第41話 警鐘

文字数 4,113文字

 五十六(いそろく)は、帰宅すると、無言のままソファに体を横たえた。
兄にもらった晩白柚(ばんぺいゆ)の入った紙袋も、豚足の入った紙袋も、テーブルの上にとりあえず置いたまま。
考えたことが無かった。
母が出て行ったのは、自分が原因だったなんて。
夫婦仲が悪くて子供が苦労させられたと思っていた。
自分勝手な母親と、家庭に興味がない父親なのだと思っていた。
だが、実際は、違う?
全ての原因は自分にあったとしたら。
祖父母だって、自分が居なければ、母に離婚を迫ったりはしなかったろうし。
父は妻を。兄は母親を失うことはなかったのに。
「・・・うわぁ・・・・ヘコむわ・・・」
五十六(いそろく)は顔を覆った。
劣等感は昔からあった。
この体だもの。
だが、罪悪感に飲み込まれて一歩も動けないのは、初めてだった。
しばらくそうしていた。
着信音に気づいて、のろのろと手を伸ばした。
ああ、(たまき)だろうか。
しゃぶしゃぶ自撮りメールに驚いて連絡してきたのかもしれない。
画面を見ると、青柳からだった。
「・・・・はい」
「・・・すみません。夜分に。あの、一言(ひとこと)お礼をと思いまして・・・あの、ほら。(たまき)先生が言っていた、キャラメル」
「・・え?ああ・・・」
「おじいちゃんに渡してきました。そしたら、なんだか納得してくれたみたいで。ここ最近無いくらい大人しくお休みになりました」
アドバイスを早速実践したようだ。
そうか。じいちゃん、寝たか。
「そっか・・・おつかれさまです」
「いえいえ。・・・あと。すみませんでした」
「こっちこそ。ごちそうになっちゃって。あの後、パフェまで出してもらって。お土産も貰いました」
「ああ。あそこのご夫婦、すごくいい方なんです。僕が気が利かないから、気を使ってくれたんですねえ」
帰り際、女将に、女性を一人残して途中で帰るなんて。せめてちょっとしたプレゼントか手土産ぐらい持ってこなきゃダメでしょうと、なじられたのだ。
見かねた主人に、取り成してもらって。
(たまき)先生。・・・あの、また、会って頂けますか?」
青柳(あおやぎ)にとったら勇気を出して発した言葉だということが、五十六(いそろく)にはよく分かった。
「はい。ぜひ」
「そうですか!・・・ありがとうございます」
心からほっとしたような声。
こいつ、こんなチョロくて大丈夫なのかな、と五十六(いそろく)は苦笑した。
「・・・(たまき)先生、あともう一つだけ、お話よろしいですか」
「はい」
「いっくんのことなんですが・・・」
「・・・え?」
突然の自分の話に、驚いた。
「本来であれば、守秘義務があるので外部の方に申し上げるのは憚らられることなんですが・・・、生活のほとんどを学校で過ごすわけですし、担任の先生に伝えておこうと思いまして。今まで以上に学校生活に無理のないよう気を配って頂きたいんです」
ああ。検査結果が、悪かったのだ。
五十六(いそろく)は唇をかんだ。
「・・・悪いんですか?」
「良くはないです」
「10で言うと?」
「・・・そうですね。7、あるいは8」
五十六(いそろく)は止めていた息を吐き出した。
初めて聞いた。そんな数字。
子供の時から、難しい話の順番や重要度を大人に説明を求めるとき等、10で言うと?と聞いていたのだが。
子供の時にも似た様な病状の状態を青柳に聞いた時、帰ってくるのは大体2か3だった。
子供だから手加減していてくれたのかもしれないが。
「ああでも、普通にしていて、突然倒れたりはしませんよ、大丈夫」
なんだ。怖がらせやがって。
「なら、心配ないと思います。体育はずっと休んでるし、特に激しい運動もしてないし」
「なら安心です。体にも気持ちにも無理はしないこと」
子供の頃から言われていたセリフだ。
ふと、五十六(いそろく)はひっかった。
「あのぅ・・・無理っていうのは・・・」
「はい?」
「・・・た、例えば、何時間もご飯作ったり、朝まで受験勉強したり・・・?」
「ええ!?なんですかそれ!?ダメですよ!それが無理って言うんです」
あーー、ヤッベー・・・。
体が入れ替わって以来、(たまき)はずっとそんな調子の生活だ。
こりゃ楽チンだ、もっとがんばって猛勉強しろ、などと(はや)し立てていたが・・・
うわー、寿命縮めてんの、俺かも・・・。
明日、(たまき)にちょっと安静にしてくれと言わねばなるまい。

