第32話 奮闘の夜

文字数 3,321文字

 その頃、(たまき)は。
良いところを見せようと、高久邸のキッチンで唐揚げを揚げまくっていた。
なので、高久からの連絡にもとんと気づかなかった。
それぞれ孤食が当然だった食卓に、皿がいくつも並べられていた。
先週も帰ってきたはずの兄と、ふらりと飯時にやってくるようになった父が、箸を持って待っていた。
「いそ、俺、鶏皮(トリカワ)嫌いなんだけど・・・」
「あ、お兄さんの分は、皮外してあります!梅のお花描いてある和皿の方です」
「お。サンキュ。・・・うまいな、これー」
「勿体ないな・・・。俺は皮好きなのに・・・」
「お父さんは、鶏皮をきんかんと甘く煮たものもあります」
「気がきくなあー。ん、ほんとにうまいな、これ。・・・むむ。これは、唐揚げ、味違うな?」
「塩味と醤油味です。二キロ揚げたのでまだまだあるのでどんどん食べてください!」
「あ、父さん、勝手にレモンしぼるなよ」
「いいじゃないかよ」
「それ、カボスです。ご飯、はらこ飯なんですけど、イクラ食べれますか?」
汗をかきかき鶏肉二キロを揚げたやりきった充実感に、明日、五十六(いそろく)に報告してやろうと(たまき)は気分も良かった。

