2-4 嫌われ者
文字数 5,670文字
「美月幸平との協力関係は、お前が結んでこい」
車の窓に肘を付いた志賀は言った。
前方の車両との車間距離を調整しつつ、夏波は隣に座る同僚に力なく疑問を呈する。
「協力っていうのは、具体的にはどんな……?」
「俺達警察が知る限りの、正しい情報を発信してもらうだけだ」
具体的と言うにはざっくりした返答だ。だが、目の前の問題はそこではない。
「……僕はどうすれば」
「まずは情報収集をしながら信頼を得る。その後協力を持ちかけろ」
「一人でやる感じ……ですよね」
これが泣き言であるというのは分かりきっていた。それでも志賀に縋らない訳にもいかず、藁を掴む思いで問う。しかし彼の返答は冷ややかだ。
「俺がいたら泣き落としがしづらいだろ」
「アハハ、何で泣き落としする前提なんですかね」
「冗談だ」
「全然冗談に聞こえなかったんですけど……」
夏波の乾いた笑いは対向車の走行音に掻き消された。志賀は窓の外を眺めるばかりで、それ以降特に口を開こうとはしない。エンジン音と車道の喧騒ばかりが車内に響く。
『一目惚れ、ってやつだと思います』
『会えて、良かったです』
不意に、ミツキの表情と台詞がフラッシュバックを起こした。喉の奥から濁音だらけの叫び声が漏れ出そうになる。かなりギリギリの所で押し留めたせいで、妙に掠れた呻きになって外に溢 れた。
比較的平々凡々と生きてきた25年間。恋愛事にはとんと縁のない生活だった。別に興味が無いわけではない。正直な話、『よく分からない』のだ。“好意”の種類、いうなれば、loveとlikeの境目がいまいち理解できていないのである。
*
学生時代全体を通して、「好きな人はいるの?」という質問を避けて通ることはできなかった。中学時代に「皆好きだよ?」と解答して生暖かい目で見られる事を繰り返したので、高校に上がる頃には「いないなぁ」と無難な返答に切り替えた。
好きな人、と言葉通りに受け取れば、夏波は自分と関わってくれる周りの人間ほぼ全員が好きだ。それは間違いない。しかし質問者が欲しているのはどうしたって、loveの意味合いが多分に含まれた『好きな人』なのだ。
友人達に「いつか夏波にもわかる日が来るよ」と言われ続けて早数年間――いや、十数年。分からないまま今ここに至る。
恋愛そのものが無意味だとか、理解できないという訳ではない。だからミツキが自分に向けてくれた感情が非常に好意的、それもloveの意味合いが濃い事くらいなら、流石の夏波にも察して取れるのだ。
――でも僕は、きっと気持ちを返せない
恐怖心が夏波を臆病にさせ続けていた。それはミツキの件だけではない。これまでも、そして恐らくこれからもだ。
けれど、折角好意を向けてくれる人に嫌われたくない、と思ってしまう自分もいた。そのせいで何度も傷ついているはずなのに。
夏波の奥底にある『人から嫌われたくない』という感情は、いつ何時 にでも顔を出す。
それは案の定、今回のミツキに対しても発揮された。
「ご飯、ご一緒できないんですか?」
「す、すみません……」
夏波はしどろもどろに手を動かした。
「その、……この格好で食べている所を見られると、苦情が来ると言いますか……」
「お昼休み中にご飯食べると苦情が来るんですか?」
なんで?とミツキは首を傾げた。なんでだろうね、と夏波も内心で答える。
確かにミツキと二人きりの状態で話をする事への抵抗もあるが、こればかりは決してでまかせを言っている訳ではない。警官や消防隊員が見える場所でご飯を食べていたり、コンビニに赴いたりするだけでクレームが来た、という話は実際にある。
「市民の方の目と言いますか……。仕事をしていない様に見えてしまうようで……」
「え、ご飯食べてるだけなのに……?」
心底驚いた様子でミツキは目を丸くした。
警察だってご飯を食べなければ動けなくなるし、ご飯を買うには店に行かなければいけない。それにいちいちケチをつけられていたらたまったものではないのだが、そうは思わない心ない人間もいるのである。
困り果てて苦く笑う事しか出来ない夏波。ミツキは悲しそうに目を伏せた。
「そうですか……そんな理不尽な事を言われる事もあるんですね……。ボクも大概理不尽な事を言われたりはしますけど、流石にご飯食べるな、は無いなぁ」
