サキュバスにご用心 scene1

文字数 3,101文字

 六尾のエビは食堂に持ち込まれ、見事なエビフライになった。
「おお~♪」
 皿からはみ出しそうな有頭エビフライが三尾並んでいる光景に、穂積が歓喜の声をもらす。せん切りキャベツ、スライストマト、ポテトサラダもついた見事な定食だ。もちろん、ライスとコンソメスープもセットである。
 込み合う食堂の一角に陣取った穂積は、向かいに座るアッシュに言った。
「このタルタルソースがおいしいの」
「あの、穂積さん、ホントによかったんでしょうか?」
 アッシュはいまだに気にかけているらしく、どことなく申し訳なさそうな顔をしている。
「そうは言っても、もうエビフライになってるじゃん」
「それはそうですけど」
「食べないなら私がアッシュの分も食べようか?」
「え、あの、別に食べないとは――」
 アッシュはもにょもにょと言葉を濁し、眼前のエビフライを見た。
 実においしそうだ。
「ほら、アッシュも結局は食べたいんでしょ」
「うー……」
「なんだかんだ言っても、エビフライにすることをとめることができなかったわけだし」
「はうぅぅぅぅ……」
 穂積の言葉は悪魔の囁きに思える。
 アッシュは頭を抱えてか細いうめき声をもらした。
「……穂積さんは悪魔の化身ですか」
「人をメフィストフェレスみたいに言わないでよ」
 穂積はすでにナイフとフォークを手にしており、いまにもエビフライに手をつけそうだ。
「ここまできたら食べなくても一緒じゃない? だったら、食べたほうがお得だと思うけどな」
「うぅ……そうですね。そうですよね……」
 アッシュは観念したように嘆息すると、ナイフとフォークに手を伸ばした。
「わたしの良心は死にました」
「大丈夫、魔術師なんてみんなそうよ」
「いやな業界ですね」
「まあね。だからせめて、おいしいものくらい食べたいじゃん」
「それはそうかもしれませんけど」
 なんだか煙に巻かれている気分だったが、アッシュはもう気にしないことにした。
 穂積の言うとおり、誰かのエビはエビフライになってしまっているのだから、もうどうしようもないのだ。
「では、いただきまーす♪」
「いただきます」
 二人は律儀にそう言ってから、エビフライにナイフを入れた。
 タルタルソースをつけて口に運ぶ。
「うま……」
 穂積が低い声で言った。
 サクッとした衣、硬すぎないぷりっとした弾力、ほのかに甘くコクのある味。
 タルタルソースとの相性もばっちりで、文句のつけようがない。
 アッシュも目を大きくして、
「これ、ものすごく美味しいですね! 絶妙な揚げ加減の衣が、サクッとしながらも油っぽくなく、エビ本来の味を殺さずに引き立てていてシャッキリポンですね」
「いやもう後半なに言ってるか、ちょっとよくわかんない」
「それにしても、なんのエビなんでしょう?」
「うーん。シェフのおっちゃんも知らないって。海外のエビなんだと思うけど。やっぱり美味しいなこれ」
「はあ、なるほど。美味しいですねこれ」
「いやうん、美味しいわ」
「究極のメニューにしましょう」
「アッシュ、なんかそういうマンガ読んだでしょ?」
 二人は手をとめることなくエビフライを食べ続け、あっという間に完食してしまった。
 優雅に食後のコーヒーを飲みつつ余韻に浸っていると、見知った顔がひょっこりと顔を出した。
「あ、穂積センパイ」
 雛菱美鴨。
 公安部鑑識課第一係。
 穂積と同じく、特別高等魔術警察の警察官養成学校〈志帥館〉から推薦された実習生だ。
 ショートカットにしたブラウンの髪に赤いフレームのオシャレな眼鏡。ガーリーな服装に白衣を羽織っているせいで妙に目立っていた。
 穂積とはまったくタイプの違う美少女で、愛嬌のある表情や仕草が可愛らしく、小悪魔的な魅力をもった小動物を思わせる。
