2-2 ミツキコウヘイ
文字数 3,201文字
「今日は本当にありがとう。休みの日、潰してごめんね」
仙台駅東口側の通路にある改札前で、三科は夏波を振り返った。ひらひらと手を振り、三科はいつもの口調で「だから、いんだよそーいうのは」と笑っている。私服姿はその通りだが、先日特殊対策室に乗り込んできた時と違って、今日の彼には寝癖がついていない。
「悪いな。ホントなら晩飯も一緒に食いたかったんだけど」
「ううん、また今度行こう。というか、むしろ僕のせいで時間変更させちゃったりとかしてないよね……? 本当に知り合いと会う時間、最初から18時からだった?」
「心配し過ぎだって。元から18時だよ」
からりと否定しているが、本当かどうかは怪しい所だ。だが、彼が本当に気を遣っていないかは分からなかった。夏波が三科の嘘を見破った事はこれまで一度たりとして無い。
伊霧芽郁の事件から丸3日が経とうとしていた。特殊対策室での会話の後、夏波には2日間の休暇が与えられた。心身共に限界だろうという宮藤の配慮だが、帰宅して仮眠を取った後も夏波の心が休まることはなかった。
ずっと考えてしまうのだ。伊霧芽郁の事を。しっかりと掴んだにも関わらず、滑り落ちてしまったあの感覚を。何故助けられなかったのか。自分のせいで彼女は助からなかったのではないか。一人きりの空間でぐるぐると八方塞がりになっていた夏波の元に、三科はやってきた。
玄関まで出てきた夏波と、カーテンを締め切った部屋を見た彼は一言
『スマホ買いに行こうぜ』
と、夏波を強引に外に引っ張り出したのだ。そうして仙台駅東口にある大きな家電量販店に足を向け、今安いスマホはああだとか、メモリはどうだとかを夏波に力説した。店員よりもはるかに詳しいのではないか、なんて目を白黒させながらも、夏波は三科の話を理解する事に終止し、最終的に有名所の機種を選び取ることと相成ったのだ。使い勝手の程はまだ分からないが、志賀のくれた手袋との相性は悪くなさそうである。
「……本当に大丈夫なんだな?」
「うん。元気出た」
こくん。と素直に頷く。一人になったらまた考え込んでしまうかもしれないが、それでも三科と会話をする事で“日常”に引っ張り戻してもらった気がしていた。
三科がどこまでの事を知っているのかは分からない。彼は夏波と一緒にいる間、仕事の話を一切持ち出してこなかったからだ。夏波としてもそれは有り難く、彼と話す間だけは薄暗い絶望的な感情が薄らいでいた。最初に彼の顔を見た時は「助けたい人は助けられたのか」等と聞かれたらどうしよう、という恐怖が勝っていたが、三科はその素振りすら見せなかった。
「飯だけはちゃんと食えよ。腹減ってると悪い方にしか頭向かねぇぞ」
「ん、そうする」
「今日の晩飯の予定は?」
「素うどん」
夏波の返答に「せめてネギくらい乗っけろよな」と吹き出してから、三科は夏波の肩を軽く二度叩いた。
「じゃあな、また連絡するわ」
ひらりと手を振って、三科は改札を通っていく。青年の姿は右手に曲がるなり直様壁に隠れて見えなくなってしまい、夏波は一人残された。
一人になった途端、また胸に薄暗い暗雲が立ち込める。だが、強く目を瞑ってなんとか耐え忍んだ。夏波は足を踏み出し、駅の中にある些細な街灯やお土産物店を眺めつつ、とぼとぼと歩く。
真っ直ぐ家に戻るなら市営の地下鉄に乗った方が早い。だが、歩いてもそう距離はないし、何よりもう少しこの適度な人混みの中を歩いていたかった。一人ぼっちになりたくないけれど、誰かに気を使わせたくもない今、自分に絶対に無関心であろう人々の中を歩いていた方が気が紛れる。そういう時、仙台という街は非常に丁度良いのだ。東北の都会だけあって人は多いが、息切れする程ではない。
「あのー……」
