5-11 望むもの
文字数 4,748文字
「長くて10分が限界です。それ以上は……」
「分かりました」
宮藤が頭を下げると、白衣を羽織った男はひとつ頷き、病室の扉を開けた。
カーテンの下ろされた薄暗い個室。ベッドの上には長い髪の女性がおり、彼女は静かに外の見えない窓を見つめ続けている。
「河島さん?河島 陽菜 さん」
前を歩く宮藤がベッド脇に立って名を呼ぶが、反応はない。志賀と夏波は一歩引いた位置で暫くそれを眺めていた。
河島陽菜。年齢は大学生くらいだろうか。彼女は先日のミツキのコンサートで、泣き叫んでいた女性だ。
「苦しい事を思い出させるようで恐縮ですが……貴方のお友達のお話を聞かせて欲しいんです」
お友達、という単語が女性の耳に入った途端、彼女はベッドの上で胸を押さえてうずくまった。唸り声とも悲鳴とも付かない声をあげ、自身を削ぐように何度も首から胸を掻き毟る。その手にはめられた白手袋が自傷を防いでいるとはいえ、その光景は余りにも狂気に満ちていた。
宮藤はチラリと背後にいた志賀を伺った。志賀が酷く苦い表情を浮かべつつ頷くと、宮藤は女性に向き直る。
「ごめんなさい。……少し落ち着きましょうね」
そう悲しげに語りかけつつ、宮藤は自らの手袋を取り去った。そしてそっと女性の頰に触れる。途端、女性は動きを止め、そうかと思えば大きく息を吸い、吐き出す動作を繰り返し始めたのだ。何とか深呼吸を続けようとする様はどこか機械じみていて、夏波は身を固くする。
「河島さん、どうかご自身を責めないで。決して貴方のせいではないわ。……私達は、あの時何が起こったかと、……亡くなった方の事を知りたいだけよ」
「……花 ……の、こと」
女性の瞳が宮藤を捉える。宮藤は頷きを返しつつ、彼女の頰に触れていた手をゆっくりと離す。
「起こった事は、……分からない。分からないよ、だって、突然、花が」
がたがたと身体を震わせて、彼女は自身の肩を抱いた。宮藤は手袋をはめなおしたその手で彼女の頭をゆったり撫でる。
「私の、……私が、触ったの。そしたら、……花が、――膨らんで」
『膨らんで』
夏波の鼻先に、血溜まりを見つけた時に嗅いだ異臭が蘇った気がした。
血溜まりに近づいていないから見えなかっただけなのか、それともその跡が消し飛んだだけなのかは定かではない。しかしあれは、あの血溜まりはやはり『人間の痕』だったのだ。
「ミツキのコンサートの帰りだったのよね?」
女性は頷く。
「そこで、何か起こった?」
「……揺れた。じ、地震みたい、な……怖くて、私……すごく……」
「ありがとう。……もう大丈夫よ。辛い事、思い出させてごめんなさいね」
「いや!!」
その場を離れようとした宮藤の腕を、女性は咄嗟に掴む。てっきり宮藤が離れていく事を嫌がったのかと夏波は思ったが、違った。
「もう、いや。殺して、……お願い、殺してください……」
「河島さん」
「手に、……ッ、残ってるの!!私が花を……殺した……殺したのに!ずっと、ずっと苦しくて、息ができなくて……、もう……」
殆ど文脈は成立せず、けれど余りにも悲痛な叫び。かと思えば、彼女は宮藤の腕を離し、唐突に自らの手をベッド脇のストッパーに何度も打ちつけ始めた。何度も、何度も。咄嗟に宮藤がその手を掴むが、彼女は自身を痛めつける事を止めない。
胸に虚が空いたかのような息苦しさに、夏波は喉を詰まらせた。
――伊霧芽郁も、きっと
きっと同じだった。あの血に塗れたボロボロの手は、恐らく目の前の女性と同様に、自ら手を傷つけ、打ちつけた結果なのだ。否定すら出来ない程に刻み込まれた殺しの感覚。そして大切な人を手にかけたという途方もない罪悪感。それから逃げる術もなく、彼女達は自分の手を痛めつける事しかできないのだろう。
「嫌……嫌だ、……もう、生きてたくないの、嫌なの、嫌、……嫌!!」
「すみません、そろそろ……」
宮藤の背後で様子を見ていた医者が、堪えきれずに前に出た。
