ザントマンがくる scene4

文字数 4,905文字

 マギウス・ヘイヴンの魔術師ギルドに対してコミントやヒューミントを行う特別高等魔術警察情報部の〈帝国〉担当セクションである公安情報三課によれば、〈カスカード〉という〈帝国〉系列の魔術師ギルドは確かに存在するらしい。
 だが、主な活動地域はロシア極東や中国北部、朝鮮半島で、マギウス・ヘイヴンではいままで活動は確認されていないギルドだった。
「マギウス・ヘイヴンにいたのはモスクワ直轄の連中だからなあ」
 繁華街の一画にあるビジネスホテルの非常階段を上りながら、覚馬は言った。
 目的の部屋は一〇階で、折り返し続く錆びた階段はどこまでも伸びているように思えた。
「ああ、モスクワとは別系列の枝なのね」
 背後から続く穂積が感心なさそうにつぶやく。
 ロシア系魔術師ギルド〈帝国〉はロマノフ王朝時代に隆盛を極め、ソヴィエト時代も重用されていた魔術師ギルドが、ソヴィエト崩壊時の混乱によって統制が効かなくなった軍や情報機関、KGBの一部勢力を取り込んで誕生した巨大な魔術師ギルドだ。
 犯罪組織化した魔術師ギルドの典型とも言える。
 ギルドの本部はモスクワにあるが、その組織はあまりにも巨大で、いくつもの系列ギルドが存在していた。〈カスカード〉はマギウス・ヘイヴンをのぞく極東で活動している系列ギルドのひとつだ。
「モスクワの連中が抗争で負けて追い出されたから、代わりに進出しようってことなのかな?」
「かもな。公情三課からの情報じゃ、マギウス・ヘイヴンの〈帝国〉残党勢力と連携はしてないらしいからな。〈カスカード〉の独断だろ」
「でも、まだ本格的にはって感じか。様子見を兼ねた出稼ぎってところかしら」
「目の上のたんこぶだったモスクワの連中が消えたんで、とりあえずマギウス・ヘイヴンに橋頭保をつくろうってことかもな。そう考えれば、魔瞳も連中の商品の一部には違いない」
「いい迷惑。わざわざこなくてもいいじゃんね」
 穂積が呆れたように嘆息した。
「しょうがないさ。ここは世界で一番魔術師が集まる街なんだからな」
 階段を上るのにいい加減うんざりしてきたところで、覚馬のスマホに着信があった。
 別当佳菜子からだった。
 電話に出る。
『真木さんと吉村君が新宿のアジトを制圧した』
 スマホの向こうからは、佳菜子のそんな声が聞こえてきた。
〈カスカード〉の魔術師たちはウラジオストックの企業が所有する貨物船の乗組員として横浜港に上陸し、その後姿を消した。
 連中にとって不運だったのは、公安情報三課が〈帝国〉撤退以来手持ち無沙汰であり、彼らを念のために行動確認してマギウス・ヘイヴンに構えた二ヵ所のアジトを突きとめていたことだった。
 佳菜子は三係を二手に分けてアジトを制圧し、押収品から殺人の証拠となる魔瞳を見つけることにした。日本の警察は令状主義だが、こと特別高等魔術警察が受けもつ魔術師犯罪では無令状逮捕は広く認められている。当然、事後の手続きは必要だが。
『押収品に魔瞳はなかったから、そっちが本命だわね』
「了解。真木さんのほうの敵戦力は?」
『全部で五人。四大精霊魔術師が一人、あとは銃で武装。そっちも似たり寄ったりだと思うけど、魔瞳術師を殺ったやつがいる可能性が高いわよ』
「いやだねえ、得体の知れない魔術師と殺りあうのはさ」
『できるだけ殺さないで逮捕して』
「気楽に言うなよ」
 覚馬は嘆息をもらして通話を切った。
「佳菜子さん、なんて?」
「こっちが本命だとさ」
「できれば穏便にすませたいけど、そうもいかないよね?」
「うちのバッジは水戸黄門の印籠じゃないからな」
「黄門様だって印籠見せる前に、助さんと角さんが悪いやつボコボコにするしね。結局」
「まあ、そういうことだ。どんな威光も痛めつけないと効かないんだよ」
 覚馬は一〇階の非常口までたどり着くと、事前にホテルのマネージャーから手に入れておいた鍵で非常扉を開けた。
 わずかな隙間からホテルの廊下をうかがう。
