5-6 噛み合わない記憶

文字数 5,195文字

「いやぁ、しっかし探したよ」

 黒髪短髪が街灯の光の中で揺れている。顔には余裕綽々といった表情を貼り付けて、ミヤギはにやにやと夏波達を見下ろした。

「誰だ、お前」
「やだなぁ、志賀君。覚えてないんだ」

 警戒心を露わにした志賀の問いかけに、ミヤギはけらけらと笑い出す。

「それはそれで都合良いような、悪いような、だね」

 彼らの会話に夏波は目を見張った。てっきり志賀ならばミヤギの正体を知っていると思っていたのだ。記憶力の良い志賀が単に忘れている、という事もありえまい。

「彼は、この間僕を攫った誘拐犯です」

 夏波がこっそりとそう告げると、志賀の目は更にすがめられる。

「そんな怖い顔しないでよ。私は考え方を改めたんだ。だからもう、夏波奏に手を出したりはしないさ」
「どういう意味だ」
「そのままの意味だよ?」

 ミヤギは点々と座席を飛び移りながら、少しずつ夏波達との距離を縮めた。そうして二、三席離れた場所で立ち止まると、そこでしゃがみ、自分の膝で頬杖をつく。

「今もまだ一緒にいるってことは、どうやら志賀君は夏波奏を騙していたって訳じゃなさそうだね?」

 楽しげな問いに、夏波はむっとして言い返す。

「そうですね、貴方の話は出鱈目でした。……目的は知りませんけど、志賀さん達を悪く言うのは止めてください」
「ふぅん……。って事はつまり、志賀君は何らかの方法で能力者の保護が出来ているって事か」

 言葉に詰まり、夏波はほぞを噛んだ。志賀は口をへの字に曲げたまま、何も語らない。

「そんなに警戒しないでよー。良い事でしょ?能力者の保護ができるってのは、私としても嬉しい限りだ。本当に管理できているのなら、危害を加えるつもりなんてこれっぽっちもないよ」

 彼は人差し指と親指の間をほんの少しだけあけて見せ、そして首を振った。

「さっきも言ったんだけどさ、私は考え方を少しだけ改めたんだ。私は能力者が大嫌いだけど、人に危害を加えず、かつ有効に活用できる能力なのであれば、存在を許しても良いんじゃないかってね」
「何様のつもりだ、テメェは」
「何様でも良いじゃない、あくまで私の思考の話なんだから」

 飄々と言ってのけるミヤギに、志賀は嫌悪感を隠さなかった。しかしそれすら楽しげに受け止め、彼は続ける。

「夏波奏の能力は有用で危険性も低い。志賀君の能力は結局よく分からないままだけど……ま、能力者を保護することに成功しているのなら、それ自体には一定の評価を与えなきゃならないよね」

 一体どの目線から話をすればこれほど傲慢な発言になるのか。夏波はおろか、黙って話を聞いていた伊霧匠でさえ怪訝そう眉を顰めている。

「でもさ、賢い君なら気づいてるだろ?」
「いちいち回りくどいな。結論から話せ」
「えーっ、冷たいなぁ。良いじゃない、少し話をしたってさ。久しぶりの再会なんだから」
「俺はお前を知らん」
「あはは、そうなんだろうね」

 絶望的に噛み合わない会話は、もはや滑稽ですらあった。むしろ、その滑稽さを生み出すために、あえて回りくどい言い方をしているようも見える。

「結論、……結論ね。じゃぁ手っ取り早く話をしようか」

 ミヤギは「よいしょ」と立ち上がった。そしてダウンジャケットのポケットから、暗い鉄塊を取り出す。

「ちょっと失礼」

 それが拳銃である事に夏波が気付くと同時。隣にいたはずの志賀が背後の伊霧匠を突き飛ばしていた。一瞬の閃光と銃撃音。志賀が僅かに呻き声を上げる。

「志賀さん!」
「……掠っただけだ」

 志賀はすぐに体制を立て直し、倒れた伊霧匠と夏波を庇うようにして立った。撃ち抜かれた訳ではないようだが、コートの二の腕部分が裂け、赤く滲み始めている。
 
「あら、駄目だよ志賀君、君の事は評価したって言ったじゃない」

 辺りには硝煙の匂いが立ち込めていた。ガチリと音を立てて撃鉄を起こしながら、ミヤギは真っ直ぐ志賀に、――その背後で倒れている伊霧匠に照準を合わせている。
 
「ほら、結論から提示するとこうなる事もある。だから過程はある程度必要なのさ」
「……何のつもりだ」
「話を戻したい?良いよ。さっきのはね、能力者の保護の話だ。確かに君の言う保護ってのは理想的で人道的な話なんだろうけど、それって本当に継続できるの?」

 志賀の裏で、夏波はそっと伊霧匠を抱え起こした。異様な状況に少年は多少呼吸を荒げている。

「君なら分かってるはずだ。“能力者”は少しずつ増加し続けて、もうどうにもならない範囲まで来ているって事。でも、単なる犯罪者を捕まえるのとは訳が違う。保護にしろ収容にしろ、場所も人員も必要でコストだって膨大にかかる。その上存在そのものがリスクの塊。つまり、全ての能力者を救うことなんか土台出来っこない」

