1-3 特殊対策室

文字数 4,388文字

「マージで信じられん、あのガキ!」
「三科、声大きいってば」

 空になったジョッキがテーブルに当たって音をたてる。夏波の隣に座る三科は、敵を威嚇する野良犬の如く唸った。
 周りの目を気にして辺りを見やるが、幸いな事にこの大衆居酒屋では他の客も大きな声で談笑を繰り広げており、三科の怒号に振り向く人間は存在しない。
 
「だから、アイツはガキじゃねえよ」

 ハイボールの入ったジョッキを軽く傾けつつ、夏波の正面に座る男性がじろりと三科を見た。男性の隣でニコニコと微笑んでいた村山は、梅酒の入ったグラスをゆらゆら揺らして不思議そうに言う。

「悪い子じゃないはずなんだけどねー」
 
 男性は三科から村山へと視線を移すと、ひとつ息をついてからジョッキを置いた。

「アイツがその発言聞いたらブチ切れてますよ、村山さん」
「えー、なんで?」
「なんでって……この前も似たような発言してキレられてたじゃないですか」
「そうだっけ?」
「そうだっけってアンタ……」

 男性の口調は穏やかだが、傍からは村山を睨みつけて怒っているようにしか見えない。だが、剣佐助(つるぎさすけ)という男には、一切睨んでいる自覚がないはずだ。彼は目つきが異様に悪いだけ。そう夏波が気づいたのは、機捜(きそう)――機動捜査隊の略称――に配属されてから少し時間が経ってからだった。

「人を後ろからいきなり蹴り飛ばす奴が悪い奴じゃなかったら、俺らは一体何をしょっぴくっつーんスか」

 あからさまにキレているのは三科の方だ。先程から彼の酒のペースがやたら早い事に、夏波は内心ハラハラしていた。三科はそこまで酒に強くない。

「ま、まぁ、謝ってくれたし、何より僕もう元気だし?」
「オメーはマル被が無事なら、暴行傷害執行妨害の数え役満見逃すっつーのかよ」
「いやそういう訳じゃないけど……てか何か語呂いいね、暴行傷害執行妨害」
「お前ホンット呑気だよな」

 いつもの三科なら夏波の頭を軽く小突いているだろうタイミングだが、今日はその素振りすら見せようとしない。
 恐らくそれは、夏波の頭と頬に貼り付けたガーゼのせいに他ならないのだろう。服に隠れて見えないものの、肘と脇腹にも昨日の名残は残っている。
 本来は今日の飲み会も怪我を考慮して延期しようとの案が持ち上がっていたが、せっかく非番を合わせた予定を潰したくないと夏波が駄々をこねたのだ。 

「アイツが“警察”じゃなきゃ、即逮捕だったのによー……」

 ぼやく三科。先程から話題に上がり続けているのは、昨日夏波を蹴り飛ばした人物についてである。
 あの後気を失った夏波は、三科によってすぐ近くの大学病院に運び込まれ、医者の処置を受けた。幸い擦り傷と軽い脳震盪で済んだ為、入院には至らず、夜には帰宅許可が出たのだが
 
『手荒にして悪かった』

 病院から外に出る準備をしていた夏波と、付き添いの三科の前に、当の本人が現れたのである。ポケットに手を突っ込んだまま頭を下げる彼に、三科は胸ぐらを掴みかねない勢いで憤慨した。公務執行妨害だと怒る三科に対し、少年の反応は非常に薄く

『悪いが俺もお前らと同じ警察だ。逮捕状が出ることはないだろうな』

 と淡々と告げた。だが、罰が悪そうに目を背けていたあたり、先程の謝罪は本心からのものだったのだろう。

『……今後ああいう明らかな異常には近寄るな。見つけたらすぐここに連絡しろ』

 そう言いながら、彼はようやくポケットから手を出し、夏波の前のテーブルに名刺を置きやった。手には黒い革製の手袋がはめられており、パーカー姿の少年にしてはいささかアンバランスだなと思ったものである。

「名前書いてねー名刺があるかってんだ。ナメてんのかあの野郎」
「いいじゃん別に。剣さんのおかげで名前自体はわかったしさ」
「お前が俺をなだめんじゃねえ!」
「理不尽すぎん?」

