4-10 傷をつけて
文字数 2,126文字
「胸部と右側頭部に一発ずつ」
白と黒で脳が埋まる。あまりの目眩に、夏波はギュッと目を瞑った。
「スーツケースは血の海だった」
淡々と語る志賀の言葉に、夏波は思わず耳を塞ぎそうになる。彼が語る凄惨な光景も、志賀の心中も、想像すればするほど胸が張り裂けそうだった。
――赤い色、右側頭部
それと同時に、湧き上がる既視感。しかし掴めそうで掴めない。記憶の遥か彼方に手を伸ばし、夏波は胸を掴みながらも身体を固くする。
「……夏波?」
頭痛がする。吐き気がする。思い出せと誰かが呼びかけている。
何度も大きく息を吸い、吐き出した。その速さが少しずつ上がっていくことを察知した志賀が、焦った様子で膝を折る。
「志賀さん」
近付いてきた腕を、夏波は勢い良く掴んだ。荒い呼吸を繰り返し、夏波は驚く志賀の目を覗く。
「何か、銀さんのモノ、……ありませんか」
「モノ……?」
「記憶が読める物、です。物なら、何度でも同じ記憶が読めました。だから……奪わない、はずなんです」
割れそうな頭を押さえて訴えた。志賀は困惑した様子を見せながらも、じっと考え込む。
「能力行使で、お前自身には何も変化はないのか」
「ありません」
「……嘘ついてねぇな?」
「僕、……嘘つくの、苦手なんです」
夏波は薄っすらと苦笑いを浮かべる。
志賀はそれでも躊躇している様子だったが、やがて、コートのポケットに手を突っ込んで、小さな何かを取り出す。
「銀自身の物は何も残ってない。……アイツの記憶をもってる可能性があるとすれば、俺の持ち物くらいで」
差し出されたのは、白い押し花をレジンで閉じ込めた、小さなキーホルダーだ。シンプルながら少しの可愛らしさをあしらったそのデザインは、恐らく手作りなのだろうと察せられる。
しかし、とても大切にされていたのだろうそれには、目立つ傷が見当たらない。
夏波が手袋を取り去ったその手を止めると、志賀は少し寂しそうにしつつも、キーホルダーをするりと溢れ落とした。
「あっ……!」
カツン、と音を立てて飛び跳ねるキーホルダーに、夏波は慌てて手を伸ばし、受け止める。
――傷が
瞬間、夏波の視界は暗転した。
*
「ねぇ、これ、僕っぽくない?」
大きな瞳がこちらを見ていた。ゆら、ゆらと夏波の視界が揺れる。
栗色の短い髪の中性的なその人は、夏波の頬に触れるように優しく手を伸ばした。
「は?どこがだよ」
聞き覚えのある男の声。つい先ほどまで、静かに夏波に記憶を聞かせていた声だ。
「名前がさ?みょ……シルバチカ?って」
「英語くらいちゃんと読め。ミオソティス・シルバチカだ」
「そうそれ。ほら、シルバーって銀っぽいし、チカって入ってるよ」
「洒落かよ。とんでもねぇこじつけだな」
男の姿は見えないが、呆れ果てた様子であるのは分かる。しかし少女のような軽い声音の人物は、嬉しそうに返した。
「いいじゃん、別に。見た目も白くて小さくて可愛いし」
「尚の事違うじゃねぇか」
「もー!なんでそういう事言う!?」
頬を膨らませて、彼女は背後を見やる。
ゆらゆらと意識が薄らいだ。
――銀、知佳
その顔を意識に焼き付ける。確かに存在したはずの彼女の声と、口調と、表情と、そしてその瞳を。
「……お前、それ欲しいのか」
「え?まぁ、折角だからね」
ゆら、ゆら。遠ざかる声。遥か遠い記憶の濁流に押し流され、薄らいでいく光景。