 (たまき)は昼休みに保健室に顔を出したが、五十六(いそろく)の姿は無かった。
またどこほっつき歩っているんだか。
環は抱えていた重箱の包みを、ローテーブルに置いた。
せっかく夜なべして栗おこわ炊いたのに。
などと、ごちながら、机の上をチェックし始めた。
改めて言うと、いわゆる保健室のおばちゃんは、教員でもあるのだ。
具合が悪い生徒の介抱だけが仕事ではない。
保健体育の授業はもちろんのこと、毎月の保健だよりの作成や、生徒や教師の健康診断の手配、データ整理、二次検診の案内から、健康相談など、以外と忙しいのだ。特に、文化祭の模擬店の保健所許可の手配こそないが、修学旅行の前の救急救命講座、遠足の引率等もある。その上、環は担任も持っているのだ。
そして、そろそろ春秋二回実施している尿検査の準備をしなければならないのだ。
まずは、クラス名簿と尿検査の容器を各クラス分揃えて、ケースに分ける作業をしなければならないのだが。これが単純なようで、数があるから大変なのだ。
「・・・あれ?」
棚の上に、整然と並べられた四角いケースに、整然と容器が並んでいた。
ケースには、学年とクラスと出席番号と名前が書かれたシールが貼ってある。
横に、名簿とチェックした印。
どうやら、五十六(いそろく)が確認したらしい。
「・・・・全部やってくれたんだ」
ダッセーな。ぜってーやるかよ・・とでも騒ぎそうなものなのに。
(たまき)は、念の為クラス名簿を(めく)りながら確認を始めた。
・・・驚いたことに、一つもミスがなかった。
五十六(いそろく)は手先は器用だがこういう仕事は苦手だろう。
名簿には、鉛筆や蛍光ペンで、何回もチェックしたのだろう跡があった。
きっと、何時間もかかって、何度も間違って、確認しながらやりきったのだろう。
・・・・えらいじゃない。
ちょっと見直した。
彼なりに、(たまき)になってしまった責任を少しでも果たそうとしているのかもしれない。
マイペースで傍若無人で、無神経な生徒だと思っていたが・・・。
(たまき)は、ソファに座った。
カレンダーが目に止まった。
毎日の暦から、旧暦まで描いてある昔ながらのカレンダーだ。
学校出入りの設備屋から年末に貰ったものだ。
今日で十月も終わり。
神無月が終わり、霜月、に突入するわけだ。
毘沙門天も務めを終えて、帰還するはずだ。
本当に、何とかして貰わないと。
人間の慣れというものなのか、最近は妙な考えになる。
・・・・もうこのまま・・・、こいつのまま生きて行こうかなあ。
なんてちょっと思う自分がいて怖いのだ。
当たり前だが、二度目の高校生ということもあり、成績もうなぎ登りのごぼう抜きだし。
ガリ勉の自覚はあるが、学年五位に躍り出た。
素行だって改善したと、言われている。
今までよそよそしい関係だったという、父と兄との距離も、縮まったと言えると思う。
昨夜は栗を剥いていた所にテンション高く一三(かずみ)が出張から帰ってきたと思ったら、嬉しそうに豚足にかぶりついていた。
いきなりの豚足に、何か必須栄養素でも不足しているのかと不安になり、どうしたのと聞くと、(たまき)先生からのプレゼント、とわけのわからぬことを言っている始末で。
「へぇ?豚足、好き・・・なんだっけ・・・?」
弟が兄の好物を差し入れたということだろうか。
「いや。初めて食った。なんかこう・・・背徳的な食いもんだな」
と、妙に笑顔で。
変わった人だなあと思いながらも、コラーゲンが多いから、肌や、足腰にはいいかもね、と言うと、彼は、なるほど、さすが健康意識が高いとか何とか言いながら、豚の足に食いついていた。
とにかく、機嫌がやたら良かったらしく、お小遣いまでくれた。
「大事に使いなさい」ではなく「好きなもの買いなさい」と言って。
夫も。自分の殻を破ったというか・・・かぶったものをとったというか。
とにかく、五十六(いそろく)の手助けで肩の荷を下ろすことができのだ。
保健室には生徒のカルテのようなものがあるのだが。
もちろん守秘義務があるから、誰にも見せないのだが、付箋(ふせん)にメモが最近多いのだ。
それだけ頻繁に生徒が相談に来ているということだ。
その内容も、ちょっとした心配事から、けっこう深刻な悩みまで。
五十六(いそろく)が、話を聞いてそれを付箋(ふせん)に書き込み、(たまき)に伝える。
今まで、年頃の男子生徒が保健室なんかに相談に来るもんかと思っていたのだが、それが思い込みだったと知った。
(たまき)ではなく、五十六(いそろく)に親しみを感じ、はっきりと認めるのは悔しいが、自分より彼を信頼し、相談に来ているということだ。
(たまき)は、生徒の相談ファイルをめくった。
一人一人のカルテの目立つところにメモが貼ってある。
「進路について悩んでいる。担任に確認すること」「体調不良。朝食えないタイプ」「家庭の事情あり。相談したいとのこと」「恋愛について。非常に盛り上がった」等と五十六(いそろく)の文字で書かれていた。
なかなか熱心だ。
しかし、と(たまき)はため息をついた。
昨日のライン。あれは問い質さなければならない。
テーブルの上に並べられた大皿と、満足気な五十六(いそろく)の画像。
「しゃぶしゃぶ初めて食った。すごいうまかった。ヤギ、途中で仕事で帰った」
とそれだけ。
開けた窓から、風が入ってきて気持ち良かった。
どこからか金木犀(きんもくせい)の香りがする。秋の香りだ。つい微笑みが浮かんだ。
昨日寝不足だったし。このまま少し昼寝しちゃおうかな、と、うとうとしかけた時。
ドン、と音がした。
風で何か置物でも落ちたのだろうか。
・・・なんだ?と体を起こそうとして、体が動かなかった。
みるみる手と足が冷たくなっていく。
冷や汗が頭から流れて来た。
ドン・・・ド、ドド・・・ド・・・と聞こえる音を探ろうと、冷たい指先を伸ばしていくと、たどり着いたのは、自分の胸で。
・・・なんだこれ。なんだこれ。
口の中が冷たい。貧血だろうか。
いや、違う。
・・・・これ、心臓だ。
あー・・・ヤバイ。こういうことか・・・。
今週末、検査結果聞きに行くまで持たなかったか・・・。
一三(かずみ)が一緒に行くことになっていたのだが。
別に激しい運動したわけでもないんだけどなあ・・・。
(たまき)はそのまま、重くなる体と共に、ひきずられるように目を閉じた。
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登場人物紹介

