ザントマンがくる scene2

文字数 3,618文字

 マギウス・ヘイヴンにいる魔瞳コレクターは一〇名にも満たないが、それは特別高等魔術警察に届け出ているコレクターに過ぎない。連中は魔術師ではなく単なる悪趣味な金持ちで、厄介なのはそうではない無届けのコレクターだった。
 その場合の大半は魔術師であり、彼らは魔瞳の魔術的価値を目的に収集している。ワンオフの魔術を発動させる魔瞳のシステムを解き明かす研究目的の場合もあれば、魔瞳の移植実験を行っている場合もある。
 なんにせよその魔術師がギルドに所属しているのなら、簡単に情報は出てこない。
「はー、やっぱ登録してるコレクターじゃ、目ぼしい情報はなしか。くたびれた」
「連中は悪趣味なだけで、合法的に手に入れてるって意味じゃまともな連中だからな」
 年期の入った立ち食いそば屋である。
 覚馬と穂積はコレクター数名から聞き込みを終えて、遅い昼食を取っていた。
 もうすぐ一五時になろうかという時間だったので、店内はがらんとしている。客は二人以外には、外回りの営業マンらしき男が一人いるだけだ。
 それでも二人は、店の端っこで肩を並べて声を潜めていた。
「ちょっと気になってるんだけどさ、覚馬」
 注文したきつねそばにこれでもかと七味をかけながら、穂積がそんなことを言った。
「なにが?」
「魔瞳術師の瞳を奪うってことは、目を潰さずに相手を無力化しないといけないわけじゃない?」
「まあな……」
 覚馬は彼女のそばがみるみる赤く染まっていくことに恐怖を感じつつ、プラスチックのコップに注がれた水を口にする。
「実際、そんなことできると思う?」
「できなくはないだろうけど、やりたくはない」
 それはつまり、魔瞳術師を相手に魔術を使わせ放題ということだ。
 そんなリスクを取るなど、単純に相手を制圧するだけなら考えられない。
「三人殺した犯人はそれをやってるわけじゃん? 少なくとも、二人目の魚住公彦は魔瞳術師だったのにそういう殺され方をしたわけでしょ?」
「殺し方がわからないってところは、俺も少し引っかかってる」
 覚馬は割りばしを割ると、注文したコロッケそばに手をつけた。
 かけそばの上にコロッケがトッピングされているそれを見て、穂積が眉間に皺を寄せる。
「覚馬さ、いくらコロッケ好きだからっておそばに入れる普通?」
「バカ、美味いんだぞ、コロッケそば」
「見た目がもうすでになんかやだ」
「七味で真っ赤にしている穂積に言われたかないよ」
 そばつゆが染みたコロッケは実に美味しいのだが。
 覚馬はこれに共感してくれる人間に、あまり出会ったことがなかった。
「それでなんだっけ、そう、殺し方か」
「うん。検死でも原因不明なんでしょ」
「今朝の三人目はまだ結果は出ちゃいないけど。まあ、同じだろうな」
 三人の死体には、両目が抉られていることを除けば目立った外傷はなかった。薬物などを投与された様子もなく、死因は目下のところは不明だ。
 なんらかの魔術によって殺されたのならば、その痕跡から犯人の魔術がわかる。魔術がわかれば、どこのギルドの魔術師なのか仮説が立てられる。魔術師ギルドというものは、大ざっぱに言えば同系列の魔術を使う魔術師の集まりだからだ。
 だが、今回のように殺害方法が不明だと、そういった当たりがつけられない。
「どんな手口かは、〈ザントマン〉を捕まえてみりゃわかるさ」
「手の内がわからない魔術師とやり合うとか、できれば遠慮したいなあ」
 真っ赤なそばを平然とすすりながら、穂積がうめいた。
「俺もできれば遠慮したいよ。それだけ七味かけてよく食えるな」
「え、なんで? 美味しいけど?」
「味覚死んでるんじゃないのか」
「うっさいな」
 カウンターの下で脛を蹴られて、覚馬はくぐもった声をもらした。
「覚馬こそ、よくそんなぐちゃぐちゃのやつ食べれるよね」
「いや、だから、これが美味いんだって」
「キモい」
「言い方!」
 二人の意見は平行線のようだった。
「で、次はなんか出てくるかな。〈九龍商会〉から情報引っ張ってきた無届けのコレクターなんでしょ? よく〈九龍商会〉がうちに情報提供したよね」
「殺されたヘクター・ヤンは香港直系社員じゃないんだろう。連中は面子を大事にするけどさ、うちに恩を売っておいたほうが得だと判断したのかもな。情報を提供したコレクターが逮捕されるわけでもないし」
