第50話 青天の霹靂《ヘキレキ》

文字数 3,731文字

 スコンと抜けるような真っ青な空。
五十六(いそろく)は、ぼんやり座って空を眺めていた。
なんだか、さっき人生終わっちまった。
ほんで、すぐに人生始める準備だとよ。
よくわかんないけど、まあいいや。
突如として、晴天にもくもくと白い入道雲が現れ、
チリチリとした雷電がまわりを小さく走るのが見えた。
雲の合間に旗が見えると、五十六(いそろく)はぶんぶんと手を降った。
「あーもーっ、早くしろよーっ。待ち合わせに遅れんなよなー!」
走っているつもりのようだが、どすどすという感じで毘沙門天(びしゃもんてん)が歩ってくる。
「・・いやあ、すまなんだ・・・・なかなか捕まらなくて・・・」
よく見ると、赤い紐と鈴を付けられた猿が肩に乗っていた。
「・・・なんだこの猿?」
「いやあのな、ほら、来年申年だろ。今年は儂が連れてくる約束でなあ」
七福神が持ち回りで干支の動物を捕まえて一年可愛がる習慣があるらしい。
「・・・つーかこんな野猿、無理だろ・・・」
相当暴れまくったらしく、毘沙門天(びしゃもんてん)の体中に引っかき傷だの咬み傷がある。
「とっ捕まえるのに時間かかるし、捕まえたと思ったらこの有様だし・・・いやはや参った。ほれ、子猿、食え」
懐から大きな蜜柑(みかん)を差し出すと、猿は素早くもぎ取りかぶりついた。
「誰か食ってるとウマソーだよな・・・」
「全く、お主も子猿だな」
羨ましそうな五十六(いそろく)にも毘沙門天(びしゃもんてん)蜜柑(みかん)を放ってよこした。
五十六(いそろく)が子猿と蜜柑食べていると、またも突然に更に雲が湧き、派手に雷鳴が(とどろ)いた。
気づくと、港が目の前に広がっていた。
紺碧の青、黄金の波。
巨大な船が、音もなく現れた。
「お。来た来た」
七色の布が降ろされて、美しく揺れていた。
「さー、新年新年。七福神が乗る宝船じゃ。見事だろう。おぬしのことをお願いするのにぴったりなキャスティングなんじゃ。ちょっと待っとれ」
猿を持ち上げて、五十六(いそろく)に押し付け、彼は布につかまるとそのまま引っ張り上げられて行った。
「うわっ・・・うわわわっ!俺、チワワしか飼った事ないんだけど・・・暴れんな!」
猿は五十六(いそろく)の髪を引っ張ったりやりたい放題だ。
なにせ船体が巨大だからよく見えないが、上の方に人影があるようだ。
遠目にだが、女性がこちらを覗き込んでいた。
この世のものとは思えぬ、ものすごい美人。
確かにこの世のものではないのだろうが。
毘沙門天(びしゃもんてん)から今までの顛末を聞いているのだろう。
「・・・誰かにバレたらヤバいってビクビクしてたくせに、いいのかよ。喋っちゃって」
ちょっと猿も慣れてきて、五十六(いそろく)の頭の上に乗って居眠りをし始めた。
しばらくすると、七色の布の上を滑るように毘沙門天(びしゃもんてん)が降りてきた。
「・・・ひとまずOKじゃ。そなた乗せて行ってやる!」
「えっ。いいの?!
「大サービスじゃ。おっかない女神様がいてな、最後まで面倒見ろの、男はこれだから無責任だ。男なんて野良犬よとか・・・どえらい剣幕だったが。・・・ま。我々でなんとかしようということになった。どれ。早ようせよ。我々もお主も急がねば間に合わんわ」
五十六(いそろく)は七色の布が風をはらんで波打つのを見上げた。
その先で女神が夢のように美しい顔をこちらに向けて、さっさとしろと腕を振り上げている。
「なんか、思ってた女神様と違うっぽい・・・」
わかる、と毘沙門天(びしゃもんてん)は頷いた。
「いやあ、あのな、虎狩りと龍狩りさせたらもう無双みたいな女神様でな・・・儂なんか猿だけでもこの有様。労災欲しいくらいだわ」
トラにリュウ!?と五十六(いそろく)は悲鳴を上げた。
「怖いおばちゃんとか言ったら、お前どつき回されるから、黙ってろよ。何か聞かれたらな、良いか?"はい、その通りです"と"お綺麗ですね"、それだけを繰り返せ」
「・・・うん、わ、分かった・・・」
五十六(いそろく)は、風もないのにはためく七色の布の端をぐっと掴んだ。
波に反射した光が眩しい。
あの光の向こうに、行くのだ。