 三科の言う通り、渡された名刺に氏名は記載されていなかった。代わりにあったのは、“特別対策室”という部署名と、携帯につながるだろう電話番号のみ。シンプルというよりも無味乾燥といった方が適切だ。
 少年が去った後の三科は、不機嫌を限界まで極めていた。そんな状態の彼が飲みの席で愚痴らない訳もなく。その悪舌に、先輩である剣が反応したのだ。

『そいつ、多分俺の同期の志賀だな。志賀太陽(しがたいよう)

 剣佐助は、村山美樹のバディであり、夏波と三科の三つ上の先輩に当たる。機捜の中では一番年が近い人物ということもあり、夏波と三科は揃って彼に懐いていた。機捜の先輩は皆気の良い人達ばかりだが、特に仕事のやり方やガス抜きの仕方を教えてくれたのは剣と村山だ。

「俺ら同期の中じゃ有名人だよ、志賀は」
「有名人?」
「あぁ。まず警察学校で主席卒業してるしな」
「うわ、インテリかー……やっぱ気に食わねェ……」
「三科ー。そんな事言ったら、佐助君は次席だよ」
「えっ、マジすか!?」

 机に突っ伏すようにしていた三科が勢いよく頭を持ち上げ、目を丸くする。しかし少し視線を宙空に漂わせた後、ニヤリと笑ってみせた。

「いや、剣さんは実技評価が主と見ました」
「そうだよ、悪いか」
「悪いなんて言ってねーっすよ!マジですごいです!」

 三科の素直過ぎる賛辞を受け、剣は居心地悪そうに顔をしかめる。掌を素早くひっくり返す三科を見て、相変わらずの調子の良さだと夏波は梅酒を舐めた。

「それにノンキャリアの同期の中じゃ、今んとこ出世頭だ。最速で警部補まで上がってる」
「え、剣さんって今何歳でしたっけ?」
「二十八」

 剣は答えてから、ぐい、とジョッキを煽って空にした。

「僕らまだ巡査部長の昇任試験すら受けられてないのに……」
「いーんだよその辺は別に。受けられる時に頑張ろうぜ」
「呑気はどっちだよ……」

 ガクリと項垂れる夏波だったが、三科は全く気にする様子がない。テキパキ空いたジョッキを回収し、店員が持ってきたハイボールを剣に差し出す辺り、同期の要領の良さは相変わらずだ。

「てか、そもそも“特殊対策室”って何なんすか?」

 三科の質問に、夏波は持ち上げたグラスを思わずおろした。

「あ、それ僕も知りたいです。聞いたことない部署なので……」

 宮城県警の組織図は、警察学校時代に何度か見た事がある。だが、特殊対策なんて部署があっただろうか。目にしていたら恐らく「なんの対策?」くらいの疑問は抱きそうなものだが、夏波にそんな記憶はない。
 
「実は私もよくは知らないんだよね。最近できた部署で、志賀君一人しかいないって事くらいしか」
「え、一人!?」

 村山の返答に驚いて、思わず声が大きくなる。
 それは本当に部署なのだろうか。警察内には多くの部署があるといえど、たった一人きりというのは流石に異質だ。

「何か、特命係みたいっすね」

 唐揚げを頬張る三科が持ち出してきたのは、某刑事ドラマにおける窓際部署の名称だった。あのドラマでは確かに、優秀な刑事が上層部に疎まれて窓際に追いやられた、という設定だったので、近しいものを感じないわけではない。

「てか、その辺は佐助君の方が詳しいんじゃない?」

 そこで、その場の三人の視線は一気に剣へと集まった。う、と、口に近づけていたジョッキを置くと、剣はしかめっ面のまま少しだけ視線を落とす。

「……特対(とくたい)は基本、他の部署の応援部隊だ。だが、捜査に首を突っ込むか突っ込まないかはアイツの采配次第らしくてな。突っ込んできたらきたで、現場の証拠品持ち出すわ、遺族に勝手に連絡取って苦情の嵐が舞い込むわで、俺達機捜以外からはかなり疎まれてるらしい」
「うーわ、特命係迷惑バージョンじゃねぇか」