〈九龍商会〉は魔術師ギルドではあるが、グローバル・コングロマリットという企業体としての表の顔と、香港黒社会を魔術と銃で支配している犯罪組織という裏の顔が混然一体となっている。
 そのため無数のグループ企業や系列ギルドが存在し、そこには明確な序列があった。
 香港直系社員と呼ばれるのは香港総本社か各地域の本社に属する一部の人間で、そこに手を出せば連中は地の果てまでも追いかけて報復をするだろう。
 つまり、今回はそうではなかったということだ。
 覚馬はそばをずるずるとやりながら、提供された資料を手元のスマホに表示した。
「セシリア・ウォンか」
 ウェーブのかかったブロンドに白い肌、深い青色の瞳。
 柔和な笑みを浮かべるその女は、胸元が大胆に開いたドレスを着て花束とトロフィーを手にしていた。香港の有名な映画賞で主演女優賞を受賞したときの写真だ。
「最近はこっちの映画にも出てるよね? まさか有名女優にそんな趣味があるなんて、世の中わからないものね」
 セシリア・ウォンはその美貌と演技力で、デビューしてすぐに大人気となった香港映画界の若手女優だ。最近になって活動拠点を香港から日本に移し、映画だけではなくドラマに出演したり、歌手デビューしたりして人気を博している。
 最近は立て続けに三本の主演映画が公開されて、高い評価を得ていた。
 穂積はわずかに眉間に皺を寄せ、人気女優の画像を凝視した。
「彼女、魔術師だと思う?」
「さあな。〈九龍商会〉の香港総本社はエンタメ系の事業部を抱えてるし、表のビジネスだけの人間かもな。とはいえ、いい趣味じゃないけどな」
「同感」
 穂積は苦笑じみた表情を浮かべると、真っ赤なそばを完食した。
「むー。それにしても、なんというか」
「なにか気になることでもあるのか?」
「不公平じゃない?」
「なにがだよ」
 覚馬の言葉に、穂積は大きく嘆息した。
「まず美人で可愛いじゃん?」
「そりゃ、香港一って言われてる女優だからな」
 セシリア・ウォンはいわゆる英国系香港人で、髪や肌の色は白人そのものだった。ただ、少し垂れ気味の目と童顔のせいで、二〇代半ばという実年齢よりも随分と若く見える。
 そういった外見もあって、出演する作品によってミステリアスな美女から可愛い妹まで、様々な顔を使い分ける演技派女優でもある。
「それでもって胸も大きいじゃん?」
「まあ……そうだな」
 覚馬は映画賞の写真を改めて見やった。
 胸元が大胆に開いたドレスに恥じないくらいには、しっかりとした谷間がある。
 穂積は自身のわずかな膨らみに視線を落とし、
「なんか腹立つ」
「知るか」
 呆れた声をもらし、覚馬はコロッケそばを完食した。
「なにその反応。可愛い婚約者が傷心してるんだから、なぐさめてよ」
「元婚約者だから、なぐさめるのは俺の役割じゃない」
「むー」
「捜査の相棒が傷心ならなぐさめるかもしれないけどさ」
「じゃあそっちでいいよ」
 穂積はいかにも不満げに唇を尖らせ、拗ねたみたいな上目遣いで覚馬を見た。
「穂積は気にしすぎなんだよ。男は胸なんてそんなに気にしてねえよ」
「ホントかな……?」
 じっとりとした懐疑的な視線。
「ホントだって」
「じゃあ誓約書に血判押してよ」
「ちょっ……なにそれ、怖いよ穂積さん……!」
「言葉にウソがなければできるはず!」
「できるか!」
「ほら、男って結局は胸じゃん。論破。論破しました」
「いいから、もういくぞ、ほら」
 覚馬は穂積の手を取って強引に連れ出した。
「あんまり騒ぐなって」
「騒いでないもん。微乳女子の心の声だもん」
「どっちが好きかは置いといてさ」
「置くなし」
「穂積のいいとこは笑顔が可愛いとこだよ」
 覚馬はそう言って、彼女の頭をぽんぽんした。
「そ……それはこれとは、違う、話だし……」
 もごもごとつぶやくと、穂積は目を伏せてはにかんだ。
「まあ……いいけどさ」
「さっさといこうぜ。先方の事務所には話を通してるらしいからな」
 路肩には覚馬のバイクがとめてある。
 ライムグリーンが鮮やかな、中古で買ったカワサキの400cc。
 穂積は彼の背中を追いかけながら、さり気なく言った。
「でも覚馬だって、バイクの後ろに乗る女子の胸が背中に当たる方がいいんでしょ」
「それはそ――」
 言葉を最後まで聞くことなく、穂積は彼の尻を蹴り飛ばした。
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