第19話:貿易会社に入社、中越沖地震

文字数 1,647文字

 翻訳ソフトはありますかと聞くとないと答えたので、良かったら、探しましょうかというと、是非、調べてくれと言われた。了解と言い、早速、メールの英文和訳にヤフーとグーグルの翻訳ソフトを利用した。

 するといとも簡単に粗翻訳できるのを見て、池松智子さんが、素晴らしい、80%以上正確ねと驚いていた。彼女たちは、パソコンの使い方をよく知らないようで、300語程度から、コピー、ペーストで翻訳ソフトにコピーし翻訳すると瞬時に日本語になるのをもいて、みんなが、凄いねと感動してくれた。

 その日のうちに、書類全部の元のメールを全て粗翻訳した。それを明日、プリントアウトして、数人にチェックしてもらえば、翻訳が完了すると伝えてた。そして、データーを自宅に持ち出しても良いのですかと江藤所長が、当社では、それは、禁止されていると言った。わかりましたと言い、18時になり、山沢は、事務所から帰って行った。

 依頼された書類の山を翻訳するのに3日で終了したのには、江藤所長が、驚いた。粗翻訳後のデータを3人で、校正し訂正するのには、1日かからない事が判明した。そして、1週間が経つと、横浜の事務所に送られる書類が、増えてきたようで、従来から勤めている人達から、冷たい目で見られるようになった。かし、山沢は、会社人と親しくなる事はなかった。

 ただ、黙々とパソコンをたたいて、仕事を終える、すぐに家に帰る生活が続いた。半年して、1人退職、1年後2人退職し3人になった。この頃、江藤さんが、君のお陰で、劇的に仕事の効率が上がったと言い、給料を倍増し年収500万円を超えた。2005年5月7日、江藤さんが、ちょっと話があると、昼休みに、山沢を連れ出し昼食をおごってくれた。

 すると、今年の年末に、僕は、本社に戻り、君が、ここの所長になると言われた。そして翻訳のための人員を減らす事になったと笑顔で話した。その話を聞くと、以前辞めていった人達が、山沢の顔を苦々しそうな目で見ていた意味が、わかった。それから毎日、休む事なく、山沢は、仕事を継続していたが、この年の夏休み1週間の休みを取った。

 そして、東京から青森、函館、札幌、旭川、帯広、釧路を回ってきた。松尾と沢村さんは、オーストラリアのケアンズへ飛んだ。南半球は、日本とは季節は逆でケアンズ空港に到着すると肌寒く感じた。それでも陽が上がってくると快適であった。そして今回は、ケアンズの外れのパームコーブのコンドミニアムを1週間予約した。

 ケアンズから30分ほどの場所だが、ケアンズの様な喧噪とは違い、静かに過ごせた。朝起きて、海辺を2人で散歩を楽しみ、近くのカフェで、苦み走った珈琲と、トーストセットをゆっくりと食べる。一休みして、プールに入って、ひと泳ぎ、少し疲れるとゆっくりして読書したりした。沢村さんは、極上のスパを予約して、心地よいマッサージを楽しんだ。

 その間、美味しい珈琲のカフェで松尾は待っていた。それでも2日目と4日目は、ケアンズへ行き、豪華ホテルで、昼食を食べて、賑やかな町中を散策して歩いた。それでも、やはり、海で泳ぐには、気温が低いので。中途半端な気がした。そうして1週間後、ケアンズから飛行機で帰ってきたとき、なぜか、赤道付近では、かなり飛行機が揺れたのには、驚かされた。

そのご、秋となって、やがて年末が過ぎて、2006年となった。2007年7月24日、朝、インターネットで、丸紅株の気配値を見ると1202円となっていて全株成り行き売り注文を出し、全株売れ、税引き後利益が9900万円となった。そして松尾の口座残金が、7.1億円になり山沢の口座残金が14150万円となった。

 日本では、7月16日、10時13分、新潟県中越沖でマグニチュード6.8の地震が発生。柏崎市などで最大震度6強の揺れを記録し、計11人が死亡、2000人以上が重軽傷を負い、建物の全壊も約1200棟に上った。震源地から約16キロ離れた東京電力柏崎刈羽原発でも原子炉が緊急停止した。
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