ザントマンがくる scene5

文字数 3,468文字

「ミス・ウォン」
 高層マンションの地下駐車場に、覚馬の声は思いのほか響いた。
 クラシックカーの運転席のドアに手をかけていた彼女は、動きをとめてからこちらに身体を向ける。
「あら、特高の魔術師さん」
「綾瀬です」
 覚馬はバッジを掲げると、セシリアにゆっくりと近づいた。
 彼女はこの前とは別人のように思えた。
 眼鏡もかけていないし、部屋着でもない。
 薄暗い地下駐車場で、手入れのいき届いたブロンドが輝いているかのようだった。
 少し垂れ気味の青い瞳はどこか蠱惑的で、ナチュラルメイクは彼女の美貌をより引き立てている。
「ロータス・ヨーロッパなんて、いい趣味の車ですね」
「ありがとう。事務所からは運転するなと言われているのだけれど。たまに自分で運転して仕事にいくのよ」
 セシリアは朗らかに笑うと、クラシックカーのボンネットに優しく触れた。
「美人の相棒さんはどうしたのかしら?」
「香港一の女優に言われても、素直に喜べないですね」
 覚馬とは反対側から、穂積もバッジを掲げて顔を出した。
「あら、本心なのに」
 セシリアは心底から残念そうに言った。
「今日はどういったご用かしら?」
「あなたの証言のおかけで、〈カスカード〉の連中を逮捕できました。そのご報告です」
 覚馬は苦笑じみた表情になった。
「それはよかったわね。でも、はあまり嬉しそうではないけれど」
「ええ。逮捕した連中は斥候みたいなものでしてね、マギウス・ヘイヴンで気楽に商売をはじめようとしてました。錬金魔術で精製した麻薬がらみです。で、連中はうちの紳士的な取り調べにこう言ってましてね――」
 覚馬はそこで言葉を切って、セシリアを見つめた。
「〈カスカード〉は数年前から、コレクター向けの魔瞳を扱ってはいないそうです。まあ特殊な趣味の金持ちや魔術師とコネはつくれますが、資金源としては割が合わないというのが連中の本音でしょう」
「そう。けれど、どうしてわたしにそんな話をするのかしら?」
「連中は魔瞳ブローカーを廃業していたんです。あなたがギルドをとおしてダークウェブのオークションで落札した魔瞳と、〈カスカード〉から直接購入した魔瞳をあわせても、一三には不足している。違いますか?」
「あら」
 セシリアは眉尻を下げて困った顔になった。
「そんなことまでギルドは教えたのね」
「オークションの履歴はうち調べですよ。まあ、〈九龍商会〉が情報を出したのも確かですが。ミス・ウォン、オークションでもブローカーからでもなく、あなたはどこからどうやって魔瞳を手に入れていたんです」
「なにが言いたいのかしら、特高の魔術師さん」
「正直、どんな方法で手に入れていようが、香港でのことなら知ったことじゃないんですけどね。マギウス・ヘイヴンでとなると話は別です」
 そう言った覚馬の言葉を、穂積が引き継いだ。
「セシリアさん、あなたは以前こう言いしまたよね。映画に主演する度に新しい魔瞳を集めているって」
「ええ」
「日本にきてから公開された主演映画は三作です。私も観ました。『香港人狼哀夢』、とっても素敵な映画でした」
「あら、ありがとう」
「その三作分の魔瞳は、どうやって手に入れましたか。香港時代にお得意様だった魔瞳ブローカーが廃業しているのに」
「そうねえ。それは困ったわね」
 セシリアは顔色ひとつ変えずにそう言った。
「わたしが自分で手に入れたとでも言えばいいのかしら。わたしは確かに〈九龍商会〉の人間だけれど、ただの映画女優よ。どうやって魔術師を殺せるというの?」
 彼女の言うとおりだった。
 魔瞳術師を殺した方法は不明のままだったし、そもそもセシリア・ウォンが魔瞳術師を殺して自力で手に入れたという証拠はなにもない。たまたま魔瞳を集めている映画女優がいて、たまたま三人の魔瞳術師が殺された、というだけの話だ。
 セシリア・ウォンが魔術師であるのかどうかさえ、覚馬にはわからなかった。
(いや……)
 彼女は魔術師だ、と覚馬は思った。
 それも、魔瞳術師ではないか。
 覚馬は彼女の青い瞳を見てそう思った。
 最初に会ったときの違和感の正体が、唐突に理解できた。
