コッペリアは二度死ぬ scene5
文字数 5,127文字
押収した自動人形の調査はすぐに許可された。
鑑識課の人員が出払っているため、担当は雛菱美鴨である。
「押収品の保管庫を死体置き場と同じ階にするのってどうかと思う」
蛍光灯の青白い光に照らされる廊下を歩きながら、穂積がぼやいた。
「穂積センパイって、幽霊とか信じちゃう派ですか? 魔術師なのに?」
「別に、そういうわけじゃないけど。なんかこういう雰囲気がいやなの」
隣を歩く美鴨をちらりと見やり、彼女は小さくうめいた。
穂積だって、いわゆる幽霊というやつが、肉体を捨てて精神体と呼ばれる姿になった魔術師だということは知っている。
とはいえ、いやなものはいやなのだ。
魔術師だろうとホラー映画は怖いし、本当にあった怖い話など聞きたくはないのだ。
「でも、そういうほうが可愛げがあっていいかもですね」
「だから、別に怖いわけじゃないってば」
「お化け屋敷とかで、好きな男子に抱きついたりとかできるじゃないですか。さり気なく胸とか当てたりして」
「えー、そんな古典的なの効果あるわけ?」
「案外とバカにできないと思うんですけどね。まあ――」
美鴨は穂積の胸元に視線をやり、含み笑いをもらす。
「穂積センパイはおもちではないですけど」
「美鴨、あんたね……」
穂積が半眼になって、低い声をもらす。
「だって、穂積センパイは貧乳じゃないですか」
「貧乳言うなし!」
「事実ですし。現実を受け入れましょうよ」
「べ……別に胸だけがすべてじゃないじゃん。男ってなんなの? バカなの?」
「どうなんですか、覚馬センパイ?」
「俺に話を振るんじゃねえよ」
前を歩く女子二人に、覚馬は呆れた声で言った。
「ちなみになんですけど、あたしの胸のサイズはDカップです。最近ブラのサイズが小さくなってきたんで、もう少し成長すると思いますよ」
「聞いてねえ」
「覚馬は小さいのが好きだよね? ね? 好きって言って!」
「必死か!」
「そんな穂積センパイに朗報なんですけど。あたしがつくった胸が大きくなる薬があるんで、買いませんか?」
「マジで?」
存外に真剣な声で穂積が反応する。
「おい、雛菱。あんまり穂積で遊ぶなよ」
「え? ウソなの?」
「ホントかどうかは、仕事が終わったあとにでも話してくれ」
保管庫はもうすぐそこだった。
頑強なドアの電子ロックを解除して、ひんやりとした内部へと足を踏み入れる。
温度と湿度が管理された、広大な倉庫だ。
天井付近まであるスチール製の巨大な棚が、何十も均等に並べられ、何本もの一本道をつくっているかのようだった。
ネット通販の物流倉庫みたいだな、と覚馬は思った。
押収品の数々は段ボールに梱包されたり、あるいはそのままの状態で、管理番号とバーコードのシールを貼られて棚から溢れるようにして押し込められている。
「あ、あれですね」
美鴨は事前に保管場所を調べていたらしく、迷うことなく自動人形のもとへ向かった。
クルーザーで発見したキャリーケースが、保管庫の一角に置かれている。
だが、覚馬はすぐに異常に気づいた。
キャリーケースがわずかに開いている。
慎重に近づいて確認すると、なかに入っているはずの自動人形は忽然と消えていた。
「おいおい……冗談じゃねえぞ」
「雛菱、まさか勝手に動くなんてことないよな」
「それはないですよ。エネルギー源になるエリキシル霊薬が注入されてないんですから」
エリキシル霊薬は大気中に極微量に存在しているマギを抽出し高濃度に圧縮して液体化したもので、簡単に言えば魔術的なガソリンのようなものだった。
自動人形の大半は、このエリキシル霊薬を血液のように全身に循環させることによって駆動する。