 本当は、担任であった子供達が卒業するのを見届けてから辞めたかったが、出産を考えると不可能だった。
産休を取り、育休がほぼ無い状態で復帰すれば卒業式で生徒達を見送ることは可能だったが、担任として十分な責任は果たせないだろうと思案していたところに、三年生からの担任は外すと学校側から告げられた。
(たまき)は、妊娠しているからとは告げず、退職させて欲しいと願い出た。
同僚からは、高久のことがやはりショックだろう、気持ちもわかると励まされた。
驚いたことに、(ゆかり)(たまき)の後任として担任に名乗りを上げたのだ。
さっさと寿退社だわなんて浮かれていたのにである。
全く受験に関係のない音楽教師であり、それまで担任の経験がない(ゆかり)に受験生を任せられるのかと学校側も父兄からも不安の声が挙がったのだが、白鳥(しらとり)学年主任、そして学園長が説得したらしい。
(たまき)からの引き継ぎの資料を読み込み、(ゆかり)は不慣れながらも見事に担任をこなした。
(たまき)にとっては、感謝の気持ちでいっぱいだし、何より(ゆかり)が頼もしかった。
相談がある、と何度か連絡を貰ったが、その度に彼女の成長には目を見張るものがあったし、「(たまき)先生、私、もしかしたらなんですけど、教師向いてるかもしれない・・・」とまで(ゆかり)は自分で言ったのだ。
なんでもすんなり出来るというのではなく、努力を惜しまず続ける、それが出来る仕事に出会えたということがもう幸運だし、才能である。
それから。アキラ、本名三条昭和(さんじょうあきかず)氏。
ある亡くなった少年との縁で、海天堂病院で、夫婦で毎週月曜日にボランティアでヘアカットに行くようになったとブログに書いてあった。
YouTubeチャンネルも開設し、小児科の入院病棟で子供達にしっちゃかめっちゃかにされながらバリカンとはさみを持つ姿はなんだか頼もしかった。
招かれたらどこの病院でもご自宅でも、こどもでもお母さんでもお父さんでもおじいちゃんでもおばあちゃんでもヘアカットします、とアキラが力説していた。
子供用のウィッグを作るためのヘアドネーションも始めたらしく、協力お願いしますと妻の藤子がにこにこ微笑んでいる動画が載っていた。

 
 (たまき)は新たな職場である母校から急いで保育園へと向かった。
たまたま母校の養護教諭の募集が出ていて問い合わせをしてみたら、離婚したことや、新生児がいる事を、半分同情、半分興味でシスターの教職員達が親身になってくれたのだ。
そして、なんとか職を得て今に至る。
保育園で生後八ヶ月になる息子の八朔(はっさく)を受け取った後、横抱きにして、慌ただしく駐車場へと向かった。
妹の(まどか)から、新年度の激務で急遽夜勤になったと恨言(うらみごと)満載(まんさい)の連絡が来ていたのだ。
なので、妹の職場にある託児所にも寄り、三歳と五歳の姪のお迎えに行く予定。
母親である妹はそのまま夜勤だ。
姪っ子達はおしゃまで弁が立ち、女の子とはこんなに大人なのかと感じる。
彼女達は、従兄弟を新しいペットとの出会いと思っている節があり、八朔(はっさく)の前髪をちょんまげのように結びリボンをつけては、今日はシーズー、翌日はお花のかざりを左右の頭に貼り付けて、トイプードルという遊びを楽しんでいる。
「さー、はっちゃん。お姉ちゃんたちのお迎えに行こうねー」
車に乗り込むと、八朔(はっさく)をワンボックスカーの助手席のチャイルドシートに乗せた。
「あ、見て見て。河原の桜、満開ね。日曜日、皆でお花見行こうか?」
八朔(はっさく)が、同意するかのように、にやりと笑った。
(たまき)は、車の窓を少しだけ開けた。
春先の、心が浮き立つような花の匂い、新芽の匂い、温まった土の匂い、少し埃臭いような匂い、水の下の泥と枯れた草の匂い。
この街にも遅い春が来ていた。
桜並木が南風にさわさわと揺れていた。
八朔(はっさく)はそよ風にヒヨコのような髪の毛を誇らし気になびかせながら、車窓越しに空を眺めていた。
(あお)い川沿いにずっと続く桜色の(かすみ)から視線を上げた浅葱(あさぎ)色の空の先に、ぽっかりと白い雲が一つ、慌ただしく暮れ行く西の空へと突き進んでいた。
雲の周りに小さく紫電がちりちりと光って見える。
雲が西の茜色と菫色の混じった空を切り裂きながら進んで行く。
おそらくは雲の持ち主が、上司にせっつかれてアクセルを踏み込んだのだと思われる。
(たまき)は、スマホを見て青くなった。
妹から《お迎えまだ?託児所から催促来たんですけど!?》と鬼が激怒しているスタンプ付きのラインが入っていた。
緊急救命だの手術室だの命を預かる鉄火場(てっかば)勤務が長く、ますます性格が強くなって、さらに夕方の空腹と激務で気が立っているので、短い文面だけでも怖い。
寅年獅子座O型の自分に毘沙門天は嫌そうな顔をしたが、妹は辰年蠍座B型だ。
こっちもなかなかだろうと思う。
自分の味方になってくれるのは、いつも彼女だ。
離婚しました。妊娠しています。実家に戻らせてください。
唖然とした母、絶句した父。
だが、妹だけは「お姉ちゃんの好きにしなよ!私、応援するよ!」と言ってくれたのだ。
まあ、最近では姪っ子たちの送迎、食事や世話等、自分ばかり面倒見させられている気がするが・・・。
確かに、手伝うとは言ってない。応援、だものなあ。
しかし、理解者がいるというのは心強いものだ。
「うわわわ、延長保育になるー!」
隣で環もまた、車に鞭打って加速を上げた。
空の高い場所で雷鳴が響いた。
「あら。あっちもどやしつけられてまたお使いかしらねぇ」
(たまき)八朔(はっさく)はけたけたと笑った。
どこぞも忙しい新しい春を迎えているようだ。
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登場人物紹介