言葉の途中で夏波を見、今度は冗談めいた口調になって笑う。表情をコロコロと変化させる様は、どこか三科を彷彿とさせた。三科よりも少しだけ子供っぽく見える彼だが、好青年、というイメージを崩す気配は一切無い。
「お仕事中だと難しければ、今日の夜……はボクが打ち上げがあるから無理か……。そうだな、来週のお暇な時、お仕事が終わってからとかはどうですか?」
「えっ、来週って……でもミツキさん、東京帰るんじゃ……」
「仙台ならすぐ来られます。新幹線で1時間くらいで着くんですよ?」
「いやでも、わざわざ来ていただくのは恐縮というか」
「わざわざなんて。ボクはただ、会いたい人に会いに来るだけなんですから」
ドのつく直球ストレートになんと返すべきか決めあぐね、夏波は口を閉ざした。ミツキの背後で遠巻きにこちらを見ている志賀に救難信号を目で出してみるが、ふいと顔を背けられるばかりでなんの意味もない。
「やっぱり……迷惑でしたかね」
返答がない事で、ミツキはあからさまに切なげな顔をする。
あぁ、世の中の殆どの人間は、そんな顔でお願いをされたら、多分一瞬で承諾するのだろう。
「そ、そんなことないですよ」
「無理はしないでください。強引なのは自覚があるので……」
あるんだ。
「迷惑とかそういう訳じゃなくて、……えと、ミツキさんみたいなカッコイイ人というか、俳優さんとお話した事がないんです。だからめっちゃ緊張してるだけなので。これはホントに」
「そうですか……?」
慌てふためいた夏波の言い訳に、ミツキは少し元気を取り戻した。
実際、迷惑とまでは思っていないのだ。どうすればいいか分からないだけで。邪険にしたい訳でも仲良くなりたくない訳でもない。
むしろ、同じ“能力者”。志賀に指示されたという事を引いても、純粋に『相手に負の感情を持たれたくない』。その一心で、夏波は言葉を続けてしまう。
「ラインの返信も、返せてなくてすみません。実は昨日端末変えたばっかで、自分機械オンチなもので、操作方法がいまいち分からなくて」
「あ、そういえばヨドバシの袋持ってましたもんね」
正味口からでまかせなのだが、昨日の出来事と合致していたせいでミツキには気が付かれなかった。彼は笑顔で自分の端末を出すと、ボクも同じ機種なんです、と爽やかな笑顔を夏波に向ける。
――なんで僕なんだろう。
それは昨日から何度も繰り返していた疑問だった。一目惚れ、と言っていたが、経験したことの無い夏波には想像がつかない。
自分を好きになる理由が全く見当たらないのだ。
顔にも性格にも態度にも、何もかもに自信がない。これから好きでい続けてもらえる自信も、自分自身に対する自信も何も無い。
けれど、自分なんかを好きでいてくれる人は、きっととても良い人だ。だから嫌われたくない。だから何とか取り繕う。
「すみません……。緊張が取れたら、普通にお話できると思うんですけど」
「なら、沢山話したり、遊んだりしましょう!」
青年は途端に真面目な表情になると、両の拳を軽く握ってガッツポーズを取った。きょとんとする夏波に、やはり笑顔を振りまいてもう一度
「ということで……来週、いかがでしょうか?」
「えっ、……と」
自分なんかで良ければ。
それ以外の返答は、夏波には思い付けなかった。
*
ずるずると室内のソファにへたり込む。
「うぅ……疲れた……」
「だろうな」
特殊対策室に戻った頃には、既に20時を回っていた。「番組の警備の後は直帰しても良い」と宮藤に言われていたが、車両の関係で一度署に戻らざるを得なかったのだ。
帽子を机の上に置いた志賀は、さっさとパソコンで何かの作業を始めてしまう。
「少しくらい助けてくれても良いじゃないですか……」
「あんな花畑に顔突っ込んでいられるか」
画面から目を離すことすらなく、志賀は一刀両断に叩き切る。
「込み入った話になるならまだしも、雑談繰り広げてる中には入れん」
「で、でも、信頼関係築けって……」
「個人的な親睦を深めろとは言っていない。俺が言ったのはあくまで警察としての信頼だ」
「え、もしかして初手の発言忘れてます?」
うっかり心の声がそのままの声量で出てしまい、夏波は急いで口を閉ざした。だが、志賀は淡々と返すだけだ。
「俺は話があるから時間を空けろと言っただけだ。何も問題はない」
夏波の言葉が志賀の不快を買った様子はなかった。というよりも、まるで自分自身に言い聞かせているような彼の口調に違和感を覚え、夏波はソファからむくりと身を起こす。
――自覚あるんだ……?
