第34話 説得は無理な人

文字数 4,499文字

  東海林(しょうじ)たちとのラーメンを食べに行く話を断って、(たまき)は早めに帰宅しようと、駅に向かった。
東海林(しょうじ)高橋(たかはし)は残念そうだったし、有名な激辛ラーメンを食べに行こうと言われて、少し心惹かれたが、それどころではない。
いつもの夕食の材料の買い物もそこそこに、慌ただしく門扉を開けた。
毘沙門(びしゃもん)様は神無月(かんなづき)いっぱいは不在だと言っていた。
ならば、霜月(しもつき)である十一月一日からは在宅というわけだろう。
在宅というかはわからないが。
それまで、あと二週間ばかり。
最初は五十六(いそろく)の心臓の手術や受験の事も考えていたが、何としても早く身辺を整理して元の体に戻っておかないと、どんどんお互いの人生がこんがらがって行きそうだ。
台所に食材を持って向かうと、ちょうどコーヒーを入れていた一三(かずみ)の姿があった。
「お。いそ、おかえりー。今日は何だ?」
「・・・ただいま。・・・スーパーで、茄子のいいのがあったから、秋野菜と鶏団子で蒸し物と、あと春巻にします」
「お。いいねえー。日本酒もいいけど、春巻ならビール買ってこようかなー」
呑気にそう言う一三(かずみ)に、(たまき)は向き直った。
「・・・お兄さん・・・あの・・・」
真面目な顔で迫られて、少し圧倒された一三(かずみ)が身構えた。
「なんだよ・・・。あ、冷蔵庫にあったパンの耳の揚げたやつ、食っちまったからな」
サンドイッチを作るのに食パンの耳を落としたものを取っておいたものを昨日唐揚げの前に揚げたのだ。自分のおやつにしようとは思っていたが・・・。
もうそれどころじゃない。
「別にいいです・・・あの、金沢先生のことなんだけど・・・」
そう言うと、ぽっと一三(かずみ)の頬が染まった。
これは、ヤバいかもしれないと、直感した。
「・・・あのね、知ってるんだと思うけど、金沢先生は既婚者でね・・・」
「だからあー。それは何回もお前に聞いたってー」
「・・・だよねえ。・・・うん、知ってんだよねえ・・・」
五十六(いそろく)もまともに説明はしたのか。
では、一三(かずみ)は何のつもりなのだろうか。
僭越(せんえつ)ながら・・・もしかして、いわゆる、フ、ファンってこと?今流行りの、推し活ってやつ?」
自分で言ってて恥ずかしいが。
「・・・そうだな。そういうのもあるかもしれないな」
シルバーのメガネを直しながら彼は呟いた。
やっぱりそうなのか。そういうジャンル分けなのだろうか。
「そうだな。弟が大変世話になったわけだし、感謝もしているし、尊敬もしている」
「そ、尊敬って・・・。・・・そこまでじゃない・・・困りますぅ・・・」
尊敬っていうのは、よく受験で、両親ですとか言うが・・・それこそご両親とか、マザーテレサとか、ガンジーとか、野口英世とか、そういう・・・。自分がそんな・・・。
そういうのは。偉人的に使う形容詞であって・・・。
「いや、そういうのは大事だぞ。尊敬のない愛など、ただの興味。性の対象でしかない」
「・・・はあ?」
何言った?このメガネ、今何言った?
「まあ座りなさい。いそ。お前にも、そういう大人のきちんとした話をそろそろした方がいいのかもしれないな」
一三(かずみ)の周囲に先輩風がびゅうびゅう吹いている。
呆然としたまま(たまき)がソファに座ると、一三(かずみ)が満足気に話し始めた。
「いいかい。五十六(いそろく)。お前の年だと、女の子に興味があるだろう。この先、女の子とおつきあいをすることがあると思う」
この先どころか、このバカ、ついこないだ、お互い体目当てで教師と付き合って、フラれて追いすがって病気まで貰ったんじゃないかって大変だったんですよ・・・。
(たまき)は心の中でそう呟いた。
「その時に、お互い尊敬の気持ちがなければ、うまくはいかないんだ、残念だけど」
(たまき)は、はっとして口元を押さえた。
