スライム大捜査線 scene3

文字数 3,135文字

 数年間放置されていた建屋のなかはひどいものだった。
 ところどころ壁や天井が崩れているし、錆びついたプラントの配管の結合が緩んで外れている個所がいくつもある。
 雨水がたまっている床は湿っぽく、すえた臭いが鼻をついた。
「ほえー。覚馬さん、どこから探しますか?」
 きょろきょろと周囲を見渡しながら、アッシュが声を上げた。
 プラント工場そのものは三階建てのビルと同じくらいの高さだが、なにせ広大だった。敷地内には同じような建屋がいくつもある。
「さてな。スライムの生態もよくわからないし。そのためにおまえがいるんだよな、雛菱?」
「もちろんですよ」
 美鴨は背負っていたリュックから、武骨な機械を取り出した。
 トランシーバーのような見た目で、デジタルの数字が表示される液晶画面がついている。
「なんだそりゃ?」
「マギの濃度計ですよ」
 そう言って、彼女はその機械のスイッチを入れた。
「スライムは精霊宝石を核にしているって言ったじゃないですか。だから、精霊と同じようにマギをエネルギーにする性質があるんですよ。こっちの世界は大気中のマギが薄いですけど、たまに高い濃度の場所があるじゃないですか」
「マギスポットですね」
 アッシュがふむふむとうなずく。
 そういった場所は、精霊世界〈ネバーランド〉との境界線に綻びがある場所だと言われているが仮説の域を出ない。だが、存在していることは確かだ。
「餌場みたいなものか?」
「そうですね。なのでそういう場所があれば、自然と寄ってくるはずですよ」
 美鴨は濃度計をいろいろな方向に向けつつ、辺りを捜索した。
 やがて廃墟の片隅にある、マンホールの前で立ちどまる。
「あー、覚馬センパイ、ここですね。ここからマギが漏れてきてます」
「地下の排水設備か?」
 覚馬は露骨に舌打ちして顔をしかめた。
 錆びついたバールでマンホールをこじ開けると、垂直に伸びた暗い穴と壁面に設置されたハシゴが現れる。
 持ってきたマグライトで照らしてみると、思いのほか深くない。
 すぐにコンクリートの床が見える。
 覚馬は深々と嘆息した。
「まいったな。完全にダンジョン探索じゃねえか」
「あたしそういう系のゲームやったことありますよ?」
 美鴨は好奇心が刺激されたのか、どこか楽しそうだった。
「覚馬さん、下りるんですか?」
 一方でアッシュは少し不安そうだった。
「そりゃ、そうしなきゃはじまらないからな。仕事やる気まんまんなんだろ?」
「はぅ……それはそうですけど、こんなところに下りるの聞いてないです」
「いま言った。アッシュ、まずは君が下りろ。それから雛菱だ」
「えと……なんでわたしが先頭なんですか」
「一応は君と俺が前衛要員だからだ。それに万が一、雛菱になにかあったら、スライムの知識のあるやつがいなくなって捜索ができなくなる」
「そんなあ……覚馬さんが先にいけばいいと思います」
 アッシュが眉間に皺を寄せて可愛らしく抗議した。
「別にそれでもいいけどな。俺になにかあったら、あとは君と雛菱で仕事をこなすことになるぞ」
「その言い分だと、わたしにはなにかあってもいいみたいですね」
「そうだな。君の損害はカバーできるからな」
「……覚馬さんは冷酷非情な悪魔のような男です」
「俺は君の実力を見くびりすぎなんだろ? そうじゃないなら、先頭でいくくらいなんでもないはずだ」
「ぐぬぬ……」
 結局、アッシュは先頭で地下へと下りた。
 地下の排水設備は使われなくなって久しいが、場所によっては流れ込んだ雨水が膝くらいまで溜まっており、空気はどんよりと澱んでいる。
 アッシュは逆手にもったマグライトを肩に乗せるようにして掲げて、周囲を見渡した。コンクリートの壁を丸い光が照らし出し、無機質な不気味さに息をのむ。
