サキュバスにご用心 scene4
文字数 5,142文字
「あぁ……死にたい」
冷静さを取り戻した穂積は、死人のような声でうめいた。
二階女子トイレの個室である。
穂積はアッシュに引きずられて、どうにかここまで退避してきたのだ。
狭い空間に、二人はぎゅうぎゅうと立てこもっていた。
「今度から覚馬にどんな顔して会えばいいんだか」
穂積は自分がしたことを思い出して頬を赤くした。
いままでの軽いノリとは違う、あんな……気まずい。
「絶対にエロい女だと思われたよね?」
「えと、あの……多少は」
「うわあ!」
穂積はトイレの壁にごつんごつんと額を打ちつけた。
「お、落ち着いてください穂積さん。大丈夫ですよ。事情をわかってくれれば、覚馬さんだって気にしないでいてくれると思います」
ぴたりと動きをとめて、穂積は言った。
「それはそれでなんか、いやというか」
「ええ……?」
アッシュが怪訝な表情になる。
「いや、だって、ほら。あそこまでのことをされた男がね、いままでと同じ態度をとってくるってのはさ」
穂積は再びトイレの壁に額をごつんごつんと打ちつけた。
「お前に興味ないぜって言ってるのと同じでしょ?」
「お、落ち着いてください穂積さん」
完全に情緒不安定になっている穂積を、懸命になだめる。
アッシュ自身、いつエビの効果が現れるのか不安で仕方がなかった。
だが、穂積を放ってもおくわけにもいかない。
「覚馬さんにどうしてほしいんですか。いままでどおりもいやだし、変に意識されるのもいやなんですよね?」
「それはそうなんだけど……」
「もう。めそめそしないでください」
アッシュは腰に両手をやると、胸を張って穂積を見た。
「そういうのは穂積さんらしくないと思います」
「だって……」
「だってではありません。とにかく、いまはこの状況をどうにかするのが先決です。覚馬さんが美鴨さんにエビのことを伝えてくれさえすれば、どうにかしてくれるはずです」
「……ホントに?」
「はい。きっと。多分」
じっとりとした穂積の視線に耐え兼ねて、アッシュは目をそらした。
雛菱美鴨は天才肌の錬金魔術師だ。彼女にどうにかできないなら、二人はエビの効能が切れるまで女子トイレに籠城するしかない。
美鴨の話だと、効果は数時間。
穂積は露骨に肩を落とすと、深々と嘆息した。
「はぁ……アッシュ、ホントにごめんね。こんなことになっちゃって」
「いえ、あの、謝らないでください」
「でもさあ、何時間もこのままだったらヤバくない?」
「それはそうですけど」
「アッシュはまだ大丈夫なの?」
「はい。わたしはまだなんとも……」
「うー……ホントに個人差あるのね」
「穂積さんもいまは大丈夫そうですよね?」
「多分。男を見たら症状が出るのかも……」
「むぅ……それなら目隠しをして移動するというのはどうでしょう」
アッシュは至極真面目な顔でそう言った。
「それだと二人して目が見えなくなるじゃん」
「ああ、そうでした……!」
「ねえ、アッシュ」
頭を抱える彼女に、穂積は真剣な声で言った。
「最悪、このままだと私たち男を見れば見境なく発情しちゃうわけじゃない」
「……はい」
「それがはじめてでいいわけないよね」
「……そうですね」
「そこで提案なんたけど」
「提案、ですか?」
アッシュはなんなくいやな予感がして、身震いした。
一歩だけ後ろに下がろうとするが、すでに背中はトイレの壁だ。
穂積はアッシュとの距離を詰めて、彼女のシルバーグレイの瞳をのぞき込んだ。
「私――アッシュでもいいかなって」
静かな、とても真剣な声音だった。
「はい?」
アッシュは意味がわからずに間の抜けた声をもらした。
一瞬の静寂。
「いや、え、ダメですー!」
続けて裏返った素っ頓狂な悲鳴。
「覚馬との初体験ができなかったいま、私にはこれしかないの」
「穂積さん! 意味が、意味がわからないですよ」
「アッシュだって、いつエビの効果が現れるかもしれないんだし。私はアッシュのはじめてが、脂ぎった中年のおっさんとなんて見たくないの」
「わたしもそんなのいやですから!」