宮藤は頷いて了承し、そして女性から手を離す。
志賀はそれを確認すると、すぐにこの場から背を向けて病室を出ていこうとした。夏波も慌てて彼に続く。
「……助けて……」
掠れるような声に振り向こうとして、けれど夏波は彼女を見る事ができなかった。
どうすれば良いのか、何と声をかけるべきなのか、全く分からなかったから。
*
「時間が解決すると良いのだけれど……」
病室を出て、宮藤は悲しげに呟いた。
「このままだと、また寿医院に預かってもらう事になりそうね」
以前訪ねた寿医院には、数名の精神疾患者が入院しているという話だ。恐らくは先程の女性と同じ状態に陥った者達なのだろう。
「そろそろ他の保護施設と協力者を探さないとならんな。……寿さんの負荷が大きすぎる」
「探してはいるんだけど、事情を飲み込める人が少なすぎるのよ。上もなかなか公表に踏み切ってくれないし……」
「過去の事がある。対処するとすりゃ、デカい何かが起こった後だ」
志賀はそう吐き捨て、通路を歩く。
平日の病棟は昼間だというのに薄暗く、通路先の窓から入る白い陽の光だけがぼんやりと明るかった。
エレベーターホールまで差し掛かると、その光は全身に降り注ぎ、3人を照らす。
「能力者は……」
ふと、夏波の口から言葉が溢れた。今まさにエレベーターのボタンを押そうとしていた志賀が振り返り、隣にいた宮藤も夏波を見やる。
「人を殺してしまった能力者は、どうして皆あんな事を言うんでしょうか」
「あんな事?」
首を傾げた宮藤に頷いてみせる。
「皆、『生きていたくない』って言っている気がするんです。伊霧芽郁も、“鯨”に会った人達も、今の人も……。皆、『自分のせいだ』って苦しんで、死を望んでる」
ただ手で触れただけだ。たったそれだけ。まして殺したいという意志があったわけでもなく、隣にいた人間が異様な状況に巻き込まれた。
「『自分のせいじゃない』って主張する人がもっといていいんじゃないかと思うんですけど……」
「確かに、……自分の能力を自覚し、自身が殺したと確信しているケースは多いな。全員じゃないとはいえ……」
「能力のせいでそう思ってしまってる……とかはないですかね?」
志賀は口元を手で覆う。
「いや……それだと矛盾しないか?」
「矛盾?」
夏波と宮藤の声が重なる。志賀はこくりと頷いた。
「能力者は自ら死を選べないはずだ」
あ、と声が出る。
仮に死を望んでしまう事が能力のせいだとすると『人に死を望ませながらも、死を拒否する』なんて矛盾した特性を持っている事になる。それは些か考え難い。
しゅんと肩を落とした夏波に、志賀は「まぁ」と声をかけた。
「違和感が無いかと言われれば、否定もできん」
「そうね、実際死を望む能力者は多いもの。特に人を殺害してしまった能力者は、殆どがその思考に陥っているわ。……本当に偶然なのかしら?」
そう言ったきり黙り込んでしまった2人に、夏波は慌てて
「あ、あの、何となくの思いつきなので」
と弁明する。
「……『切欠』は、死を想う事」
けれど、志賀はぶつぶつと呟き続けることをやめず、夏波と宮藤は顔を見合わせた。
「能力者は死を選べない……。にも関わらず能力者自身は死を望んでいるとすると、……人の意志が反映されているのは『死を望む』方なのか……?」
「ど、どういう事?」
「……いや、仮定だ。上手く言語化できる訳でもない」
「何事も練習よ!ちょっと頑張ってみて!」
志賀は心底嫌そうな表情を浮かべるが、宮藤に逃すつもりは無いらしい。志賀の前に立ちはだかり、「ファイト!」と両手を顔の前で握ってみせた。志賀はしばらく俯いて唸ると、
「……“能力”に対する……一種の防衛本能、みたいなものかと思っただけだ」
「防衛本能?」
「しっ、……『死にたい』って想う事がですか?」
夏波は大きくなりかけた声を無理やりひそめた。志賀は苦い顔をしたまま頷く。
「死を救いと認識している可能性もあるかと思っただけだ。人間の生存本能と真逆をいってるから、考え難くはある」
