ザントマンがくる scene3

文字数 3,278文字

 セシリア・ウォンが住むマンションは、再開発されたウォーターフロントの超高層マンションだった。
 一階のエントランスに常駐しているコンシェルジュに話をとおし、二人はエレベーターに乗り込んだ。
 セシリアの部屋は三九階の4LDK。地上からの高さも値段も、気が遠くなる。
 目的の部屋の前まできた覚馬は、つとめて笑顔を浮かべてインターフォンを押した。
 続けてモニターに向けてバッジを掲げる。
「特高です」
 数秒後、がちゃりとドアが開いた。
 一瞬、誰が出てきたのかわからなかった。
 化粧気のない顔に眼鏡をかけた女は、ブロンドを無造作にシニヨンにして、そこいらの量販店に売っていそうな安っぽい部屋着姿だ。
「セシリア……ウォンさんですか?」
 覚馬は思わず聞いてしまった。
「ええ」
 彼女はにっこりと笑った。
「驚きました? オフの日はいつもこんな格好なのです。ファンの方々には黙っていてくださいね。特高の魔術師さん」
 覚馬はなにかわからない違和感を覚えたものの、確かに眼前の女はセシリアだ。
 垂れ気味の目やブラウンの瞳、顔の輪郭は写真のままだったし、地味な格好でもどこか様になってしまっている。
 室内に招き入れられた二人は、だだっ広いリビングで紅茶を振る舞われた。
「日本語、お上手なんですね」
 紅茶を一口飲んで、穂積が言った。
「デビュー前から日本語のレッスンを受けていたのです。コンテンツビジネスのマーケットで、日本はまだ無視できない市場ですから。あ、これは事務所の受け売りです」
 そう言って、彼女は朗らかに笑った。
 随分と気さくで親しみやすい雰囲気に、穂積はなんとなく拍子抜けした。
 売れっ子の女優なのだから、もっと高飛車で面倒くさい感じを想像していたのだが。
「さて。事情はギルドをとおして事務所からおうかがいしています。わたしのコレクションのことでお聞きになりたいことがあるそうですね」
「ええ。ミス・ウォン、我々はある事件で、魔瞳ブローカーを追っています」
 コーヒー党の覚馬は紅茶に手をつけず、硬い声で言った。
「あなたは特高に無届けのコレクターで、我々はコレクションの数も入手経路も把握していません。たとえばそのなかに、いささか合法的とは言えないものが含まれていたとしても、それが香港時代のことであれば我々は関知しません」
 セシリアが柔和な笑顔のまま、紅茶に口をつける。
「ただ、もしそういうものがあるのなら、参考までにどういった経路で入手されたのか、お話をおうかがいできればと思っています」
「そうですね……」
 カップをソーサーに置くと、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「ご覧になりますか?」
「なにをです?」
 言葉の意味がすぐには理解できず、覚馬は怪訝な声をもらした。
 セシリアはリビングから続く三部屋のうちのひとつに視線を向け、
「わたしのコレクションです」
 と、言った。
 覚馬は穂積と一瞬だけ視線をあわせると、まったく落ち着いた素振りで立ち上がった。
「拝見します」
「では、どうぞこちらへ。人に見せるのは、とても久しぶりなのですよ」
 セシリアは心なしか嬉しそうだった。
 好きで集めてきたコレクションをお披露目するのだから、そんなものなのだろう。クラシックカーだとか時計だとか、そういったものを自慢する金持ちと変わらない。
 マンションの一部屋はコレクションルームになっているようで、ドアの向こうには溶液に満たされた円筒形のガラス容器が整然と並んでいた。
 そのなかには、二対の魔瞳が静かに浮かんでいる。
 まるで小さな水槽が並ぶ水族館の一画のようだった。
 異様な光景に、穂積がわずかに身震いをした。
「全部で一三あります。わたしが主演した映画と同じ数なのですよ」
 セシリアはうっとりした表情で、吐息とともに甘い声をもらした。
「マギを濃縮して液体化したエリキシル霊薬につけることで、魔瞳にマギが送り込まれて魔術を使うときと同じ色になるのです」
