二九、

文字数 2,615文字


「俺が(まとめ)だ」
 そう言って二の姫へと視線を移した弦丸に、当の姫の胸はいっぱいとなる。
 ──…そうだった。おまえ(弦丸)が逃げようはずがない。おまえは山神さまと亡き父上に誓ったのだったな。……わたしを守ると。
 そんな二の姫に、弦丸はただ、大丈夫だと、頷いてみせた。

「若いな。……まだ子供ではないか」
 衆目の面前に進み出た弦丸に、鬼一法眼はそう正直な心証を口にした。鬼一に弦丸との面識はない。
 いっぽう弦丸は、そんなことはどうでもいい、という表情(かお)で鬼一に相対した。
「見た目はな。これでもそなたの倍ほどは生きている」
 その言には鬼一はもとより二の姫も目を(みは)った。鬼一法眼の年の頃は三十に達した頃だろうから、倍ならば六十という計算となる。

 いずれにせよ、そのさばさばした言い様に、鬼一は苦笑いを浮かべ嘆息した。
「ほう……やはり物の怪か」
「少し違う……が、そのようなこと、どうでもよい」 弦丸は先を()いた。「纒は俺だ。それで、……どうなる?」
 鬼一は右手を上げて、手下(てか)の者に下知する。
「捕らえよ」
 周囲の妖たちが、再び弦丸を庇って人の垣根となる。それを制して弦丸は前に出た。
「俺を捕らえれば、それで仕舞いか? 姫を放し自由とするか?」
「わたしは神域に巣食う無道の物の怪の調伏を()(たま)わった。纒のおまえが捕らえられ、妖どもが杜を去ればそれでよし……姫は与り知らぬこと。……それで仕舞いだ」
 そう請け合った鬼一に、長方が声を上げた。
「……法眼殿!」
 鬼一それを片手で制した。
「杜の件はわたしに差配が任されている。朝野殿は控えられたい」
 そうにべのない言葉で遮られた長方は、険しい表情を鬼一に返した。が、表立ってはそれ以上何も言わず、弦丸、次いで二の姫へと視線を転じるに留める。

「…………」
 そのやり取りを黙って見ていた弦丸は、やがて納得したふうに肯いた。
 それで鬼一法眼が手下に目配せをして、二人の武士が進み出たとき、

「お待ちください!」 二の姫が声を上げた。
「──この者は山神さまの情けで生命(いのち)を繋ぐ身。人に触れられれば消えてしまいます!」
 姫の必死の声音に武士が足を止め、鬼一を見やる。鬼一は再び弦丸に目線をやった。
 ただ黙って見返すばかりの弦丸に、鬼一は得心の表情となる。
「どうやら本当のことのようだな」
 しばし思案の後、鬼一は静かに問うた。
「ここで成仏するか?」

 山神の庇護の下でしか形を留められぬこの者(弦丸)の魂は、この杜でしか生きてゆけない。なれば城に引っ立てることなくこの場で調伏してやる方が、この者の為か。
 そう判じて鬼一は、もう悟ったような表情となっている弦丸に訊いた。その隣で、言葉の意味に顔を蒼白となった姫が、身を固くしている。
 そんな二の姫に弦丸が静かに肯くと、鬼一法眼が数珠を手にかけながら、
「姫巫女よ、今生(こんじょう)別離(わかれ)はいまだ。しばし待つゆえ言葉なり交わすがよい」
 そう言って、手下の者に姫の縛を解くよう命じた。

 仮初(かりそめ)に自由を得た二の姫は、今生の別離との言葉に気が遠くなりそうになるのに我が身を励まし、弦丸の許へと駆けた。
 もし、そうすることが出来たなら……姫は飛びついていたろう。
 衆目も体裁も、もはや一顧だにする理由がない。
 弦丸は、消えてしまう。
 私を残して、逝ってしまうのだ。
 せめて一度きりでも、その手に触れたかった。
 素直な想いで抱擁を交わしたかった。
 でもそれは、姫には叶わぬことだった。

 弦丸の前に立った二の姫は、声を出すのが怖い、というふうに、姫の言葉を待つ弦丸にようやく口を開いた。
「世話に……なりました」
 想いの丈に胸はいっぱいなのに、口に出来たのはそんな言葉だった。
 だが弦丸は、そんな言葉にならぬ二の姫の想いを、その顔に浮かんだ表情に見出した。
 激しい気性のままに涙で頬を濡らすに(まか)す姫に、弦丸は優しい笑みで応えた。
「長いようで短い月日だった……」
 万感の想いを、さらりと言ってみせる。それから少し思いあぐねた末に、
「朝野の家のことなど忘れてしまうことだ。……杜も変わる。おまえが大祝(おおほうり)の務めに縛られることはない」
 そう(さと)したのだったが、二の姫の目はそれを承知するようには見えなかった。弦丸は小さく息を吸った。
「叶うなら…──」
 何かを言継ぎかけた弦丸が、いきなり姫の腕をとった。周囲に怒号のようなものを聴いた気がしたが、それも定かではない。
 何が起こったのかわからぬままの姫は、弦丸に抱き寄せられると、気付けば彼の胸のうちにいた。
 二の姫の背後に弓を引いた長方の姿を見た弦丸が、咄嗟に姫を庇って、自らの背を盾にしたのだ。

 ──‼

 弦丸の身に触れている……二の姫がその事実(こと)に恐怖し身を放そうとしたのを、弦丸の腕がそっと留めた。
「……弦……丸?」
 姫は弦丸の胸の中で、彼の顔を見上げた。
 弦丸の微笑が、そんな姫を受け止めた。
 口許からは赤い筋が一条(つた)っていた。それでも、柔らかな、優しい笑み……。
「……ようやく、おまえに触れられた」
 満足気な表情(かお)でそう言った弦丸の顔の輪郭が、燐光を振り撒くように霞んでいく。

 弦丸が消える……消えて、逝ってしまう。
 二の姫は、想いの丈のまま、消える間際の弦丸の身を掻き抱いた。
 その耳許に届いた最後の声は、もう木霊(こだま)であったかもしれない……。

「…──里でのおまえは生きていた
     間違いなく生きていて……美しかった
      気の強さも、心根の素直さも、そのすべてがおまえだ
        そういうおまえのままに、生きていって欲しい……」

 そうして弦丸の消える刹那(せつな)に、二の姫は最初で最後の抱擁を交わすことができた。


   ◆  ◆  ◇


 二の姫が両の膝から落ちるように(くずお)れると、腕の中から弦丸の重みが消えさっていった。
 気付くと鈴華は舞台の上……スポットライトの円弧の中で膝立ちとなり、消え去った弦丸の小袖の代わりに〝ノート〟を胸に掻き抱いていた。

 心が苦しい……。
 弦丸を見送った二の姫の悲しみが、最後に抱擁を交わせた歓びと切なさが、姫と共鳴した鈴華の心に押し寄せてくる。
 鈴華は、その切なさに喘ぎながら何とか立ち上がった。
 その鈴華の傍らに黒い影が纏わりつく。影は揺らぎ、やがて鈴華の似姿となった。

「哀しい物語(はなし)……切ないわね。でも…──」
 鈴華の耳許に影の鈴華が囁く。
「──あなたは、この結末を変えることができる」

 その影の囁きに鈴華は、手の中のノートの存在を意識させられた……。
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