スライム大捜査線 scene2

文字数 3,053文字

 匿名の通報によると、スライムが目撃されたのは豊洲にある化成メーカーの廃プラント工場だった。湾岸エリアに移転したあとに土壌汚染が見つかって買い手がつかず、長年放置されているという。
 広大な敷地はアスファルトがひび割れて雑草が伸び放題で、プラント設備や工場の建屋が赤さびた無残な姿をさらしている。
 典型的な廃墟である。
 敷地は数メートルのコンクリート壁によって囲まれており、いくつかある出入口も『立ち入り禁止』の警告看板が掲げられ、南京錠が施錠された金網フェンスによって封鎖されていた。
「あのなあ、君たち」
 スライムの捜索のために一通りの装備を揃えてきたため、覚馬は特高魔術師が強制突入の際などに着用する黒い戦闘服姿で、腰には帯剣ベルトから吊るされた魔術刀がある。
 いかにも物騒な雰囲気だった。
 だが、それとは対照的に美鴨は普段と同じ服装で、変化と言えば装備品を入れたリュックを背負っていることくらいだ。白衣もそのままで、あとは動きやすいスニーカーに履き替えた程度だ。
「ホントにやる気あるのか?」
「荒事は覚馬センパイの担当じゃないですか」
 悪びれた様子もなく、美鴨が満面の笑顔で言ってくる。
「雛菱、おまえはまあ一〇〇歩譲っていいとしてだ」
「はぅ……わたしだってやる気はまんまんですよ? ほら、銃もあります」
 アッシュも覚馬と同じ黒い戦闘服姿だったが、サイズがまったくあっていないのでコスプレをしているみたいだった。
 腰の後ろには、彼女の言葉のとおり小型の自動拳銃がある。
 実に魔術師らしからぬ装備だが、仕方ない。
 アッシュ・セヴンは自身に向けられた魔術をマギに分解して取り込むことができる能力をもっていたが、それは体質的なものであり、魔術師としてはずぶの素人だった。
 もっと言うなら、特高魔術師としても素人で、覚馬は射撃や格闘といった、対象を無力化するために必要となる技術を実に基本的なことから彼女に叩きこむはめになった。
 そして、彼女はこと荒事においては絶望的にセンスがなかった。
「いいか、アッシュ。君は絶対に銃を使うなよ」
「えと、なぜでしょう?」
「いくら俺でも、背後から撃たれると対応できない」
「そ、そんなことしませんから!」
 アッシュが不満そうに唇を尖らせ、ふんすと鼻息を荒くする。
「覚馬さんはわたしを見くびりすぎですよ」
「君の実力を、教育担当である俺以上に、正当に評価できる人間がいるならぜひ会ってみたいもんだ」
 覚馬はさらりと言ってから、管理会社から借りてきた鍵でごつい南京錠を開錠した。
 数年ぶりに開くであろう金網フェンスが、ぎりぎりといういやな音を立てる。
 三人はぞろぞろと敷地内に足を踏み入れた。
「で、雛菱。錬金魔術で生み出すスライムってのは、特性とかあるのか?」
「そうですねえ。覚馬センパイ、精霊宝石って知ってますか?」
「ああ? 名前くらいはな。精霊世界〈ネバーランド〉にいる精霊の死骸を加工した錬金魔術師のマジックアイテムだろ? いまとなっては簡単には手に入らないだろうけどな」
 ドラゴンをはじめとした幻想世界の住人たちが住まう精霊世界〈ネバーランド〉とこちら側の世界は、境界線によって分断されている。決して交わることはないが、かつては二つの世界は重なり合っていたと考えられている。
 世界各地に残る幻想世界の住人たちの記録は、そのことを暗に教えてくれる。
 こちら側の世界にもマギが満ちていたそんな時代ならともかく、現代においては精霊の死骸を手に入れることなど不可能だった。なんらかの偶然によって迷い出てきたとしても、こちら側の世界は彼らがエネルギーにするマギの大気中濃度が著しく低いため、存在を維持することができないのだ。