「そうねぇ……でもそう考えちゃうと、そもそも『死を望む』なんて思考自体が生物としてはおかしい気もするけれどね」
不意に、夏波の脳裏でフラッシュバックが起きた。
――『知ってる?人間以外で自殺をする生物っていないらしいよ』
以前夏波を誘拐し、そして自死を選んだ佐久間ありさの姿と言葉。自死を選べない能力者は化け物だと、彼女はそう嘲笑した。
それと同時にまた別の光景が脳裏をよぎり、夏波は唇を噛みしめる。目の奥がびりびりと痺れるように痛んだ。
「僕達は……化け物なんでしょうか」
志賀がはっと口元から手を離して夏波を見た。
「伊霧芽郁が……言ってたんです。『望まなきゃいけない』……『私達が、私達でいるために』って。それってもしかして……」
『人間である為に』という意味なのではないか。
と、そこまで続ける勇気は夏波には無い。
宮藤が一歩夏波に近づいて、ぽん、と頭に手を乗せた。
「何言ってるの。私達は人間よ。大丈夫、ぜーんぶ本当かどうかなんて分かんないんだから」
「慰め方としてどうなんだそれは」
「うるさいわねー、じゃあ志賀君がなんか良い事言えばいいでしょ」
ふん!と口に出してそっぽを向く宮藤に、志賀は宙を仰いだ。
「アンタ、年々その身体になった事楽しくなってきてるだろ」
「あったりまえでしょ。前の身体じゃ絶対できなかった事、やり放題なんだから!やっぱ人生諦め大事!楽しんだモン勝ち!」
「夏波、この人のメンタルだけは見習っとけ」
「だけ!?だけって何!?他にもあるでしょ!?伊達に年食ってないのよこちとら!」
「病棟でギャーギャー騒ぐな。つか年相応の行動とってから言いやがれオッサン」
「オッサン言うな!」
噛み付く宮藤と、うるさそうにしながらエレベーターのボタンを押す志賀。
彼らの様子を夏波はポカンと見つめた。先程までの重苦しい雰囲気を吹き飛ばすかのように宮藤は怒り、志賀でさえそれに乗っている。自分の為だと気付かないほど、夏波とて鈍くは無い。
「夏波君?」
エレベーターに乗り込んだ宮藤が、扉を押さえて夏波を呼ぶ。「は、はい」と返事をしつつ慌てて駆け寄った。
「お前は死にたくないんだろ」
下降する箱体の中、志賀がそう言ってじろりと夏波を見上げた。
「えっ……?」
「お前が死にかけてる時、いつもそう言ってるぞ」
「そ、そうでしたっけ……」
正直なところ覚えてはいない。けれど、確かに佐久間ありさから暴行を受けている時は『死にたくない』と思っていたはずだ。
頰をぽりぽりとかく夏波に、志賀はため息をこぼしながら言った。
「それに肝心な事を忘れてるな、お前」
「え、な、何ですか?」
「伊霧芽郁の台詞だ」
夏波が頭に疑問符を乗せて首を傾げると、志賀は「忘れたのか」と睨みを効かせる。
「彼女はこうも言っていた。『“鯨さん”と』」
「……『――約束したから』」
そうだ、確かに夏波の手を拒みながら彼女はそう言っていた。
そして“鯨”側も、『伊霧芽郁の死を利用させて欲しい』と申し出ていたはず。
さらによく考えれば、『私達』という表現もしっくりは来ない。『人間として死を選びたい』と言う意味であれば、複数形にはならないはずだ。
「……良い加減、尻尾を掴まなけりゃな」
静かに呟く志賀の言葉に、その場の2人ははっきりと頷いた。
――“鯨”は、きっと知ってる
伊霧芽郁の事だけでは無い。“能力”がどんな存在なのかも、恐らくは理解している。味方の可能性はあるにはあるが、しかし、悪趣味な動画投稿だけは許せそうにない。
――見つけないと
夏波は固く拳を握る。
その様子を志賀は横目で眺め、そしてふいと逸らした。彼が哀しげに俯いた事に、その場の誰も気付く事はない。
「分かりました」
宮藤が頭を下げると、白衣を羽織った男はひとつ頷き、病室の扉を開けた。
カーテンの下ろされた薄暗い個室。ベッドの上には長い髪の女性がおり、彼女は静かに外の見えない窓を見つめ続けている。
「河島さん?
