心の表情となる。
「どうやら本当のことのようだな」
しばし思案の後、鬼一は静かに問うた。
「ここで成仏するか?」
山神の庇護の下でしか形を留められぬ
そう判じて鬼一は、もう悟ったような表情となっている弦丸に訊いた。その隣で、言葉の意味に顔を蒼白となった姫が、身を固くしている。
そんな二の姫に弦丸が静かに肯くと、鬼一法眼が数珠を手にかけながら、
「姫巫女よ、
そう言って、手下の者に姫の縛を解くよう命じた。
もし、そうすることが出来たなら……姫は飛びついていたろう。
衆目も体裁も、もはや一顧だにする理由がない。
弦丸は、消えてしまう。
私を残して、逝ってしまうのだ。
せめて一度きりでも、その手に触れたかった。
素直な想いで抱擁を交わしたかった。
でもそれは、姫には叶わぬことだった。
弦丸の前に立った二の姫は、声を出すのが怖い、というふうに、姫の言葉を待つ弦丸にようやく口を開いた。
「世話に……なりました」
想いの丈に胸はいっぱいなのに、口に出来たのはそんな言葉だった。
だが弦丸は、そんな言葉にならぬ二の姫の想いを、その顔に浮かんだ表情に見出した。
激しい気性のままに涙で頬を濡らすに
「長いようで短い月日だった……」
万感の想いを、さらりと言ってみせる。それから少し思いあぐねた末に、
「朝野の家のことなど忘れてしまうことだ。……杜も変わる。おまえが
そう
「叶うなら…──」
何かを言継ぎかけた弦丸が、いきなり姫の腕をとった。周囲に怒号のようなものを聴いた気がしたが、それも定かではない。
何が起こったのかわからぬままの姫は、弦丸に抱き寄せられると、気付けば彼の胸のうちにいた。
二の姫の背後に弓を引いた長方の姿を見た弦丸が、咄嗟に姫を庇って、自らの背を盾にしたのだ。
──‼
弦丸の身に触れている……二の姫がその
「……弦……丸?」
姫は弦丸の胸の中で、彼の顔を見上げた。
弦丸の微笑が、そんな姫を受け止めた。
口許からは赤い筋が一条
「……ようやく、おまえに触れられた」
満足気な
弦丸が消える……消えて、逝ってしまう。
二の姫は、想いの丈のまま、消える間際の弦丸の身を掻き抱いた。
その耳許に届いた最後の声は、もう
「…──里でのおまえは生きていた
間違いなく生きていて……美しかった
気の強さも、心根の素直さも、そのすべてがおまえだ
そういうおまえのままに、生きていって欲しい……」
そうして弦丸の消える
◆ ◆ ◇
二の姫が両の膝から落ちるように
気付くと鈴華は舞台の上……スポットライトの円弧の中で膝立ちとなり、消え去った弦丸の小袖の代わりに〝ノート〟を胸に掻き抱いていた。
心が苦しい……。
弦丸を見送った二の姫の悲しみが、最後に抱擁を交わせた歓びと切なさが、姫と共鳴した鈴華の心に押し寄せてくる。
鈴華は、その切なさに喘ぎながら何とか立ち上がった。
その鈴華の傍らに黒い影が纏わりつく。影は揺らぎ、やがて鈴華の似姿となった。
「哀しい
鈴華の耳許に影の鈴華が囁く。
「──あなたは、この結末を変えることができる」
その影の囁きに鈴華は、手の中のノートの存在を意識させられた……。