夏波はあくまでも『初手の発言』としか言っていない。にも関わらず、自分のどの発言への指摘なのかすぐに分かったということは、志賀は自分の態度や発言に問題がある事が分かっているのかもしれない。
志賀太陽という男は、他者に対して尊大で横柄な態度を取る。それは事実だ。しかし、夏波のした質問にはきちんと答えるし、夏波が怯えると言い直しをする事さえある。相手の感情の機微が分からない人物ではないはずなのだ。なのに何故。
そう思うと同時に、夏波の口からはポツリと質問が滑り出た。
「志賀さん、人から嫌われるの怖くないんですか」
キーボードを打つ音が止まる。志賀は怪訝そうに夏波を見た。
「なんだ、いきなり」
「いえ……、その、僕、……僕は怖いんで……」
本当にいきなり何を言ってるんだ僕は。どう考えても知り合って間もない上司にする話ではない。気恥ずかしさに俯いて手をいじった。
志賀はパソコンに目を戻すと、何の感情も持たない声で告げる。
「どうでもいいな」
ですよね、とは流石に言えない。
人から嫌われるのが怖かったら、志賀の普段の態度は間違いなく取れない。
「他人なんて関係ない」
――まただ。
投げ捨てるようではなく、ハッキリと断言するかのような言い方。自分に言い聞かせる口振りに、やはり違和感を拭えない。
しかし志賀はそれ以上この会話を続ける気がないようで、「おい」と夏波に呼びかけると、軽く顎を動かした。今のはまさか「来い」というジェスチャーか。
「はい?」
「簡単にだが、車内でのお前の話をまとめた。訂正点があれば言え」
大人しく志賀のデスクに足を運んで、示された画面を覗く。
【美月幸平. ミツキコウヘイ. 25歳. 男性.
能力内容:物体の無重力化. 効果は35秒間.
発動条件:手で触れる.
対象:有形物.
発現日時:8月下旬.
発現原因:不明.心当たり無し.
状態:健康に問題無し.