前を歩く宮藤がベッド脇に立って名を呼ぶが、反応はない。志賀と夏波は一歩引いた位置で暫くそれを眺めていた。
河島陽菜。年齢は大学生くらいだろうか。彼女は先日のミツキのコンサートで、泣き叫んでいた女性だ。
「苦しい事を思い出させるようで恐縮ですが……貴方のお友達のお話を聞かせて欲しいんです」
お友達、という単語が女性の耳に入った途端、彼女はベッドの上で胸を押さえてうずくまった。唸り声とも悲鳴とも付かない声をあげ、自身を削ぐように何度も首から胸を掻き毟る。その手にはめられた白手袋が自傷を防いでいるとはいえ、その光景は余りにも狂気に満ちていた。
宮藤はチラリと背後にいた志賀を伺った。志賀が酷く苦い表情を浮かべつつ頷くと、宮藤は女性に向き直る。
「ごめんなさい。……少し落ち着きましょうね」
そう悲しげに語りかけつつ、宮藤は自らの手袋を取り去った。そしてそっと女性の頰に触れる。途端、女性は動きを止め、そうかと思えば大きく息を吸い、吐き出す動作を繰り返し始めたのだ。何とか深呼吸を続けようとする様はどこか機械じみていて、夏波は身を固くする。
「河島さん、どうかご自身を責めないで。決して貴方のせいではないわ。……私達は、あの時何が起こったかと、……亡くなった方の事を知りたいだけよ」
「……
女性の瞳が宮藤を捉える。宮藤は頷きを返しつつ、彼女の頰に触れていた手をゆっくりと離す。
「起こった事は、……分からない。分からないよ、だって、突然、花が」
がたがたと身体を震わせて、彼女は自身の肩を抱いた。宮藤は手袋をはめなおしたその手で彼女の頭をゆったり撫でる。
「私の、……私が、触ったの。そしたら、……花が、――膨らんで」
『膨らんで』
夏波の鼻先に、血溜まりを見つけた時に嗅いだ異臭が蘇った気がした。
血溜まりに近づいていないから見えなかっただけなのか、それともその跡が消し飛んだだけなのかは定かではない。しかしあれは、あの血溜まりはやはり『人間の痕』だったのだ。
「ミツキのコンサートの帰りだったのよね?」
女性は頷く。
「そこで、何か起こった?」
「……揺れた。じ、地震みたい、な……怖くて、私……すごく……」
「ありがとう。……もう大丈夫よ。辛い事、思い出させてごめんなさいね」
「いや!!」
その場を離れようとした宮藤の腕を、女性は咄嗟に掴む。てっきり宮藤が離れていく事を嫌がったのかと夏波は思ったが、違った。
「もう、いや。殺して、……お願い、殺してください……」
「河島さん」
「手に、……ッ、残ってるの!!私が花を……殺した……殺したのに!ずっと、ずっと苦しくて、息ができなくて……、もう……」
殆ど文脈は成立せず、けれど余りにも悲痛な叫び。かと思えば、彼女は宮藤の腕を離し、唐突に自らの手をベッド脇のストッパーに何度も打ちつけ始めた。何度も、何度も。咄嗟に宮藤がその手を掴むが、彼女は自身を痛めつける事を止めない。
胸に虚が空いたかのような息苦しさに、夏波は喉を詰まらせた。
――伊霧芽郁も、きっと
きっと同じだった。あの血に塗れたボロボロの手は、恐らく目の前の女性と同様に、自ら手を傷つけ、打ちつけた結果なのだ。否定すら出来ない程に刻み込まれた殺しの感覚。そして大切な人を手にかけたという途方もない罪悪感。それから逃げる術もなく、彼女達は自分の手を痛めつける事しかできないのだろう。
「嫌……嫌だ、……もう、生きてたくないの、嫌なの、嫌、……嫌!!」
「すみません、そろそろ……」
宮藤の背後で様子を見ていた医者が、堪えきれずに前に出た。
宮藤は頷いて了承し、そして女性から手を離す。
志賀はそれを確認すると、すぐにこの場から背を向けて病室を出ていこうとした。夏波も慌てて彼に続く。
「……助けて……」