 志賀は何も返さないが、ミヤギはつらつらとした語りを止めない。

「大切な事は『見極め』と、それから『間引き』なんだよ」
「間引き……?」
「そうだよ、志賀君」

 ざり、と靴音を立て、ミヤギはもう一つ座席を飛び移り、志賀へと近づく。

「私は君の事が大嫌いだ。けれど、その意見には尊重すべき点もある。だからね、役割分担をしようって言ってるんだ。君は有用な能力者を保護する。私は要らない能力者を」

 駆除する。
 彼からその一言が発された瞬間、夏波は伊霧匠の頭を抑えて座席の下に身をふせた。再び光が閃いて、破裂音と共に座席の一部が撃ち抜かれる。

「走れ!」
「は、はい!」

 志賀の号令に反応して、夏波は起き上がって伊霧匠の手を引いた。匠は泡を食って足をもつれさせながらも、必死に夏波の後を追って走り出す。

「あーもう、だからめんどいなと思ったんだよ」

 淡々と狙いを定めるミヤギの足元に、志賀が掴みかかった。「おっと」と言いながら座席を飛び移って回避するミヤギだが、それだけの間があれば十分だ。

「あーあ……もー、逃げちゃった。ホント面倒だな」
「誘拐、暴行、脅迫に殺人未遂、おまけで銃刀法違反と公務執行妨害。犯罪歴のオンパレードで楽しそうだな」
「あれぇ?脅迫だけは身に覚えがないなぁ」
「白々しい。ウチの部下に妙な事吹き込んでたんだろうが」
「あらら、バレた?それとも元々バラされてた?」

 肩を竦めて笑うミヤギに、志賀は鼻を鳴らす。

「まぁ、どっちでも良いよ。どうせ君も、3年前の『違い』までは知らなさそうだし」
「お前は……何なんだ?何を知ってる」
「別に何も?知らない事だらけ、分からない事だらけだよ。残念ながら、記憶が曖昧なもんでね」
「なら、何で(シロガネ)角井(カドイ)を知っていた」

 その名前を出すと、ミヤギは口元を更に吊り上げた。

「あぁ、やっぱりバラされてたんだ」

 ミヤギの言う通り、夏波は志賀にミヤギの存在を暴露していた。口外すれば身の回りの人間に危害を加えると脅されていた中で苦渋の決断だったのだろう。怯えた瞳をしながらも、しかし夏波ははっきりと志賀に相談を持ちかけていたのだ。

「もしかして私ナメられてる?あんま危害加えないとか思われてる?」
「少なくとも、お前にそれほど情報網や技術が無いのは分かってる。単独犯である事もな。……いいから質問に答えろ」
「あちゃ。やっぱハッタリなんてかますもんじゃないね」

 不貞腐れたその表情も、作り物だと分かる程に白々しい。

「なんて事無い話だよ。記憶の中にあった名前ってだけ」
「そんな訳があるか……!」

 思わず声を荒げた。
 3年前、銀と角井の遺体に志賀は触れている。彼らの存在は掻き消え、誰の記憶にも残っていないはずなのだ。宮藤となった角井が自身の事を覚えていた以外、彼らの存在は実際に『無かった事』になっている。それは志賀が抱え続け、つい先日まで誰にも告げた事の無かった事柄。それが何故、目の前の男が2人の名を知っているのか。
 
「残念ながら本当だよ。ただ、私は殆ど過去の記憶が無い。だから記憶を取り戻したいし、でも欲張りだから世直しもしたい。ただそれだけ」

 いい加減うんざりとし始めたミヤギを、志賀は注意深く観察し続ける。
 嘘を吐いている気配はない。しかし、本当の事を言っている根拠もない。
 
――何なんだ、この既視感

 夏波にミヤギと名乗ったらしい年若い男に関して、志賀には全く覚えが無かった。しかし彼の顔を見てから、ずっと既視感に苛まれているのだ。見た事がある。けれど記憶にはない。そんな不可思議な感覚。

「でもさ、不思議だよね。私は志賀太陽の事が嫌いで仕方ないって事だけは覚えてるんだよ」
「奇遇だな、俺もお前が嫌いだ」

 銃口は真っ直ぐ志賀へと向けられている。ミヤギが引き金を引くだけで、命は軽く吹き飛ぶのだろう。しかし志賀は怯える様子を見せず、淡々とミヤギに言ってのける。
 それまでずっとニヤニヤと笑っていたはずのミヤギが、そこで初めて心底嫌そうに目を細めた。

「……ま、いっか。やっぱ邪魔だし、危険な能力者は殺しとくべきだからね」

 軽い言葉。軽い引き金。甲高い射出音。吹き飛ばされる志賀の頭。
 それが本来あるべき姿。それは起こって当然の結果。
 ――しかしそうはならなかった。志賀はミヤギの予想に反してその弾を避け、あまつさえ目前まで肉薄していたのだ。