それは、西口の大きな改札前を横切ろうとした時のことだった。ぼーっと歩いていた夏波の横から男性の声がかかる。無視するなんて選択肢がこれっぽっちも存在しない夏波は、「はい?」と返事をして足を止めた。
「つかぬ事をお伺いしますが……多賀城に行く方ですか?」
「え?」
なんだ、その質問は。
“多賀城”とは、仙台市の東側にある市の名前だ。駅の徒歩圏内に大きめな図書館と私立の大学がある、程度の事なら知っているが、今の夏波にはほぼ縁のない土地である。一体何を思ってそんな質問をしてきたのかと、夏波は怪訝に思いながら男性を見上げた。
長身の男は、帽子を目深に被り、厚手のマフラーと黒いマスクで顔の半分以上を覆っていた。ただし『怪しい』とは一概に言えない。佇まいは非常にスマートで、好青年然とした色合いの服装ではあるからだ。
男と夏波の間に僅かな沈黙が落ちる。夏波が不思議そうな顔をしている事に気が付いたのか、彼は慌てた様子で
「あ、すみません、えーっと……ボク多賀城に行きたいんですけど、どの路線に乗っていいのかよく分かんなくて。教えていただけないかなと」
と、わたわた大きく身振りを使いながら言い訳をした。
「僕もあんまり電車使わないから詳しくないんですけど、……確か仙石線、だったかな」
券売機の上に掲げられた大きな鉄道路線図を指差し、多賀城の文字を指差す。男性は「あ」と間の抜けた声を上げると、手袋のはまった手を頭に置き、恐縮した様子で会釈を繰り返した。
「すみません、ありがとうございます。仙台を一人で歩くのは初めてで、その」
「いえ、大丈夫ですよ。道中お気をつけて」
にこ、と夏波は笑顔を向ける。男性は一瞬呆気にとられたように夏波の顔を見つめたが、当の本人はそれに気がつかず、再び歩みを進めようと片足を地面から浮かせた。
「あ、ま、まって!」
突然そう声をかけられたかと思えば、ぐい、と夏波の腕が後ろに引っ張られる。何事かと目を見開いて、自分を引き止めた男性を見上げた。
「な、何でしょうか?」
「えー、……うーんと」
男性は自分でも思いがけない行動を取ったのだろう。酷く狼狽しながら手を離し、必死に言葉を探しているようだった。そしてやがて、決心したかのように夏波を見据える。
「お名前、お伺いできたり、とかしませんか」
「は?」
二の句が継げない、とはこの事だ。目を点にして、夏波は男性を見上げ続けた。
男性はしどろもどろになりつつ、
「一目惚れ、ってやつだと思います。今声かけなきゃ後悔しそうで」
何を隠そう、ここは改札の券売機手前で人目は多い。男性の発言が耳に入ったのか、近く通りすがった人間が数名ぎょっとした様子で距離を取った。
「でも、ボクこれから外せない用事が有りまして……。失礼ばかりで申し訳ないんですが、連絡先を教えていただけないでしょうか」
まるで透明なガラスボードを挟んで話しかけられているかのようだと思った。男性はどこか遠くの別の誰かに話しかけているのではないか、なんて錯覚さえ覚える。ええと、とか、そのー、とかへどもどした事しか言えないうちに、男性は夏波の腕を離した。
脳が機能不全に陥った夏波をしばし見つめ、男性は目を隠すほど深く被っていた帽子を少しだけ引き上げる。そうしてスマートフォンをポケットから取り出し、手袋をつけたままの手で多少操作すると、彼は連絡用SNSのQRコードが表示された画面を夏波に差し出した。
「突然で、本当にすみません。こういう事初めてで……怪しいって思われても仕方ないと思うんですけど……でも、ボク、本気なので」
困惑しながらも、突き出された画面を覗き込む。そこでまた、夏波は色を失った。ぱくぱくと口を開閉させて画面から顔を上げた夏波に、男性はしっと人差し指を立てる。
「あの、……お願いできますか」
画面に表示された名前は、『美月幸平』。ちらりとマスクを下げて晒したその顔に、確かな見覚えがあった。
それは以前三科が見せてくれた超能力の動画。そこで手袋を浮かせていた、俳優の『ミツキコウヘイ』、その人だった。