◇ 金沢 環 《かなざわ たまき》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の、養護教諭。

いわゆる保健のおばちゃんながら、人手不足の為に担任も持たされている。

日々、クラスの男子高生に手を焼いている。

世間に疲れ始めた30代前半。


既婚。夫は警察官。

都内の夫の実家で夫の母と別世帯の二世帯同居。

◇ 高久 五十六 《たかく いそろく》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の高校2年生。

態度が悪いが、父親が大手商社のCEOで、大口寄付をしている為、学校側に忖度《そんたく》されて野放し。

5月16日生まれなのが名前の由来。

ブランドモノを好むが服のセンスは悪い。


父と兄がいる。

◇金沢 諒太 《かなざわ りょうた》


環の夫。警察官。

激務で不在がち。

◇ 一ノ瀬 紫《いちのせ ゆかり》


私立旭鷲山学園の音楽教師。

吹奏楽部顧問。

音大出身で、学園長の姪。


環の同僚。

環の事は好きなタイプではないので、あまり積極的に関わっていない。

同性の友人が少ないタイプ。

◇ 白鳥  学  《しらとり  まなぶ》


私立旭鷲山学園 二学年の学年主任。数学担当。

教頭候補。

進学特進クラスの担任。


親の七光くクラスと揶揄される、環《たまき》のクラスの生徒をよく思っていない。

◇ 一ノ瀬 幸太郎 《いちのせ こうたろう》

私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんこうこう》の学園長。


紫《ゆかり》の叔父。

◇  高久 一三 《たかく かずみ》


五十六《いそろく》の兄。

家業の高久商事に勤務して居るが、就職以来、度重なる転勤と出張の生活。

実家にはあまり寄り付かずに、本社の近くにマンションも所有して居るが、そもそも転勤ばかりしている為にそこにも居付けない。

名前の由来は一月三日生まれ。

◇ 高久 九十九 《たかく つくも》


高久商事のCEO。

一三《かずみ》と五十六《いそろく》の父親。

出張が多く、不在がち。

まだ学生の五十六《いそろく》の事は、家政婦のしなのに任せて居る。


早くに結婚したが離婚。

九月十九日生まれが名前の由来。

◇ 青柳 倫敦 《あおやぎ ともあつ》


海天堂病院の心臓外科医。

五十六《いそろく》が子供の時からの主治医の一人。


伝説のゴットハンド ドクター 鬼首 静香《おにこうべ しずか》 通称鬼の静香《おにのしずか》女史の弟子。

◇ 三条 昭和 《さんじょう あきかず》


美容師。

紫《ゆかり》が長年通って居るサロンのオーナー。

通称アキラ。

異性交友関係が派手。

◇ 毘沙門天  《びしゃもんてん》


仏神であり、天部四天王。

五穀豊穣や家内安全等の信仰を担う七福神の一人でもある。

激務の為、しばし休憩しようとした場所で、環《たまき》と五十六《いそろく》と出会い、手違いを起こす。

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