第4話 初めて縋った男

文字数 3,592文字

 高久(たかく)(たまき)の行動に驚いた。
「・・・ババア、何やってんだよ・・・・!?は、恥ずかしいから、やめろっつうのっ!」
しがみつく(たまき)をなんとか引き離そうとしたが、環は必死に毘沙門天(びしゃもんてん)の足を掴んでさなかった。
まさか人生初めて(すが)りついた男が、こんな鎧姿の人間以外だと思いもしなかったが。
「・・・こ、これェ!離さぬか・・・!」
「あなた神様なんだからお願い聞いてくれてもいいですよね?!私だってたまには神社とか行ってるじゃないですか?!それに、私、実家の神棚だってたまにはお水替えたりお米あげたりしてました!!」
「・・・水とコメって・・・おぬし、鳥の世話ってわけじゃないんだからな・・・。おぬしは事務的で心がないわ。・・・すまんが、無理じゃ、無理!のほほんとした人間の言うことなんか聞いてられんわ」
「神様、自分の名前の沼で二人殺しといてそれはないじゃないですか?!大体、神様なんでしょ?!こんな事故未然に防げないんですかっ!!」
「ふ、二人殺し・・・!?・・・何と人聞きの悪い・・・」
ほとほと迷惑、という顔で毘沙門天(びしゃもんてん)は頭を左右に振った。
女に追い(すが)られ、別れたくても別れられない男の仕草にそっくりである。
「この子ね、こんなわけわかんない見るからにバカっぽい感じですけど、さっき落ちたのだってね、私のこととっさに助けようとしたからなんです!」
足元が崩れた時に、腕を引っ張られた感覚はあった。
間違いなく、あれは高久(たかく)だった。
確かに、白鳥(しらとり)が雷に驚いて起きた事故だ。
だが、助けようとしてくれた高久(たかく)まで死ぬなんて、あまりにも不条理ではないか。
今まで(たまき)の勢いに圧倒されていた高久(たかく)が、はいはい!と手を上げた。
「神様!先生だってな、大変なんだよ。だってな、こいつ、いつまでたってもババアになるばっかで下っ端なんだもんよ!」
最悪だろ?!と高久が吐き捨てた。
「教えてる科目もよ、全然受験に関係ねー、エッチなことだろ?!あと、保健室だってよ、別にたいしたことやってねえしよ。看護師でも医者でもねえし。マジで、ただの保健室に居るおばちゃんだもんよ?!」
ちょっとちょっと・・・。
環は唖然として高久(たかく)を見た。
「だから、園長なんかこいつのこと、まじでザコくらいにか思ってねえし。園長のオヤジの理事長なんてこいつの名前すりゃ知らねえよ?だってザコだもんな。学年主任のオッさんだって、当然のようにパシリにこき使いやがってよ。若くてボインでかわいい先生にはデレデレしてどっかの土産のお菓子とかあげてるくせによ?!んで、そのコーハイの若い女は、こいつの言うことなんかシカトしてんだからよ!?」
・・・・うわあ。なんか私、悲惨。
ひどい職場・・・。
なんで辞めないんだろう。
自分でも、わかっていたつもりだが、人に言われるとものすごくショックだった。
「なんか、カワイソーじゃねえか。ババアで、下っ端で、ザコでよー・・・。その上、こんな沼に落っこって死ぬなんて、自分だったら嫌じゃねえ!?ああ嫌だ!俺だったら耐えらんねぇ!」
「・・・ちょっとちょっと、アンタ、いくらなんでも・・・・・・」
「本当のことじゃねえか!」
だから止めてほしいんですけど・・・。
こんなことを聞かされた方だって困るし余計印象悪いじゃないか。
しばし考え込んでいた毘沙門天(びしゃもんてん)(たまき)の背中をそっと叩いた。
「そうか・・・環刀自古(たまきとじこ)
女性に対する古代の尊称で呼ぶと、(たまき)を座り直させた。
「確かに。それは儂もわかる。あちらをたてればこちらがたたない。まことに、世はしがらみいっぱいで、世知辛(せちがら)い」
毘沙門天(びしゃもんてん)は眉間にしわを寄せて盛大にため息をついた。
高久(たかく)が嫌そうに顔を(しか)めた。
「・・・神様の世界まで世知辛いのかよ・・?」
「うむ。一神教は一党独裁で恐ろしいものだが、多神教も縦社会ではあるので、もちろん上に文句どころか意見等できない。同時に横のつながりを軽んじようものならフルボッコじゃ」
壮絶な縦社会で、かつ出る杭は打たれるらしい。
「そうか、環刀自古(たまきとじこ)。そなた、ババアになるだけでいつまでも下っ端パシリ役か・・・。それは、(つら)いのう・・・」
本人に向かって、この人達、ひどくない?
「あの、ちょっと・・・」
「わかる、わかるぞ!儂とて同じじゃ。上司には、イエスかはいしか許されぬ・・・」
遠い目をする。
「・・・よし。わかった。儂も中間管理職。感じ入る部分もある」
「神様、一番偉いんじゃないのかよ」
「何を申すか。儂なんぞなあ、割と下の方じゃ。今ほども、実は帝釈天(たいたしゃくてん)様より使いの途中だったのじゃ。ちょっと疲れて、この縁のある沼で一服しようとしておったとこでな」
外回り中に隠れて休憩する営業マンのようだ。
「なんだよ。神様もパシリかよ・・・。あんただって部下がいんだろ。パシらせりゃいいじゃん?」
へっと、毘沙門天(びしゃもんてん)がバカにしたように笑った。
「そりゃ部下はいるがの。・・・言ったことしかしない、やらない。自分の仕事じゃないってな。じゃ、雑務は誰やるんじゃい!?・・・儂じゃ。・・・その上、ちょっと叱りつけると、出てこなくなる。謎のコンプラ違反にこっちはビクビクじゃい」
「なんだよ。部下ゆとりちゃんかよ。俺の仲間だわ」
「上司は勢いばっかりあって、思いつきを押し付けてくる始末。結局、待遇も変わらぬまま仕事と責任ばかりが増え、儂はいつまでも兵隊じゃ」
ああ、と(たまき)も頷いた。
「・・・致し方あるまい。そなたらが、雷に驚いて沼に落ちたとなれば、儂の責任でもある。儂は霹靂(へきれき)、つまり雷雲に乗るゆえに」
「なんだよ。ほぼ神様のせいじゃねえか?」
「・・・こ、これも奇縁だのう。・・・そなたらの魂が肉体を離れてまだ時間も浅い。・・・特例である。来し方に戻るが良い」
「生き返らせてくれんのかっ?」
「ありがとうございますうーーーっ!」
(たまき)が手を合わせた。
今まで心配そうに見ていた鯉が、嬉し気に飛び跳ねた。
「神様の御慈悲じゃなぁ!良かったのう。ならば、そなたら、急ぐがよい。・・・私が浅瀬まで案内してやろう」
「うむ。早い方が良い。他の者は皆、心配しておるのだろう。・・・では、目を閉じよ、口を開けよ。・・・息災でな」
言われた通りに目をぎゅっと閉じ、口をかぱっと開けた、一瞬後。
空気が出て水を飲んだと逆に、今度は、水が体の中から、出て行く。
空になった肺が、空気を求めて膨張したのがわかった。