「それに命令を与えるマスター登録をしないと動かせないですし。完全自立型の自動人形なんて、業界ひっくり返りますよ」
「さてな。とはいえ、中身は空っぽなんだよなあ」
真っ赤なイブニングドレスを着た自動人形が納まっていたはずのキャリーケースを、覚馬は忌々しそうに見つめた。
嘆息して周囲を見渡す。
不意に目の端に血のような赤が映った。
そんな気がした。
ぎょっとして視線を戻す。
保管庫のドアを背にして、彼女がいた。
黒い髪、白い肌、真っ赤なドレス。
ぞっとするほどに美しい造形美。
「覚馬……」
同じくその存在に気づいた穂積が掠れた声をもらした。
「ようやく、新しい身体に、なれてきた」
男とも女ともつかない声で、自動人形が言った。
「雛菱、どういうことだよ、おい……!」
「わからないですけど、とにかく捕まえないと」
「覚馬、あいつここから出ようとしてるみたい」
穂積の言葉のとおり、自動人形はドアノブに手をやってがちゃがちゃとやっていた。
だが、ドアは開かない。閉めると同時に電子ロックがかかる仕組みなのだ。
瞬間、自動人形は鋼鉄製のドアを力任せに蹴り飛ばした。
分厚い鉄板がこともなげにひしゃげ、二発目の蹴りで蝶番が吹き飛んだ。
自動人形が廊下へと出ていく。
「おいおい、マジかよ」
覚馬は反射的に腰の魔術刀に手をやり、慌ててあとを追った。
壊れた扉にぞっとしながら廊下に出ると、自動人形との距離はそこまで離れてはいなかった。ドレスによって大胆に露出した背中が見える。
彼女はまるでレッドカーペットを歩く女優のように、優雅だった。
「とまれ!」
覚馬の声に、彼女は振り返った。
「…………」
「なんなんだ、一体」
呼びとめたものの、どうすればいいのかわからない。
覚馬が戸惑っていると、自動人形はいきなりこちらに向かってきた。
力任せに殴られる。
「っ!」
抜刀する暇もない。
咄嗟に魔術刀を鞘ごと盾にする。
金属がぶつかり合うような、耳障りな音が廊下に響く。
凄まじい衝撃に、覚馬は表情を歪めた。
軽々と吹っ飛ばされて、廊下を転がる。
「覚馬!」
「覚馬センパイ!」
遅れて保管庫から出てきて二人が同時に声を上げた。
覚馬は身を起こすなり、すらりと魔術刀を抜いた。
衝撃で腕が痺れてうまく力が入らない。
「雛菱、俺と穂積でなんとかするから保管庫に隠れてろ。それからどうにかして応援呼んでくれ」
「わかりました」
鑑識の美鴨は荒事には向いていない。
それは彼女もよくわかっているらしく、あっさりと顔を引っ込める。
「穂積、気をつけろよ。とんでもない馬鹿力だぞ」
「乙女の柔肌がまた傷物になっちゃうな」
言葉とは裏腹に彼女はやる気満々で、鋭い視線を自動人形に向けていた。
「…………」
自動人形は無言だった。
表情も変化はない。
動いているくせに、死んでいるようで、覚馬は居心地の悪さに顔をしかめた。
「無傷で捕まえるのは、ちょっと厳しいかな」
感情が読み取れないせいもあって、相手の出方がまるでわからない。人間相手ならば、表情やちょっとした仕草から、大なり小なり次の動きを予測できるのに。
(時間差で左右からやる)
覚馬は視線だけでそう言った。
こちらの意図を察して、穂積が小さくうなずく。
瞬間、彼女は肺に空気を吸い込み、
「――――っ!」
その喉から機械の駆動音にも似た甲高い声を上げた。
はじめて聞く者であれば、思わず耳を塞ぎたくなる音だ。
彼女が使う四大精霊魔術は長大なスペルを詠唱して活性化したマギに意味を与える魔術だが、そのスペルを圧縮して高速詠唱する超絶技巧という技術だった。
同時に覚馬も自動人形に向けて駆けている。
水に濡れる魔術刀を下段に構え、彼は音もなく距離を詰めた。
来栖派一刀流・虎爪二段!
