第10話 可愛い子には旅をさせろ

文字数 2,882文字

 初めて見た高久(たかく)の家は、豪邸で。
言って観れば、寺院のような、神社のような、旅館のような。
和風住宅というより日本建築だった。 
しばし呆然としていたが、おそるおそる、インターホンを押した。
はい、という女性の声がした。
「た、ただいま・・・」
「あら!おかえりなさいませ。今お開けします」
ガチャンという音がして、門扉と玄関のドアが解錠されたようだった。
入ってみると、まるで高級旅館のようなつくりで唖然としてしまった。
広い玄関に、秋だというのに本物の大きな桜の枝が生けられてそれが満開なのだ。
「おかえりなさいませ」
六十代くらいの女性がぺこりと頭を下げた。
誰だろう。母親はいないはずだし、祖母にしては若いし。言葉もずいぶん他人行儀だ。
ああもしや。お手伝いさんというやつか・・・。
「・・・お疲れじゃないですか、なんだか。顔色が悪いよう・・・」
「いやいやそんなことないよ・・」
「・・・修学旅行でもし何かあったらと思ったら、気が気じゃなかったですよ」
ともかく無事帰ってきてくれて良かった、と彼女はほっとした様子だった。
「お部屋に、飲み物お持ちしますからね。洗濯物を後で取りに伺います」
促されるまま、奥の部屋へと向かった。
高久(たかく)に、俺の部屋はまっすぐ行けばすぐわかる、と言われていたのでとにかくまっすぐ奥へ奥へ・・・。
この家の恐ろしいところは、どうも階段がないのだ。
平屋ということであり、それだけの土地がある、ということで。
しばらくすると、ドアに行き当たった。
ここまでずっと(ふすま)しかなかったから、突然でびっくりした。
とすると、ここだろうな、多分。
ドアを開けると、見覚えのあるアニメのグッズがところ狭しと並んでいた。
へえ、と思って環は部屋に入った。
アニメ鑑賞が趣味と書いてあったから、2メートルくらいあるようなバストで幼女顔の萌えアニメ見てたらどうしようと思ったのだが。
部屋のあらゆるところある名作アニメをモチーフにしたらしいジオラマは、よく見ると手作りのようだった。
「・・・うわ、器用・・・」
飛行機が木工で作ってあったり、不思議な植物がこれまた不思議な素材で作ってある。
巨大な虫のようなものは気味悪い程のリアルな再現率だ。
感心して(たまき)はジオラマをがぶり寄りで観察した。
やかましいとか、落ち着きがないとか思っている生徒も、みんな一人一人こういう内面世界があるのだなあ、すごいなあ、と改めて思った。
それに今頃こうなってみて気づくなんて、教師失格と心から思う。
淫行とか、暴力とか。そんなことしなくても、十分教師失格だ。
しばらくして、先ほどのお手伝いさんが飲み物を持ってきた。
「どうでした、修学旅行は?」
「うん、楽しかったよ」
高久(たかく)がいつもどういう態度なのかわからなかったが、とても楽しんでいた様子だったから間違いはないだろう。
「あら良かった。どうせプールにも温泉にも入れないのにとか、行ってもつまらないなんて言ってたから心配していたんですよ。でも、念願の就学旅行ですものね。遠足にも運動会にも行けなかったいっちゃんが、まさか就学旅行に行けるなんてねえ」
嬉しそうに彼女は言った。
思わず(たまき)も頷いていた。
今まで、サボりだとばかり思っていた。
「うん。楽しかった。行って良かった」
高久(たかく)ならそう答えるだろう。
「あ、・・・ええと、これ」
紙袋にいっぱいのお土産から、環はお菓子を一箱取り出して手渡した。
「お土産です」
箱入りのお菓子。
「まあ・・・」
彼女はびっくりした様子で箱を眺めていた。
「・・・え・・・だって、普通、だよね・・・」
「まあまあ、いっちゃんおとなになって・・・」
やり方がおばちゃんだったか。
普通は、高校生は箱買いしないかもしれない。
悩んだが、熨斗(のし)つけなくて良かった。
「ありがとうございます。あとでいただきますね」
ぺこりと環も頭を下げた。
「洗濯物頂いて行きますね。今日中にはお渡しできますから」
(たまき)は首を振った。
「・・・あの、これからは、自分でやろうと、思います・・・」
「あら、そんな。でも私の仕事ですから」
「いえ。・・・ちょっと、やってみさせてください」
「まあ・・・成長するから、可愛い子には旅をさせろなんて言うけれど。なんだか、修学旅行ってほんとに大人になるんですねえ」
そんなわけないだろう。三泊四日のフルーツ食べ放題とハイキングとプールと温泉入るだけじゃ、大人になんかならないだろう。
それじゃあ、と出て行ったお手伝いさんを見送ると、(たまき)はスマホを取り出した。
『今、帰宅しました。お手伝いさんに挨拶しました』
しばらくすると、まだ帰宅していない様子の高久からも返信があった。
『しなのさん。子供の時からお世話になってる。すごくいいひと』
お手伝いさんというより、高久(たかく)にとっては、ばあや的存在なのだろう。
『わかった。お父さんとお兄さんのことは何て呼ぶの」
『父ちゃん。兄ちゃん。でもあんまり帰ってこないし。心配しないでOK』
それが心配なのだ。
(たまき)はため息をつくと、話題を変えた。
『すごいね、作品。大作ばっかりじゃない』
『まあね!』
ちょっと嬉しそうだ。
『ほんとうにすごい。コンクールとか出したら入賞しそう』
ドアの向こうから、しなのさんの夕食ですよという声がした。

