第24話:ETF購入と池松さんの訪問と採用

文字数 1,745文字

 こんな時も松尾と山沢は、2011年3月に取引を始めたSPDR・S&P500と言うETF「上場投資信託」に注目していた。これは、アメリカの代表的株価指数の指標、S&P500に連動して価格が変動するETF「上場投資信託」であった。そして、山沢は、12月初旬、ボーナスをもらって、勤めていた輸入関連の会社に辞表を提出した。

 2011年9月6日、朝、SPDRゴールドシェアの気配値が14210円で出ていたので、松尾と山沢が、5千株ずつ成り行き売りを出すと9時過ぎ全株売れ、松尾の税引き後利益が6320万円となり投資残金が17110万円となった。一方。山沢の税引き後利益が6330万円となり投資残高が、13720万円となった。

 そして、2011年10月4日、朝、SPDR・S&P500の気配値が8480万円とわかり、松尾が、1500株成り行き買い注文を出した。すると、1049株を890万円で購入できた。翌10月5日、朝、SPDR・S&P500の気配値が8580万円とわかり1000株を山沢が、成り行き買い注文を出し、8560円で474株を406万円で買えた。

 翌10月6日、朝、SPDR・S&P500の気配値が8680万円とわかり1000株を山沢が、成り行き買い注文を出しすと、8700円で177株を154万円で買えた。翌10月7日、朝、SPDR・S&P500の気配値が8930万円とわかり1000株を山沢が、成り行き買い注文を出しすと8920円で183株を164万円で買えた。

 これにより松尾が、SPDR・S&P500を1049株を890万円で買い、山沢が、834株を724万円で購入できた。こうして2011年が、終了し、2012年を迎えた。しかし、松尾は、相変わらず、土日祝祭日、月水金の夜、松尾と共に、英語塾を横浜市内の会議室を借りて営業を続けた。

 そんな時、NM貿易で働いていた時、山沢の仕事の手伝いをしてくれた1歳年上の池松智子さんが、2012年1月12日の水曜日、突然、シルクセンターの「MM2011扶助会」を訪問した。これには、山沢が驚いて、池松さんじゃないですか、どうしたのですかと聞くと、NM貿易で働いていたが、コンピューター翻訳が主流になり退職させられたと話した。

 そこで、以前、退職した山沢さんが、NPOを立ち上げたメンバーに入っている事を横浜市の広報で見つけて、気になったので訪ねようと思ったと打ち明けた。そのため、事務所にいた松尾、沢村さんと金沢さんに池松さんを以前の職場の仲間ですと紹介した。すると池松さんが、簡単に以前、山沢さんと同じ会社で英語翻訳の仕事をしていたと挨拶した。

 そして、金沢さんが、なぜ、ここに来たのか、良かったら教えて下さいと聞いた。それに対し、自分の生い立ちを話し始めた。自分の父が、小さな貿易会社をして小さい頃から外人さんの友達も多く、近くの友人と共にフェリス女学院に入り、そこの高校を卒業。その後、上智大学の英文科に入学し、卒業。頑張って同時翻訳を得たが、競争に勝てず自暴自棄になって退職。

 その後、横浜港の近くの小さな貿易会社に入り英語翻訳と日本語英訳の仕事をしていた。その時、山沢さんが入社してきて、現在は、翻訳は、パソコンで手軽にできると言い機械化した。そのため、多くの従業員がリストラされて横浜の事務所は、解散し東京本社だけになったと話した。そこで、気になっていた山沢さんの消息を探し、ここに来ましたと顔を赤らめ打ち明けた。

 この話を聞いて、松尾が、山沢君も隅におけないなと笑いながら言うと、そんな関係じゃありませんと反論した。そうです、私が勝手に押しかけただけですと池松さんが、寂しそうに答えた。その話を聞いて、沢村さんと金沢さんが、もし手伝ってくれるなら、ありがたいと述べた。松尾も安いけれど1人分の給料は出しますと笑顔で答えた。

 えー本当ですか、そうしていただければ、嬉しいわと言った。自宅から通ってますので、給料が、少なくても食べていけますと笑顔で答えた。それなら決まりと言い、今後、海外から東日本大震災の募金集めを考えていたのでインターネットサイトを立ち上げて、英語で東日本大震災の募金集めを開始しましょうと松尾が、話した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み