4-7 つぶれる前に
文字数 4,556文字
亡くなった女子高生は、世間的には行方不明として扱われる。
角井からそう告げられたのは、2人が警察署で夜を明かした翌日の事だった。
角井と宮藤の警察内における権力は、角井に一日の長がある。しかし、こと能力事件については、公安と連携を取って対処している宮藤の決定には逆らえないのだそうだ。
角井が単に『銀と志賀を保護する』と言いはったところで、志賀はともかく、能力があると割れている銀は、宮藤の一言で駆除対象になる可能性がある。それを危惧した角井が対抗策として設置したのが、“特殊対策室”という存在だった。
「本来は書類上の存在という形にして、君達のキャリアには関わらないようにしたかったんだが……活動実績のない部署だと宮藤君に解体される可能性が高いんだ。だから初任補修科の修了と同時に、君達にはここに所属して貰うことになる」
活動内容は、主に能力事件の調査と他部署の補佐。
「表向きは、宮藤君が能力者の排除を行う為に保有している“機動捜査隊特別班”の補助が主になる」
その一言には、流石に志賀も銀も苦い顔になる。が、一番苦しそうに顔を歪めていたのは角井本人であり、本意で無いだろうことは窺えた。
「勿論、保護を諦めるわけじゃない。少しずつ、方法を探っていこうと思う。……協力してくれるかい?」
銀は一も二もなく頷く。が、はたと気がついたように、銀は腫れぼったくなった目で隣に座る志賀を見つめた。
「やる……よね?」
そういえば確認をとっていなかった、とでもいいたげだった。
銀だけでなく、角井もまた少し不安げではあったが、志賀の中で答えは決まっている。
「宮藤が気に食わんからな」
助けを求めていた女子高生への仕打ちは許せない。今現在は手立てがないにしろ、対処策を探そうともしないという宮藤のやり方には当然賛同できない。
「それに……」
銀の瞳を見返して、すぐに背ける。
「何?」
「何でもない」
銀を放置する事は出来ないから、とは口が裂けても言えそうになかった。自分の知らない所で殺されかけていたと聞いた時の胸のざわめきは、できる事ならばもう2度と経験したくない。
特殊対策室が本格的に活動を開始するのは2人が警察学校の初任補修科が終えてから、という形に落ち着き、志賀と銀は土曜の夕方には警察学校に返された。
「これから、よろしくね?」
男子寮と女子寮へ分かれる道で、銀は恥ずかしそうに手を差し出す。が、志賀はポケットに手を入れたまま、くるりと踵を返してそれを無視した。
「ちょ、ちょっと!ひどくない?!」
「握手は嫌いなんだ」
手で触れてしまうから。手袋をつけている限り問題がないと分かってはいた。しかし、それでも自ら手を差し出すことは恐ろしい。
銀は「あ……」と戸惑った声を出す。志賀は振り返る事をせずに足を踏み出した。
「……またな」
届かなくても良いと思った。だが、耳聡く聞きつけたのだろう銀は、嬉しそうに声を張り上げる。
「――うん!またね!」
*
週初め、銀の挨拶に志賀が応答するなり食堂の空気が固まっただとか、剣や同期どころか教官にすら何があったのか詰められただとかは、流石に夏波に話す気にはならなかった。
*
状況が大きく変わったのは、特殊対策室として活動を開始して1年半の月日が経った頃合いだ。
「お前……最近なんか隠してないか」
「え……?な、何の話?」
特殊対策室の活動は、決して順風満帆とは言えなかった。能力者をその場で保護する目処は立ったものの、その後の処置や生活の保証などにおいては問題が山積みだったのだ。
それでも、3人は何とか宮藤の圧力に耐えながら、能力の解明と能力者の保護に奔走していた。
この時活躍したのが、銀の能力だ。彼女の能力は、能力者を探したり、宮藤の持つ情報を得るにはうってつけだった。
日常生活でうっかり発動してしまっても危害がなく、『傷に触れる』という条件付きだったのでそもそも発動し難い。念の為手袋をつけてはいたものの、専ら外すことも多かったはずだ。
しかし、ここ最近の彼女は手袋を外す事がめっきり少なくなった。それだけではなく、能力を使う事にも消極的で、使う度に上の空になる事も増えている。
更に言えば、志賀は銀の精神がかなり磨り減っているのだろうことも察していた。
これまでに、5人の能力者が自分達の目の前で命を落としている。それも、自分達に助けを求めながらだ。宮藤や宮藤の指揮する“特別班”に撃ち殺されて助けられなかったという事案が、何度か連続していた。
