第34話「最終話」:職なし金なし者に食料と水戸黄門の歌

文字数 1,547文字

 その中でも非正規労働者の解雇、雇い止めは、一気に増えて20歳台から高齢者まで野宿せざるを得ない人が、増えだした。これによって食べられなくなった人のための炊き出しを2020年3月1日から開始し、それを手伝ってくれる人を募集すると、解雇された若者を中心に30人が参加してくれた。

 そこで、大型の圧力鍋を10個購入し、まず、米を炊き、大きなおにぎりの中に玉焼き、ウイナーソーセージ、挽肉のミートボールをいれたものを紙袋に入れ、石川町、関内公園、横浜駅前で3班に別れて配布しだした。そして炊飯するグループ、食品をトラックで運ぶグループ、手渡すグループに分けて、作業ししていった。

 米を切らさないように松尾と沢村さん、山沢夫妻、金井さんが、食品を訳詞提供してくれる先や無料で提供してくれる先に電話をして材料を切らさないようにした。その他、現金問屋に松尾と山沢が、行き、現金と引き替えに食料を調達しトラックで会場に運び込んだ。その仕事を火曜、木曜、土曜の週3日間、継続することになった。そのためNPOの活動は一時休止とした。

 その後も作業を手伝ってくれる人を食事付きで募集すると新たに30人が来てくれた。そこで、スタッフは、食料品の調達のための活動に専念して行き、若い人達に、桜木町、関内、元町中華街駅、みなとみらい駅、日本大通り駅の駅前で、募金活動を繰り広げた。それでも調理と食料品の手渡しに苦労しながら活動していると5月の連休が過ぎた。

 この光景が、テレビ神奈川やラジオ、FM放送、YOUTUBEで流されて、募金活動がしやすくなった。大手の食料品メーカーも支援を表明して各社の商品を送ってくれるようになりマスコミの威力を見せつけられたような気がした。しかし、山沢の奥さんは、子育てで、実家で、過ごしていた。

 この時、松尾と沢村さんと金井さんが週末、金曜、NPOの事務所で、2000年を過ぎた頃から自分たちの生活が、便利さ優先で、安・近・短、でなく、高・近・短、宣担ったのでは亡いかと話した。高とは、高級品で、近とは、手軽にどこにでもある7-11、ローソンを中心とした、きれいに包装された物を手軽に、かつ短時間で手に入れる様になった。

 そして、それら商品の巧みな宣伝によって、それがあたかも、時代の最先端を言っているような優越感を植え付けられていないだろうかと語った。そして、自分たちの小さかった頃は、自宅では、母が、スーパーの閉店前の見切り品セールに行き、殺気だったように1円でも安い物、1グラムでも多い物を争って買ってきた。

 今回の不景気で、生きる力、言い換えれば、雑草のような強い生命力が、いかに大切かと言うことを思い出したと告げると、そうよね、確かに、あの頃は、食べることに必死、生きることに必死の時代だったよねと、相づちをうってくれた。そう言う意味では、また、振り出しに戻ったと思えば、良いのではないかと語った。

 その意見に、そうだ、この話を食事を提供する人達にも話していこうと、沢村さんも賛成してくれた。昔のテレビドラマの主題歌の様に、
「人生、楽ありゃ、苦もあるさ」「涙の後には、虹も出る」
「歩いてゆくんだ、しっかりと」「自分の道を踏みしめて」

「人生、勇気が必要だ」「くじけりゃ誰かが先に行く」
「後から来たのに追い越され」「泣くのが嫌なら、さあ歩け」
「人生、涙と、笑顔あり」「そんなに、悪くは、ないもんだ」
「何にもしないで生きるより」「何かを求めて生きようよ」

 この話を終えると、沢村さんと金井さんの目には、涙があふれ、やがて流れ落ちた。そして、自然と「水戸黄門」の主題歌、「ああ人生に涙あり」の歌を自然と、口ずさんでいた。
*なお、水戸黄門の主題歌の歌詞を引用させていただきました。
「完結」
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