ザントマンがくる scene1

文字数 3,823文字

「被害者の身元ですが、名前はヘクター・ヤン、本名はヤン・ウーミン。三八歳。豊島区池袋本町にある株式会社ファレノプシス貿易の社員です。ただ、会社に活動実態はありません。当該企業は香港系魔術師ギルド〈九龍商会〉のペーパーカンパニーと思われます。以上」
 霞が関にある赤レンガ造りの特別高等魔術警察本部庁舎。
 二階にある小会議室では、初動捜査の報告が行われていた。
 本事案を担当しているのは公安打撃一課第三係で、バックアップとして遊軍の公安総務課の一部が投入されていた。もっとも三係も専任ではなく、いくつかの案件を掛け持ちしている。
 特別高等魔術警察は慢性的に人手不足なのだ。
「吉村君さあ、被害者は〈九龍商会〉の魔術師で間違いないの?」
 報告をした三係の捜査員――吉村剣省警部補に、佳菜子が手元のタブレットで資料を確認しながら言った。会議室が禁煙なので、火の点いていない煙草を咥えている。
「はい。〈九龍商会〉に照会済みです。ギルドでの仕事については不明」
 吉村警部補はフレームレスの眼鏡が似合う二〇代半ばの青年で、すらりとしたスーツを着こなす様は、特高魔術師というよりは怜悧なエリートビジネスマンに見えた。
「そりゃあ、大っぴらに殺し屋ですとは言えんわな」
 吉村の隣で腕を組んで座っている男が、低い声で言った。
 同じく三係の真木総一郎警部補だった。
 四〇代のベテラン特高魔術師で、額がM字に薄くなってきている髪を短く刈り込み、度入りのサングラスにくたびれたスーツという格好だった。警察官というよりは、ヤクザにしか見えない。
「真木さん、想像で不規則発言は控えてくださいよ。議事録に残りますよ」
「吉村よ、役人かお前はよ」
「ええ。僕は役人です。特高は国家警察でしょう」
「つまらねえ男だな、おい」
 対照的な二人は捜査ではコンビを組んでいる。
 軽口もいつものことだった。
 別当佳菜子警部以下、真木総一郎、吉村剣省、そして綾瀬覚馬と有坂穂積の二人の実習生を加えた布陣が現在の三係の陣容だ。通常は一係につき正規の特高魔術師だけでも一〇名は必要で、絶望的な人手不足だった。
 佳菜子は課長の甘粕仁生警視に増員を願い出ていたが、当てにはならない。
「綾瀬よ、お前もこんな面白味のねえ大人になっちゃいかんぜ」
 真木がわざとらしく肩をすくめて笑った。
 話を振られた覚馬も苦笑じみた表情になる。
「二人を足して二で割ったらちょうどいい気がしますけどね」
「僕と真木さんを? いやな想像させないでくれよ、綾瀬くん」
 吉村が露骨に渋い顔をする。
「そりゃ失礼しました」
「はいはい。本題に戻るよ」
 佳菜子が軽く手を叩き、鋭い声を発した。
 まるで学級委員だ。
「状況を整理する」
 佳菜子が手元のタブレットを操作する。
 データをリンクしてある各捜査員のタブレットに、三枚の写真が並んだ。
 そのなかにはヘクター・ヤンの写真もある。
 きちんと両目がある写真で、ブラウンの瞳がこちらを見つめていた。
 残りの二人も、彼と同じく両目を抉られて殺されていた被害者だった。
「同じ手口の魔術師殺しがこれで三件目。そろそろ上もうるさくなってきたわ」
 一人目は北米系魔術師ギルド〈新世界〉の魔術師。
 二人目は日本の魔術師ギルド〈八咫烏〉の魔術師。
 特別高等魔術警察は魔術師の犯罪を取り締まる国家警察として、戦後からこっち激しい抗争を何度も繰り広げてきたマギウス・ヘイヴンの魔術師ギルド間の緩衝材として機能している。
 ギルドは魔術師による犯罪が発生した際には、お互いが直接は対峙せずに特別高等魔術警察に情報を提供し捜査を委ねている。
 それが闘争と流血の末に築かれた暗黙のルールであり、ガラスの秩序だ。
 もっとも、例外は多々ある。
 魔術師ギルドというものはとかく閉鎖的で、自分たちの仲間の情報をそう簡単には提供しない。ましてや特別高等魔術警察は〈八咫烏〉が母体であり、いまでもそこから人材供給を受けている組織だ。〈八咫烏の番犬〉と呼んで、蛇蝎のごとく嫌っている連中も多い。
「さてなあ。一人目は〈新世界〉が自分のところの魔術師だと認めはしたがね、それ以上のことはさっぱりわからねえ」
 真木がそう言ってうめいた。
〈新世界〉は殺された魔術師の情報をなにも出さない。名前や年齢はもちろん、どんな魔術師でなにをしていたのか、むしろ徹底的に情報を消しにかかっている。
 覚馬はタブレットの画面をコツコツとやって、二人目の被害者の写真を見た。
「いまのところ、詳しくわかってるのは二人目か」
「そうね。〈八咫烏〉の魔術師だったからさあ、まだ情報が取れた」