 それは彼女がメイクをしていなかったからでも、眼鏡をかけていたからでも、部屋着だったからでもない。
 目の色が違うからだ。
 あのときの彼女の瞳は、いまのように青ではなかった。
 そう、ブラウンの瞳だった。
 それはまるで。
 殺されたヘクター・ヤンの――
「ミス・ウォン。こんな話を聞いたことがあります」
 覚馬はなんの前触れもなく言った。
「魔瞳術師のなかには、奪った魔瞳を自分の瞳と入れ替えて様々な魔瞳術を使う。そういう魔瞳術師もいるそうです。彼らは新しい魔瞳を手に入れると、自分の身体とマギに馴染ませるために、しばらくは瞳を入れ替えておくのだとか」
「そう。それは面白いお話ね。だったら、そういう魔瞳術師はいくつも魔瞳をストックしているものなのかしら」
「ええ、そうかもしれません」
「わたしのように?」
 セシリアは少しからかうような調子になった。
 家宅捜索をしようにも、任意で引っ張って事情を聞こうにも、ギルドの後ろ盾がある上にこれだけの有名人となるとおいそれとは手が出せない。
 彼女はそういったすべてのことをよくわかっている。
 覚馬は嘆息した。
「気分を害されたのなら謝ります。なにもあなたをどうこうしようとわけではありません。ただ、なぜ〈九龍商会〉が特高にあなたを紹介したのか。賢明なあなたなら理解できるはずです」
「あら、なぜかしら」
「なぜでしょうね」
 覚馬は苦笑した。
 小首を傾げて、セシリアがわずかにほほ笑む。
 品のいい腕時計をちらりと見やり、
「もうそろそろ、いかないといけないわ」
 覚馬は肩をすくめて、どうぞ、という意志を示した。
 彼女はロータス・ヨーロッパの運転席に乗り込むと、エンジンをかけた。
 窓から顔を出し、優雅に手を振る。
「お仕事がんばってね、特高の魔術師さん」
「ええ、あなたも。ミス・ウォン」
「ありがとう」
 するりと進み出た彼女の車は、軽快なエンジンの音を駐車場に響かせてすぐに見えなくなった。
「面の皮の厚い女だよね」
「まあな。そうじゃなきゃ、女優なんてやってられないさ」
「覚馬は彼女が魔瞳術師で、三人を殺したと思うわけ?」
「どうかな。あくまでも俺の想像で、証拠はなにもないからな。彼女が殺したのかもしれないし、誰かに依頼をして魔瞳を回収させたのかもしれない。なんにせよ、〈九龍商会〉の魔術師に手を出したのはまずかったけどな」
「だからうちを使って警告をしたってわけね。特高もいいように使われちゃってさ」
 表のビジネスで大きな価値があるセシリア・ウォンの趣味を、〈九龍商会〉は黙認していた。なんなら協力も。だが、趣味で自分たちの仲間が殺されたとなれば、黙っているわけにはいかない。
 それでも彼女ほどの有名人を、簡単にどうこうはできない。セシリア・ウォンになにかあれば、大きなスキャンダルになって無用な詮索や混乱が生まれるだろう。
 そういったギルドの弱みを、セシリアもよくわかっている。
 だからこそ、特別高等魔術警察に彼女の存在を教えたのだ。これ以上ギルドの心証を悪くするようなら、切り捨てて特別高等魔術警察に逮捕させるという警告。
「今回の事件は逮捕した〈カスカード〉の連中をスケープゴートにして、一応は解決って線だろ。彼女が大人しくしてりゃ、これ以上はうちが手を出すこともないさ」
「うーん……もやもやが凄いんだけど。私たちって一応は警察なんだよね?」
「そうだよ。警察は正義の味方じゃないからな」
「いやな商売だよね」
「まったくだ。穂積も女優とかやればいいんじゃないか」
「え? なにそれ、私ってそれくらいイケてる?」
「黙ってれば、すげー美人」
「やー、そうでしょそうでしょ……って、それって全然褒めてないじゃん!」
「褒めてるだろ!」
「ほーめーてーなーいー!」
 穂積が両手をわたわたして抗議の声を上げる。
 覚馬は嘆息まじりにセシリアが乗ったロータスが走り去っていった方向を見やった。
 セシリア・ウォンは数々の映画賞を受賞し、香港一と言われた映画女優。
 あの青い瞳は、果たして本物の彼女の瞳なのだろうか。
「彼女の人気の理由が、魅了の魔瞳じゃないといいけどな」


[ザントマンがくる 終劇]
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