勿論救えた人間もいる。が、救えている人間がいるからこそ、救えなかったという後悔は募るのだ。
彼女が限界を迎えるのはきっと遠くない未来だと、志賀はそう予想していた。
「……大丈夫なのか」
「う、うん。何かあったら、言うよ」
にこり、と銀は力無く笑う。そうして特殊対策室の机からゆらり立ち上がった銀は、やはり何処か上の空で、志賀の不安は掻き立てられる一方だった。
「そうか……やはり……」
銀を寮に送り届けた後、志賀は今一度署に戻り、角井に懸念を打ち明けた。
人に相談をする、という事自体に慣れていない志賀だったが、角井もまた銀の異変には気が付いていたようで、話は早かった。
2人は沈黙する。青葉中央署内に設けられたコンクリート打ちっ放しの部屋は、殆どが銀の物で溢れかえっていた。作業スペースから大幅にはみ出た私物に限らず、部屋のそこかしこの備品は銀が持ち込んだものだ。
角井は滅多に使われない応接ソファに深く沈みながら、彼女が勝手に持ち込んだクッションを膝に乗せ、ため息をついた。
「……君の意見は、変わらないのかい」
「あぁ」
志賀は迷わず頷く。
「アイツはここにいるべきじゃない」
それは、以前から志賀が角井に何度か進言していた話だ。
宮藤から目を付けられた特殊対策室の扱いは、かなり過酷なものだった。他の警官から無視される事は勿論、銀が他の女子警官からかなり陰湿ないじめに遭っていることも、志賀は把握している。
志賀もその点は似たりよったりだったが、元々の気質が違い過ぎるのだ。志賀に耐えられても、銀が耐えられるとは限らない。
だからこそ、志賀は銀を他部署に移動させるべきだと角井に持ちかけていたのだ。
「幸い、銀だけなら宮藤に気に入られてる。ここさえ離れりゃ、宮藤の嫌がらせを受ける事はないはずだ」
「それは……そうかもしれないね。彼女の能力に害がないことは宮藤君も理解したようだし、駆除対象になることもないだろうから……」
名前を出す事にすら嫌悪感を覚え、志賀は吐き捨てた。
宮藤由利の気に食わない点は、非常に利己的であるにも関わらず、ある程度の合理性を有しているという点だった。
彼女が能力者排除に積極的であるのも、一人の危険因子を排除して被害の拡大を防ぐ為に他ならない。保護に完全に反対しているのではなく、中途半端に能力者という“危険”、或いは“異常”を保護して、他に被害が加わることを嫌っているのである。
その為に手段を選ばず、自分こそが正義だと確信している事が厄介なのだが、それでも彼女は決して“特殊対策室”という存在を丸ごと否定している訳ではなかったのだ。
人と自分に危害を加えない存在は利用すべき、とする彼女は、銀知佳の利用価値を知るなり引き抜きを図った。特殊対策室の創設者である角井と、盾突き続ける志賀の事は嫌っていたが、唯一銀だけは例外だったのである。
「このままじゃ、……アイツは」
――いつか潰れる
銀に対する悪質な嫌がらせは、恐らく銀に警察を辞めさせるか、そうでなければ特殊対策室を辞めさせ、自分の元へやってくるよう仕向けたものだ。宮藤の思惑にみすみす嵌ることは非常に腹ただしいが、日に日に弱っていく銀の姿を見る限り、そうも言っていられない。
角井は俯いてしばらく思案していたが、やがて頭を振って、立ち尽くす志賀に視線を向けた。
「今の警察学校の学校長が、私の同期で、古くからの友人でね。来年の春から、優秀な人員であれば指導補佐という形で引き受けても良いと言ってくれている。名目上では、特殊対策室所属を兼任していても問題無いともね」
志賀が頭を上げると、角井はどこか寂しげに微笑む。
「完全に我々の活動を理解して、と言うわけではないが、……銀君に危害が加わる事はない筈だ」
我々の所にいるより、ずっと安全かもしれないね。
そう語る角井に、志賀は強く頷いた。
願ってもない話だ。銀を危険から遠ざけられるだけでなく、今ある苦悩からも逃せるかもしれない。
宮藤の動向だけは気をつけなければならないが、警察学校であればそう遠くない位置にある。だから、何かあってもすぐに駆けつけられる。
「後で2人で話をしてみよう。……彼女は嫌がるかもしれないが」
「潰れるよりマシだ」
「……そうだね」
