第21話 しんどい現実・いい思い出

文字数 3,017文字

 放課後、日直から日誌を受け取り、高久(たかく)は職員室の自分のデスクへと戻った。
思った通り、午後一番で学園長に呼び出され、(ゆかり)のことを根掘り葉掘り聞かれたが、知らないし、知っていても誰にも何も言うつもりもないとだけ繰り返した。
出された玄米茶を七杯飲んだ所で、根負けしたのは学園長だった。
三十代よりも五十代の膀胱(ぼうこう)はヤワだったらしい。
いずれの理由にしろ、どちらかが耐えきれず席を立ったことが、解散の合図となった。
ふふん。ざまあねえな。
最近、ミルクティー2リットル一気飲みしてから寝ているが、就寝中に起きるなんてことは一度もない。
知らず知らずに膀胱(ぼうこう)が鍛えられ容量が増えたのかもしれない。
「金沢先生」
え、と顔を上げると、一ノ瀬紫(いちのせゆかり)が立っていた。
「私のこと。言わなかったってね。叔父さ・・・、学園長先生にいろいろ聞かれたんでしょ。学園長先生、金沢先生のこと問い詰めたけど答えなかったって」
それは(たまき)本人に口止めされていたからだ。
あの後ダメ押しでラインでも口止めの釘を刺してきたのだ。
絶対言うな、知らないで通せ。もし言ったら、おまえの作品全部メルカリで売ってやると脅されたのだ。
「いやまあ・・・。あのほんと。いいんです。もう」
いろんな意味で。
・・・もう。忘れたいんで。
思い出すと死にそうなんで。
「・・・ありがとう」
ぽつりとそう言われ、高久(たかく)は驚いた。
関係があった時もそうでない時も、しらっとした言葉しか聞いたことはなかったから。
先輩であるはずの(たまき)に対しても、小馬鹿にしたような態度ばかりだった。
(ゆかり)が名刺大のカードを差し出した。
「これ。私の行ってる美容室の商品券」
「・・・はあ・・・?」
「服とか化粧品変えたみたいだけど。まず髪型を変えたほうがいいと思うんですけど。ダサいから」
相変わらず、先輩とも思わない口調だが、彼女なりのお礼のつもりなのだろう。
「あと。なんで最近ストッキングはかないの?」
「いや・・・苦手で・・・」
「ああ、蒸れるもんね。じゃ、これ、良かったら。けっこういいですよ」
机の引き出しから、なにか取り出す。
「これだと蒸れないでしょ」
黒のレースとピンクの小さなリボンがあしらわれているリボンのような布の塊と、ストッキング。
まさかこんな形で、(ゆかり)と関係があった時に見せられて以来、朝な夕なに、夢にまでも見た、ガーターベルトが手に入るとは・・・。
高久の手が思わず震えた。
「・・・・ありがとう、ございますぅ・・・。思い出にしますぅ・・・」
彼女に与えられた甘くしんどいばかりだった現実が、こうして違う形で思い出になるとは。
紫は大袈裟にそう言われて、ちょっと眉を寄せたが、じゃあ、と言って部活へと向かった。