備考:警察に嫌悪感。夏波巡査による対応を主とする】
書き込まれた内容は、今日夏波がミツキと話をした事柄だ。夏波は一通り目を通して「大丈夫です」と答えかけ、
「あ、“鯨”については、知らないって言ってました」
と付け足す。
志賀は素っ気ない返事をして、すぐに画面に向き合いキーボードを指で弾いた。
「協力の話は、断られちゃいましたね……」
夏波の気落ちした声に、仕方ないと志賀は返す。
「警察が嫌いだといっていたからな。まぁ、お前だけは違うようだが」
「うっ……」
志賀から打ち込まれた言葉の魚雷に、夏波はよろりとよろける。
志賀の言うとおり、ミツキは夏波の質問にだけはすらすらと答えてくれた。が、近くに志賀がいることに気がつくなり、すぐに何処かへ行ってしまうのだ。昼時に約束を取り付けた後に至っては、夏波でさえ捕まえることが難しくなってしまった。
「お前、来週飯の予定があるんなら、そこで話を聞いてこい」
「さっき個人的な親睦云々はって」
「使えるものは使う」
頭を抱えて蹲る夏波を、志賀は見下ろした。あんまりだ、と心の中で嘆く夏波のポケットから、突如通知音が鳴り響く。夏波が端末を取り出す動きは、油を指し忘れたブリキの人形のごとくぎこちない。
「う、噂をすれば……」
「今日はいつも噂してる状態だったろ」
珍しく志賀から真っ当な突っ込みが入ったものの、反応するだけの余裕はない。端末とひたすらにらめっこを続け、やはり無理だと腕をおろした。
「……家帰ったらにしよ」
そう小さくたれ流し、夏波はふらりふらりと覚束ない足取りで自分のデスクまで歩く。リュックサックに荷物をまとめ、そのまま
「お疲れ様でした……お先に失礼します……」
ふらりふらり。特殊対策室の扉を引き開ける。
「おい」
「はい……?」
と、背後から志賀の声。振り向くと、志賀はそれまで操作していたパソコンをたたんでデスクに放り込んでいるところだった。そのまま椅子に引っかかっていたショルダーバックを担ぎ、夏波の側まで歩みを寄せる。
「端末貸せ」
黒い手袋のはまった右手を差し出された。
夏波は頭に疑問符を乗せたまま、手に持っていた端末を大人しく渡す。渡して初めて、そういえばまだパスコードロックの設定をしていない事に気が付いた。というか、何故拒否もせずあっさりと渡してしまったのか。夏波が我に返ったのは、志賀がなんの躊躇いもなく画面を開き、通知にあった『美月幸平』の名前をタップした後の話である。
「あっ!?」
開かれた連絡用SNSは、相手とのチャット欄を閲覧すると“既読”の通知が行く仕様だ。志賀はその状態になった画面をポンと夏波に放り投げ
「早く返せ」
とだけ言って、署内の廊下を歩き出してしまった。靴音を立てて遠ざかる志賀の後ろ姿を呆然と眺め、今一度自分の端末に目を落とす。
ぴこん。通知音。夏波の既読に気がついたのか、美月幸平がスタンプを送ってきた音だ。ここまできたら、もう逃げられない。
――やっぱ横暴だよ、あの人……!
ガックリとうなだれる夏波の手の中で、クマのスタンプが可愛らしい笑みを咲かせていた。
車の窓に肘を付いた志賀は言った。
前方の車両との車間距離を調整しつつ、夏波は隣に座る同僚に力なく疑問を呈する。
「協力っていうのは、具体的にはどんな……?」
「俺達警察が知る限りの、正しい情報を発信してもらうだけだ」
具体的と言うにはざっくりした返答だ。だが、目の前の問題はそこではない。
「……僕はどうすれば」
「まずは情報収集をしながら信頼を得る。その後協力を持ちかけろ」
「一人でやる感じ……ですよね」
これが泣き言であるというのは分かりきっていた。それでも志賀に縋らない訳にもいかず、藁を掴む思いで問う。しかし彼の返答は冷ややかだ。
「俺がいたら泣き落としがしづらいだろ」
「アハハ、何で泣き落としする前提なんですかね」
「冗談だ」
「全然冗談に聞こえなかったんですけど……」
夏波の乾いた笑いは対向車の走行音に掻き消された。志賀は窓の外を眺めるばかりで、それ以降特に口を開こうとはしない。エンジン音と車道の喧騒ばかりが車内に響く。
『一目惚れ、ってやつだと思います』
『会えて、良かったです』
不意に、ミツキの表情と台詞がフラッシュバックを起こした。喉の奥から濁音だらけの叫び声が漏れ出そうになる。かなりギリギリの所で押し留めたせいで、妙に掠れた呻きになって外に