角井はゆるゆると息を吐き出した。そしてクッションを脇に置きやると、「それと」と言いながら机の上に置いていた数枚の書類を手に取って、志賀に差し出す。
「これは……?」
「こっちはね、吉報だよ」
疲れた様子ではあったが、今度こそ角井は笑顔を浮かべる。促され、内容に目を通した志賀の目が、少しずつ見開かれた。
「保護施設……見つかったのか!」
「そうなんだ。これから色々詰めていかなきゃならないけど、やっとね。これは早く銀君にも教えてあげたいところだ」
紙を持つ手に力がこもる。
特殊対策室内では、能力の一時的な無効化については早い段階で説が立っていた。が、それもあくまで一時的だ。完全に能力を封じたわけではないため、普通の生活を送らせる事は結局難しく、かといって保護施設を設置するにも、協力者の確保に手間取っていた。能力の発動を無効化するには医薬品が欠かせないため、医療施設での受け入れ先を模索していたが、なかなか事情を飲み込んで受け入れてくれる所が見つからなかったのである。
現在、特殊対策室で保護できた2名の能力者は、角井が自宅に匿っている。しかし、数が増えるとそうは行かない。保護そのものを諦めなければならないのでは、と話に上がった事もある中で、これは間違いなく吉報だ。
「保護した能力者の家族からも、協力の要請が上がってる。少しずつ私たちの活動が受け入れられてきてるんだ」
角井の声は少しずつ覇気を取り戻し、力強いものに変わっていた。
「銀君にも、さっきの話と併せて伝えようと思うんだ。それなら何とか納得してくれるかもしれない」
「納得しなくても、話は進めてくれ」
はっきり断言する志賀を、角井ははっとした表情で見つめる。志賀はその瞳から逃げるように、視線を銀に割り当てられたデスクへ向けた。
角井は何か言いたげに眉尻を下げていたが、やがて悲しげな表情のまま笑ってみせる。
「分かった」
どう言い訳しても、何を言っても、恐らく銀が本心から納得する事はないのだろう。ある程度強制しなくては、いつまでも無理をし続けるのは目に見えていた。
もう傷ついて欲しくないなんて、面と向かって言葉にできる人間だったらどんなに良かったか。しかし、そんな言葉が言えるとしたら、それは恐らく志賀太陽ではない別人だ。くだらない思考を振り払い、志賀は小さく息をついた。
角井からそう告げられたのは、2人が警察署で夜を明かした翌日の事だった。
角井と宮藤の警察内における権力は、角井に一日の長がある。しかし、こと能力事件については、公安と連携を取って対処している宮藤の決定には逆らえないのだそうだ。
角井が単に『銀と志賀を保護する』と言いはったところで、志賀はともかく、能力があると割れている銀は、宮藤の一言で駆除対象になる可能性がある。それを危惧した角井が対抗策として設置したのが、“特殊対策室”という存在だった。
「本来は書類上の存在という形にして、君達のキャリアには関わらないようにしたかったんだが……活動実績のない部署だと宮藤君に解体される可能性が高いんだ。だから初任補修科の修了と同時に、君達にはここに所属して貰うことになる」
活動内容は、主に能力事件の調査と他部署の補佐。
「表向きは、宮藤君が能力者の排除を行う為に保有している“機動捜査隊特別班”の補助が主になる」
その一言には、流石に志賀も銀も苦い顔になる。が、一番苦しそうに顔を歪めていたのは角井本人であり、本意で無いだろうことは窺えた。
「勿論、保護を諦めるわけじゃない。少しずつ、方法を探っていこうと思う。……協力してくれるかい?」
銀は一も二もなく頷く。が、はたと気がついたように、銀は腫れぼったくなった目で隣に座る志賀を見つめた。
「やる……よね?」
そういえば確認をとっていなかった、とでもいいたげだった。
銀だけでなく、角井もまた少し不安げではあったが、志賀の中で答えは決まっている。
「宮藤が気に食わんからな」
助けを求めていた女子高生への仕打ちは許せない。今現在は手立てがないにしろ、対処策を探そうともしないという宮藤のやり方には当然賛同できない。
「それに……」
銀の瞳を見返して、すぐに背ける。
「何?」
「何でもない」
銀を放置する事は出来ないから、とは口が裂けても言えそうになかった。自分の知らない所で殺されかけていたと聞いた時の胸のざわめきは、できる事ならばもう2度と経験したくない。