 目的の部屋は非常口のすぐ近くだ。
 ドアの前に見張りなどはいない。
「私の魔術でドアを吹き飛ばすわ」
「ああ」
 音もなく非常扉を押し開けて、覚馬は帯剣ベルトで吊り下げている日本刀の鯉口を切った。
 瞬間、鞘から水があふれ出て、足元に水滴が落ちる。
 左手ですらりと抜刀した。
 水に濡れた艶めかしい刀身が鈍色に輝く。
 露時雨良晴――二尺八寸。
 鍛錬の過程で水属性の精霊を生きたまま練り込んだ魔術刀で、抜刀すれば使い手のマギを餌にする。
 その刀身は常に水に濡れて、どれだけ人を斬っても血や脂で曇ることはない。
 穂積は小さく息を吸い込むと、右手を掲げて口を開いた。
「――――――っ」
 彼女の喉から発せられたのは美声ではなく、甲高い機械の駆動音にも似た音だった。
 固有のスペルを詠唱することで自身のマギを活性化させ、四大精霊属性に基づく現象を生み出す四大精霊魔術において、スペルを圧縮詠唱する超絶技巧と呼ばれる技術だ。
 穂積の右手の先に、ホログラム映像のように複雑な図形が現れる。
 それは『硬貨・杯・木の枝・剣』を模した図形と、膨大なラテン語のテキストによって構成される魔法陣だった。それぞれの図形は四大精霊に象徴される地・水・火・風の四大属性を表している。
 彼女の魔術は欧州で主流の四大精霊魔術の風属性。
 二人はそれぞれドアの左右についた。
「四大精霊――」
 穂積が右拳を握り、ドアに向けて振り抜く。
「――〈業風のように厳しく〉!」
 魔法陣が砕け散った。
 どごん、という強烈な打撃音。
 まるで見えない巨大なハンマーでぶん殴られたかのように、金属製のドアが蝶番を引きちぎって拉げ飛んだ。
「特高だ!」
 覚馬は部屋に踏み込むなり声を張り上げた。
 奥に進みながら素早く室内を確認する。
 男が二人。
 ぎょっとした顔で固まっていた。
 だが、覚馬の持つ魔術刀を目にした瞬間、手前にいた男がなにかを叫んだ。
 ベルトから旧ソ連製の自動拳銃を引き抜き、ロシア語らしき発音でもう一人の名前を呼んだことだけは覚馬にも理解できた。
 覚馬は銃口に怯えることなく男との距離を詰め、引き金が絞られるよりも早くロシア人の懐に鋭く踏み込んだ。
 水に濡れた白刃が弧を描く。
 左の鎖骨から袈裟懸けに刃が入る瞬間、魔術刀を返して峰打ちにする。
 鈍い打撃音。
 鎖骨が折れた音と感触。
 ロシア人が悲鳴を上げて、自動拳銃を取り落とす。
 覚馬はすかさずロシア人の顔面を強かに蹴り飛ばした。
 数メートルを吹っ飛んで、ホテルの壁に激突。
 鼻の骨が折れたのか、派手に鼻血を出しながら気を失う。
 見ればもう一人のロシア人も穂積によって制圧されており、床にうつ伏せになって後ろ手に手錠を掛けられていた。
 覚馬は床に落ちていた自動拳銃を手にして弾倉を抜いた。
 続けてスライドを前後させて薬室の初弾も排莢する。
「穂積、こいつら魔術師じゃないな」
「たぶん。いきなりだったから、魔術を使う暇がなかっただけかもだけど」
「それに人数も――」
 少ない――と、言いかけて、覚馬はぎょっとした。
 向かいの部屋のドアが開け放たれ、サブマシンガンを手にした男が顔を出した。
「うそだろっ!」
 刹那の間を置いて、サブマシンガンの銃口が火を噴いた。
 けたたましい銃声が連続し、数十発の弾丸が覚馬たちのいる部屋を蹂躙する。
 床や壁がズタボロになり、液晶テレビが無残な姿に変わる。
「おいおい。公情三課のやつら、二部屋とは聞いてねえぞ……!」
 覚馬は咄嗟にベッドに飛び込んで射線から逃れ、向かいの部屋から断続的に撃ち込まれる弾丸にうんざりした顔になった。
 部屋の構造上、ドアから入って左手側にユニットバスがあり、そこから進んでさらにベッドが置かれている空間だ。向かいの部屋から撃ち込んでいる限り、こちらを捉えることはできない。
「覚馬、仲間がいるなら逃げられちゃうかも」
「ああ、穂積の魔術で弾丸を防げるか?」