比較的平々凡々と生きてきた25年間。恋愛事にはとんと縁のない生活だった。別に興味が無いわけではない。正直な話、『よく分からない』のだ。“好意”の種類、いうなれば、loveとlikeの境目がいまいち理解できていないのである。
*
学生時代全体を通して、「好きな人はいるの?」という質問を避けて通ることはできなかった。中学時代に「皆好きだよ?」と解答して生暖かい目で見られる事を繰り返したので、高校に上がる頃には「いないなぁ」と無難な返答に切り替えた。
好きな人、と言葉通りに受け取れば、夏波は自分と関わってくれる周りの人間ほぼ全員が好きだ。それは間違いない。しかし質問者が欲しているのはどうしたって、loveの意味合いが多分に含まれた『好きな人』なのだ。
友人達に「いつか夏波にもわかる日が来るよ」と言われ続けて早数年間――いや、十数年。分からないまま今ここに至る。
恋愛そのものが無意味だとか、理解できないという訳ではない。だからミツキが自分に向けてくれた感情が非常に好意的、それもloveの意味合いが濃い事くらいなら、流石の夏波にも察して取れるのだ。
――でも僕は、きっと気持ちを返せない
恐怖心が夏波を臆病にさせ続けていた。それはミツキの件だけではない。これまでも、そして恐らくこれからもだ。
けれど、折角好意を向けてくれる人に嫌われたくない、と思ってしまう自分もいた。そのせいで何度も傷ついているはずなのに。
夏波の奥底にある『人から嫌われたくない』という感情は、いつ
それは案の定、今回のミツキに対しても発揮された。
「ご飯、ご一緒できないんですか?」
「す、すみません……」
夏波はしどろもどろに手を動かした。
「その、……この格好で食べている所を見られると、苦情が来ると言いますか……」
「お昼休み中にご飯食べると苦情が来るんですか?」
なんで?とミツキは首を傾げた。なんでだろうね、と夏波も内心で答える。
確かにミツキと二人きりの状態で話をする事への抵抗もあるが、こればかりは決してでまかせを言っている訳ではない。警官や消防隊員が見える場所でご飯を食べていたり、コンビニに赴いたりするだけでクレームが来た、という話は実際にある。
「市民の方の目と言いますか……。仕事をしていない様に見えてしまうようで……」
「え、ご飯食べてるだけなのに……?」
心底驚いた様子でミツキは目を丸くした。
警察だってご飯を食べなければ動けなくなるし、ご飯を買うには店に行かなければいけない。それにいちいちケチをつけられていたらたまったものではないのだが、そうは思わない心ない人間もいるのである。
困り果てて苦く笑う事しか出来ない夏波。ミツキは悲しそうに目を伏せた。
「そうですか……そんな理不尽な事を言われる事もあるんですね……。ボクも大概理不尽な事を言われたりはしますけど、流石にご飯食べるな、は無いなぁ」
言葉の途中で夏波を見、今度は冗談めいた口調になって笑う。表情をコロコロと変化させる様は、どこか三科を彷彿とさせた。三科よりも少しだけ子供っぽく見える彼だが、好青年、というイメージを崩す気配は一切無い。
「お仕事中だと難しければ、今日の夜……はボクが打ち上げがあるから無理か……。そうだな、来週のお暇な時、お仕事が終わってからとかはどうですか?」
「えっ、来週って……でもミツキさん、東京帰るんじゃ……」
「仙台ならすぐ来られます。新幹線で1時間くらいで着くんですよ?」
「いやでも、わざわざ来ていただくのは恐縮というか」
「わざわざなんて。ボクはただ、会いたい人に会いに来るだけなんですから」
ドのつく直球ストレートになんと返すべきか決めあぐね、夏波は口を閉ざした。ミツキの背後で遠巻きにこちらを見ている志賀に救難信号を目で出してみるが、ふいと顔を背けられるばかりでなんの意味もない。
「やっぱり……迷惑でしたかね」
返答がない事で、ミツキはあからさまに切なげな顔をする。
あぁ、世の中の殆どの人間は、そんな顔でお願いをされたら、多分一瞬で承諾するのだろう。
「そ、そんなことないですよ」
「無理はしないでください。強引なのは自覚があるので……」
あるんだ。
「迷惑とかそういう訳じゃなくて、……えと、ミツキさんみたいなカッコイイ人というか、俳優さんとお話した事がないんです。だからめっちゃ緊張してるだけなので。これはホントに」
「そうですか……?」
慌てふためいた夏波の言い訳に、ミツキは少し元気を取り戻した。
実際、迷惑とまでは思っていないのだ。どうすればいいか分からないだけで。邪険にしたい訳でも仲良くなりたくない訳でもない。