特殊対策室が本格的に活動を開始するのは2人が警察学校の初任補修科が終えてから、という形に落ち着き、志賀と銀は土曜の夕方には警察学校に返された。
「これから、よろしくね?」
男子寮と女子寮へ分かれる道で、銀は恥ずかしそうに手を差し出す。が、志賀はポケットに手を入れたまま、くるりと踵を返してそれを無視した。
「ちょ、ちょっと!ひどくない?!」
「握手は嫌いなんだ」
手で触れてしまうから。手袋をつけている限り問題がないと分かってはいた。しかし、それでも自ら手を差し出すことは恐ろしい。
銀は「あ……」と戸惑った声を出す。志賀は振り返る事をせずに足を踏み出した。
「……またな」
届かなくても良いと思った。だが、耳聡く聞きつけたのだろう銀は、嬉しそうに声を張り上げる。
「――うん!またね!」
*
週初め、銀の挨拶に志賀が応答するなり食堂の空気が固まっただとか、剣や同期どころか教官にすら何があったのか詰められただとかは、流石に夏波に話す気にはならなかった。
*
状況が大きく変わったのは、特殊対策室として活動を開始して1年半の月日が経った頃合いだ。
「お前……最近なんか隠してないか」
「え……?な、何の話?」
特殊対策室の活動は、決して順風満帆とは言えなかった。能力者をその場で保護する目処は立ったものの、その後の処置や生活の保証などにおいては問題が山積みだったのだ。
それでも、3人は何とか宮藤の圧力に耐えながら、能力の解明と能力者の保護に奔走していた。
この時活躍したのが、銀の能力だ。彼女の能力は、能力者を探したり、宮藤の持つ情報を得るにはうってつけだった。
日常生活でうっかり発動してしまっても危害がなく、『傷に触れる』という条件付きだったのでそもそも発動し難い。念の為手袋をつけてはいたものの、専ら外すことも多かったはずだ。
しかし、ここ最近の彼女は手袋を外す事がめっきり少なくなった。それだけではなく、能力を使う事にも消極的で、使う度に上の空になる事も増えている。
更に言えば、志賀は銀の精神がかなり磨り減っているのだろうことも察していた。
これまでに、5人の能力者が自分達の目の前で命を落としている。それも、自分達に助けを求めながらだ。宮藤や宮藤の指揮する“特別班”に撃ち殺されて助けられなかったという事案が、何度か連続していた。
勿論救えた人間もいる。が、救えている人間がいるからこそ、救えなかったという後悔は募るのだ。
彼女が限界を迎えるのはきっと遠くない未来だと、志賀はそう予想していた。
「……大丈夫なのか」
「う、うん。何かあったら、言うよ」
にこり、と銀は力無く笑う。そうして特殊対策室の机からゆらり立ち上がった銀は、やはり何処か上の空で、志賀の不安は掻き立てられる一方だった。
「そうか……やはり……」
銀を寮に送り届けた後、志賀は今一度署に戻り、角井に懸念を打ち明けた。
人に相談をする、という事自体に慣れていない志賀だったが、角井もまた銀の異変には気が付いていたようで、話は早かった。
2人は沈黙する。青葉中央署内に設けられたコンクリート打ちっ放しの部屋は、殆どが銀の物で溢れかえっていた。作業スペースから大幅にはみ出た私物に限らず、部屋のそこかしこの備品は銀が持ち込んだものだ。
角井は滅多に使われない応接ソファに深く沈みながら、彼女が勝手に持ち込んだクッションを膝に乗せ、ため息をついた。
「……君の意見は、変わらないのかい」
「あぁ」
志賀は迷わず頷く。
「アイツはここにいるべきじゃない」
それは、以前から志賀が角井に何度か進言していた話だ。
宮藤から目を付けられた特殊対策室の扱いは、かなり過酷なものだった。他の警官から無視される事は勿論、銀が他の女子警官からかなり陰湿ないじめに遭っていることも、志賀は把握している。
志賀もその点は似たりよったりだったが、元々の気質が違い過ぎるのだ。志賀に耐えられても、銀が耐えられるとは限らない。
だからこそ、志賀は銀を他部署に移動させるべきだと角井に持ちかけていたのだ。
「幸い、銀だけなら宮藤に気に入られてる。ここさえ離れりゃ、宮藤の嫌がらせを受ける事はないはずだ」
「それは……そうかもしれないね。彼女の能力に害がないことは宮藤君も理解したようだし、駆除対象になることもないだろうから……」
名前を出す事にすら嫌悪感を覚え、志賀は吐き捨てた。
宮藤由利の気に食わない点は、非常に利己的であるにも関わらず、ある程度の合理性を有しているという点だった。
