2-12 拉致

文字数 3,672文字

 意識が浮上する。瞼を押し開けようとして、夏波は違和感に身を強張らせた。
 目を開いても暗闇のまま。目の上に何か布のようなものが被せられている。両手足も動かない。僅かに身体を動かそうとして、全身を激痛が貫いた。思わず呻き声をあげると、ぼわんと響くように自分の声が聞こえてくる。屋内の、それもある程度広さのある場所なのだろう。
 何が起きたのかと、夏波は記憶を辿る。
 ミツキと別れ、その後伊霧芽郁の亡くなったビルで記憶を読み取ろうとした所で、夏波の意識はぱったりと途絶えていた。
 全身に鈍い痛みが響く。特に腹や腕が酷い。

「あぁ、おはようございます」

 頭上から不意にかけられた声。低い。けれど女性のものだった。聞き覚えは一切ない。

「死んでなくて良かった」

 地の底を這うかのようだった。夏波の背筋を悪寒が走る。言葉の内容とは裏腹に、容態を心配しているような声では一切無いのだ。
 靴で床を擦る音がして、横に転がっていた夏波のすぐ横に誰かが立つ。かと思えば、鳩尾の辺りに勢いよく何かが叩き込まれた。咄嗟に体をくの字に曲げて衝撃を和らげようと試みるが、何も見えない状態では流石に反応が遅れる。意識が軽くとびかける程の激痛が、腹部と叩きつけられた背中に走った。

「化け物って、やっぱりしぶといんですね」

 声にならない呻き声が、夏波の口から漏れる。そこで初めて、自分が口轡(くちくつわ)まで噛まされているのだと気づいた。
 足音は近付いてくる。身をよじって何とか体を起き上がらせようとするも、それだと逆効果だと咄嗟に思い至り、夏波は強張る身体から一気に力を抜いた。

「あら……また気を失っちゃった」

 気を失った振りがバレたら、きっとまた痛い思いをする事になる。心臓がうるさいくらいに鳴り響き、耳鳴りがしそうだった。荒くなりそうな呼吸を何とか絞って、ゆっくりと吐き出す。そして慎重に息を吸う。

「ちょっと、下手な事しないで。時間のロスになる」
「叩き起こせば良いじゃないですか」

 頭の上から冷たい液体をかけられて、思わず声を上げかけた。必死に喉の奥で噛み殺すが、指先だけは動いてしまい、バレないでくれと必死に祈る。
 
「あー。起きない。ごめんなさーい」
「あのさ、自分のせいでこうなったって自覚ある?早く聞き出さないとならないんだけど」
「だってぇ、気持ち悪いんですもん」

 平坦な女の声と、どこか投げやりな男の声。どちらも夏波よりも歳は上のように思えるが、実際のところは分からない。
 ぐったりと横たわったまま、夏波は耳をそばだてた。

「マジ、本当に無理。意味わかんない。コイツらのせいで沢山人が死んでるってのに、コイツらはのうのうと笑ってやがんの!」

 再びこちらに近付いてくる足音。布の内側で思い切り目を瞑って万が一に備えるが、先程のように蹴り飛ばされる事はなく、身体を仰向けにされるだけだった。力を抜いたまま転がるが、その度に身体のあちらこちらが悲鳴をあげている。

「気持ちは分かるけどね。でも、それでもこっちの足は引っ張らないでほしいかな」
「……はぁい」

 かつ、と靴音。そして扉が開くような音が室内に響いた。

「でも、ホントにアイツが認めたら返すんですか?これ」
「まぁ、状況によりけりかな」

 男はせせら笑った。

「ま、最悪アオオニにでもなってもらえばいいよ」

 
*


 美月幸平と連絡がついたのは、夏波奏の捜索が署内で一斉に始まった頃合いだった。

『19時に仙台駅の改札でお別れしてしまったので、それ以降はボクにはちょっと……』

 夏波奏と最後に接触したのが美月幸平であろう事は、比較的早い段階で割り出せていた。
 夏波が美月幸平と個人的な連絡を取り合っている事実は知っていたし、前日に夏波がそれらしき男と会っていたも三科が確認している。
 当の三科は、カフェで見たのが美月幸平だったと知って仰天こそしていたものの、その場で騒ぎ立てる事はしなかった。詳しい話は夏波に直接聞くのだと、そう息巻いて。

「誰かにつけられている気配はしなかったか」
『人通りが多い場所にしか行ってないので、つけられていたとしてもボクは気付けないかな……。夏波さんも楽しそうにしてらしたので、多分そうは感じてなかったんじゃないかと……』

 しかし、いざ連絡が取れたとはいえ、電話口の美月幸平が何かを知っている様子はない。
 ミツキ自身は日曜の朝早くから収録の為に東京のテレビ局にいたという裏取りもあり、夏波への手がかりは早くも潰えた。

「俺達が拾った目撃証言は19時半頃だから、矛盾はしない」

 剣佐助は、志賀の告げた内容に歯噛みする。志賀は剣の言葉に頷くと、端末に向けて声をかけた。

「何か思い出したらすぐ連絡入れろ。いちいち署を経由するのも面倒だから、この番号にだ。良いな」
『分かりました』

 相手の返事を確認し、志賀はミツキとの通話を切る。そうして遠巻きに、呆然と佇む廃ビルを睨みつけた。
 ビル付近では鑑識が忙しなく動き回り、それを近隣住民が興味ありげに窺い見ている。
 つい先日も見た光景だ。あの日と違うのは、昼夜くらいのものではないかと、志賀には感じられた。