「親会社みたいなもんだからな」
 皮肉気に笑う。
 二人目の被害者――魚住公彦――は、〈八咫烏〉の〈新町機関〉と呼ばれる組織の魔術師だった。
 機関というのは〈八咫烏〉内にいくつかある実力部隊の通称で、要は抗争や暗殺などギルドの裏の仕事に従事する兵隊たちの集まりだ。
「〈新町機関〉の魔術師は曲者揃いで、自分の魔術にハメれば実力が上の相手にだって勝てるような連中なんですけどね」
 覚馬は二人目の被害者である魚住の陰気な顔を一瞥した。
 写真には、きちんと両目がある。
「魚住公彦はそこの兵隊をやってる魔瞳術師だ。そんなやつをよくも殺れたもんだと思いますよ」
「ふむ。だからこそ、両目を潰したということじゃないのかい」
 吉村が静かな声で言ってくる。
 顎に右手をやる考える仕草が妙に絵になっていた。
「魔瞳術師は視線を媒介にする魔術師だ。どうにか目を潰せば怖くない」
「ええまあ。俺だって、魔瞳術師相手ならそうします」
 魔術とはマギと呼ばれるエネルギーをなんらかの方法で活性化させ、意図した現象を引き起こす技術だ。その方法は千差万別、無数に存在すると言っていい。
 なかでも魔瞳術師という連中は特殊な魔術師で、瞳そのものが体内のマギを収束・活性化する機構の役割を果たし、視線の先になんらかの魔術的効果を意識的あるいは無意識に発現させる。
 大半は遺伝的に引き継がれる能力であり、何百年もかけてそういう血統をつくり上げてきた魔術師の名門家に多い、極めて珍しいジャンルの魔術だった。
「けど。それにしちゃあ、抉り方がきれいすぎる」
 覚馬は魚住の死体写真を見た。
 両目を失った顔は、表情も失いどこか無機質だ。
「まるで丁寧に取り出したみたいにね。吉村さん、俺だったらこんな仕事はしませんよ。魔瞳術は得体が知れないから、さっさと目を潰したい」
 一対の魔瞳で、ひとつの魔術。
 魔瞳術は個々人によってまるで違うものであり、初見なら対策はないに等しい。
 ギリシア神話に登場するメドューサの石化魔瞳は特に有名だが、他にも視線の先を発火させる焼死魔瞳、対象を一種の催眠状態にする魅了魔瞳など、挙げていけばきりがない。要は被りがほとんどないのだ。
「まるで〈ザントマン〉ね」
 いままで黙っていた穂積が、ぽつりと言った。
 意図せずに全員の注意を引いてしまい、彼女は慌てて手をパタパタと振った。
「すいません。変なこと言っちゃって」
「なに、その〈ザントマン〉って?」
 なんとなく興味を引かれたのか、佳菜子が言ってくる。
「ドイツの民間伝承に出てくる精霊です。そいつに出会うと砂を目に投げつけられて、目が開けられなくなって眠っちゃうとか、目を奪われるとか、そういう話なんですけど」
 穂積はイタリアの魔術師ギルドに留学していたころに聞いた話を思い出しながら、三人の被害者の写真を見た。
「仮に殺された三人が魔瞳術師だったとしたら、目を抉られているのは魔瞳術対策じゃなくなくて、持ち去るためなんじゃないかって。そう考えれば、覚馬の言う丁寧な仕事もわかる気がして」
「なるほどな。一理あるかも知れねえ」
 真木はぐっと身を乗り出して、佳菜子に言った。
「なあ係長、仮にガイシャ全員が魔瞳術師で目を奪われたんなら、犯人の動機に筋がとおるんですわ」
「魔瞳ブローカーか……」
 佳菜子は静かに言った。
 魔瞳術師の瞳には、熱狂的なコレクターがいる。
 ひとつとして同じものがない色鮮やかな瞳は、遥か昔から宝石よりも希少価値の高いものとして取り引きされてきた。
 需要があれば供給も生まれる。
 魔瞳とは数百年、あるいはもっと前からの血統の集大成。普通は魔瞳術師が死んでも、その瞳が世の中に出回ることはない。
 需要を満たすにはどうするか。魔瞳術師を殺して瞳を奪い去るしかない。
 実際、数百年続く魔術師の家系も珍しくない欧州ではそういった事件もある。犯罪組織化した魔術師ギルドがブローカーとなって、資金源のひとつにしているのだ。
 佳菜子は咥えていた煙草を手に取ると、指先で器用に弄んだ。
 数秒の間、熟考する。
「よし。被害者の地取りと鑑取りは公総に、〈九龍商会〉への聴取は公情二課に任せて、あたしたちは魔瞳ブローカーの線を追う。真木さんと吉村君、覚馬と穂積でコレクターを当たって情報を取る。最近手に入れた魔瞳がないか、違法に魔瞳を扱う業者、その辺りを拾って。あたしはダークウェブの違法オークションに魚住の魔瞳が出品されていないか洗う」
 その言葉に、三係の面々は各々に返事をして一斉に立ち上がった。
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