◇ 金沢 環 《かなざわ たまき》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の、養護教諭。

いわゆる保健のおばちゃんながら、人手不足の為に担任も持たされている。

日々、クラスの男子高生に手を焼いている。

世間に疲れ始めた30代前半。


既婚。夫は警察官。

都内の夫の実家で夫の母と別世帯の二世帯同居。

◇ 高久 五十六 《たかく いそろく》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の高校2年生。

態度が悪いが、父親が大手商社のCEOで、大口寄付をしている為、学校側に忖度《そんたく》されて野放し。

5月16日生まれなのが名前の由来。

ブランドモノを好むが服のセンスは悪い。


父と兄がいる。

◇金沢 諒太 《かなざわ りょうた》


環の夫。警察官。

激務で不在がち。

◇ 一ノ瀬 紫《いちのせ ゆかり》


私立旭鷲山学園の音楽教師。

吹奏楽部顧問。

音大出身で、学園長の姪。


環の同僚。

環の事は好きなタイプではないので、あまり積極的に関わっていない。

同性の友人が少ないタイプ。

◇ 白鳥  学  《しらとり  まなぶ》


私立旭鷲山学園 二学年の学年主任。数学担当。

教頭候補。

進学特進クラスの担任。


親の七光くクラスと揶揄される、環《たまき》のクラスの生徒をよく思っていない。

◇ 一ノ瀬 幸太郎 《いちのせ こうたろう》

私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんこうこう》の学園長。


紫《ゆかり》の叔父。

◇  高久 一三 《たかく かずみ》


五十六《いそろく》の兄。

家業の高久商事に勤務して居るが、就職以来、度重なる転勤と出張の生活。

実家にはあまり寄り付かずに、本社の近くにマンションも所有して居るが、そもそも転勤ばかりしている為にそこにも居付けない。

名前の由来は一月三日生まれ。

◇ 高久 九十九 《たかく つくも》


高久商事のCEO。

一三《かずみ》と五十六《いそろく》の父親。

出張が多く、不在がち。

まだ学生の五十六《いそろく》の事は、家政婦のしなのに任せて居る。


早くに結婚したが離婚。

九月十九日生まれが名前の由来。

◇ 青柳 倫敦 《あおやぎ ともあつ》


海天堂病院の心臓外科医。

五十六《いそろく》が子供の時からの主治医の一人。


伝説のゴットハンド ドクター 鬼首 静香《おにこうべ しずか》 通称鬼の静香《おにのしずか》女史の弟子。

◇ 三条 昭和 《さんじょう あきかず》


美容師。

紫《ゆかり》が長年通って居るサロンのオーナー。

通称アキラ。

異性交友関係が派手。

◇ 毘沙門天  《びしゃもんてん》


仏神であり、天部四天王。

五穀豊穣や家内安全等の信仰を担う七福神の一人でもある。

激務の為、しばし休憩しようとした場所で、環《たまき》と五十六《いそろく》と出会い、手違いを起こす。

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