ゆら。ゆら。思い出せと記憶が言う。彼岸に渡った人間が残せるのは、ただそれだけなのだから。
*
「僕、――知ってる」
端の欠けたキーホルダーを握り締め、夏波は蹲る。手に鋭く尖った部分が食い込んで、薄く皮膚を破った。それでもなお、夏波は固く拳を握った。
「知ってる。……知ってるはずなんだ。僕は……」
頭の中でいくつもの線が絡まって解けない。けれど、先程垣間見た記憶の中の顔に強い既視感を覚え続けている。
脳裏に反響するそれは、過去の記憶。
思い返される光景は、真紅に染まった両掌だ。
突如として浮かんだ記憶に弾かれるようにして、夏波は悲鳴を上げ、頭を抱えた。背中に手が乗るが、夏波はそれさえ振り払って、自分の両肩を抱く。ガタガタと恐怖で身体が震え、歯が噛み合わない。
「僕、まさか」
嫌な予感が胸に広がっていた。何かが、身体中に駆け巡っているかのようで気持ちが悪い。ぐらぐらと脳が煮えている。握り締める拳から液体が流れ出て、地に落ちた。
「夏波」
名前を呼ばれる。と同時に、一瞬だけ強張っていた体から力が抜けた。その間隙を縫って、志賀の手がキーホルダーをきつく握り締めていた夏波の掌をこじ開ける。
「あ……」
キーホルダーには欠けた部分からヒビが入り、更には夏波の血で赤く濡れている。
「僕……僕、……何を、忘れてる……?」
「落ち着け」
言い聞かせる声。背中を擦る手。少しずつ肺が酸素を取り込む。
しかし、思い返されるのは、やはり血液に染まった自分の掌ばかりなのだ。
それ以上の事が思い出せず、夏波の思考はぐるりとまわる。
「……一旦最後まで話す。だから、その間に落ち着け」
志賀は夏波を一度立たせ、屋上のベンチに座らせた。
自身はその肘置きの部分に腰を落ち着け、続きを口にする。
銀知佳の遺体を見つけた、その先を。
白と黒で脳が埋まる。あまりの目眩に、夏波はギュッと目を瞑った。
「スーツケースは血の海だった」
淡々と語る志賀の言葉に、夏波は思わず耳を塞ぎそうになる。彼が語る凄惨な光景も、志賀の心中も、想像すればするほど胸が張り裂けそうだった。
――赤い色、右側頭部
それと同時に、湧き上がる既視感。しかし掴めそうで掴めない。記憶の遥か彼方に手を伸ばし、夏波は胸を掴みながらも身体を固くする。
「……夏波?」
頭痛がする。吐き気がする。思い出せと誰かが呼びかけている。
何度も大きく息を吸い、吐き出した。その速さが少しずつ上がっていくことを察知した志賀が、焦った様子で膝を折る。
「志賀さん」
近付いてきた腕を、夏波は勢い良く掴んだ。荒い呼吸を繰り返し、夏波は驚く志賀の目を覗く。
「何か、銀さんのモノ、……ありませんか」
「モノ……?」
「記憶が読める物、です。物なら、何度でも同じ記憶が読めました。だから……奪わない、はずなんです」
割れそうな頭を押さえて訴えた。志賀は困惑した様子を見せながらも、じっと考え込む。
「能力行使で、お前自身には何も変化はないのか」
「ありません」
「……嘘ついてねぇな?」
「僕、……嘘つくの、苦手なんです」
夏波は薄っすらと苦笑いを浮かべる。
志賀はそれでも躊躇している様子だったが、やがて、コートのポケットに手を突っ込んで、小さな何かを取り出す。
「銀自身の物は何も残ってない。……アイツの記憶をもってる可能性があるとすれば、俺の持ち物くらいで」
差し出されたのは、白い押し花をレジンで閉じ込めた、小さなキーホルダーだ。シンプルながら少しの可愛らしさをあしらったそのデザインは、恐らく手作りなのだろうと察せられる。