 感動だった。
座って、ご飯が用意できている。しかも、完璧な食事だ。
「修学旅行でおいしいもの沢山召し上がったでしょうけどね」
いやいやとんでもない。
ビーフシチューに、くるみ入りのパン。スモークサーモンとアボガドの入ったサラダ。小さなババロアまでついている。レストランみたいだ。
「お、おいしいですぅー。このビーフシチュー最高ー。クリスマスみたーい・・・」
「まあ、クリスマスは七面鳥(ターキー)でしょう?今年のクリスマスはシチューがいいんですか?」
七面鳥?!そんな鳥、見たことも食べたこともない。
うわどうしよう。クリスマスまでここんちの子でいたい気がしてきた。
クリスマスで七面鳥なんだから、お正月はどうなんだろう。(まぐろ)でも一匹出てきそうだ。
「・・・えと、と、父ちゃんと、兄ちゃんは・・・」
「ええと旦那様は、一昨日、一度戻っていらして、そのままベルギーに出張に。一三(かずみ)さんは、先月から戻ってらっしゃいません。このまま年末までお忙しいようですよ」
「・・・そっか・・・」
「ご用事でしたか」
「・・・お土産、渡したいなあと思って」
しなのが目を見開いた。
「お土産?それぞれにお買いになったの?いっちゃん。まあー、修学旅行って本当にめざましく大人になっちゃうんですねえ!」
え、うん。と環は適当に誤魔化して、また食事に没頭した。
男子高生というのは、男家族には土産なんてそれぞれ買ってこないものなんだろうか。
自分が修学旅行に行った時は、クラスメイトとお揃いであれこれ買ったり、それこそ家族や友人一人一人に細々(こまごま)とした土産を買ったものだけれど。
高久(たかく)に家にお土産は買ったのかと聞いたら、自分には買うが、別に家には買わないと言ったので、慌てて買い求めたのだが。
自分の分は、高久に渡してあるのだが。
「いっちゃん。シチューもサラダもおかわりありますよ」
「お、お願いしまーす・・・」
環はいそいそとお皿を差し出した。
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登場人物紹介

◇ 金沢 環 《かなざわ たまき》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の、養護教諭。

いわゆる保健のおばちゃんながら、人手不足の為に担任も持たされている。

日々、クラスの男子高生に手を焼いている。

世間に疲れ始めた30代前半。


既婚。夫は警察官。

都内の夫の実家で夫の母と別世帯の二世帯同居。

◇ 高久 五十六 《たかく いそろく》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の高校2年生。

態度が悪いが、父親が大手商社のCEOで、大口寄付をしている為、学校側に忖度《そんたく》されて野放し。

5月16日生まれなのが名前の由来。

ブランドモノを好むが服のセンスは悪い。


父と兄がいる。

◇金沢 諒太 《かなざわ りょうた》


環の夫。警察官。

激務で不在がち。

◇ 一ノ瀬 紫《いちのせ ゆかり》


私立旭鷲山学園の音楽教師。

吹奏楽部顧問。

音大出身で、学園長の姪。


環の同僚。

環の事は好きなタイプではないので、あまり積極的に関わっていない。

同性の友人が少ないタイプ。

◇ 白鳥  学  《しらとり  まなぶ》


私立旭鷲山学園 二学年の学年主任。数学担当。

教頭候補。

進学特進クラスの担任。


親の七光くクラスと揶揄される、環《たまき》のクラスの生徒をよく思っていない。

◇ 一ノ瀬 幸太郎 《いちのせ こうたろう》

私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんこうこう》の学園長。


紫《ゆかり》の叔父。

◇  高久 一三 《たかく かずみ》


五十六《いそろく》の兄。

家業の高久商事に勤務して居るが、就職以来、度重なる転勤と出張の生活。

実家にはあまり寄り付かずに、本社の近くにマンションも所有して居るが、そもそも転勤ばかりしている為にそこにも居付けない。

名前の由来は一月三日生まれ。

◇ 高久 九十九 《たかく つくも》


高久商事のCEO。

一三《かずみ》と五十六《いそろく》の父親。

出張が多く、不在がち。

まだ学生の五十六《いそろく》の事は、家政婦のしなのに任せて居る。


早くに結婚したが離婚。

九月十九日生まれが名前の由来。

◇ 青柳 倫敦 《あおやぎ ともあつ》


海天堂病院の心臓外科医。

五十六《いそろく》が子供の時からの主治医の一人。


伝説のゴットハンド ドクター 鬼首 静香《おにこうべ しずか》 通称鬼の静香《おにのしずか》女史の弟子。

◇ 三条 昭和 《さんじょう あきかず》


美容師。

紫《ゆかり》が長年通って居るサロンのオーナー。

通称アキラ。

異性交友関係が派手。

◇ 毘沙門天  《びしゃもんてん》


仏神であり、天部四天王。

五穀豊穣や家内安全等の信仰を担う七福神の一人でもある。

激務の為、しばし休憩しようとした場所で、環《たまき》と五十六《いそろく》と出会い、手違いを起こす。

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