むしろ、同じ“能力者”。志賀に指示されたという事を引いても、純粋に『相手に負の感情を持たれたくない』。その一心で、夏波は言葉を続けてしまう。
「ラインの返信も、返せてなくてすみません。実は昨日端末変えたばっかで、自分機械オンチなもので、操作方法がいまいち分からなくて」
「あ、そういえばヨドバシの袋持ってましたもんね」
正味口からでまかせなのだが、昨日の出来事と合致していたせいでミツキには気が付かれなかった。彼は笑顔で自分の端末を出すと、ボクも同じ機種なんです、と爽やかな笑顔を夏波に向ける。
――なんで僕なんだろう。
それは昨日から何度も繰り返していた疑問だった。一目惚れ、と言っていたが、経験したことの無い夏波には想像がつかない。
自分を好きになる理由が全く見当たらないのだ。
顔にも性格にも態度にも、何もかもに自信がない。これから好きでい続けてもらえる自信も、自分自身に対する自信も何も無い。
けれど、自分なんかを好きでいてくれる人は、きっととても良い人だ。だから嫌われたくない。だから何とか取り繕う。
「すみません……。緊張が取れたら、普通にお話できると思うんですけど」
「なら、沢山話したり、遊んだりしましょう!」
青年は途端に真面目な表情になると、両の拳を軽く握ってガッツポーズを取った。きょとんとする夏波に、やはり笑顔を振りまいてもう一度
「ということで……来週、いかがでしょうか?」
「えっ、……と」
自分なんかで良ければ。
それ以外の返答は、夏波には思い付けなかった。
*
ずるずると室内のソファにへたり込む。
「うぅ……疲れた……」
「だろうな」
特殊対策室に戻った頃には、既に20時を回っていた。「番組の警備の後は直帰しても良い」と宮藤に言われていたが、車両の関係で一度署に戻らざるを得なかったのだ。
帽子を机の上に置いた志賀は、さっさとパソコンで何かの作業を始めてしまう。
「少しくらい助けてくれても良いじゃないですか……」
「あんな花畑に顔突っ込んでいられるか」
画面から目を離すことすらなく、志賀は一刀両断に叩き切る。
「込み入った話になるならまだしも、雑談繰り広げてる中には入れん」
「で、でも、信頼関係築けって……」
「個人的な親睦を深めろとは言っていない。俺が言ったのはあくまで警察としての信頼だ」
「え、もしかして初手の発言忘れてます?」
うっかり心の声がそのままの声量で出てしまい、夏波は急いで口を閉ざした。だが、志賀は淡々と返すだけだ。
「俺は話があるから時間を空けろと言っただけだ。何も問題はない」
夏波の言葉が志賀の不快を買った様子はなかった。というよりも、まるで自分自身に言い聞かせているような彼の口調に違和感を覚え、夏波はソファからむくりと身を起こす。
――自覚あるんだ……?
夏波はあくまでも『初手の発言』としか言っていない。にも関わらず、自分のどの発言への指摘なのかすぐに分かったということは、志賀は自分の態度や発言に問題がある事が分かっているのかもしれない。
志賀太陽という男は、他者に対して尊大で横柄な態度を取る。それは事実だ。しかし、夏波のした質問にはきちんと答えるし、夏波が怯えると言い直しをする事さえある。相手の感情の機微が分からない人物ではないはずなのだ。なのに何故。
そう思うと同時に、夏波の口からはポツリと質問が滑り出た。
「志賀さん、人から嫌われるの怖くないんですか」
キーボードを打つ音が止まる。志賀は怪訝そうに夏波を見た。
「なんだ、いきなり」
「いえ……、その、僕、……僕は怖いんで……」
本当にいきなり何を言ってるんだ僕は。どう考えても知り合って間もない上司にする話ではない。気恥ずかしさに俯いて手をいじった。
志賀はパソコンに目を戻すと、何の感情も持たない声で告げる。
「どうでもいいな」
ですよね、とは流石に言えない。
人から嫌われるのが怖かったら、志賀の普段の態度は間違いなく取れない。
「他人なんて関係ない」
――まただ。
投げ捨てるようではなく、ハッキリと断言するかのような言い方。自分に言い聞かせる口振りに、やはり違和感を拭えない。
しかし志賀はそれ以上この会話を続ける気がないようで、「おい」と夏波に呼びかけると、軽く顎を動かした。今のはまさか「来い」というジェスチャーか。
「はい?」
「簡単にだが、車内でのお前の話をまとめた。訂正点があれば言え」
大人しく志賀のデスクに足を運んで、示された画面を覗く。
【美月幸平. ミツキコウヘイ. 25歳. 男性.