「なんとかするわ」
 穂積が軽く息を吸うのと、銃撃が終わるのは同時だった。
 弾倉交換かもしれない。
 二人は一瞬だけ視線を交わし、この隙を逃すまいと覚馬が飛び出した。
「なっ……!」
 だが、そこにいたものにぞっとする。
 緑色の巨大な魚が宙に浮かんでいた。
 文字通り、水中を泳ぐかのように。
 一メートルを軽く超える体躯をした、強いて言うならばナマズに似ている魚だ。
 全身を覆う鎧のような頑強な鱗、感情のない丸い目、そしてピラニアのような鋭い歯が並んだ口。
 こいつは召喚魔術師によって精霊世界〈ネバーランド〉から召喚された精霊だ。
 覚馬は記憶の奥底から、ロシアの民話で語られるその名前を思い出した。
「〈ヴォジャノーイ〉か……!」
 それが合図だったかのように、巨大なナマズが恐ろしいスピードで突進してくる。
 ぱっくりと口を開き、餌を食らうかのように迫ってくる。
「くそっ!」
 覚馬は反射的に魔術刀を寝かせて、〈ヴォジャノーイ〉の一撃を受けとめた。
 鋭い歯が刀身にあたり、ガチガチという音が鳴る。
 凄まじい重さと圧力。
 じりじりと押し込まれ、ナマズの巨大な口が迫ってくる。
「冗談じゃ……ねえぞ!」
 覚馬は自ら後ろに倒れ込み、同時にナマズの腹を蹴り上げた。
 サンドバックのような重たい感触が返ってくる。
 それでも蹴り飛ばされた〈ヴォジャノーイ〉はバランスを崩して壁にぶつかった。
 すかさず身を起こした覚馬は、明らかに敵意を剥き出しにしてくるナマズに魔術刀を振り下ろした。
 金属がぶつかり合うようなけたたましい音が響く。
「……っ!?」
 硬質な鱗が魔術刀の白刃をとおさない。
 はじき返された衝撃で、手が痺れる。
「くそ……!」
 鉄板でもバターのように切断できる魔術刀の刃がとおらないなど。
「覚馬、下がって! 水属性同士だから相性悪いの」
「それでかよ」
 覚馬は舌打ちして〈ヴォジャノーイ〉と距離を取った。
 不気味な緑のナマズは、ゆっくりと頭をこちらに向けている。
 直線的な動きは速いものの、水中ではないせいもあってほかの動きは鈍重だった。
「きなさい。刺身にしてあげる」
 精霊と対峙した穂積は、不敵に笑った。
 手招きするようにして右手を掲げ、同時に超絶技巧によるスペルの詠唱を開始。
 その右手に立体の魔法陣が展開する。
〈ヴォジャノーイ〉はまったく感情のない不気味な目で穂積を見つめ、瞬間、猛烈な勢いで突進してきた。
 鋭い歯が並ぶ口がぽっかりと開き、彼女の眼前に迫る。
「四大精霊――」
 穂積は右拳を握ると、〈ヴォジャノーイ〉と交錯するようにして左足を大きく踏み込んだ。
 大きく開いたナマズの口に向けて、魔法陣が展開する右拳を繰り出す。
 肘の辺りまでを躊躇なく突っ込んで、穂積は凛然と言った。
「――〈木枯らしのように鋭く〉!」
〈ヴォジャノーイ〉の喉奥で魔法陣が砕け散り、同時に鋭い風の刃が吹き荒れた。
 猛烈な勢いで魚の内臓を蹂躙した風の刃が、内側から身体を切り裂く。
〈ヴォジャノーイ〉は一瞬だけ大きく膨らんだかと思うと、空気を入れすぎた風船のように破裂した。
 同時にこちら側の世界に存在を保つことができなくなり、きらきらと輝くマギの粒子となって消滅する。
「残念。刺身は無理だったみたい」
 右拳を突き出したままの穂積は、そう言ってぺろりと舌を出す。
「あんな気持ち悪い魚の刺身なんて食べたかないよ」
 覚馬は小さく息を吐き、向かいの部屋に足を進めた。
 精霊を撃退されたことで、すでに〈カスカード〉の連中は戦意を喪失していた。
 両手を挙げて降伏の意志を示し、ロシア語でなにかをまくし立ててくる。
「うるせえよ! 日本語で話せ!」
 覚馬と穂積はアジトを制圧して四人を逮捕した。
 だが、殺害された魔術師のものと思われる魔瞳は発見できなかった。
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