「覚馬さーん、大丈夫です。なにも――」
 ない――と、言いかけて、彼女はぴたりと動きをとめた。
 マグライトに照らされる暗闇の奥から、無数の赤い光が見えたからだ。
 続けてざわざわという大量の足音、そして動物の声が一斉に近づいてくる。
「ひっ――」
 アッシュは口元を引きつらせ、か細い悲鳴を上げた。
 マグライトの光に映ったもの。
 それはネズミの大群だった。
 二〇センチはあろうとかいうドブネズミに視界を埋め尽くされて、アッシュはなにもできずに硬直した。
 瞬間、彼女を巻き込むようにしてネズミの大群がすさまじい勢いで駆け抜けていく。
 わずか数秒の時間が、永遠にも思えた。
 最後の一匹がアッシュの足の間をとおりすぎ、地下に静寂が戻ってくる。
「おー、見てくださいよ、覚馬センパイ。すごい大きなドブネズミですよ」
 続いて地下に下りてきた美鴨が、最後の一匹を見て歓声を上げる。
「ドブネズミはそもそも大きいんじゃなかったか?」
「あれ、そうでしたっけ?」
 などと二人は普段と変わらぬ調子で言葉を交わした。
 覚馬はマグライトを逆手にし、美鴨は夜釣りのときに使うようなヘッドライトを装着していた。
「アッシュ、ネズミくらいで固まってるなよ?」
「だ、だって! 覚馬さん!」
 ようやく我に返ったアッシュが早口でまくし立ててくる。
「大群ですよ! 大群! ネズミの! わたし死ぬ! 死にます! 死んだ!」
「死んでねえ。落ち着け」
 覚馬はパニックになっている彼女の両頬をむずっと掴んだ。
 アッシュがひよこ口になる。
「大声を出すな。落ち着け」
「……ひゃめてくらひゃい」
「落ち着いたか?」
「ひゃい」
 ゆっくりと手を放すと、元の口に戻ったアッシュが半眼で睨んできた。
「覚馬さん、いきなりなんてことするんですか!」
「君がうるさいからだ」
「あんなネズミの大群見たらそうなります」
「ネズミくらいで大げさなんだよ。俺たちが探してるのはスライムだぞ?」
「それはそうですけど。むぅ……」
 ことさら優しくしてほしいわけでもなかったが。
 大丈夫かの一言くらいあってもいいだろうに、と彼女は思った。
「雛菱、どうだ?」
「えーと、こっちですね」
 マギの濃度計をヘッドライトで照らしながら、美鴨が指さしたのはネズミが逃げてきた方向だった。
「……俺のいやな想像言っていいか?」
「あたしも多分、同じこと思ってますよ。奇遇ですね、覚馬センパイ。相性ばっちりじゃないですか」
「言ってる場合か」
 ネズミの大群は単に移動していたわけではないのかもしれない。
 そもそもあれだけの群れが、半ばパニックになって全力で走っているなど。
 沈黙した二人に代わり、アッシュが恐る恐るといった様子で口を開いた。
「えと、つまりこういうことでしょうか。あのネズミはなにかから逃げている?」
「恐らくな。で、問題はだ」
 覚馬は前髪をくしゃくしゃとやって嘆息した。
「逃げるってことは、あのでかいネズミが敵わないやつってことだ。この排水溝のなかじゃ、そんなやつは普通はいない。ワニでも住んでりゃ、話は別だけどな」
 ここにいる可能性があるものはワニではない、スライムだ。
 そしてネズミが逃げているということは、なにかしら危害を加えられているということ。捕食されているのか、あるいはマギスポットに入ったから単に排除されているのかはわからないが。
「無害って話じゃなかったのか、雛菱」
「基本的にはですよ、基本的には。野良になったスライムがどうなるかなんて、予想できないじゃないですか」
「こりゃいよいよダンジョンのモンスター退治か?」
 覚馬は皮肉げな笑みを浮かべると、どこまで続いているのかわからない暗闇にマグライトを向けた。
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