スライム大捜査線 scene1
文字数 2,668文字
「お、きたきた。ご苦労ご苦労」
指定された会議室に出向くと、火の点いていない煙草を咥えた女が気楽な声でそう言ってきた。
別当佳菜子。
公安打撃一課第三係長。
抜け目のない猫科の動物を思わせる愛嬌と鋭さを兼ね備えた二〇代後半の女で、ショートのボブにした癖のある黒髪に派手なポイントカラー、ブルゾンにカーゴパンツというラフな格好はおよそ警察官には見えない。
彼女は警部の階級にあり、覚馬とアッシュの直接の上司だった。
「なにかあったのか?」
覚馬は会議室に入るなり、単刀直入に言った。
「覚馬さあ、もうちょっと愛想ってもんをもちなさい。あたしはあんたの上司なんだから」
「だったら愛想笑いが得意なおべっか野郎でも呼べばいいだろ」
「ったく、可愛げのない実習生だわ」
彼の態度には慣れているのか、佳菜子はそれだけを言った。
「実習生をこれだけこき使っといてよく言うぜ」
覚馬はわざとらしく肩をすくめ、佳菜子の正面に座った。
綾瀬覚馬は特別高等魔術警察の警察官養成学校〈志帥館〉の学生だったが、成績優秀につき推薦されて現場で経験を積んでいるという立場だ。公式な身分は正式な捜査員ではないが、任される仕事に違いがあるわけではなかった。
特別高等魔術警察は慢性的な人手不足で、〈志帥館〉の成績優秀者は学生の身分のまま卒業をまたずして現場に引っ張られる。有坂穂積もそうだったし、他にも何名もの実習生が様々な部署に在籍していた。
「えと、あの、佳菜子さん。本当にわたしで大丈夫ですか?」
覚馬のあとから会議室に入ったアッシュが、そこはかくなく不安そうに言った。
彼女はまだ本格的に捜査に従事したことがない、文字通りの見習い期間だ。
「大丈夫よ。覚馬もいるしさ」
「ようは大した事件じゃないってことか?」
「まあね。事件かどうかもちょっと怪しいというか、不確定な情報が多くてさあ」
佳菜子は歯切れ悪く言い、ライターを手で弄んだ。
「覚馬、あんたさあ、スライムって知ってる?」
「スライム?」
突拍子もない言葉に、覚馬は困惑した。
「スライムって、あれか。ゲームとかによく出てくるやつ」
真っ先に思い浮かぶのは、ファンタジー系ゲームのモンスターだった。不定形のゼリーみたいなやつで、武器による攻撃はあまり効かない。
「大体そのイメージであってるけどさあ。あたしが言ってるのは、現実世界でのスライムの話だから」
「なんだそりゃ……」
「えと、錬金魔術師が実験で生み出す人工生命の一種ですよね」
覚馬の言葉を引き取って、アッシュが控えめに言った。
「そうそれ。アッシュは覚馬と違って学があってよろしい」
「いえ。わたしも一応は〈新世界〉の魔術師でしたし」
魔術というものはマギという人間が内包しているエネルギーになんらかの方法でアプローチし、意図したとおりに様々な現象を具現化する技術だ。
そのアプローチの方法は千差万別で、洋の東西に大小様々な流派が存在する。
なかでも錬金魔術は比較的メジャーな魔術のひとつであり、中世からこっち魔術と科学の境界線を歩いてきたようないささか特殊な魔術だ。
錬金魔術師のもっとも有名なギルドは北米系魔術師ギルド〈新世界〉。
教会勢力によって欧州大陸から追放された錬金魔術師や科学者たちによる魔術師ギルドで、合衆国の建国にも深くかかわった。彼らは自らをテクノクラートと称し、いまや国家と表裏一体になっている世界有数の勢力だ。
このマギウス・ヘイヴンでも、大きな影響力をもっている。
「錬金魔術にも様々な流派があるんですけど、総じて彼らが追い求めているものは人工生命であるホムンクルスの創造、そして万能の霊薬である賢者の石の生成です」
「ああ、それくらいは知ってる」
「その人工生命を生み出す錬金魔術の基礎研究のひとつに、スライムの創造というものがあるんです。覚馬さんの言うゲームに出てくるやつと、見た目もそんなに変わらないです。わたしも専門ではないので、詳しいことはあまりわからないですけど」
「つまり、錬金魔術師どもの玩具ってわけか」
覚馬は深い嘆息とともに佳菜子を見やった。
「で、そのスライムがどうしたって?」
「目撃情報の通報があったの。匿名だけどね」