 沼に落ちてわずか数分後、(たまき)高久(たかく)は助け出された。
というか、自分で地の上に這い上がった。
「なんだべなあ。こんな沼に落っこぢた人は、ここしばらくいねえよー?」
地元の土産物屋のおじちゃんが、気の毒そうに頷いた。
膝の上で手製の花柄のちゃんちゃんこを着せられたキジトラの猫がごろごろと喉を鳴らしている。
どうやら溺れるほどの時間水中にいたわけではないらしい。
しかも、なんだか夢を見ていた気がするのだが。
人は溺れていても寝るのだろうか。
ああ、意識がなかったのか。
幻覚というやつか。
顔面蒼白の学年主任の白鳥の黒目が上下左右に動いている。
「・・・いや、これは、事故で・・・いや、事故でも困る。いや、過失で、いやええと・・・」
「ふざけんな。テメーが押してこいつら池に落ちたんじゃねえか?!
生徒達が白鳥(しらとり)を罵った。
「いやっ、突然雷がなったから・・・」
「責任転嫁すんのかよ。事件だろ、事件っ」
もはや口も開きたくない(たまき)は黙っていた。
とにかく寒くて体がガタガタ震える。
「あのねえ、あんたら。ここらじゃそれは、事件とか事故とか責任問題とかじゃないんだよ。・・・ただのまぬけな話で終わり。・・・あーぁ、頭までびちゃびちゃ。タオルで拭いて、ほら。風邪ひいっちゃうよおー。かわいそうにぃ」
なんとか工務店と書いてあるタオルで、奥方と思われるおばちゃんが頭を拭いてくれた。
すいません、と頭を下げる。
おじちゃんの腕の中のキジトラの猫が、バ~カと鳴いた。
「ま、とは言っても。とにかくちっと謝ったほうがいいんでねえの。・・・先生も悪ぃなら」
そう赤の他人に促されて、白鳥(しらとり)は頭を下げた。
「・・・申し訳、なかった」
(たまき)はなんとなくガクッと来て、瞼を閉じた。
一同は不満だったが、おばちゃんは、はいはいと白鳥(しらとり)の背中を叩いた。
「あんたら着替えはあんのがい?」
そう言われて、はっとした。
そうだ、衣類の入ったバッグはバスの中だ。
どこかトイレでも探して着替えなければ。
「・・・ほんとにいろいろ、すみません・・・・」
しかし、とんだ引率になってしまった。
立ち上がった時、うおおとも、うああとかまた声が上がった。
今度は何だと目を向けた時、なぜか・・・、ブラジャー姿の自分がこっちを見ていた。
大きな鏡だろうか。
いやしかし、服なんてまだ脱いでないし、なんでそんな白目向いてこっちを見ているのか・・・。
鏡の自分と目が合った、と思った。
それは自分ではなく。いや、自分なのだが。
そして、気付いた。
自分は、ずぶ濡れの黒いジャージで、なんちゃらデザートのスニーカーを履いていた。
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登場人物紹介