しかし、とても大切にされていたのだろうそれには、目立つ傷が見当たらない。
夏波が手袋を取り去ったその手を止めると、志賀は少し寂しそうにしつつも、キーホルダーをするりと溢れ落とした。
「あっ……!」
カツン、と音を立てて飛び跳ねるキーホルダーに、夏波は慌てて手を伸ばし、受け止める。
――傷が
瞬間、夏波の視界は暗転した。
*
「ねぇ、これ、僕っぽくない?」
大きな瞳がこちらを見ていた。ゆら、ゆらと夏波の視界が揺れる。
栗色の短い髪の中性的なその人は、夏波の頬に触れるように優しく手を伸ばした。
「は?どこがだよ」
聞き覚えのある男の声。つい先ほどまで、静かに夏波に記憶を聞かせていた声だ。
「名前がさ?みょ……シルバチカ?って」
「英語くらいちゃんと読め。ミオソティス・シルバチカだ」
「そうそれ。ほら、シルバーって銀っぽいし、チカって入ってるよ」
「洒落かよ。とんでもねぇこじつけだな」
男の姿は見えないが、呆れ果てた様子であるのは分かる。しかし少女のような軽い声音の人物は、嬉しそうに返した。
「いいじゃん、別に。見た目も白くて小さくて可愛いし」
「尚の事違うじゃねぇか」
「もー!なんでそういう事言う!?」
頬を膨らませて、彼女は背後を見やる。
ゆらゆらと意識が薄らいだ。
――銀、知佳
その顔を意識に焼き付ける。確かに存在したはずの彼女の声と、口調と、表情と、そしてその瞳を。
「……お前、それ欲しいのか」
「え?まぁ、折角だからね」
ゆら、ゆら。遠ざかる声。遥か遠い記憶の濁流に押し流され、薄らいでいく光景。
ゆら。ゆら。思い出せと記憶が言う。彼岸に渡った人間が残せるのは、ただそれだけなのだから。
*
「僕、――知ってる」
端の欠けたキーホルダーを握り締め、夏波は蹲る。手に鋭く尖った部分が食い込んで、薄く皮膚を破った。それでもなお、夏波は固く拳を握った。
「知ってる。……知ってるはずなんだ。僕は……」
頭の中でいくつもの線が絡まって解けない。けれど、先程垣間見た記憶の中の顔に強い既視感を覚え続けている。
脳裏に反響するそれは、過去の記憶。
思い返される光景は、真紅に染まった両掌だ。
突如として浮かんだ記憶に弾かれるようにして、夏波は悲鳴を上げ、頭を抱えた。背中に手が乗るが、夏波はそれさえ振り払って、自分の両肩を抱く。ガタガタと恐怖で身体が震え、歯が噛み合わない。
「僕、まさか」
嫌な予感が胸に広がっていた。何かが、身体中に駆け巡っているかのようで気持ちが悪い。ぐらぐらと脳が煮えている。握り締める拳から液体が流れ出て、地に落ちた。
「夏波」
名前を呼ばれる。と同時に、一瞬だけ強張っていた体から力が抜けた。その間隙を縫って、志賀の手がキーホルダーをきつく握り締めていた夏波の掌をこじ開ける。
「あ……」
キーホルダーには欠けた部分からヒビが入り、更には夏波の血で赤く濡れている。
「僕……僕、……何を、忘れてる……?」
「落ち着け」
言い聞かせる声。背中を擦る手。少しずつ肺が酸素を取り込む。
しかし、思い返されるのは、やはり血液に染まった自分の掌ばかりなのだ。
それ以上の事が思い出せず、夏波の思考はぐるりとまわる。
「……一旦最後まで話す。だから、その間に落ち着け」
志賀は夏波を一度立たせ、屋上のベンチに座らせた。
自身はその肘置きの部分に腰を落ち着け、続きを口にする。
銀知佳の遺体を見つけた、その先を。