「端末の反応もないって、三科が」

 車両内の無線で連絡を取っていた村山が、窓から顔を出して告げる。
 廃ビル入り口の血痕について通報を受けたのは、丁度この近辺で密行をしていた剣と村山のペアだったらしい。彼らの報告を受け、本部に待機していた三科が――彼は未だに夏波の代わりとなる相勤が見つかっていないので本部待機しかできないらしい――夏波奏に連絡を取ったところ、行方不明である事が発覚した、という流れなのだそうだ。

「ホント、三科が夏波の家に確認しに行ってくれて良かったよ……。でなきゃ、いなくなったって明日にならなきゃ分からなかったもん」

 村山は窓から組んだ両腕を出し、ため息をつく。
 こればかりは志賀も同意せざるを得なかった。今日は日曜で、夏波の休暇日にあたる。月曜に出勤してこなくて初めて発覚するのでは、あまりにも遅い。

「お前らは引き続き地取りしろ」

 志賀は携帯端末をポケットにしまい込み、剣と村山に背を向けて歩き出した。
 おい、と剣が声を上げる。

「お前はどこ行くんだ」
「決まってるだろ。アイツを探す」
「アテがあるのか?」
「ある程度なら」
「ならなんで共有しない?」

 剣は数歩追いかけて、そして志賀の肩に手をかけ引き留めた。志賀はそんな剣をジロリと睨み、彼の手を振り払う。

「触んな」
 
 僅かな苛立ちを滲ませてそのまま立ち去ろうとする志賀。その後ろ姿に、剣はもう一度呼びかけた。

「話しても無駄だと思ってんのか」

 ぴたりと、志賀が足を止める。振り返る事はしない。だが、彼は何かを逡巡しているようでもあると剣は思った。

「お前、何か分かってるんだろ」
「……何かって何だ」
「知らねぇよ。超能力者じゃねぇんだ俺は」

 話せ、と剣は鋭く切り込んだ。

「言葉にしてもらわなきゃ、俺らには分からない。それに、こういう時くらい人を頼れ。お前一人より他の奴ら巻き込んだ方が、夏波を助けられる可能性は上がるだろうが」

 叩きつけるように吐き出す。
 志賀はやはり何かを考え込むように地面を見つめていたが、やがて顔を上げて振り返った。

「……根拠も確証もない事に、他の奴らを巻き込めるか」
「じゃぁ、せめてこれからお前がやろうとしてる事と、その理由を言っていけ」

 剣の揺るぎない詰め方に、志賀はうっとおしげに大きく息をつく。

「俺はこれから仙台近郊にある廃倉庫を手あたり次第調べる」
「何でだ」
「……勘」
「あーもー、誤魔化すのやめなってば」

 車両内で、村山が声を上げた。志賀は心底嫌そうな顔で村山を睨むが、時すでに遅しだ。剣は志賀に詰め寄ると、その異様に悪い目つきを更に尖らせて志賀を見下ろす。

「前に言ったはずだぜ。誤解生ませる発言はやめろって」

 志賀は口をつぐむ。
 
――『アイツ、変わったよな』

 ふと、剣の脳裏に高校時代の友人の言葉が蘇った。

『何考えてるか分かんないし、関わらない方がいいよ』

 警察学校時代も、同期に似たようなことを言われた。
 それは志賀と関わる度にかけられる、間違いなく剣本人を心配している言葉。だが、それは善意にも悪意にもなりうるのだ。
 志賀が人からわざと嫌われる態度ばかりを取るのは何故なのか、昔からずっと気になっていた。けれど、志賀は何一つとして語ろうとしない。何度問いかけても、何度話しかけても無視をされた。『話すだけ無駄だ』と言われている気分だった。
 それでも今を逃せば、志賀はまた一人で抱え込むのだろう。誰にも何も言わず、一人で

――またって、何だ

 先日も感じた、不可思議なデジャヴ。だが、それはすぐに掻き消え、迷うような志賀の表情に目を奪われた。
 志賀は剣の目からふいと顔を逸らす。
 やはり、何も言わないのか。そう剣が奥歯を噛んだ、その時

「見えたからだ」

 彼は静かに口を開いた。

「何が?」

 剣の後ろから、村山が問う。
 志賀はなおも逡巡していたが、やがて何もかもを諦めたように零した。

「夏波奏が死ぬ光景だ」
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登場人物紹介

夏波 奏 《カナミ カナデ》


25歳/O型/167cm/特殊対策室所属


自他共に認める気弱人間

志賀 太陽 《シガ タイヨウ》


28歳/AB型/159cm/特殊対策室所属


中央署の嫌われ者

宮藤 由利 《クドウ ユリ》


?歳/B型/154cm/特殊対策室所属


中央署の名物署長

三科 祭 《ミシナ マツリ》


26歳/B型/178cm/機動捜査隊所属


夏波の元相棒で親友

剣 佐助 《ツルギ サスケ》


28歳/AB型/181cm/機動捜査隊所属


苦労人気質の優しい先輩

村山 美樹 《ムラヤマ ミキ》


31歳/O型/162cm/機動捜査隊所属


飄々としてるけど面倒見はいいお姉さん

美月 幸平 《ミツキ コウヘイ》


24歳/B型/178cm/俳優


爽やかな青年

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