コッペリアは二度死ぬ scene1

文字数 2,079文字

「あー……くそ、なんてこった」
 海から引き上げられた覚馬は、がちがちと歯を鳴らして小さくうめいた。
 全身がずぶ濡れで、海の風に吹かれると凍死しそうな気分になる。
 誰が用意したのかわからないが、一斗缶に火をくべた簡易な暖房の前にうずくまり、覚馬は恨めし気な視線で隣に立つ少女を見やった。
 覚馬と同じ漆黒の意匠に身を包む、すらりとした長身の少女だった。
「俺を殺す気か、穂積」
「だって、ああでもしないと本格的にドンパチがはじまりそうだったじゃん」
 有坂穂積はそう言って、わざとらしく舌を出した。
 長く伸ばした艶やかな黒髪をポニーテールにしており、彼女の動きに合わせて毛先が揺れる。
 こちらを見た顔のパーツはどれもはっきりしていて、ありていに言ってファッションモデルのようだった。
「私の魔術って、ほら、あんまり繊細な手加減とかできないし」
「だったら使うなよ」
「なによ、助けてあげたのにさ」
「銃で撃たれるより、冬の海に落ちる方がきついだろ」
「むう」
 穂積は不満そうに唇を尖らせた。
 黙っているとクールで大人びて見えるが、彼女は話し出すと表情がころころ変わって少し幼い印象になる。
 彼女は風属性の四大精霊魔術師だ。
 長大なスペルの詠唱でマギを活性化させ、意味を付与し、四大属性に基づいた任意の現象を引き起こす。破壊力も大きく攻撃範囲も広いが、その分、使い勝手も難しい。
「ねえ、覚馬。そんなに寒いなら温めてあげようか?」
 穂積はそう言って、覚馬と並ぶようにしてしゃがみ込んだ。
「ああ?」
 震えがとまらずに適当に答えると、彼女が耳元で囁いてくる。
「じゃあ、服脱いで」
「なんでだよ!?」
「なんでって……抱き合って人肌で温め合うのが一番だと思うけどな?」
「あたり前みたいな顔するな」
「いいじゃん。私と覚馬の仲なんだし」
「なんの仲にもなってない」
「婚約者でしょ!」
「もう家同士で破棄しただろ!」
「抱き合うだけだから。覚馬がちょっとエッチな気分になっちゃったら、そのときは優しくしてくれたら……いいよ?」
「よくねえよ!」
 服を脱がそうとしてくる穂積をどうにか阻止する。
 二人がぎゃあぎゃあと言い合っていると、
「あんたらさあ、実習生なんだからもうちょっと緊張感もちなさいって」
 そんな呆れた声が背後から聞こえた。
 振り返ると、咥え煙草の女がこちらに近づいてくる。
 年の頃は二〇代後半だろうか。癖のある黒髪をショートボブにして、前髪には派手なポイントカラー。上背はないが鍛えられた身体をしていることは一目でわかり、抜け目のない猫科の動物のような印象を残す女だった。
 別当佳菜子。
 公安打撃一課第三係長。
 彼女は木っ端みじんに吹き飛んだ係留桟橋の先端を見やりながら、嘆息をもらした。
 それにあわせて咥えている煙草の火も揺れて、灰が足元に落下する。
「それから、冬の外はやめといたほうがいいわよ。そんなにやりたい盛りなら、近くにあるラブホ教えてあげようか?」
「そんな話はしてねえよ」
「あらそう。てっきりそういう話かと思った」
 半眼になった覚馬に、佳菜子は軽く肩をすくめた。
「にしてもさあ、派手にやっちゃたわねえ、まったく」
 覚馬同様に海から引き上げられた故買屋と取引先の男たちは全員が逮捕され、ずぶ濡れのまま連行されていった。これから厳しい取り調べがまっている。
 いまは残されたクルーザーの内部を捜索しているところだった。
 穂積が立ち上がり、頭を下げる。
「すいません、佳菜子さん」
「やっちゃたものは仕方ないけどさあ、そもそもは覚馬の独断専行が原因なわけだし」
「俺のせいかよ……あれ以上はまてなかっただろ。ぎりぎりだぞ」
「そうだったとしても、判断をするのはあたしなんだから。さっきも言ったけど、あんたたちはまだ実習生なんだからさあ、もうちょっと可愛げをもちなさい。単独での判断なんて一〇〇年早いって」
 佳菜子はそう言って、煙草の灰を足元に落とした。
 その言葉のとおり、覚馬と穂積の身分は特別高等魔術警察の正式な捜査員――特高魔術師ではない。
 特別高等魔術警察の警察官養成学校〈志帥館〉から成績優秀として推薦され、現場での実地研修を行っている立場だ。
 彼らが仮配属されている公安打撃一課は、魔術師の犯罪を捜査し、場合によっては武力制圧を行う。刑事警察と対テロ警察の性格を併せもつ、特別高等魔術警察の花形部署のひとつだった。
「報告書、八時までに上げてよ」
「ウソだろ。勘弁しろよ」
 そのスケジュールでは徹夜確定だ。
 覚馬はさらに抗議の声を上げようとしたが、
「別当係長!」
 クルーザー内部を捜索していた捜査員の声が機先を制した。
 恐らく目的のブツを発見したのだろう。
 佳菜子は軽く手を上げてその声に応えると、短くなった煙草を海に投げ捨てた。
「そしたらまあ、ご対面といこうかしらね」
「俺はそれよりもさっさと着替えたいよ」
 佳菜子の言葉に、覚馬は仕方なく立ち上がった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み