鋭い斬り上げが自動人形の赤いドレスを掠める。
浅い。
覚馬はすかさず踏み込み、手首を返して斬り下げた。
水に濡れる白刃が弧を描き、自動人形の左鎖骨の辺りにすっと吸い込まれる。
金属がぶつかり合う悲鳴じみた音。
硬質な手応えに、覚馬は舌打ちした。
手の痺れのせいで、最後の一押しが効かない。
「くそっ」
魔術刀の白刃が自動人形の肋骨辺りで動かなくなる。
人間なら即死だが、相手は機械仕掛けだ。
琺瑯の冷たい瞳が、こちらを見た。
自動人形は魔術刀など気にした素振りも見せず、右腕を振り上げた。
強烈な一撃がくる。
覚馬は左足で自動人形の腹部を蹴り飛ばした。
サンドバッグでも蹴ったかのような鈍く重い感触。
それでもどうにか態勢を崩せる。
ぞっするような音を残して、機械の拳が覚馬の顔を掠めていった。
今度は左腕がフック気味に振るわれる。
かわせない。
覚馬は魔術刀を手放して、両腕をクロスさせてその一撃を受けた。
衝撃。
骨が軋む音。
踏ん張り切れずに、そのまま廊下の壁に叩きつけられる。
背中を強かに打ちつけ、くぐもった悲鳴を漏らす。
「が……っ!」
だが、これで穂積が自動人形の死角に入り込む時間は稼げた。
覚馬は囮だ。
穂積はするりと自動人形の背後に回り込んでいた。
その右手の先には、ホログラム映像のように複雑な図形が現れている。
それは『硬貨・杯・木の枝・剣』を模した図形と、膨大なラテン語のテキストによって構成される魔法陣だった。それぞれの図形は四大精霊に象徴される地・水・火・風の四大属性を表している。
穂積は腰を落とし、拳を握った。
自動人形に拳を打ち込むと同時に、凛然と言い放つ。
「四大精霊〈業風のように厳しく〉!」
魔法陣が砕け散った。
どごん、という強烈な打撃音。
まるで見えない巨大なハンマーでぶん殴られたかのように、自動人形は身体全体をひしゃげさせ、錐もみしながら数メートルを吹き飛んだ。
激しく廊下に激突し、二度、三度とバウンドしながら滑っていく。
打撃にあわせて、分厚い空気の壁を至近距離から叩きつけたのだ。穂積が使う風属性の四大精霊魔術のなかでも、近接戦で最も威力を発揮する魔術のひとつだ。
「覚馬、大丈夫?」
「ああ、たまたま最初の一撃で人形の左肩をやったからな。それで威力が弱かった」
ゆっくりと身を起こし、覚馬はうめいた。
「右腕のパンチ喰らってたらヤバかったよ」
「私が囮でもよかったのにさ」
「乙女の柔肌に傷が増えるからな」
「……バカ」
穂積はわずかに頬を赤くしてはにかんだ。
覚馬は軽く肩をすくめると、床に落ちていた魔術刀を拾い上げ、動かなくなった自動人形とへ近づいていく。
驚くべきことに、彼女は原型をとどめていた。
赤いドレスはズタボロだし、全身は傷だらけで一部の部品が露出していたが、それでもスクラップとは程遠い。
「なんて強度してやがる」
自動人形はフレームを軋ませながら、ゆっくりと首をもたげた。
ぎりぎりという異音が、あちこちから聞こえてくる。
無残と言っていい状態にもかかわらず、その顔に表情はなく、ただただ美貌があった。
それでも彼女はぎこちない動きで立ち上がり、壁伝いに歩きだす。
うまく身体が動かないのか、自動人形は倒れ込むようにして、手近な部屋へと消えていった。
「おいおい」
覚馬と穂積は顔を見合わせ、慌てて後を追った。
その部屋は死体置き場のひとつで、自動人形は検死台に横たわる死体を目にして立ちすくんでいた。
ハンス・シュミットの死体だった。
覚馬は音もなく魔術刀を上段に構えた。
「悪く思うなよ」
その声に、彼女がこちらを振り返った。
怯えたような顔をしている。
そんな気がした。
一体なにに?