仙台駅東口側の通路にある改札前で、三科は夏波を振り返った。ひらひらと手を振り、三科はいつもの口調で「だから、いんだよそーいうのは」と笑っている。私服姿はその通りだが、先日特殊対策室に乗り込んできた時と違って、今日の彼には寝癖がついていない。
「悪いな。ホントなら晩飯も一緒に食いたかったんだけど」
「ううん、また今度行こう。というか、むしろ僕のせいで時間変更させちゃったりとかしてないよね……? 本当に知り合いと会う時間、最初から18時からだった?」
「心配し過ぎだって。元から18時だよ」
からりと否定しているが、本当かどうかは怪しい所だ。だが、彼が本当に気を遣っていないかは分からなかった。夏波が三科の嘘を見破った事はこれまで一度たりとして無い。
伊霧芽郁の事件から丸3日が経とうとしていた。特殊対策室での会話の後、夏波には2日間の休暇が与えられた。心身共に限界だろうという宮藤の配慮だが、帰宅して仮眠を取った後も夏波の心が休まることはなかった。
ずっと考えてしまうのだ。伊霧芽郁の事を。しっかりと掴んだにも関わらず、滑り落ちてしまったあの感覚を。何故助けられなかったのか。自分のせいで彼女は助からなかったのではないか。一人きりの空間でぐるぐると八方塞がりになっていた夏波の元に、三科はやってきた。
玄関まで出てきた夏波と、カーテンを締め切った部屋を見た彼は一言
『スマホ買いに行こうぜ』
と、夏波を強引に外に引っ張り出したのだ。そうして仙台駅東口にある大きな家電量販店に足を向け、今安いスマホはああだとか、メモリはどうだとかを夏波に力説した。店員よりもはるかに詳しいのではないか、なんて目を白黒させながらも、夏波は三科の話を理解する事に終止し、最終的に有名所の機種を選び取ることと相成ったのだ。使い勝手の程はまだ分からないが、志賀のくれた手袋との相性は悪くなさそうである。
「……本当に大丈夫なんだな?」
「うん。元気出た」
こくん。と素直に頷く。一人になったらまた考え込んでしまうかもしれないが、それでも三科と会話をする事で“日常”に引っ張り戻してもらった気がしていた。
三科がどこまでの事を知っているのかは分からない。彼は夏波と一緒にいる間、仕事の話を一切持ち出してこなかったからだ。夏波としてもそれは有り難く、彼と話す間だけは薄暗い絶望的な感情が薄らいでいた。最初に彼の顔を見た時は「助けたい人は助けられたのか」等と聞かれたらどうしよう、という恐怖が勝っていたが、三科はその素振りすら見せなかった。
「飯だけはちゃんと食えよ。腹減ってると悪い方にしか頭向かねぇぞ」
「ん、そうする」
「今日の晩飯の予定は?」
「素うどん」
夏波の返答に「せめてネギくらい乗っけろよな」と吹き出してから、三科は夏波の肩を軽く二度叩いた。
「じゃあな、また連絡するわ」
ひらりと手を振って、三科は改札を通っていく。青年の姿は右手に曲がるなり直様壁に隠れて見えなくなってしまい、夏波は一人残された。
一人になった途端、また胸に薄暗い暗雲が立ち込める。だが、強く目を瞑ってなんとか耐え忍んだ。夏波は足を踏み出し、駅の中にある些細な街灯やお土産物店を眺めつつ、とぼとぼと歩く。
真っ直ぐ家に戻るなら市営の地下鉄に乗った方が早い。だが、歩いてもそう距離はないし、何よりもう少しこの適度な人混みの中を歩いていたかった。一人ぼっちになりたくないけれど、誰かに気を使わせたくもない今、自分に絶対に無関心であろう人々の中を歩いていた方が気が紛れる。そういう時、仙台という街は非常に丁度良いのだ。東北の都会だけあって人は多いが、息切れする程ではない。
「あのー……」
それは、西口の大きな改札前を横切ろうとした時のことだった。ぼーっと歩いていた夏波の横から男性の声がかかる。無視するなんて選択肢がこれっぽっちも存在しない夏波は、「はい?」と返事をして足を止めた。