「いたずらじゃないのか?」
「その可能性もあるんだけどさあ、放っておくわけにもいかないし」
「マジかよ。勘弁してくれ」
佳菜子の要件を悟った覚馬が、デスクに突っ伏した。
「やってられねえぞ、そんな仕事。そこいらにいる探偵にでも頼めよ」
「バカ言わないでよ。本当にスライムだとしたら、完全に特高マターの事案なんだから。ペットの行方不明とはわけが違うのよ」
「あの、ようするにわたしたちの仕事は、そのスライムを探すことですか?」
「そのとおり。アッシュはいい子だから、やる気まんまんでしょ?」
「はい! はじめての仕事、やる気まんまんです」
シルバーグレイの大きな瞳を輝かせて、アッシュは力強く宣言した。
「オッケー。一応、専門家を呼んでるからさあ、詳しい説明を聞いて。あとはあんたたちに任せるわ」
佳菜子はにっこりと笑い、立ち上がった。
「おい、佳菜子、ちょっとまて」
「覚馬、ちゃんとアッシュをフォローしなさい。教育担当なんだから」
「便利な言葉だよな、それ」
「あたしはそろそろニコチンを補給しないと、死ぬ」
真剣な声でそう言うと、佳菜子はいそいそと会議室を出ていった。
取り残された二人は対照的な表情で、その背中を見送った。
「がんばりましょうね、覚馬さん!」
弾む声で、アッシュが言った。
「スライムねえ……」
どんよりとした声で、覚馬は言った。
魔術師犯罪を取り締まる特別高等魔術警察の捜査員が、こんな仕事をすることになるとは。
「ところで、覚馬さん。専門家って誰でしょうか」
「ああ、そうだな。佳菜子のやつ、その辺をはしょっていくなっての」
「それはあたしのことですよ」
ひょっこりと会議室に顔を出した少女が、あざとい笑顔でそう言った。
「雛菱」
「美鴨さん」
二人は同時に彼女の名を呼んだ。
ショートカットにしたブラウンの髪に赤いフレームのオシャレな眼鏡。ガーリーな服装に羽織っている白衣が目立つ。
雛菱美鴨。
公安部鑑識課第一係。
彼女も〈志帥館〉から推薦されている実習生の一人だ。
「スーパーウルトラ天才錬金魔術師のあたしと一緒に、楽しくスライムを探しましょう、覚馬センパイ♪」
指定された会議室に出向くと、火の点いていない煙草を咥えた女が気楽な声でそう言ってきた。
別当佳菜子。
公安打撃一課第三係長。
抜け目のない猫科の動物を思わせる愛嬌と鋭さを兼ね備えた二〇代後半の女で、ショートのボブにした癖のある黒髪に派手なポイントカラー、ブルゾンにカーゴパンツというラフな格好はおよそ警察官には見えない。
彼女は警部の階級にあり、覚馬とアッシュの直接の上司だった。
「なにかあったのか?」
覚馬は会議室に入るなり、単刀直入に言った。
「覚馬さあ、もうちょっと愛想ってもんをもちなさい。あたしはあんたの上司なんだから」
「だったら愛想笑いが得意なおべっか野郎でも呼べばいいだろ」
「ったく、可愛げのない実習生だわ」
彼の態度には慣れているのか、佳菜子はそれだけを言った。
「実習生をこれだけこき使っといてよく言うぜ」
覚馬はわざとらしく肩をすくめ、佳菜子の正面に座った。
綾瀬覚馬は特別高等魔術警察の警察官養成学校〈志帥館〉の学生だったが、成績優秀につき推薦されて現場で経験を積んでいるという立場だ。公式な身分は正式な捜査員ではないが、任される仕事に違いがあるわけではなかった。
特別高等魔術警察は慢性的な人手不足で、〈志帥館〉の成績優秀者は学生の身分のまま卒業をまたずして現場に引っ張られる。有坂穂積もそうだったし、他にも何名もの実習生が様々な部署に在籍していた。
「えと、あの、佳菜子さん。本当にわたしで大丈夫ですか?」
覚馬のあとから会議室に入ったアッシュが、そこはかくなく不安そうに言った。
彼女はまだ本格的に捜査に従事したことがない、文字通りの見習い期間だ。
「大丈夫よ。覚馬もいるしさ」
「ようは大した事件じゃないってことか?」
「まあね。事件かどうかもちょっと怪しいというか、不確定な情報が多くてさあ」
佳菜子は歯切れ悪く言い、ライターを手で弄んだ。
「覚馬、あんたさあ、スライムって知ってる?」
「スライム?」
突拍子もない言葉に、覚馬は困惑した。
「スライムって、あれか。ゲームとかによく出てくるやつ」