「だからせめて、私が」
「はぅ……」
穂積は彼女を力強く抱き締めた。
華奢な身体はびっくりするくらい柔らかくて、シルバーグレイの髪は女の子のいい匂いがした。
「やだ……穂積さん……」
抱き締めた腕を、彼女の腰のあたりに持っていく。
くびれている腰のラインが、穂積の腕にぴったりとくる。
まるで引き合うように。
「ホントにやめてください……」
穂積の胸に顔をうずめながら、アッシュがか細い声で抗議した。
うるんだ瞳で見上げられ、穂積は自分が同性であることも忘れてしまうくらいにドキドキした。
「アッシュ、可愛いよ」
穂積の右手が、服の上からアッシュの胸に触れる。
片手ではおさまり切れない、絶妙な弾力と柔らかさ。
「あ……」
「いやじゃない?」
「わたし……そんなこと……」
白い頬を上気させるアッシュは、わずかに吐息を荒くして、それだけを言った。
穂積が胸に触れた手を優しく動かす度に、「んっ」とか「あっ」という切ない声を喉の奥からもらす。
「ホントに、これ以上はダメですよ……」
「ダメじゃないよ。だって、アッシュの身体はそうは言ってないみたい」
「やん」
胸だけではなくお尻にも手を伸ばし、穂積は理性が吹き飛びそうな気がした。
二人はお互いの吐息がかかりそうなほどの距離で見つめ合った。
ほとんど鼻先が触れ合いそうなくらいだ。
アッシュのシルバーグレイの瞳に、穂積の顔が映り込んでいる。
「キス、するよ?」
「……っ」
穂積の甘い囁きに、アッシュは顔を赤くした。
彼女のかたちのいいぷるんとした唇が、なにかを言おうとしてわずかに動いた。
だが、言葉が出てこない。
それを肯定と取った穂積は、ゆっくりと顔を近づけていく。
二人の唇が重なり合って――
「穂積センパーイ!」
トイレのドアがノックされ、美鴨の声が響いた。
「美鴨さん……助けてください!」
我に返ったアッシュが、懇願するように言った。
「穂積さん、ほら、美鴨さんですよ!」
「ちっ……美鴨か」
「どうして残念そうなんですか!」
アッシュはトイレの壁伝いにどうにか脱出すると、鍵を開けて美鴨に飛びついた。
ほとんど涙目になっている。
「美鴨さぁん!」
「アッシュちゃん、よしよし。どうしたの? 穂積センパイにレイプされちゃった?」
「大丈夫です。未遂です」
「よかったよかった。間一髪だったね」
美鴨はアッシュの頭をなでなですると、トイレのなかに視線をやった。
「穂積センパイ、お取込み中のところ邪魔しちゃってすいません」
「ホントよ……って、そうじゃなくて。危うく、大変なことになるとこだったんだから」
そう言った穂積は、壁に背中をあずけ、心なしかぐったりとしていた。
額に手をやると、じっとりとした汗が手の平につく。
「美鴨、あんたのエビのせいで、私、ホントもうやばいの。なんか気持ちがコントロールできなくて。いまも身体が火照っちゃって」
「穂積センパイが勝手に食べるからじゃないですか」
「それは、私が悪かったから。なんとかしてよ」
「いやあ、それがですね」
美鴨がなんともバツが悪そうに苦笑した。
「なんともできないんですよね」
「なんでよ!?」
穂積は目を見開いて、美鴨に掴みかかった。
両肩に手を置いて、がくがくと前後に揺らす。
「このままだと!」
「ちょ……穂積センパイ」
「私、ただの痴女じゃん!」
「落ち着いて」
「それも男だけじゃなくて!」
「あたしの話を」
「女の子にも反応しちゃうんだよ!」
「聞いてください!」
「とんでもないサセコビッチになっちゃうでしょ!」
揺する側と揺すられる側の言葉が交錯し、女子トイレの外にまで響き渡る。
「穂積さん、やめてください! 美鴨さんが死んじゃいますよ!」
アッシュに言われて、穂積がぴたりと動きをとめる。
ぐったりとした美鴨は、首を変な角度に曲げていた。
「はぅ……死にました!」
「死んでない死んでない。あたしを勝手に殺さないで、アッシュちゃん」
首が曲がったまま、魂が抜けたような抑揚のない声を美鴨が発する。
「もー、穂積センパイ。首の骨がずれるかと思ったじゃないですか」