 よって死骸も存在しない。
「確か、スライムは精霊宝石を核にしてつくるんでしたよね?」
「アッシュちゃん、正解。博識だね」
 率先して前を歩く美鴨が、右手の人差し指を立ててうなずいた。
 まるで講義をする教師のようだ。
「スライムは精霊宝石を核にした魔術生物なんですよ、覚馬センパイ。マギを濃縮して液体化したエリキシル霊薬で培養するんですけど、ある程度の大きさになったら外に出しても大丈夫です」
「ある程度ってどのくらいだ?」
「クラゲくらいじゃないですかね」
「二〇センチくらいってことか? 危険性は?」
「基本的には無害なんですよ。高い知能もないですし」
「なんだよその基本的にはって。不穏だな……」
 覚馬は半眼になってうめいた。
「人を襲ったという記録がいくつかあるので」
「マジかよ……ぞっとしないな」
 覚馬は無意識に腰の魔術刀に触れた。
 廃墟の工場が、まるでモンスターのいるダンジョンに思えてくる。
「えと、でもでも、美鴨さん。本当に目撃されたのってスライムなんでしょうか? 一般の人がスライムなんて知ってるとは思えないんですけど」
 アッシュの疑問はもっともだった。
 いくらここがマギウス・ヘイヴンとはいえ、多くの一般人は魔術師とは無縁だ。ましてやスライムを一目見てスライムだとわかるわけがない。
「なかなか鋭いね、アッシュちゃん。あたしもそう思うな。だから、通報してきたのは錬金魔術師だと思う。もっと言うなら、実験でスライムをつくった本人じゃないかなあ」
「大胆な仮説だな」
「そうでもないですよ、覚馬センパイ。あたしもそうですけど、錬金魔術師は荒事は不得意じゃないですか。もしなにか不手際があってスライムに逃げられたら、居場所がわかっても捕獲するなんてできないと思いますけど」
「なるほど。じゃあ、仮にそんな間抜けがいたとして、そいつは居場所までは突きとめて事後処理をうちに頼んだってわけか」
「ギルドにばれたら怒られちゃいますからね」
「いい迷惑だな、くそ」
「いやいや、考えようによっては貴重なサンプルが手に入るわけじゃないですか。このご時世に、スライムですよ、スライム。できれば生け捕りにしたいかなって」
「勘弁してくれ。ただでさえ得体が知れないってのに」
「そんなあ。美少女JKな後輩のお願いじゃないですか。聞いてくださいよ」
 美鴨はわざとらしく上目遣いになって覚馬を見た。
 眼鏡の奥にあるブラウンの瞳には、小悪魔的な魅力が宿っている。
「ほら、サービスしてあげますから」
 美鴨がその場でくるくると回転した。
 白衣と短いスカートがふわりと広がり、まぶしい太ももが露出する。
「覚馬センパイ、エッチな目で見ました?」
「見るか」
「えー、即答じゃないですか。パンツまで見えたほうがよかったですか?」
「うるせえ」
「照れないでくださいよお。パンツくらいなら平気ですよ? 何色か知りたいですか?」
「み、美鴨さん……ちゃんとしてください。はしたないですよ」
 頬を赤くしたアッシュが、目をバッテンにして言った。
「んー? あたしはいつでもちゃんとしてるけどな。ちなみに色は白だよ」
「き、聞いてませんから!」
「覚馬センパイは、こういうコミュニケーション好きですよね」
 美鴨は両手で眼鏡を押し上げて、ちらりと覚馬を見た。
「ねえねえ、覚馬センパイ?」
「雛菱、いい加減にしとけよ。そろそろスライムとやらを探すぞ」
 覚馬の低い声に、美鴨はぺろりと舌を出した。
「はあい。怒られちゃった」
 錆ついた鋼鉄製の扉をこじ開けて、三人はプラント工場の内部に潜入した。
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