彼女が能力者排除に積極的であるのも、一人の危険因子を排除して被害の拡大を防ぐ為に他ならない。保護に完全に反対しているのではなく、中途半端に能力者という“危険”、或いは“異常”を保護して、他に被害が加わることを嫌っているのである。
その為に手段を選ばず、自分こそが正義だと確信している事が厄介なのだが、それでも彼女は決して“特殊対策室”という存在を丸ごと否定している訳ではなかったのだ。
人と自分に危害を加えない存在は利用すべき、とする彼女は、銀知佳の利用価値を知るなり引き抜きを図った。特殊対策室の創設者である角井と、盾突き続ける志賀の事は嫌っていたが、唯一銀だけは例外だったのである。
「このままじゃ、……アイツは」
――いつか潰れる
銀に対する悪質な嫌がらせは、恐らく銀に警察を辞めさせるか、そうでなければ特殊対策室を辞めさせ、自分の元へやってくるよう仕向けたものだ。宮藤の思惑にみすみす嵌ることは非常に腹ただしいが、日に日に弱っていく銀の姿を見る限り、そうも言っていられない。
角井は俯いてしばらく思案していたが、やがて頭を振って、立ち尽くす志賀に視線を向けた。
「今の警察学校の学校長が、私の同期で、古くからの友人でね。来年の春から、優秀な人員であれば指導補佐という形で引き受けても良いと言ってくれている。名目上では、特殊対策室所属を兼任していても問題無いともね」
志賀が頭を上げると、角井はどこか寂しげに微笑む。
「完全に我々の活動を理解して、と言うわけではないが、……銀君に危害が加わる事はない筈だ」
我々の所にいるより、ずっと安全かもしれないね。
そう語る角井に、志賀は強く頷いた。
願ってもない話だ。銀を危険から遠ざけられるだけでなく、今ある苦悩からも逃せるかもしれない。
宮藤の動向だけは気をつけなければならないが、警察学校であればそう遠くない位置にある。だから、何かあってもすぐに駆けつけられる。
「後で2人で話をしてみよう。……彼女は嫌がるかもしれないが」
「潰れるよりマシだ」
「……そうだね」
角井はゆるゆると息を吐き出した。そしてクッションを脇に置きやると、「それと」と言いながら机の上に置いていた数枚の書類を手に取って、志賀に差し出す。
「これは……?」
「こっちはね、吉報だよ」
疲れた様子ではあったが、今度こそ角井は笑顔を浮かべる。促され、内容に目を通した志賀の目が、少しずつ見開かれた。
「保護施設……見つかったのか!」
「そうなんだ。これから色々詰めていかなきゃならないけど、やっとね。これは早く銀君にも教えてあげたいところだ」
紙を持つ手に力がこもる。
特殊対策室内では、能力の一時的な無効化については早い段階で説が立っていた。が、それもあくまで一時的だ。完全に能力を封じたわけではないため、普通の生活を送らせる事は結局難しく、かといって保護施設を設置するにも、協力者の確保に手間取っていた。能力の発動を無効化するには医薬品が欠かせないため、医療施設での受け入れ先を模索していたが、なかなか事情を飲み込んで受け入れてくれる所が見つからなかったのである。
現在、特殊対策室で保護できた2名の能力者は、角井が自宅に匿っている。しかし、数が増えるとそうは行かない。保護そのものを諦めなければならないのでは、と話に上がった事もある中で、これは間違いなく吉報だ。
「保護した能力者の家族からも、協力の要請が上がってる。少しずつ私たちの活動が受け入れられてきてるんだ」
角井の声は少しずつ覇気を取り戻し、力強いものに変わっていた。
「銀君にも、さっきの話と併せて伝えようと思うんだ。それなら何とか納得してくれるかもしれない」
「納得しなくても、話は進めてくれ」
はっきり断言する志賀を、角井ははっとした表情で見つめる。志賀はその瞳から逃げるように、視線を銀に割り当てられたデスクへ向けた。
角井は何か言いたげに眉尻を下げていたが、やがて悲しげな表情のまま笑ってみせる。
「分かった」
どう言い訳しても、何を言っても、恐らく銀が本心から納得する事はないのだろう。ある程度強制しなくては、いつまでも無理をし続けるのは目に見えていた。
もう傷ついて欲しくないなんて、面と向かって言葉にできる人間だったらどんなに良かったか。しかし、そんな言葉が言えるとしたら、それは恐らく志賀太陽ではない別人だ。くだらない思考を振り払い、志賀は小さく息をついた。