「どうして魔瞳のコレクションを?」
 穂積はそう言って、ガラス容器を覗き込んだ。
 赤色ではあるが、一言では言い表せない複雑な色をした魔瞳が浮かんでいる。
 持ち主から取り除かれて、魔瞳というものだけになったそれは、ぞっとするほどに美しかった。まるで最高品質の宝石であるかのように、永遠に眺めていたい衝動に駆られる。
「ミス・アリサカ、それはいわゆる焼死魔瞳と呼ばれている瞳です」
「焼死魔瞳――ですか」
「はい。もともとはバイエルン王国のルードヴィヒ二世のコレクションだったそうです。紆余曲折を経てオークションに出ていたところを、わたしが落札したのです。あ、わたしが入札したのではなく、ギルドをとおしてですけれど」
 セシリアは胸の前で手を合わせると、その隣にある容器を覗き込んだ。
「そして、こちらも同じ焼死魔瞳なのです。けれど、色がまったく違いますよね?」
「ええ。確かに」
 言われて覚馬が覗き込んだ先には、同じ赤でも暗い色をした瞳があった。
「わたし、はじめて魔瞳というものを見たときに、どう言えばいいのかしら。そう、魅せられてしまって。気がついたら集めるようになってしまっていたのです。けれど、収集家なんてそんなものですよね?」
「それはそうかもしれませんね」
 覚馬は曖昧に笑った。
 好きなものを集めている人間に、なぜそれが好きなのかを問うのは愚問だろう。
「コレクションはすべて香港時代に? こちらにきてからは手に入れていませんか」
「ええ。そうです」
「〈九龍商会〉経由で?」
「わたしは表のビジネスの人間ですし、立場もあるので。なかなか自分でというわけには」
 セシリアは容器に浮かぶ魔瞳を眺めながら、覚馬の質問に答えた。
「定期的に開催されるオークションがあって、愛好家にはカタログが送られてくるのです。そこで気に入ったものをギルドに落札してもらっていました」
「そのオークションは我々も把握しています」
 出自が定かな魔瞳ばかりが出品されるオークションで、どちらかと言えばコレクターからコレクターに渡り歩くかたちになるものだ。魔瞳術師を殺して奪ったようなものは、そこには出品されない。
「すべてそのオークションで?」
 覚馬はそうではないという確信を込めて、言った。
〈九龍商会〉がこちらに恩を売るために彼女を紹介したのなら、あらかじめどこまでの情報を提供するのかをすり合わせているはずだ。
「いえ。いくつかは魔瞳ブローカーからギルド経由で直接購入しました。羽振りのいいコレクターにはそういう営業も多いのですよ」
 案の定、セシリアはそう言った。
 悪びれた様子はまるでない。
「ミスタ・アヤセ、あなたがご覧になっている焼死魔瞳もそのひとつです」
 ぎょっとして、覚馬は改めてエリキシル溶液に浮かぶ瞳を見やった。
「そのブローカーというのは?」
「〈カスカード〉というロシアンマフィアです。極東の魔瞳マーケットは彼らがほとんど独占しています」
「〈カスカード〉……」
「〈帝国〉の系列ギルドという話ですけれど、詳しくは知りません」
 ロシア系魔術師ギルド〈帝国〉は、かつてはマギウス・ヘイヴンの一大勢力だった。
 だが、二年前の抗争に敗れてマギウス・ヘイヴンから徹底的に駆逐され、いまはいくつかの系列ギルドが細々と活動している。
「マギウス・ヘイヴンでは聞かない名前だな」
 覚馬はつぶやき、容器のなかの瞳から目を離した。
〈九龍商会〉がこちらに与える情報はここまでだろう。
 連中は〈帝国〉と上海で激しい抗争を繰り広げているから、特別高等魔術警察に恩を売るだけではなく、〈帝国〉の足を少しは引っ張れると考えたのかもしれない。
「ミス・ウォン、ご協力ありがとうございます」
 覚馬はそう言って頭を下げた。
「もう少しご覧になっていきませんか」
 と、彼女は朗らかに笑った。
 色とりどりの瞳が、一斉にこちらを見た気がした。
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