「・・・なるほど・・・ああ、確かに・・・」
高久(たかく)(ゆかり)も、(ゆかり)とアキラもぜんぜんうまくいってなかった。
尊敬が無かったからか・・・。
でも、尊敬が、すべての男女の間にあるだろうか。
例えば、うちとか・・・。
(たまき)は自分の身を(ひるがえ)って、考え込んだ。
そもそも、自分たちはうまくいっているのだろうか。
意外なことに、(たまき)は今まで、うまくいっていないと考えた事が無かったのだ。
そりゃいわゆるラブラブではないが、こんなもんだろうと。
しかし、よくよく考えてみると、破綻こそしていないけれど、お互いにあまり尊敬どころか興味が無いのでは・・・。
では、果たして尊敬とは、何?
環の頭の中で、疑問は何度も繰り返される。
(たまき)先生のところは、どうなんだろうか・・・」
一三(かずみ)の問いに、(たまき)は腕を組んで考え込んだ。
「・・・どう、なんでしょうか・・・?愛情はあると思います。ただ、尊敬となると・・・」
つい、五十六(いそろく)の姿であるのを忘れて、環はうつむいたまそう答えていた。
「・・・それは果たして、愛情なのかなあ」
「・・・え・・・?」
顔を上げると、一三(かずみ)の視線とぶつかった。
「執着じゃないのかな・・・・。それも、相手ではなく、自分に対する執着」
「え・・・?」
・・・この人、何言ってんの・・・?
「もしそうなんだとしたら、不幸じゃないか」
「・・・と、というと・・・?」
「うん。不幸を手放して、尊敬し合える配偶者と新たに幸福な関係を築く、ということだな。いそにはちょっと難しいかな。つまり、今の夫と離婚して、俺と再婚するってことだな、平たく言うと」
「えええええっ?!何でそうなるんですか?!ダメでしょう?!
「なんでダメ?!
「なんでって・・・。ダメでしょうよ。だいたい、あなた、私、じゃない、先生の何を知ってるっていうんですか?」
「これから知ればいいよ。そう言うお前は知ってるのか?」
「そりゃ、・・・ある程度は・・・・」
ふうん、とつまらなさそうに一三(かずみ)はまた眼鏡を直した。
「じゃ、聞くけど。環先生の旧姓は?」
韮崎(にらさき)・・・」
だから子供の時からずっとニラタマというあだ名だったのだ。
小学生のおさげの自分は自分の姓を呪ったが、今では夫の姓のおかげてもっと不名誉なあだ名をつけられている。
「誕生日は?」
「8月1日です」
「趣味と特技は?」
「フクロウグッズ集め。特技と言えるかわからないけど、クロスワードパズルとか得意です。あ、学生の時、テニス部と華道部と茶道部だったから、一通りは・・・」
「ふうん。そうなんだ」
「好きな食べ物は?ケーキと?」
「え?まあ、ケーキも好きですけど・・・。辛いものと、甘い物と、酸っぱいものと・・・粉モノも好きです」
あまり好き嫌いは無い方だ。
一三(かずみ)が不満そうに眉を寄せた。
「・・・なんかさあ。前から思ってたんだけど。随分、詳しいよな?」
「えぇ?」
つい誘導尋問に乗せられて、いろいろ答えてしまった。まずかったか。
「・・・そんなことないです」
「いや。詳しい。・・・前々からちょっと変だと思ってたんだ。もしかして、お前。・・・(たまき)先生なのか?」
ズバリと言われて、血圧が一気に下がった。
・・・ばれた・・・?
しまった。喋りすぎた。
いつからばれていたのか・・・。
考えてみれば、兄弟だもの。
違和感を感じて、当たり前だ。
もしかして、この人、霊感とかそういうのがあって、自分の姿が見えていたりとかするのかもしれない。
(たまき)は、顔を上げた。
説明しなくてはならない。
「・・・あの、お兄さん・・・」
どう言えばいいのか。
ありのままを伝えて、そして、あんた教師だろう、何やってんだと言われたら、返す言葉がないけれど。
やっぱり、という顔をして、一三(かずみ)が椅子に深く座り込んだ。
「・・・おかしいと思っていたんだ。・・・よりにもよって・・・・」