 三科は相変わらずいない敵に対して喧嘩腰だ。しかしこればかりは、夏波も同意せざるを得なかった。
 夏波達の所属する機動捜査隊は、通報を受けたら現場に急行し、初動捜査を行って、捜査第一課などの担当の部署に情報を提供するまでを生業としている。
 剣の話を聞く限りでは、特対はその真逆だ。集まった情報を横から見てきて、捜査に首を突っ込んでいる状態なのだろう。どんな部署にも“やり方”というものがある。横槍を入れられたら誰だって嫌だし、しかもそれを個人の采配で行っているのだとすれば、面白くないと思う人間が多数を占めるはず。
 剣は視線を落としたまま、口を開いた。

「……『特対は、異常の担当だ』」
「異常?」

 少しだけ回らなくなってきた呂律のまま、夏波は剣の言葉を繰り返す。彼は黙って首肯した。

「昔、アイツがそう言っていた。その時は意味が分からなかったが、……最近何となく、アイツが関わってくる基準が分かってきた気はする」
「あー、……なるほど?」

 不意に村山が口を開いた。コロコロとグラスを揺らして氷を鳴らしながら、彼女は続きを述べる。

「確かにあの子、妙な事件にしか首突っ込んでないのかもね」
「はい。この前の“神隠し”もそうですし、……こいつ等が見つけた器物破損も普通じゃなかったみたいなんで」
「えっと……?」

 困惑する夏波に、剣が苦笑を向けた。

「さっき話してくれただろ、壁やら電柱やらの一部が白い結晶みたいになっちまってたって話」
「あ、はい。……でもそれ、僕らはもう関わらなくていいって言われちゃったから、その後の事は全然分からなくて……」

 昨日夏波に病院から直帰しろとの命令が出た際、上司からはそう告げられていた。三科は当然納得がいかない様子だったし、夏波自身もどうしてあんな事になっていたのかは知りたい所だったが、非番の日を潰してまで調べるかと言われたら話は別である。

「その場に志賀がいたんなら、多分捜査を引き継いでるのはアイツなんだろうな」
「なる、ほど……?」

 “異常”。
 確かに一言で済ませるとしたら、昨日の出来事はあからさまに異常だった。昨日村山から聞いた話も、集団幻覚だったにしろ実際に車が消えたにしろ、まるきり普通の事故ではない。剣達の話を鑑みるに、志賀という男はそういった普通ではない事件に関与することが多いのだろうか。

『明らかな異常には近づくな』

 病院で出会った彼の言葉が脳裏を過る。
 夏波はぼんやりとグラスに口をつけた。梅酒の程よい甘さが、舌をまた少しだけ痺れさせた。

「志賀太陽……」

 特に意味もなく名前を呟く。けれどどこか懐かしさを感じる名前の響きであることに、胸騒ぎがした。
 どこかで聞いた事があっただろうか。心当たりを記憶から探るも、酒のせいで鈍った思考回路が答えを導き出すことはない。
 結局、あの時倒れていた人は無事だったのか。白い結晶は何だったのか。彼はどうして、自分を蹴り飛ばしたのか。わからない事ばかりだった。
 けれど、機捜とはそういう部署なのだ。現場へ真っ先に駆けつけて初動捜査を行う事が仕事であり、事件を結末まで追いかける事は許されない。

――何で蹴られたんだろ

 コロリ、と音を立てたグラスを持ち上げて、夏波は酒とともに答えの無い疑問を飲み下した。
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登場人物紹介

夏波 奏 《カナミ カナデ》


25歳/O型/167cm/特殊対策室所属


自他共に認める気弱人間

志賀 太陽 《シガ タイヨウ》


28歳/AB型/159cm/特殊対策室所属


中央署の嫌われ者

宮藤 由利 《クドウ ユリ》


?歳/B型/154cm/特殊対策室所属


中央署の名物署長

三科 祭 《ミシナ マツリ》


26歳/B型/178cm/機動捜査隊所属


夏波の元相棒で親友

剣 佐助 《ツルギ サスケ》


28歳/AB型/181cm/機動捜査隊所属


苦労人気質の優しい先輩

村山 美樹 《ムラヤマ ミキ》


31歳/O型/162cm/機動捜査隊所属


飄々としてるけど面倒見はいいお姉さん

美月 幸平 《ミツキ コウヘイ》


24歳/B型/178cm/俳優


爽やかな青年

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