「絶望的なこと言われてつい……いまは反省している」
「反省ですんだら特高は必要ないじゃないですか、まったく」
白衣の襟を正して、美鴨はポケットからごそごそとなにかを取り出した。
それはエビフライの頭が入ったビニール袋だった。
「なんともできないって言ったのは、する必要がないからなんですよ」
「は?」
言われた意味がわからずに、穂積は露骨に不審な顔になった。
「穂積センパイとアッシュちゃんが食べたエビフライの頭を見て、なんとなく気になったんで、改めて調べてみたんです。そしたらこのエビ――」
美鴨はしげしげとエビの頭を眺め、わざとらしくぺろりと舌を出す。
「サキュバス・シュリンプじゃないんですよ」
「「え?」」
穂積とアッシュが、同時に間の抜けた声をもらす。
「こいつ、サキュバス・シュリンプにそっくりのインキュバス・シュリンプなんですよ。どうも業者が間違えたみたいなんですけど」
「それはつまりどういうことなんですか、美鴨さん?」
「それはつまり、こういうことなの、アッシュちゃん」
まるで講義をする教授のように、美鴨は続けた。
「インキュバス・シュリンプも媚薬の素材になるんだけど、こっちは男向け。サキュバス・シュリンプは女向け。だから、女子がインキュバス・シュリンプを食べてもなんにも起きないの」
「はあ……なるほどです」
アッシュは小首を傾げながらも、なんとなく理解した。
「だから、なにもする必要がないんですね」
「そういうこと。実際、アッシュちゃんはなんともないでしょ?」
「確かにそうです」
「そんなバカなっ!?」
穂積が悲鳴じみた声を上げ、しどろもどろに言った。
「え? え? だって、実際、私はなんだか変な感じになっちゃってるじゃん! じゃあこれはなんなの? どういうこと?」
「どういうことと言われても、あたしも困るんですけど」
唇を尖らせて、美鴨は腕を組んだ。
「まあ、恐らく暗示とか催眠の類と同じじゃないかと思います」
「……?」
「穂積センパイはエロくなるエビを食べたと思い込んでしまったので、自然とそうしようと振舞ったというか」
結論をもったいぶるようにして、美鴨は一拍の間を置いた。
眼鏡を両手で押し上げ、ちらりと穂積を見やる。
「要は普段の欲求不満が表に出たんです」
「はあ!?」
「今回のことで穂積センパイがホントはすごくエッチだってわかりました」
「ふざけんな! 私は絶対そんなんじゃないし!」
耳の先まで真っ赤にして、穂積は両手をわたわたとやって抗議の声を上げた。
そんなバカな。
あんな態度や、あんな言葉が、エビのせいではないなどと。
断固として認められない。
認めるわけにはいかない。
有坂穂積の誇りにかけて。
「いえいえ、穂積センパイもお年頃ですから。恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか。女の子もいけるクチだとは思いませんでしたけど」
「はぅ……そうなのですか!?」
「ち、違うから。そんなわけないでしょ。アッシュ、なんでちょっと距離取るの?」
「穂積センパイ、あたしはどっちもオッケーですよ?」
「そんなアピールいらんし!」
穂積は頭を抱えて地団駄を踏んだ。
ああ、どうしよう。
私は本当にそんな女なのだろうか。
これからずっとそういう目でみんなから見られてしまうのだろうか。
男も女もオーケーの、エッチな女の子として。
にやにやした顔で、声をかけられまくるのだろうか。
そんなの絶対にいやである。
「私は……」
穂積は肩を怒らせ、ふるふると首を振った。
「私はエッチな女の子じゃないからああああああああああああああああああああああああ」
そんな彼女の心からの叫びなど無視して、美鴨が可愛い笑顔で言ってくる。
「穂積センパイ。穂積センパイ。今度ちゃんとサキュバス・シュリンプを取り寄せますから、実際に食べてみて、今回とどれくらい違うのか実験しませんか? 実に興味深くないですか?」
「絶対にいや!」
このことがトラウマになって、有坂穂積は、エビが食べられなくなった。