◇ 金沢 環 《かなざわ たまき》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の、養護教諭。

いわゆる保健のおばちゃんながら、人手不足の為に担任も持たされている。

日々、クラスの男子高生に手を焼いている。

世間に疲れ始めた30代前半。


既婚。夫は警察官。

都内の夫の実家で夫の母と別世帯の二世帯同居。

◇ 高久 五十六 《たかく いそろく》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の高校2年生。

態度が悪いが、父親が大手商社のCEOで、大口寄付をしている為、学校側に忖度《そんたく》されて野放し。

5月16日生まれなのが名前の由来。

ブランドモノを好むが服のセンスは悪い。


父と兄がいる。

◇金沢 諒太 《かなざわ りょうた》


環の夫。警察官。

激務で不在がち。

◇ 一ノ瀬 紫《いちのせ ゆかり》


私立旭鷲山学園の音楽教師。

吹奏楽部顧問。

音大出身で、学園長の姪。


環の同僚。

環の事は好きなタイプではないので、あまり積極的に関わっていない。

同性の友人が少ないタイプ。

◇ 白鳥  学  《しらとり  まなぶ》


私立旭鷲山学園 二学年の学年主任。数学担当。

教頭候補。

進学特進クラスの担任。


親の七光くクラスと揶揄される、環《たまき》のクラスの生徒をよく思っていない。

◇ 一ノ瀬 幸太郎 《いちのせ こうたろう》

私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんこうこう》の学園長。


紫《ゆかり》の叔父。

◇  高久 一三 《たかく かずみ》


五十六《いそろく》の兄。

家業の高久商事に勤務して居るが、就職以来、度重なる転勤と出張の生活。

実家にはあまり寄り付かずに、本社の近くにマンションも所有して居るが、そもそも転勤ばかりしている為にそこにも居付けない。

名前の由来は一月三日生まれ。

◇ 高久 九十九 《たかく つくも》


高久商事のCEO。

一三《かずみ》と五十六《いそろく》の父親。

出張が多く、不在がち。

まだ学生の五十六《いそろく》の事は、家政婦のしなのに任せて居る。


早くに結婚したが離婚。

九月十九日生まれが名前の由来。

◇ 青柳 倫敦 《あおやぎ ともあつ》


海天堂病院の心臓外科医。

五十六《いそろく》が子供の時からの主治医の一人。


伝説のゴットハンド ドクター 鬼首 静香《おにこうべ しずか》 通称鬼の静香《おにのしずか》女史の弟子。

◇ 三条 昭和 《さんじょう あきかず》


美容師。

紫《ゆかり》が長年通って居るサロンのオーナー。

通称アキラ。

異性交友関係が派手。

◇ 毘沙門天  《びしゃもんてん》


仏神であり、天部四天王。

五穀豊穣や家内安全等の信仰を担う七福神の一人でもある。

激務の為、しばし休憩しようとした場所で、環《たまき》と五十六《いそろく》と出会い、手違いを起こす。

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