真っ先に思い浮かぶのは、ファンタジー系ゲームのモンスターだった。不定形のゼリーみたいなやつで、武器による攻撃はあまり効かない。
「大体そのイメージであってるけどさあ。あたしが言ってるのは、現実世界でのスライムの話だから」
「なんだそりゃ……」
「えと、錬金魔術師が実験で生み出す人工生命の一種ですよね」
覚馬の言葉を引き取って、アッシュが控えめに言った。
「そうそれ。アッシュは覚馬と違って学があってよろしい」
「いえ。わたしも一応は〈新世界〉の魔術師でしたし」
魔術というものはマギという人間が内包しているエネルギーになんらかの方法でアプローチし、意図したとおりに様々な現象を具現化する技術だ。
そのアプローチの方法は千差万別で、洋の東西に大小様々な流派が存在する。
なかでも錬金魔術は比較的メジャーな魔術のひとつであり、中世からこっち魔術と科学の境界線を歩いてきたようないささか特殊な魔術だ。
錬金魔術師のもっとも有名なギルドは北米系魔術師ギルド〈新世界〉。
教会勢力によって欧州大陸から追放された錬金魔術師や科学者たちによる魔術師ギルドで、合衆国の建国にも深くかかわった。彼らは自らをテクノクラートと称し、いまや国家と表裏一体になっている世界有数の勢力だ。
このマギウス・ヘイヴンでも、大きな影響力をもっている。
「錬金魔術にも様々な流派があるんですけど、総じて彼らが追い求めているものは人工生命であるホムンクルスの創造、そして万能の霊薬である賢者の石の生成です」
「ああ、それくらいは知ってる」
「その人工生命を生み出す錬金魔術の基礎研究のひとつに、スライムの創造というものがあるんです。覚馬さんの言うゲームに出てくるやつと、見た目もそんなに変わらないです。わたしも専門ではないので、詳しいことはあまりわからないですけど」
「つまり、錬金魔術師どもの玩具ってわけか」
覚馬は深い嘆息とともに佳菜子を見やった。
「で、そのスライムがどうしたって?」
「目撃情報の通報があったの。匿名だけどね」
「いたずらじゃないのか?」
「その可能性もあるんだけどさあ、放っておくわけにもいかないし」
「マジかよ。勘弁してくれ」
佳菜子の要件を悟った覚馬が、デスクに突っ伏した。
「やってられねえぞ、そんな仕事。そこいらにいる探偵にでも頼めよ」
「バカ言わないでよ。本当にスライムだとしたら、完全に特高マターの事案なんだから。ペットの行方不明とはわけが違うのよ」
「あの、ようするにわたしたちの仕事は、そのスライムを探すことですか?」
「そのとおり。アッシュはいい子だから、やる気まんまんでしょ?」
「はい! はじめての仕事、やる気まんまんです」
シルバーグレイの大きな瞳を輝かせて、アッシュは力強く宣言した。
「オッケー。一応、専門家を呼んでるからさあ、詳しい説明を聞いて。あとはあんたたちに任せるわ」
佳菜子はにっこりと笑い、立ち上がった。
「おい、佳菜子、ちょっとまて」
「覚馬、ちゃんとアッシュをフォローしなさい。教育担当なんだから」
「便利な言葉だよな、それ」
「あたしはそろそろニコチンを補給しないと、死ぬ」
真剣な声でそう言うと、佳菜子はいそいそと会議室を出ていった。
取り残された二人は対照的な表情で、その背中を見送った。
「がんばりましょうね、覚馬さん!」
弾む声で、アッシュが言った。
「スライムねえ……」
どんよりとした声で、覚馬は言った。
魔術師犯罪を取り締まる特別高等魔術警察の捜査員が、こんな仕事をすることになるとは。
「ところで、覚馬さん。専門家って誰でしょうか」
「ああ、そうだな。佳菜子のやつ、その辺をはしょっていくなっての」
「それはあたしのことですよ」
ひょっこりと会議室に顔を出した少女が、あざとい笑顔でそう言った。
「雛菱」
「美鴨さん」
二人は同時に彼女の名を呼んだ。
ショートカットにしたブラウンの髪に赤いフレームのオシャレな眼鏡。ガーリーな服装に羽織っている白衣が目立つ。
雛菱美鴨。
公安部鑑識課第一係。
彼女も〈志帥館〉から推薦されている実習生の一人だ。
「スーパーウルトラ天才錬金魔術師のあたしと一緒に、楽しくスライムを探しましょう、覚馬センパイ♪」