 五十六(いそろく)と諒太は、車に乗ってしまってから、床屋がもう営業終了している時間であると気づいた。
「たまちゃん、床屋なんか閉まってるよ、もう」
「だよなあ・・・」
夜の九時になろうとしていた。
諒太の車に乗りながら、五十六(いそろく)は少し考えて、思いついた。
「ある。知り合いの美容室」
確か、アキラの店は夜十時まで営業しているはずだ。
「ええっ!?美容室なんて、行ったことないし・・・」
「大丈夫、大丈夫。知り合いの店だからよっ」
アキラと店の様子もちょっと偵察して来よう。
お、忘れるところだった。と、五十六(いそろく)は手に持っていたカツラを諒太の頭に乗っけた。
そのまま車を近くの駐車場に駐めて、二人は店に向かった。
「・・・こんな華やかな店、場違いだよ・・・」
「そんなことねえって。早くしろよ!モタモタすんな、ほら!」
ドアを開けると、受付のスタッフが出迎えた。
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか」
(たまき)よりも五、六歳年上のショートカットの女性だった。
スタッフのメンツも以前と違うようだった。
客も、他には一人しかいない。
「ええと。前に一度来たことがあって。出来たら、お願いしたいなあって思って」
ずいっと諒太を押した。
「大丈夫ですよ」
にこやかに彼女はそう言うと、諒太を鏡の前に案内した。
「ご指名はございますか?」
五十六(いそろく)が頷いた。
「アキラさんで!」
声に気づいたアキラが奥から出てきた。
一瞬、ギョッとしたようだったが、さすがの客商売で、すぐににこやかに会釈した。
「・・・先日は、あの、お世話になりました」
「うん、どうもな。・・・その後、どうした?」
「・・・通院中です」
「そりゃ良かった。大丈夫そう?」
「ええ。薬飲めば治るそうで」
「よかったじゃん」
二人の小声の会話を、不思議そうに聞いていた諒太が目を泳がせていた。
「ああ。なんでもねえよ。ここのオーナーのアキラさん。ちょっとあちこち具合悪いらしくて。病院に行くように勧めたんだ。ほら、保健の先生だから」
「そうなんです。こちらはご主人ですか?いつもお世話になってます。オーナーの三条です。今日はどうされますか?」
「ケン・ワタナベみたいにしてやってよ。じゃ、よろしくな!」
五十六(いそろく)は受付の横の小さなラウンジに向かった。
以前あったジャングルのような観葉植物は撤去されて、代わりにゆったりと寛げるようなソファが用意されていた。
受付にいた女性が、ハーブティーにするかスムージーにするかジュースにするかと聞きに来た。
今日はそんなサービスまであるのかと五十六(いそろく)は驚いた。
「・・・金沢様、あの、オーナーに病院行くように勧めてくださった方ですか?」
「え?・・・ああ、まあ、はい・・」
何度も恫喝(どうかつ)めいた電話をしていたのは事実。
「・・・そうですか。ありがとうございます。私、妻なんです」
「・・・えっ。お、おくさん・・!?」
彼女は頷いた。
思ったより落ち着いた女性が妻で驚いた。
もっと派手でやたらめったらに若い女と結婚していると思っていた。
「・・・恥ずかしい話ですけど、うちの人、スタッフの若い女の子達全員に手を出していたんですよ。今回の病院騒ぎで、皆、辞めちゃって。今は男性スタッフと、昔からいてくれる年配の女性スタッフと、私でお店回してるんです」
そうか。だから何だか店の雰囲気も違うのか。
「・・・あのー・・・すいませんでした。余計なことして」
「いえ、とんでもないです。ありがとうございました。・・・・昔から、あのひとの性格は分かっていたんですけど。今回はさすがに・・・。それに子供に移ってでもいたらと思うとね・・・。でも、私も元美容師なんです。だから、私がちゃんと監視して、またがんばります。どうぞ、今後ともよろしくお願いします」
人気商売だから、噂だって立っている。
いろいろ揉めはしたが、自分も店に出ることで今後の方針が決まったのだと彼女は言った。
「そうなんですか・・・。こちらこそ、よろしくお願いします」
五十六(いそろく)もぺこりと頭を下げた。
「いえいえ。・・・ちょっと、お店変わったでしょ。前は、あの人目当ての女性のお客様が多かったと思うんですけど。今度は、ここに来て間違いなく良かったなっていうお客さんをね、増やして行こうと思うんです。清潔感あって、きれいで明るいイメージで」
だから健康的なハーブティーやスムージーなのか。
「前は、なんつうか。ホストクラブっつーか。アキラのオンステージみたいな店だったもんな」
ぷっと彼女は吹き出した。
「ねえ。そんな美容室、怪しげですよねえ。・・・あ、私は、うつってなかったです。ホッとしました」
こそこそと彼女は耳打ちした。
「はい。おかげさまで。・・・あいつ、通院してる小児科のお医者さんに、丸出しのまま、こっぴどく怒られたそうです」
「うわ。かっこわりぃなあ・・・」
「本当!でもあちこちで遊んでた自分が悪いんだしねぇ。とことんバカだなあって離婚も考えたんですけど。・・・あ、私、エステの資格も持ってますから。良かったらまたいらしてくださいね」  
彼女はそう言うと、名刺を手渡した。

 鏡の前で諒太はすっかり緊張していた。
アキラが鏡ごしに見つめていた。
「・・・うーん・・・渡辺謙、ですか・・・」
好青年の面影を残した諒太には、何となく合わない気がした。
もっと年配になってからでもいいんじゃないだろうか。
自分よりは年下の三十五、六といった所だろう。
しばし悩んでいると、
「なんつってもケン・ワタナベだかんな!!そいつ変に甘っちょろい顔してっから、このまま年取ったら、とっつぁん坊やになっちまうだろが!!」
モタモタしてんなオヤジ共!とラウンジから(げき)が飛んできた。
「・・・強烈な、奥様でらっしゃいますね・・・」
はあ、と諒太は頷いてから首を傾げた。
「ああ、あの・・・」
諒太が自分の頭頂部に触れて、おもむろに手を動かした。
アキラは無言で理解すると、その手をそっと止めた。
「私もこういう仕事なので・・・。私は・・・その、増やして、いるんですが。よければ、そちらのサロン紹介しますよ。ダイレクトメールも会社名を変えて送ってくれるから、家族にもわからないですよ」
「・・・え?そんなものがあるんですか・・・?」
「はい。・・・ここだけの話ですけど、俳優の・・・とか、タレントの・・・とかも通ってますよ」
知名度のある名前をこそこそ声で言う。
「ええっ!そ、そうなんですか・・・?!道理であの人たち、20代よりフサフサだ・・・」
諒太の心がちょっと動いたのが分かった。
「見られる商売は、大変ですからね」
悲しいかな、カッコつけてなくては成り立たない商売というものを生業としている身分の者は、カッコつけれなくなったら、おしまいなのだ。
しゃべりや面白さで勝負している同業者もいるはいるが。
自分にはそういった人間的魅力というものは、低いとアキラは自覚している。
「いえ。・・・いいんです。もう、切っちゃってください。わ、渡辺謙にしてください!」
決断したようだった。
アキラは頷くと、ハサミを取った。
というわけで、夜中、突然送られてきた夫の画像に、また(たまき)は驚くことになる。
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登場人物紹介