「はぁ!?」

 流石に予想外だったのか、ミヤギはその場でバランスを崩す。その間隙を縫って、志賀の左手がミヤギの手首を叩き、拳銃を払い落とした。
 お互いが座席間の地面に降り立つ。が、立て直す隙を与えない志賀の体当たりがミヤギに炸裂した。そのままの勢いで地面に組み伏せようと倒れ込むものの、咄嗟に身を捩ったミヤギに、志賀が逆に組み伏せられる形になってしまう。

「残念。身体が小さいってのは難点だね」

 志賀は無言で足を屈め、ミヤギの腹に両足での蹴りを叩き込む。ミヤギもある程度想定していたのか、背面に飛んで衝撃を和らげたようだった。

「あーも、ホント嫌になるよ。ちゃんとバケモンじゃん。何で拳銃避けられる訳?」

 ダウンジャケットの砂を払いながら、ミヤギは口を尖らせる。

――また、だ

 志賀はミヤギを睨みつけ、歯を噛み締めた。
 ミヤギが発砲する前、脳裏を駆け巡ったのは鮮明な『自らの死』だ。頭を撃ち抜かれ、意識が途切れる光景。以前夏波奏の死を見た事があったが、それとほぼ同じ感覚と言える。
 一体何なのかは分からない。だが、それが志賀の命を救ったのも確かである。
 お手上げ、と言いたげにミヤギは両手を上げていた。

「流石に飛び道具無しで君とタイマン張る程馬鹿じゃないよ。ここは一旦退却かな」
「退却できると思ってんのか。おめでたいやつだな」
「おめでたいのは君の方じゃない?」

 ダウンジャケットのポケットに手を突っ込んでミヤギは気だるげに足をぶらつかせる。

「今抑えるべきは、どう考えても私じゃないよ?」
「……何を」
「君は」

 志賀の言葉をわざと遮り、ミヤギは目を細めた。

「“能力”が発現する『切欠(きっかけ)』をちゃんと理解してる?」
 
 ミヤギに向かって踏み出していた志賀の足がふと止まった。それを見とめ、ミヤギは続きを口にする。

「“能力”はウイルスと寄生虫の狭間の存在。人は知らず知らずのうちに“能力”に感染している。けれど感染したから即発症する訳じゃ無い。“能力”はその意識が濃くなる、或いは『切欠(きっかけ)』があるまで、体内で潜伏を続ける」
「……『切欠』……」
「その調子じゃ知らなさそうだね」

 ミヤギは肩を竦めた。

「君も、私も、……そして“鯨”も。やり方は違えど皆“能力者”に対して何らかの対処をしようとしている。だから、すごく迷惑してるんだ。――美月幸平には」

 志賀が頭を振ってミヤギを確保しようと動いたその時、突如夜闇に悲鳴が鳴り響いた。
 近場ではない。しかし、尋常ではない声に、志賀は一瞬視線を向けてしまう。

「またね」

 ミヤギはそう言い置くと、ポケットから引き抜いた右手でそのまま志賀に何かを投げつけた。払い除けようとして、それが奇妙な音を立てている事に気付いた志賀は、咄嗟にその場を飛び退いて避ける。しかしその間に、ミヤギは雑木林の中へと身を滑り込ませてしまった。雑木林の先は急勾配になっているはずで、夜闇の中迂闊に足を踏み込めば滑り落ちかねない。
 志賀は数秒苦々しげにミヤギの消えた先を睨みつけていた。しかしすぐに踵を翻し、転がっていた拳銃を拾い上げる。リボルバー式の古い型だ。先程投げつけられた物体も回収すべく近づけば、それはバチバチと音を立てながら淡い光を放っている。小型の改造スタンガンのようだ。慎重にスイッチを切り、そしてどちらもコートのポケットに突っ込む。
 
「さっきのは……」

 突然聞こえた悲鳴。少なくとも夏波や伊霧匠のものではない。しかしあまりにも悲痛な、まるで断末魔のような女の声だった。
 志賀はもう一度ミヤギの消えた雑木林を睨みつけると、悲鳴の聞こえた方向へ走り抜ける。
 ミヤギに対する既視感は、未だ志賀の中で渦巻き続けていた。
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登場人物紹介

夏波 奏 《カナミ カナデ》


25歳/O型/167cm/特殊対策室所属


自他共に認める気弱人間

志賀 太陽 《シガ タイヨウ》


28歳/AB型/159cm/特殊対策室所属


中央署の嫌われ者

宮藤 由利 《クドウ ユリ》


?歳/B型/154cm/特殊対策室所属


中央署の名物署長

三科 祭 《ミシナ マツリ》


26歳/B型/178cm/機動捜査隊所属


夏波の元相棒で親友

剣 佐助 《ツルギ サスケ》


28歳/AB型/181cm/機動捜査隊所属


苦労人気質の優しい先輩

村山 美樹 《ムラヤマ ミキ》


31歳/O型/162cm/機動捜査隊所属


飄々としてるけど面倒見はいいお姉さん

美月 幸平 《ミツキ コウヘイ》


24歳/B型/178cm/俳優


爽やかな青年

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