そして。
――死にたくない。
そんなことを言った気がした。
魔術刀の一閃が、自動人形の首を撥ねる。
人形の頭部が死体置き場の宙を舞い、ごとりと床に落ちる。
数秒だけ遅れて、身体が崩れ落ちた。
文字通り、糸が切れた人形のように。
「あんまり見つめるなよ」
床に転がる彼女の顔は、怯えた表情など錯覚であったかのように、変わらぬ美貌をたたえている。
ようやく非常ベルのけたたましい音が廊下に鳴り響いた。
地下で携帯電話が使えないため、保管庫のスイッチを美鴨が押したのだろう。これで上の階から手の空いている連中が駆けつけてくるはずだ。
覚馬は大きく息を吐き、全身の痛みに口元を引きつらせた。
魔術刀を鞘に納め、完全に動かなくなった自動人形を一瞥する。
誰に言うともなく、彼はばやいた。
「ったく、遅いんだよ」
後始末くらいは任せても、ばちは当たらないはずだった。
鑑識課の人員が出払っているため、担当は雛菱美鴨である。
「押収品の保管庫を死体置き場と同じ階にするのってどうかと思う」
蛍光灯の青白い光に照らされる廊下を歩きながら、穂積がぼやいた。
「穂積センパイって、幽霊とか信じちゃう派ですか? 魔術師なのに?」
「別に、そういうわけじゃないけど。なんかこういう雰囲気がいやなの」
隣を歩く美鴨をちらりと見やり、彼女は小さくうめいた。
穂積だって、いわゆる幽霊というやつが、肉体を捨てて精神体と呼ばれる姿になった魔術師だということは知っている。
とはいえ、いやなものはいやなのだ。
魔術師だろうとホラー映画は怖いし、本当にあった怖い話など聞きたくはないのだ。
「でも、そういうほうが可愛げがあっていいかもですね」
「だから、別に怖いわけじゃないってば」
「お化け屋敷とかで、好きな男子に抱きついたりとかできるじゃないですか。さり気なく胸とか当てたりして」
「えー、そんな古典的なの効果あるわけ?」
「案外とバカにできないと思うんですけどね。まあ――」
美鴨は穂積の胸元に視線をやり、含み笑いをもらす。
「穂積センパイはおもちではないですけど」
「美鴨、あんたね……」
穂積が半眼になって、低い声をもらす。
「だって、穂積センパイは貧乳じゃないですか」
「貧乳言うなし!」
「事実ですし。現実を受け入れましょうよ」
「べ……別に胸だけがすべてじゃないじゃん。男ってなんなの? バカなの?」
「どうなんですか、覚馬センパイ?」
「俺に話を振るんじゃねえよ」
前を歩く女子二人に、覚馬は呆れた声で言った。
「ちなみになんですけど、あたしの胸のサイズはDカップです。最近ブラのサイズが小さくなってきたんで、もう少し成長すると思いますよ」
「聞いてねえ」
「覚馬は小さいのが好きだよね? ね? 好きって言って!」
「必死か!」
「そんな穂積センパイに朗報なんですけど。あたしがつくった胸が大きくなる薬があるんで、買いませんか?」
「マジで?」
存外に真剣な声で穂積が反応する。
「おい、雛菱。あんまり穂積で遊ぶなよ」
「え? ウソなの?」
「ホントかどうかは、仕事が終わったあとにでも話してくれ」
保管庫はもうすぐそこだった。
頑強なドアの電子ロックを解除して、ひんやりとした内部へと足を踏み入れる。
温度と湿度が管理された、広大な倉庫だ。
天井付近まであるスチール製の巨大な棚が、何十も均等に並べられ、何本もの一本道をつくっているかのようだった。
ネット通販の物流倉庫みたいだな、と覚馬は思った。
押収品の数々は段ボールに梱包されたり、あるいはそのままの状態で、管理番号とバーコードのシールを貼られて棚から溢れるようにして押し込められている。
「あ、あれですね」
美鴨は事前に保管場所を調べていたらしく、迷うことなく自動人形のもとへ向かった。
クルーザーで発見したキャリーケースが、保管庫の一角に置かれている。
だが、覚馬はすぐに異常に気づいた。
キャリーケースがわずかに開いている。
慎重に近づいて確認すると、なかに入っているはずの自動人形は忽然と消えていた。
「おいおい……冗談じゃねえぞ」
「雛菱、まさか勝手に動くなんてことないよな」