[サキュバスにご用心 終劇]
冷静さを取り戻した穂積は、死人のような声でうめいた。
二階女子トイレの個室である。
穂積はアッシュに引きずられて、どうにかここまで退避してきたのだ。
狭い空間に、二人はぎゅうぎゅうと立てこもっていた。
「今度から覚馬にどんな顔して会えばいいんだか」
穂積は自分がしたことを思い出して頬を赤くした。
いままでの軽いノリとは違う、あんな……気まずい。
「絶対にエロい女だと思われたよね?」
「えと、あの……多少は」
「うわあ!」
穂積はトイレの壁にごつんごつんと額を打ちつけた。
「お、落ち着いてください穂積さん。大丈夫ですよ。事情をわかってくれれば、覚馬さんだって気にしないでいてくれると思います」
ぴたりと動きをとめて、穂積は言った。
「それはそれでなんか、いやというか」
「ええ……?」
アッシュが怪訝な表情になる。
「いや、だって、ほら。あそこまでのことをされた男がね、いままでと同じ態度をとってくるってのはさ」
穂積は再びトイレの壁に額をごつんごつんと打ちつけた。
「お前に興味ないぜって言ってるのと同じでしょ?」
「お、落ち着いてください穂積さん」
完全に情緒不安定になっている穂積を、懸命になだめる。
アッシュ自身、いつエビの効果が現れるのか不安で仕方がなかった。
だが、穂積を放ってもおくわけにもいかない。
「覚馬さんにどうしてほしいんですか。いままでどおりもいやだし、変に意識されるのもいやなんですよね?」
「それはそうなんだけど……」
「もう。めそめそしないでください」
アッシュは腰に両手をやると、胸を張って穂積を見た。
「そういうのは穂積さんらしくないと思います」
「だって……」
「だってではありません。とにかく、いまはこの状況をどうにかするのが先決です。覚馬さんが美鴨さんにエビのことを伝えてくれさえすれば、どうにかしてくれるはずです」
「……ホントに?」
「はい。きっと。多分」
じっとりとした穂積の視線に耐え兼ねて、アッシュは目をそらした。
雛菱美鴨は天才肌の錬金魔術師だ。彼女にどうにかできないなら、二人はエビの効能が切れるまで女子トイレに籠城するしかない。
美鴨の話だと、効果は数時間。
穂積は露骨に肩を落とすと、深々と嘆息した。
「はぁ……アッシュ、ホントにごめんね。こんなことになっちゃって」
「いえ、あの、謝らないでください」
「でもさあ、何時間もこのままだったらヤバくない?」
「それはそうですけど」
「アッシュはまだ大丈夫なの?」
「はい。わたしはまだなんとも……」
「うー……ホントに個人差あるのね」
「穂積さんもいまは大丈夫そうですよね?」
「多分。男を見たら症状が出るのかも……」
「むぅ……それなら目隠しをして移動するというのはどうでしょう」
アッシュは至極真面目な顔でそう言った。
「それだと二人して目が見えなくなるじゃん」
「ああ、そうでした……!」
「ねえ、アッシュ」
頭を抱える彼女に、穂積は真剣な声で言った。
「最悪、このままだと私たち男を見れば見境なく発情しちゃうわけじゃない」
「……はい」
「それがはじめてでいいわけないよね」
「……そうですね」
「そこで提案なんたけど」
「提案、ですか?」
アッシュはなんなくいやな予感がして、身震いした。
一歩だけ後ろに下がろうとするが、すでに背中はトイレの壁だ。
穂積はアッシュとの距離を詰めて、彼女のシルバーグレイの瞳をのぞき込んだ。
「私――アッシュでもいいかなって」
静かな、とても真剣な声音だった。
「はい?」
アッシュは意味がわからずに間の抜けた声をもらした。
一瞬の静寂。
「いや、え、ダメですー!」
続けて裏返った素っ頓狂な悲鳴。
「覚馬との初体験ができなかったいま、私にはこれしかないの」
「穂積さん! 意味が、意味がわからないですよ」
「アッシュだって、いつエビの効果が現れるかもしれないんだし。私はアッシュのはじめてが、脂ぎった中年のおっさんとなんて見たくないの」
「わたしもそんなのいやですから!」
「だからせめて、私が」