 とにかく、行ってみるか、と高久(たかく)は美容室へと向かうことにした。
(ゆかり)の御用達だという美容室はなかなか話題の美容室のようで、飛び入りの初めての客だとわかると予約がいっぱいでと(てい)良く追い返されそうになったが、商品券があるとわかるとどこをどうしたものなのかすぐに椅子に通された。
店に貼ってあるやたら小洒落た広告を見ると、どうやらVIPの客のみが購入できる商品券らしい。
「エート?年間、さんじゅうまんえんいじょうごりようされたお客様だけに・・・うえっ?!頭の毛に年間三十万!?・・・ええと、五万円分の商品券を特別に四万五千円で・・・。年間三十万も使ってんだからよー、もうちーっとまけろよなあー・・・」
ブツブツ言っていると、奥からニット帽とサングラスをかけた長身の男がやって来た。
「はじめまして、アキラです」
店にいた他の女性客が羨望の眼差しを向けた。
冬でもないのに室内でニット帽とサングラス。
これが、女の思う、おしゃれな男というやつか。
もうちょっとガタイがいい方がいいんじゃないか。細っちいなと、ついやっかんで見てしまう。
「どーも。・・・なあ。ユカリ、よく来んの?」
「週一くらいでご来店いただいてます。先週も来てくれてね」
ユカパイの事だから、この手の男にも媚び媚びでアピールしているのだろうか。
「彼女、物静かな子だよね」
「はあ?」
どこがだよあのビッチ、と言いそうになって鏡を見返した時、アキラの目と合った。
無意識になのだろう、彼はにっこりと微笑むと、また手元を動かし始めた。
そうか。紫は、この男が好きなんだ。
分かったところで、別にもうショックじゃないのが不思議だった。
「・・・金沢さん、この後の予定は?」
「デパ地下でケーキ買って帰る」
アシスタントの女の子が差し出してくれた女性誌なんてもう興味は無いし、グラビア誌もマンガも無いと言う。
寝ちまおうかなと考えていたのだが、アキラがちょくちょく話しかけてしてくるのがウザかった。
子供の頃から通っている床屋の料金表を眺めながら、大人の男になってパーマネントを当てるなら、細かいパンチだなとひそかに思っていたのだが、まさか美容室で、こんな太巻やらカッパ巻程あるロットでデジタルなパーマをかける日がくるとは。
「さて。どうかな?」
髪を短くしたせいか、表情がよく見えるようになった。
心なしか、若返ったようだし、顔色も明るく見える。
「おー、いいじゃん!」
極太ロットを出された時は、サザエさんみたいになったらどうしようと思っていた。
「・・・うん、すごくいい」
アキラも満足そうだった。
よし、と環は立ち上がった。
(ゆかり)から貰った商品券だけでは足らず、手出し分の会計を済ませていると、アキラがカウンターにやってきた。
バッグを取り、肩にかけた。
「・・・お荷物外までお持ちします」
「いやいいよ。重いから・・」
「またそんな・・・」
よくわからないがそれが美容院ルールなのだろうか。
「んじゃ頼むわ」
高久(たかく)はトートバッグをアキラに手渡した。
「では、・・うっ・・・・。こ、これ、何入ってんですか・・・?」
ボーリングの玉でも入ってるかのように重い。
しかし彼女は軽々と持っていたではないか、とアキラは目を剥いた。
「ああ、タッパー七個と保冷剤」
「・・・そ、そうですか・・・」
財布にレシートとカードをしまいながら、高久(たかく)アキラと店を出た。
すっかり暗くなっていて、これは急がねばデパートが閉まる。
「良かったら。ケーキ、プレゼントしましょうか」
「はあ?」
「これからケーキ買いに行くんでしょう。それとも、お店終わるまで待ってくれれば、もっとおいしいものなんでもご馳走するよ」
ああ、ナンパかよ。
意図に気付いて、高久(たかく)は笑った。
「いや結構。餌付けしようったって、あんたじゃ破産しちまうよ?」
ブラックカードを見せた。
「それともあんたで破産させたい?・・・それも無理だな。アンタじゃいい思い出にもなんなそーだしなー・・・。じゃ、どうもねー」
そう言うと、高久(たかく)(きびす)を返した。
アキラはしばらく(たまき)の後ろ姿を眺めていた。
振られたのは久しぶりだ。
店に戻ると、アシスタントが次の予約の客が間もなく来店だと告げた。
子猫のようにじゃれつく二人を仕事場に戻すと、アキラは伝票と顧客名簿を持って控え室に向かった。
初めて来店した客には、簡単なアンケートと一緒に、氏名や住所をカードに書いてもらっているのだ。
それがそのまま名簿になっている。
一番上のページに、(たまき)のカードがあった。
金沢環(かなざわたまき)さん、ね。・・・ふーん・・」
スマホに何件かお誘いのメールやラインが届いていた。
モデルやフリーアナウンサーとしてけっこう売れて来ている子からもいくつか。
「美容師やってて良かったことは・・・こういうとこだよねえ」
アキラは満足そうに笑った。


 


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

◇ 金沢 環 《かなざわ たまき》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の、養護教諭。

いわゆる保健のおばちゃんながら、人手不足の為に担任も持たされている。

日々、クラスの男子高生に手を焼いている。

世間に疲れ始めた30代前半。


既婚。夫は警察官。

都内の夫の実家で夫の母と別世帯の二世帯同居。

◇ 高久 五十六 《たかく いそろく》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の高校2年生。

態度が悪いが、父親が大手商社のCEOで、大口寄付をしている為、学校側に忖度《そんたく》されて野放し。

5月16日生まれなのが名前の由来。

ブランドモノを好むが服のセンスは悪い。


父と兄がいる。

◇金沢 諒太 《かなざわ りょうた》


環の夫。警察官。

激務で不在がち。

◇ 一ノ瀬 紫《いちのせ ゆかり》


私立旭鷲山学園の音楽教師。

吹奏楽部顧問。

音大出身で、学園長の姪。


環の同僚。

環の事は好きなタイプではないので、あまり積極的に関わっていない。

同性の友人が少ないタイプ。

◇ 白鳥  学  《しらとり  まなぶ》


私立旭鷲山学園 二学年の学年主任。数学担当。

教頭候補。

進学特進クラスの担任。


親の七光くクラスと揶揄される、環《たまき》のクラスの生徒をよく思っていない。

◇ 一ノ瀬 幸太郎 《いちのせ こうたろう》

私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんこうこう》の学園長。


紫《ゆかり》の叔父。

◇  高久 一三 《たかく かずみ》


五十六《いそろく》の兄。

家業の高久商事に勤務して居るが、就職以来、度重なる転勤と出張の生活。

実家にはあまり寄り付かずに、本社の近くにマンションも所有して居るが、そもそも転勤ばかりしている為にそこにも居付けない。

名前の由来は一月三日生まれ。

◇ 高久 九十九 《たかく つくも》


高久商事のCEO。

一三《かずみ》と五十六《いそろく》の父親。

出張が多く、不在がち。

まだ学生の五十六《いそろく》の事は、家政婦のしなのに任せて居る。


早くに結婚したが離婚。

九月十九日生まれが名前の由来。

◇ 青柳 倫敦 《あおやぎ ともあつ》


海天堂病院の心臓外科医。

五十六《いそろく》が子供の時からの主治医の一人。


伝説のゴットハンド ドクター 鬼首 静香《おにこうべ しずか》 通称鬼の静香《おにのしずか》女史の弟子。

◇ 三条 昭和 《さんじょう あきかず》


美容師。

紫《ゆかり》が長年通って居るサロンのオーナー。

通称アキラ。

異性交友関係が派手。

◇ 毘沙門天  《びしゃもんてん》


仏神であり、天部四天王。

五穀豊穣や家内安全等の信仰を担う七福神の一人でもある。

激務の為、しばし休憩しようとした場所で、環《たまき》と五十六《いそろく》と出会い、手違いを起こす。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み