◇ 金沢 環 《かなざわ たまき》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の、養護教諭。

いわゆる保健のおばちゃんながら、人手不足の為に担任も持たされている。

日々、クラスの男子高生に手を焼いている。

世間に疲れ始めた30代前半。


既婚。夫は警察官。

都内の夫の実家で夫の母と別世帯の二世帯同居。

◇ 高久 五十六 《たかく いそろく》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の高校2年生。

態度が悪いが、父親が大手商社のCEOで、大口寄付をしている為、学校側に忖度《そんたく》されて野放し。

5月16日生まれなのが名前の由来。

ブランドモノを好むが服のセンスは悪い。


父と兄がいる。

◇金沢 諒太 《かなざわ りょうた》


環の夫。警察官。

激務で不在がち。

◇ 一ノ瀬 紫《いちのせ ゆかり》


私立旭鷲山学園の音楽教師。

吹奏楽部顧問。

音大出身で、学園長の姪。


環の同僚。

環の事は好きなタイプではないので、あまり積極的に関わっていない。

同性の友人が少ないタイプ。

◇ 白鳥  学  《しらとり  まなぶ》


私立旭鷲山学園 二学年の学年主任。数学担当。

教頭候補。

進学特進クラスの担任。


親の七光くクラスと揶揄される、環《たまき》のクラスの生徒をよく思っていない。

◇ 一ノ瀬 幸太郎 《いちのせ こうたろう》

私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんこうこう》の学園長。


紫《ゆかり》の叔父。

◇  高久 一三 《たかく かずみ》


五十六《いそろく》の兄。

家業の高久商事に勤務して居るが、就職以来、度重なる転勤と出張の生活。

実家にはあまり寄り付かずに、本社の近くにマンションも所有して居るが、そもそも転勤ばかりしている為にそこにも居付けない。

名前の由来は一月三日生まれ。

◇ 高久 九十九 《たかく つくも》


高久商事のCEO。

一三《かずみ》と五十六《いそろく》の父親。

出張が多く、不在がち。

まだ学生の五十六《いそろく》の事は、家政婦のしなのに任せて居る。


早くに結婚したが離婚。

九月十九日生まれが名前の由来。

◇ 青柳 倫敦 《あおやぎ ともあつ》


海天堂病院の心臓外科医。

五十六《いそろく》が子供の時からの主治医の一人。


伝説のゴットハンド ドクター 鬼首 静香《おにこうべ しずか》 通称鬼の静香《おにのしずか》女史の弟子。

◇ 三条 昭和 《さんじょう あきかず》


美容師。

紫《ゆかり》が長年通って居るサロンのオーナー。

通称アキラ。

異性交友関係が派手。

◇ 毘沙門天  《びしゃもんてん》


仏神であり、天部四天王。

五穀豊穣や家内安全等の信仰を担う七福神の一人でもある。

激務の為、しばし休憩しようとした場所で、環《たまき》と五十六《いそろく》と出会い、手違いを起こす。

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