掠れるような声に振り向こうとして、けれど夏波は彼女を見る事ができなかった。
どうすれば良いのか、何と声をかけるべきなのか、全く分からなかったから。
*
「時間が解決すると良いのだけれど……」
病室を出て、宮藤は悲しげに呟いた。
「このままだと、また寿医院に預かってもらう事になりそうね」
以前訪ねた寿医院には、数名の精神疾患者が入院しているという話だ。恐らくは先程の女性と同じ状態に陥った者達なのだろう。
「そろそろ他の保護施設と協力者を探さないとならんな。……寿さんの負荷が大きすぎる」
「探してはいるんだけど、事情を飲み込める人が少なすぎるのよ。上もなかなか公表に踏み切ってくれないし……」
「過去の事がある。対処するとすりゃ、デカい何かが起こった後だ」
志賀はそう吐き捨て、通路を歩く。
平日の病棟は昼間だというのに薄暗く、通路先の窓から入る白い陽の光だけがぼんやりと明るかった。
エレベーターホールまで差し掛かると、その光は全身に降り注ぎ、3人を照らす。
「能力者は……」
ふと、夏波の口から言葉が溢れた。今まさにエレベーターのボタンを押そうとしていた志賀が振り返り、隣にいた宮藤も夏波を見やる。
「人を殺してしまった能力者は、どうして皆あんな事を言うんでしょうか」
「あんな事?」
首を傾げた宮藤に頷いてみせる。
「皆、『生きていたくない』って言っている気がするんです。伊霧芽郁も、“鯨”に会った人達も、今の人も……。皆、『自分のせいだ』って苦しんで、死を望んでる」
ただ手で触れただけだ。たったそれだけ。まして殺したいという意志があったわけでもなく、隣にいた人間が異様な状況に巻き込まれた。
「『自分のせいじゃない』って主張する人がもっといていいんじゃないかと思うんですけど……」
「確かに、……自分の能力を自覚し、自身が殺したと確信しているケースは多いな。全員じゃないとはいえ……」
「能力のせいでそう思ってしまってる……とかはないですかね?」
志賀は口元を手で覆う。
「いや……それだと矛盾しないか?」
「矛盾?」
夏波と宮藤の声が重なる。志賀はこくりと頷いた。
「能力者は自ら死を選べないはずだ」
あ、と声が出る。
仮に死を望んでしまう事が能力のせいだとすると『人に死を望ませながらも、死を拒否する』なんて矛盾した特性を持っている事になる。それは些か考え難い。
しゅんと肩を落とした夏波に、志賀は「まぁ」と声をかけた。
「違和感が無いかと言われれば、否定もできん」
「そうね、実際死を望む能力者は多いもの。特に人を殺害してしまった能力者は、殆どがその思考に陥っているわ。……本当に偶然なのかしら?」
そう言ったきり黙り込んでしまった2人に、夏波は慌てて
「あ、あの、何となくの思いつきなので」
と弁明する。
「……『切欠』は、死を想う事」
けれど、志賀はぶつぶつと呟き続けることをやめず、夏波と宮藤は顔を見合わせた。
「能力者は死を選べない……。にも関わらず能力者自身は死を望んでいるとすると、……人の意志が反映されているのは『死を望む』方なのか……?」
「ど、どういう事?」
「……いや、仮定だ。上手く言語化できる訳でもない」
「何事も練習よ!ちょっと頑張ってみて!」
志賀は心底嫌そうな表情を浮かべるが、宮藤に逃すつもりは無いらしい。志賀の前に立ちはだかり、「ファイト!」と両手を顔の前で握ってみせた。志賀はしばらく俯いて唸ると、
「……“能力”に対する……一種の防衛本能、みたいなものかと思っただけだ」
「防衛本能?」
「しっ、……『死にたい』って想う事がですか?」
夏波は大きくなりかけた声を無理やりひそめた。志賀は苦い顔をしたまま頷く。