「はぅ……」
穂積は彼女を力強く抱き締めた。
華奢な身体はびっくりするくらい柔らかくて、シルバーグレイの髪は女の子のいい匂いがした。
「やだ……穂積さん……」
抱き締めた腕を、彼女の腰のあたりに持っていく。
くびれている腰のラインが、穂積の腕にぴったりとくる。
まるで引き合うように。
「ホントにやめてください……」
穂積の胸に顔をうずめながら、アッシュがか細い声で抗議した。
うるんだ瞳で見上げられ、穂積は自分が同性であることも忘れてしまうくらいにドキドキした。
「アッシュ、可愛いよ」
穂積の右手が、服の上からアッシュの胸に触れる。
片手ではおさまり切れない、絶妙な弾力と柔らかさ。
「あ……」
「いやじゃない?」
「わたし……そんなこと……」
白い頬を上気させるアッシュは、わずかに吐息を荒くして、それだけを言った。
穂積が胸に触れた手を優しく動かす度に、「んっ」とか「あっ」という切ない声を喉の奥からもらす。
「ホントに、これ以上はダメですよ……」
「ダメじゃないよ。だって、アッシュの身体はそうは言ってないみたい」
「やん」
胸だけではなくお尻にも手を伸ばし、穂積は理性が吹き飛びそうな気がした。
二人はお互いの吐息がかかりそうなほどの距離で見つめ合った。
ほとんど鼻先が触れ合いそうなくらいだ。
アッシュのシルバーグレイの瞳に、穂積の顔が映り込んでいる。
「キス、するよ?」
「……っ」
穂積の甘い囁きに、アッシュは顔を赤くした。
彼女のかたちのいいぷるんとした唇が、なにかを言おうとしてわずかに動いた。
だが、言葉が出てこない。
それを肯定と取った穂積は、ゆっくりと顔を近づけていく。
二人の唇が重なり合って――
「穂積センパーイ!」
トイレのドアがノックされ、美鴨の声が響いた。
「美鴨さん……助けてください!」
我に返ったアッシュが、懇願するように言った。
「穂積さん、ほら、美鴨さんですよ!」
「ちっ……美鴨か」
「どうして残念そうなんですか!」
アッシュはトイレの壁伝いにどうにか脱出すると、鍵を開けて美鴨に飛びついた。
ほとんど涙目になっている。
「美鴨さぁん!」
「アッシュちゃん、よしよし。どうしたの? 穂積センパイにレイプされちゃった?」
「大丈夫です。未遂です」
「よかったよかった。間一髪だったね」
美鴨はアッシュの頭をなでなですると、トイレのなかに視線をやった。
「穂積センパイ、お取込み中のところ邪魔しちゃってすいません」
「ホントよ……って、そうじゃなくて。危うく、大変なことになるとこだったんだから」
そう言った穂積は、壁に背中をあずけ、心なしかぐったりとしていた。
額に手をやると、じっとりとした汗が手の平につく。
「美鴨、あんたのエビのせいで、私、ホントもうやばいの。なんか気持ちがコントロールできなくて。いまも身体が火照っちゃって」
「穂積センパイが勝手に食べるからじゃないですか」
「それは、私が悪かったから。なんとかしてよ」
「いやあ、それがですね」
美鴨がなんともバツが悪そうに苦笑した。
「なんともできないんですよね」
「なんでよ!?」
穂積は目を見開いて、美鴨に掴みかかった。
両肩に手を置いて、がくがくと前後に揺らす。
「このままだと!」
「ちょ……穂積センパイ」
「私、ただの痴女じゃん!」
「落ち着いて」
「それも男だけじゃなくて!」
「あたしの話を」
「女の子にも反応しちゃうんだよ!」
「聞いてください!」
「とんでもないサセコビッチになっちゃうでしょ!」
揺する側と揺すられる側の言葉が交錯し、女子トイレの外にまで響き渡る。
「穂積さん、やめてください! 美鴨さんが死んじゃいますよ!」
アッシュに言われて、穂積がぴたりと動きをとめる。
ぐったりとした美鴨は、首を変な角度に曲げていた。
「はぅ……死にました!」
「死んでない死んでない。あたしを勝手に殺さないで、アッシュちゃん」
首が曲がったまま、魂が抜けたような抑揚のない声を美鴨が発する。
「もー、穂積センパイ。首の骨がずれるかと思ったじゃないですか」