「それはないですよ。エネルギー源になるエリキシル霊薬が注入されてないんですから」
エリキシル霊薬は大気中に極微量に存在しているマギを抽出し高濃度に圧縮して液体化したもので、簡単に言えば魔術的なガソリンのようなものだった。
自動人形の大半は、このエリキシル霊薬を血液のように全身に循環させることによって駆動する。
「それに命令を与えるマスター登録をしないと動かせないですし。完全自立型の自動人形なんて、業界ひっくり返りますよ」
「さてな。とはいえ、中身は空っぽなんだよなあ」
真っ赤なイブニングドレスを着た自動人形が納まっていたはずのキャリーケースを、覚馬は忌々しそうに見つめた。
嘆息して周囲を見渡す。
不意に目の端に血のような赤が映った。
そんな気がした。
ぎょっとして視線を戻す。
保管庫のドアを背にして、彼女がいた。
黒い髪、白い肌、真っ赤なドレス。
ぞっとするほどに美しい造形美。
「覚馬……」
同じくその存在に気づいた穂積が掠れた声をもらした。
「ようやく、新しい身体に、なれてきた」
男とも女ともつかない声で、自動人形が言った。
「雛菱、どういうことだよ、おい……!」
「わからないですけど、とにかく捕まえないと」
「覚馬、あいつここから出ようとしてるみたい」
穂積の言葉のとおり、自動人形はドアノブに手をやってがちゃがちゃとやっていた。
だが、ドアは開かない。閉めると同時に電子ロックがかかる仕組みなのだ。
瞬間、自動人形は鋼鉄製のドアを力任せに蹴り飛ばした。
分厚い鉄板がこともなげにひしゃげ、二発目の蹴りで蝶番が吹き飛んだ。
自動人形が廊下へと出ていく。
「おいおい、マジかよ」
覚馬は反射的に腰の魔術刀に手をやり、慌ててあとを追った。
壊れた扉にぞっとしながら廊下に出ると、自動人形との距離はそこまで離れてはいなかった。ドレスによって大胆に露出した背中が見える。
彼女はまるでレッドカーペットを歩く女優のように、優雅だった。
「とまれ!」
覚馬の声に、彼女は振り返った。
「…………」
「なんなんだ、一体」
呼びとめたものの、どうすればいいのかわからない。
覚馬が戸惑っていると、自動人形はいきなりこちらに向かってきた。
力任せに殴られる。
「っ!」
抜刀する暇もない。
咄嗟に魔術刀を鞘ごと盾にする。
金属がぶつかり合うような、耳障りな音が廊下に響く。
凄まじい衝撃に、覚馬は表情を歪めた。
軽々と吹っ飛ばされて、廊下を転がる。
「覚馬!」
「覚馬センパイ!」
遅れて保管庫から出てきて二人が同時に声を上げた。
覚馬は身を起こすなり、すらりと魔術刀を抜いた。
衝撃で腕が痺れてうまく力が入らない。
「雛菱、俺と穂積でなんとかするから保管庫に隠れてろ。それからどうにかして応援呼んでくれ」
「わかりました」
鑑識の美鴨は荒事には向いていない。
それは彼女もよくわかっているらしく、あっさりと顔を引っ込める。
「穂積、気をつけろよ。とんでもない馬鹿力だぞ」
「乙女の柔肌がまた傷物になっちゃうな」
言葉とは裏腹に彼女はやる気満々で、鋭い視線を自動人形に向けていた。
「…………」
自動人形は無言だった。
表情も変化はない。
動いているくせに、死んでいるようで、覚馬は居心地の悪さに顔をしかめた。
「無傷で捕まえるのは、ちょっと厳しいかな」
感情が読み取れないせいもあって、相手の出方がまるでわからない。人間相手ならば、表情やちょっとした仕草から、大なり小なり次の動きを予測できるのに。
(時間差で左右からやる)
覚馬は視線だけでそう言った。
こちらの意図を察して、穂積が小さくうなずく。
瞬間、彼女は肺に空気を吸い込み、
「――――っ!」
その喉から機械の駆動音にも似た甲高い声を上げた。
はじめて聞く者であれば、思わず耳を塞ぎたくなる音だ。
彼女が使う四大精霊魔術は長大なスペルを詠唱して活性化したマギに意味を与える魔術だが、そのスペルを圧縮して高速詠唱する超絶技巧という技術だった。
同時に覚馬も自動人形に向けて駆けている。
水に濡れる魔術刀を下段に構え、彼は音もなく距離を詰めた。
来栖派一刀流・虎爪二段!