能力内容:物体の無重力化. 効果は35秒間.
発動条件:手で触れる.
対象:有形物.
発現日時:8月下旬.
発現原因:不明.心当たり無し.
状態:健康に問題無し.
備考:警察に嫌悪感。夏波巡査による対応を主とする】
書き込まれた内容は、今日夏波がミツキと話をした事柄だ。夏波は一通り目を通して「大丈夫です」と答えかけ、
「あ、“鯨”については、知らないって言ってました」
と付け足す。
志賀は素っ気ない返事をして、すぐに画面に向き合いキーボードを指で弾いた。
「協力の話は、断られちゃいましたね……」
夏波の気落ちした声に、仕方ないと志賀は返す。
「警察が嫌いだといっていたからな。まぁ、お前だけは違うようだが」
「うっ……」
志賀から打ち込まれた言葉の魚雷に、夏波はよろりとよろける。
志賀の言うとおり、ミツキは夏波の質問にだけはすらすらと答えてくれた。が、近くに志賀がいることに気がつくなり、すぐに何処かへ行ってしまうのだ。昼時に約束を取り付けた後に至っては、夏波でさえ捕まえることが難しくなってしまった。
「お前、来週飯の予定があるんなら、そこで話を聞いてこい」
「さっき個人的な親睦云々はって」
「使えるものは使う」
頭を抱えて蹲る夏波を、志賀は見下ろした。あんまりだ、と心の中で嘆く夏波のポケットから、突如通知音が鳴り響く。夏波が端末を取り出す動きは、油を指し忘れたブリキの人形のごとくぎこちない。
「う、噂をすれば……」
「今日はいつも噂してる状態だったろ」
珍しく志賀から真っ当な突っ込みが入ったものの、反応するだけの余裕はない。端末とひたすらにらめっこを続け、やはり無理だと腕をおろした。
「……家帰ったらにしよ」
そう小さくたれ流し、夏波はふらりふらりと覚束ない足取りで自分のデスクまで歩く。リュックサックに荷物をまとめ、そのまま
「お疲れ様でした……お先に失礼します……」
ふらりふらり。特殊対策室の扉を引き開ける。
「おい」
「はい……?」
と、背後から志賀の声。振り向くと、志賀はそれまで操作していたパソコンをたたんでデスクに放り込んでいるところだった。そのまま椅子に引っかかっていたショルダーバックを担ぎ、夏波の側まで歩みを寄せる。
「端末貸せ」
黒い手袋のはまった右手を差し出された。
夏波は頭に疑問符を乗せたまま、手に持っていた端末を大人しく渡す。渡して初めて、そういえばまだパスコードロックの設定をしていない事に気が付いた。というか、何故拒否もせずあっさりと渡してしまったのか。夏波が我に返ったのは、志賀がなんの躊躇いもなく画面を開き、通知にあった『美月幸平』の名前をタップした後の話である。
「あっ!?」
開かれた連絡用SNSは、相手とのチャット欄を閲覧すると“既読”の通知が行く仕様だ。志賀はその状態になった画面をポンと夏波に放り投げ
「早く返せ」
とだけ言って、署内の廊下を歩き出してしまった。靴音を立てて遠ざかる志賀の後ろ姿を呆然と眺め、今一度自分の端末に目を落とす。
ぴこん。通知音。夏波の既読に気がついたのか、美月幸平がスタンプを送ってきた音だ。ここまできたら、もう逃げられない。
――やっぱ横暴だよ、あの人……!
ガックリとうなだれる夏波の手の中で、クマのスタンプが可愛らしい笑みを咲かせていた。