「絶望的なこと言われてつい……いまは反省している」
「反省ですんだら特高は必要ないじゃないですか、まったく」
白衣の襟を正して、美鴨はポケットからごそごそとなにかを取り出した。
それはエビフライの頭が入ったビニール袋だった。
「なんともできないって言ったのは、する必要がないからなんですよ」
「は?」
言われた意味がわからずに、穂積は露骨に不審な顔になった。
「穂積センパイとアッシュちゃんが食べたエビフライの頭を見て、なんとなく気になったんで、改めて調べてみたんです。そしたらこのエビ――」
美鴨はしげしげとエビの頭を眺め、わざとらしくぺろりと舌を出す。
「サキュバス・シュリンプじゃないんですよ」
「「え?」」
穂積とアッシュが、同時に間の抜けた声をもらす。
「こいつ、サキュバス・シュリンプにそっくりのインキュバス・シュリンプなんですよ。どうも業者が間違えたみたいなんですけど」
「それはつまりどういうことなんですか、美鴨さん?」
「それはつまり、こういうことなの、アッシュちゃん」
まるで講義をする教授のように、美鴨は続けた。
「インキュバス・シュリンプも媚薬の素材になるんだけど、こっちは男向け。サキュバス・シュリンプは女向け。だから、女子がインキュバス・シュリンプを食べてもなんにも起きないの」
「はあ……なるほどです」
アッシュは小首を傾げながらも、なんとなく理解した。
「だから、なにもする必要がないんですね」
「そういうこと。実際、アッシュちゃんはなんともないでしょ?」
「確かにそうです」
「そんなバカなっ!?」
穂積が悲鳴じみた声を上げ、しどろもどろに言った。
「え? え? だって、実際、私はなんだか変な感じになっちゃってるじゃん! じゃあこれはなんなの? どういうこと?」
「どういうことと言われても、あたしも困るんですけど」
唇を尖らせて、美鴨は腕を組んだ。
「まあ、恐らく暗示とか催眠の類と同じじゃないかと思います」
「……?」
「穂積センパイはエロくなるエビを食べたと思い込んでしまったので、自然とそうしようと振舞ったというか」
結論をもったいぶるようにして、美鴨は一拍の間を置いた。
眼鏡を両手で押し上げ、ちらりと穂積を見やる。
「要は普段の欲求不満が表に出たんです」
「はあ!?」
「今回のことで穂積センパイがホントはすごくエッチだってわかりました」
「ふざけんな! 私は絶対そんなんじゃないし!」
耳の先まで真っ赤にして、穂積は両手をわたわたとやって抗議の声を上げた。
そんなバカな。
あんな態度や、あんな言葉が、エビのせいではないなどと。
断固として認められない。
認めるわけにはいかない。
有坂穂積の誇りにかけて。
「いえいえ、穂積センパイもお年頃ですから。恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか。女の子もいけるクチだとは思いませんでしたけど」
「はぅ……そうなのですか!?」
「ち、違うから。そんなわけないでしょ。アッシュ、なんでちょっと距離取るの?」
「穂積センパイ、あたしはどっちもオッケーですよ?」
「そんなアピールいらんし!」
穂積は頭を抱えて地団駄を踏んだ。
ああ、どうしよう。
私は本当にそんな女なのだろうか。
これからずっとそういう目でみんなから見られてしまうのだろうか。
男も女もオーケーの、エッチな女の子として。
にやにやした顔で、声をかけられまくるのだろうか。
そんなの絶対にいやである。
「私は……」
穂積は肩を怒らせ、ふるふると首を振った。
「私はエッチな女の子じゃないからああああああああああああああああああああああああ」
そんな彼女の心からの叫びなど無視して、美鴨が可愛い笑顔で言ってくる。
「穂積センパイ。穂積センパイ。今度ちゃんとサキュバス・シュリンプを取り寄せますから、実際に食べてみて、今回とどれくらい違うのか実験しませんか? 実に興味深くないですか?」
「絶対にいや!」
このことがトラウマになって、有坂穂積は、エビが食べられなくなった。
[サキュバスにご用心 終劇]