「つかぬ事をお伺いしますが……多賀城に行く方ですか?」
「え?」
なんだ、その質問は。
“多賀城”とは、仙台市の東側にある市の名前だ。駅の徒歩圏内に大きめな図書館と私立の大学がある、程度の事なら知っているが、今の夏波にはほぼ縁のない土地である。一体何を思ってそんな質問をしてきたのかと、夏波は怪訝に思いながら男性を見上げた。
長身の男は、帽子を目深に被り、厚手のマフラーと黒いマスクで顔の半分以上を覆っていた。ただし『怪しい』とは一概に言えない。佇まいは非常にスマートで、好青年然とした色合いの服装ではあるからだ。
男と夏波の間に僅かな沈黙が落ちる。夏波が不思議そうな顔をしている事に気が付いたのか、彼は慌てた様子で
「あ、すみません、えーっと……ボク多賀城に行きたいんですけど、どの路線に乗っていいのかよく分かんなくて。教えていただけないかなと」
と、わたわた大きく身振りを使いながら言い訳をした。
「僕もあんまり電車使わないから詳しくないんですけど、……確か仙石線、だったかな」
券売機の上に掲げられた大きな鉄道路線図を指差し、多賀城の文字を指差す。男性は「あ」と間の抜けた声を上げると、手袋のはまった手を頭に置き、恐縮した様子で会釈を繰り返した。
「すみません、ありがとうございます。仙台を一人で歩くのは初めてで、その」
「いえ、大丈夫ですよ。道中お気をつけて」
にこ、と夏波は笑顔を向ける。男性は一瞬呆気にとられたように夏波の顔を見つめたが、当の本人はそれに気がつかず、再び歩みを進めようと片足を地面から浮かせた。
「あ、ま、まって!」
突然そう声をかけられたかと思えば、ぐい、と夏波の腕が後ろに引っ張られる。何事かと目を見開いて、自分を引き止めた男性を見上げた。
「な、何でしょうか?」
「えー、……うーんと」
男性は自分でも思いがけない行動を取ったのだろう。酷く狼狽しながら手を離し、必死に言葉を探しているようだった。そしてやがて、決心したかのように夏波を見据える。
「お名前、お伺いできたり、とかしませんか」
「は?」
二の句が継げない、とはこの事だ。目を点にして、夏波は男性を見上げ続けた。
男性はしどろもどろになりつつ、
「一目惚れ、ってやつだと思います。今声かけなきゃ後悔しそうで」
何を隠そう、ここは改札の券売機手前で人目は多い。男性の発言が耳に入ったのか、近く通りすがった人間が数名ぎょっとした様子で距離を取った。
「でも、ボクこれから外せない用事が有りまして……。失礼ばかりで申し訳ないんですが、連絡先を教えていただけないでしょうか」
まるで透明なガラスボードを挟んで話しかけられているかのようだと思った。男性はどこか遠くの別の誰かに話しかけているのではないか、なんて錯覚さえ覚える。ええと、とか、そのー、とかへどもどした事しか言えないうちに、男性は夏波の腕を離した。
脳が機能不全に陥った夏波をしばし見つめ、男性は目を隠すほど深く被っていた帽子を少しだけ引き上げる。そうしてスマートフォンをポケットから取り出し、手袋をつけたままの手で多少操作すると、彼は連絡用SNSのQRコードが表示された画面を夏波に差し出した。
「突然で、本当にすみません。こういう事初めてで……怪しいって思われても仕方ないと思うんですけど……でも、ボク、本気なので」
困惑しながらも、突き出された画面を覗き込む。そこでまた、夏波は色を失った。ぱくぱくと口を開閉させて画面から顔を上げた夏波に、男性はしっと人差し指を立てる。
「あの、……お願いできますか」
画面に表示された名前は、『美月幸平』。ちらりとマスクを下げて晒したその顔に、確かな見覚えがあった。
それは以前三科が見せてくれた超能力の動画。そこで手袋を浮かせていた、俳優の『ミツキコウヘイ』、その人だった。