「死を救いと認識している可能性もあるかと思っただけだ。人間の生存本能と真逆をいってるから、考え難くはある」
「そうねぇ……でもそう考えちゃうと、そもそも『死を望む』なんて思考自体が生物としてはおかしい気もするけれどね」
不意に、夏波の脳裏でフラッシュバックが起きた。
――『知ってる?人間以外で自殺をする生物っていないらしいよ』
以前夏波を誘拐し、そして自死を選んだ佐久間ありさの姿と言葉。自死を選べない能力者は化け物だと、彼女はそう嘲笑した。
それと同時にまた別の光景が脳裏をよぎり、夏波は唇を噛みしめる。目の奥がびりびりと痺れるように痛んだ。
「僕達は……化け物なんでしょうか」
志賀がはっと口元から手を離して夏波を見た。
「伊霧芽郁が……言ってたんです。『望まなきゃいけない』……『私達が、私達でいるために』って。それってもしかして……」
『人間である為に』という意味なのではないか。
と、そこまで続ける勇気は夏波には無い。
宮藤が一歩夏波に近づいて、ぽん、と頭に手を乗せた。
「何言ってるの。私達は人間よ。大丈夫、ぜーんぶ本当かどうかなんて分かんないんだから」
「慰め方としてどうなんだそれは」
「うるさいわねー、じゃあ志賀君がなんか良い事言えばいいでしょ」
ふん!と口に出してそっぽを向く宮藤に、志賀は宙を仰いだ。
「アンタ、年々その身体になった事楽しくなってきてるだろ」
「あったりまえでしょ。前の身体じゃ絶対できなかった事、やり放題なんだから!やっぱ人生諦め大事!楽しんだモン勝ち!」
「夏波、この人のメンタルだけは見習っとけ」
「だけ!?だけって何!?他にもあるでしょ!?伊達に年食ってないのよこちとら!」
「病棟でギャーギャー騒ぐな。つか年相応の行動とってから言いやがれオッサン」
「オッサン言うな!」
噛み付く宮藤と、うるさそうにしながらエレベーターのボタンを押す志賀。
彼らの様子を夏波はポカンと見つめた。先程までの重苦しい雰囲気を吹き飛ばすかのように宮藤は怒り、志賀でさえそれに乗っている。自分の為だと気付かないほど、夏波とて鈍くは無い。
「夏波君?」
エレベーターに乗り込んだ宮藤が、扉を押さえて夏波を呼ぶ。「は、はい」と返事をしつつ慌てて駆け寄った。
「お前は死にたくないんだろ」
下降する箱体の中、志賀がそう言ってじろりと夏波を見上げた。
「えっ……?」
「お前が死にかけてる時、いつもそう言ってるぞ」
「そ、そうでしたっけ……」
正直なところ覚えてはいない。けれど、確かに佐久間ありさから暴行を受けている時は『死にたくない』と思っていたはずだ。
頰をぽりぽりとかく夏波に、志賀はため息をこぼしながら言った。
「それに肝心な事を忘れてるな、お前」
「え、な、何ですか?」
「伊霧芽郁の台詞だ」
夏波が頭に疑問符を乗せて首を傾げると、志賀は「忘れたのか」と睨みを効かせる。
「彼女はこうも言っていた。『“鯨さん”と』」
「……『――約束したから』」
そうだ、確かに夏波の手を拒みながら彼女はそう言っていた。
そして“鯨”側も、『伊霧芽郁の死を利用させて欲しい』と申し出ていたはず。
さらによく考えれば、『私達』という表現もしっくりは来ない。『人間として死を選びたい』と言う意味であれば、複数形にはならないはずだ。
「……良い加減、尻尾を掴まなけりゃな」
静かに呟く志賀の言葉に、その場の2人ははっきりと頷いた。
――“鯨”は、きっと知ってる
伊霧芽郁の事だけでは無い。“能力”がどんな存在なのかも、恐らくは理解している。味方の可能性はあるにはあるが、しかし、悪趣味な動画投稿だけは許せそうにない。
――見つけないと
夏波は固く拳を握る。
その様子を志賀は横目で眺め、そしてふいと逸らした。彼が哀しげに俯いた事に、その場の誰も気付く事はない。