鋭い斬り上げが自動人形の赤いドレスを掠める。
浅い。
覚馬はすかさず踏み込み、手首を返して斬り下げた。
水に濡れる白刃が弧を描き、自動人形の左鎖骨の辺りにすっと吸い込まれる。
金属がぶつかり合う悲鳴じみた音。
硬質な手応えに、覚馬は舌打ちした。
手の痺れのせいで、最後の一押しが効かない。
「くそっ」
魔術刀の白刃が自動人形の肋骨辺りで動かなくなる。
人間なら即死だが、相手は機械仕掛けだ。
琺瑯の冷たい瞳が、こちらを見た。
自動人形は魔術刀など気にした素振りも見せず、右腕を振り上げた。
強烈な一撃がくる。
覚馬は左足で自動人形の腹部を蹴り飛ばした。
サンドバッグでも蹴ったかのような鈍く重い感触。
それでもどうにか態勢を崩せる。
ぞっするような音を残して、機械の拳が覚馬の顔を掠めていった。
今度は左腕がフック気味に振るわれる。
かわせない。
覚馬は魔術刀を手放して、両腕をクロスさせてその一撃を受けた。
衝撃。
骨が軋む音。
踏ん張り切れずに、そのまま廊下の壁に叩きつけられる。
背中を強かに打ちつけ、くぐもった悲鳴を漏らす。
「が……っ!」
だが、これで穂積が自動人形の死角に入り込む時間は稼げた。
覚馬は囮だ。
穂積はするりと自動人形の背後に回り込んでいた。
その右手の先には、ホログラム映像のように複雑な図形が現れている。
それは『硬貨・杯・木の枝・剣』を模した図形と、膨大なラテン語のテキストによって構成される魔法陣だった。それぞれの図形は四大精霊に象徴される地・水・火・風の四大属性を表している。
穂積は腰を落とし、拳を握った。
自動人形に拳を打ち込むと同時に、凛然と言い放つ。
「四大精霊〈業風のように厳しく〉!」
魔法陣が砕け散った。
どごん、という強烈な打撃音。
まるで見えない巨大なハンマーでぶん殴られたかのように、自動人形は身体全体をひしゃげさせ、錐もみしながら数メートルを吹き飛んだ。
激しく廊下に激突し、二度、三度とバウンドしながら滑っていく。
打撃にあわせて、分厚い空気の壁を至近距離から叩きつけたのだ。穂積が使う風属性の四大精霊魔術のなかでも、近接戦で最も威力を発揮する魔術のひとつだ。
「覚馬、大丈夫?」
「ああ、たまたま最初の一撃で人形の左肩をやったからな。それで威力が弱かった」
ゆっくりと身を起こし、覚馬はうめいた。
「右腕のパンチ喰らってたらヤバかったよ」
「私が囮でもよかったのにさ」
「乙女の柔肌に傷が増えるからな」
「……バカ」
穂積はわずかに頬を赤くしてはにかんだ。
覚馬は軽く肩をすくめると、床に落ちていた魔術刀を拾い上げ、動かなくなった自動人形とへ近づいていく。
驚くべきことに、彼女は原型をとどめていた。
赤いドレスはズタボロだし、全身は傷だらけで一部の部品が露出していたが、それでもスクラップとは程遠い。
「なんて強度してやがる」
自動人形はフレームを軋ませながら、ゆっくりと首をもたげた。
ぎりぎりという異音が、あちこちから聞こえてくる。
無残と言っていい状態にもかかわらず、その顔に表情はなく、ただただ美貌があった。
それでも彼女はぎこちない動きで立ち上がり、壁伝いに歩きだす。
うまく身体が動かないのか、自動人形は倒れ込むようにして、手近な部屋へと消えていった。
「おいおい」
覚馬と穂積は顔を見合わせ、慌てて後を追った。
その部屋は死体置き場のひとつで、自動人形は検死台に横たわる死体を目にして立ちすくんでいた。
ハンス・シュミットの死体だった。
覚馬は音もなく魔術刀を上段に構えた。
「悪く思うなよ」
その声に、彼女がこちらを振り返った。
怯えたような顔をしている。
そんな気がした。
一体なにに?
そして。
――死にたくない。
そんなことを言った気がした。
魔術刀の一閃が、自動人形の首を撥ねる。
人形の頭部が死体置き場の宙を舞い、ごとりと床に落ちる。
数秒だけ遅れて、身体が崩れ落ちた。
文字通り、糸が切れた人形のように。
「あんまり見つめるなよ」
床に転がる彼女の顔は、怯えた表情など錯覚であったかのように、変わらぬ美貌をたたえている。
ようやく非常ベルのけたたましい音が廊下に鳴り響いた。
地下で携帯電話が使えないため、保管庫のスイッチを美鴨が押したのだろう。これで上の階から手の空いている連中が駆けつけてくるはずだ。
覚馬は大きく息を吐き、全身の痛みに口元を引きつらせた。
魔術刀を鞘に納め、完全に動かなくなった自動人形を一瞥する。
誰に言うともなく、彼はばやいた。
「ったく、遅いんだよ」
後始末くらいは任せても、ばちは当たらないはずだった。