「あの・・・本当に、何と申し上げたら・・・」
もういい、と一三(かずみ)が手で制した。
「あの、でも、私と致しましては・・・」
最善の方法を探っている最中で・・・。
「もういい。いそ、横恋慕はいけない」
真剣な顔で一三(かずみ)が言い切った。
「・・・・はい?」
「毎日顔を合わせて、そしていろいろと相談に乗って頂いた先生に、お前がほのかな恋心を抱いたとしても、俺は責められない。だけどいそ、ここは兄ちゃんの為に堪えてくれ」
・・・・どうしてこの人は、自分の想像の斜め上を行く思考の持ち主なのだろう。
五十六(いそろく)は行動がぶっとんでいるが、この兄は、思考がどこか普通ではない。
「いやいやいや、そんなつもりないから・・・・。だいたい、好みが全然違うし・・・」
五十六(いそろく)(ゆかり)みたいな、もっとこうボンキュッボンでフェロモンが匂い立つようなタイプが好みなのだ。
地味で倦怠感だだ漏れの自分は、彼のバッティングゾーンからは大きく外れる。
「本当だな?!(たまき)先生との事を応援してくれるな!?
肩を掴まれてがくがくと揺らされた。
脳貧血になりそうだ。
「・・・いやいや、だからねえ・・・。それはないでしょうって・・・。・・・話聞いて、理解して・・・」
どっと疲れる。
ああ、この人の同僚は大変だろうなあ・・・・。
困惑しても、親が経営者だもの、誰も文句も言えないし。
自分のマイペースさを自覚しないまま、そのまま大人になっちゃったんだなあ・・・。
「・・・お兄さん。あのね、別にさ、(たまき)先生じゃなくても、もっと若くて可愛い子いっぱいるでしょうよ。・・・そうねえ、二十四、五の方とかいいんじゃない?いない?まわりに・・・。会社にさ、いるでしょ?」
「二十四、五?そりゃいるだろ。新卒二年目、三年目あたりだな」
「言っちゃなんだけど、環先生は、おばちゃんだからね。一般の、世の三十代女性以上に、おばちゃんなの。あのー、お兄さんの会社にいる三十歳のOLさんとかは、きっと、手間暇かけてきれいにしてらっしゃるから、同じようなものだと思ってるかもしれないけど・・・」
大手商社のOLなんて、(たまき)から見たら芸能人と似たようなものだ。
女子力もはるかに高いのだろう。
「お兄さん、きっと、就職してから、ずっと転勤と出張を続けてるから、タイミング逃しただけで・・・」
親戚のおばちゃんからよく聞く。
息子が大手メーカーさんとかで、転勤を繰り返しているうちに婚期を逃してしまったと。
だが、婚活パーティー等の出会いをきっかけに、結婚する率が高いと。
お互い結婚したいと思っているのだから、いい縁があれば、話は早いのだろう。
環のそんな四方山(よもやま)話を無視して、一三(かずみ)は、弟の肩を掴むとがっくんがっくん前後に振り回した。
「・・・(たまき)先生と、ご主人は、何がきっかけで付き合ったんだろう」
「・・・はあ?・・・まあ、なんとなく?」
友達の結婚式で出会い、その二ヶ月後、親戚の葬式でも会ったのだ。
偶然は重なるものだと縁を感じ、連絡先を交換し、何となく付き合うようになって結婚した。
「なんとなく、交際し、なんとなく結婚した?」
「言っちゃえば、そうなりますかねぇ。いやでも、そう言う場所で会うの重なるって珍しくないですか?」
当時、特に、お互い結婚しない理由もなくて。
トントンと話が進んでしまったのだ。
「いそ。兄ちゃんは、そんな、なんとなく婚を受け入れる理由がない。よし。まずは、俺の気持ちが真剣なんだと知ってもらう為に、メール・・・いやいや、失礼だな。文章でファックスでも・・・」
「既婚者の自宅に、そんなファックス送るバカがどこにいるんですか・・・」
「・・そっか。やっぱり直接申し上げ、時間をかけて、誠意を伝えるべきだな」
(たまき)は、自分にはこの人の説得は無理なんだとわかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