 こちらに気づいた彼女は、軽く手を振って近づいてきた。
 アッシュがぺこりと頭を下げる。
「美鴨さん、おつかれさまです」
「うん。アッシュちゃんもおつかれさま。穂積センパイとランチ?」
「はい。美鴨さんも昼食ですか?」
「あたしはちょっと野暮用というか、探しものをしているのだよ」
 美鴨はどこか浮かない表情だった。
 眼鏡の奥にあるブラウンの瞳も、いつもの愛嬌はなく少しかげっている。
「美鴨がこんなところくるなんて珍しいね。いつもは地下に引きこもってるのにさ」
「ちょっと穂積センパイ、そういう言い方はひどくないですか?」
 美鴨が配属されている鑑識課は本部庁舎の地下一階にあり、部署ごとの縄張り意識もあって、彼らはあまり上層階に顔を出さない。
「ウルトラスーパー天才な錬金魔術師で、おまけに美少女JKであるあたしに失礼じゃないですか」
「その自信はホントどこからくるのよ」
「事実ですからね」
「はいはい」
 ぱたぱたと手を振って、穂積は呆れた声をもらした。
「あ、そうだ。ちょっと聞きたいんですけど」
 美鴨は眼鏡のフレームを両手で押し上げると、二人の顔を交互に見やる。
「公安打撃課の冷蔵庫に発泡スチロールの箱があっと思うんですけど、知りません?」
「え……」
 穂積はぎくりとして、そっとアッシュを見やった。
 いまにも泣き出しそうな顔になっている。
 アイコンタクトで「なにもしゃべるな」と念を押し、穂積は震える声で言った。
「い、いや、どうかなー。知ってるような、知らないような」
「別にそこまで大事なものじゃないんですよ。うちの冷蔵庫が壊れたときに間借りして、あたしも忘れてたくらいなんで。庶務さんから冷蔵庫掃除するっていうメールが回ってきて思い出したんですよ」
「そ、そうなんだ」
 心なしかほっとして、ゆっくりとコーヒーを飲む。
「ち、ちなみに中身はなんだったの?」
「中身はあたしがヨーロッパから取り寄せたエビなんですけど」
「へー……エビ、ね……」
 そいつはいま、目の前にいる。
 からっと揚げられて、完食されて、頭だけになっている。 
「サキュバス・シュリンプってやつなんですけど。媚薬の素材になるエビで、試しにつくってみようと思ったんですけど忙しくて忘れてたんですよ」
「こ、高価なの?」
「いえ。そんなに値段は高くないです。輸送費のほうが高くついたくらいで。なので捨てられちゃったなら、それはそれでいいんですけど」
 美鴨は顎に手をやって、少し浮かない表情を浮かべた。
「誰かが食べちゃってると、ちょっとまずいというか」
「はぅ……!」
 アッシュが奇妙な声をもらす。
「アッシュちゃん、どうしたの?」
「い、いえ。あの、美鴨さん」
 ぎりぎりと壊れた機械のようにぎこちない動きで、彼女は言葉を続けた。
「食べるとどうなるんですか?」
「強力な媚薬作用があるから、誰とでもエッチしたい気分になっちゃうのだよね」
「ぶほっ!」
 穂積が思わずコーヒーを吹き出す。
「ちょ……穂積センパイ、汚いじゃないですか!」
「み、美鴨さ。それってちなみに、すぐに効果出るの?」
「それがよくわからないんですよ。あんまり研究されてないエビなんで。ただ――」
「「ただ?」」
 なにかを思い出そうとしている美鴨に、穂積とアッシュは同時に身を乗り出した。
「個人差はあると思うんですけど。昔読んだ文献だと、確か食べて数分で効果が現れて、数時間は続くようなことが書いていたような――って、穂積センパイ!?」
 美鴨の言葉を最後まで聞かずに、穂積はアッシュの手を取った。
 そのまま全力で駆け出す。
 これは、間違いなく、乙女の純潔の危機だった。
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