◇ 金沢 環 《かなざわ たまき》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の、養護教諭。

いわゆる保健のおばちゃんながら、人手不足の為に担任も持たされている。

日々、クラスの男子高生に手を焼いている。

世間に疲れ始めた30代前半。


既婚。夫は警察官。

都内の夫の実家で夫の母と別世帯の二世帯同居。

◇ 高久 五十六 《たかく いそろく》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の高校2年生。

態度が悪いが、父親が大手商社のCEOで、大口寄付をしている為、学校側に忖度《そんたく》されて野放し。

5月16日生まれなのが名前の由来。

ブランドモノを好むが服のセンスは悪い。


父と兄がいる。

◇金沢 諒太 《かなざわ りょうた》


環の夫。警察官。

激務で不在がち。

◇ 一ノ瀬 紫《いちのせ ゆかり》


私立旭鷲山学園の音楽教師。

吹奏楽部顧問。

音大出身で、学園長の姪。


環の同僚。

環の事は好きなタイプではないので、あまり積極的に関わっていない。

同性の友人が少ないタイプ。

◇ 白鳥  学  《しらとり  まなぶ》


私立旭鷲山学園 二学年の学年主任。数学担当。

教頭候補。

進学特進クラスの担任。


親の七光くクラスと揶揄される、環《たまき》のクラスの生徒をよく思っていない。

◇ 一ノ瀬 幸太郎 《いちのせ こうたろう》

私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんこうこう》の学園長。


紫《ゆかり》の叔父。

◇  高久 一三 《たかく かずみ》


五十六《いそろく》の兄。

家業の高久商事に勤務して居るが、就職以来、度重なる転勤と出張の生活。

実家にはあまり寄り付かずに、本社の近くにマンションも所有して居るが、そもそも転勤ばかりしている為にそこにも居付けない。

名前の由来は一月三日生まれ。

◇ 高久 九十九 《たかく つくも》


高久商事のCEO。

一三《かずみ》と五十六《いそろく》の父親。

出張が多く、不在がち。

まだ学生の五十六《いそろく》の事は、家政婦のしなのに任せて居る。


早くに結婚したが離婚。

九月十九日生まれが名前の由来。

◇ 青柳 倫敦 《あおやぎ ともあつ》


海天堂病院の心臓外科医。

五十六《いそろく》が子供の時からの主治医の一人。


伝説のゴットハンド ドクター 鬼首 静香《おにこうべ しずか》 通称鬼の静香《おにのしずか》女史の弟子。

◇ 三条 昭和 《さんじょう あきかず》


美容師。

紫《ゆかり》が長年通って居るサロンのオーナー。

通称アキラ。

異性交友関係が派手。

◇ 毘沙門天  《びしゃもんてん》


仏神であり、天部四天王。

五穀豊穣や家内安全等の信仰を担う七福神の一人でもある。

激務の為、しばし休憩しようとした場所で、環《たまき》と五十六《いそろく》と出会い、手違いを起こす。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み