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文字数 5,675文字

「ウイルス?」

 ブラインドカーテンを引き上げる紐を持った宮藤は、夏波の言葉を繰り返した。朝の陽の光が直撃し、夏波は腕を掲げて日光を遮る。座る場所を少しだけ横にずらし、ソファの真ん中付近を陣取ってから返事をした。

「はい。『宿主が死ぬのは困る』『だから何としてでも生かそうとする』……と」
「なるほど……?」

 軽い音を立てながら、宮藤は対面のソファに腰を落とす。間にある机の上には、マグカップがお互いの前にひとつずつ。そして夏波の分のマグの隣には、コンビニおにぎりの空が2つ、キレイに畳まれて小さくなっていた。

「前にも話したんだけど、正直私達自身も“能力”については分からない事だらけなの。だから、それが事実なのかはわからないわ」

 はぁ、とため息を吐き出してから、宮藤は机の上のマグを両手で取って、口をつける。
 伊霧芽郁の飛び降りから半日が経っていた。救急車の前で伊霧芽郁に触れて彼女の記憶を見た夏波には、その後どうやってこの特殊対策室に戻ってきたのか記憶がない。
 気が付いたのは朝8時を回った頃合いであり、今夏波が座っているソファの上に寝かされていた。志賀のものと思しきコートが布団代わりにかけられていたので、恐らく彼が運んでくれたのだろう。だが、その姿はどこにも見られなかった。

「志賀君には話したの?」
「いえ、まだ……」

 首を横に振りつつ、昨日の志賀の発言を思いかえす。伊霧芽郁が目の前で亡くなったにも関わらず、彼は表情一つ動かすことはなかった。
 何も感じていない訳では無いと信じたいが、如何せん知り合ってからの日数が短すぎる。夏波にはまだ、志賀という男を捉えきれていない。
 目を覚まして一人思い悩んでいたタイミングで、丁度宮藤由利が特殊対策室を訪ねて来たのだ。
 彼女の話では、志賀は伊霧匠の面会開始時間に合わせて、伊霧芽郁の死亡を伝えに行ったのだという。

「ひとまず、その“鯨”っていうのは調べない訳には行かないわね。私達の悲願のためには、何とか情報を得たいところだわ」
「悲願……?」

 ふと、いつの間にか落としていた視線を上げて宮藤を見た。彼女はマグを胸の前で両手で包みながら頷く。その両手にはやはり、白い薄手の手袋がはまっていた。

「前にも話したかも知れないけれど、私達特殊対策室の目的は『能力者の保護』と『能力の撲滅』よ」
「撲滅って、随分物騒ですよね」

 昨日、能力についての説明を受けた時、志賀も同じ文言を述べていたはずだ。宮藤は苦笑を浮かべ「私もそう思う」と肯定した。

「この目的を掲げたのは志賀君だから。……でも、言ってる事は間違ってないし、採用しちゃった」
 
 宮藤の口調は変わらない。しかし夏波には、ひどく疲れたような印象を与える声のように思えた。普段ハキハキとしている宮藤の思いがけない姿に思わず息を呑むと、宮藤はハッとしていつもの声色を取り戻す。

「あ、勿論暴力的な意味じゃないの。もう二度と能力で苦しむ人が出ないように、って意味ね」
「でも『能力者を撲滅』だと、僕も含まれちゃうし、保護と対極になっちゃうんじゃ……」
「違う違う!“能力者”じゃなくて“能力”! ここ間違えたらだめよ? 」

 からからと明るく笑い、マグから離した手を左右に振って見せた。

「私達は、能力そのものの存在を無くしたいのよ」
「能力そのもの……?」
「そ」

 “能力”が発現する人間は極少数だが、それでも芽生えてしまえば異常事件を引き起こす者が大半だ。能力が何故発現するのか、どうすれば能力を完全に無効化させる事ができるかは、まだはっきりとは分かっていない。特殊対策室は、新たな能力者を生み出さない、或いは能力者を元の人間に戻すための場所なのだ。
 宮藤はそう語り終えると、喉を鳴らしてマグの中身を嚥下した。

「夏波君が見た事が伊霧芽郁の記憶なら、“鯨”は私達より遥かに多くの事を知ってるわ。それはきっと能力のことだけじゃなくて、伊霧芽郁の事も」

 膝の上に乗せていた手を握り込み、夏波は胸に落ちた暗い暗雲をゆっくりと吐き出した。あの時の伊霧芽郁の瞳が脳内をフラッシュバックする。何もかもを諦めた色をしていた。光が反射してあまりにも美しく煌めいていたのに、彼女はその瞳に何も写していなかったのだ。
 何がそうさせたのか、とは言わない。“能力”に振り回された結果なのだろうと予想はつく。それでも、彼女を救う方法はなかったのかと何度も何度も夏波は自分に問いかけ続けていた。その答えは、未だ出そうにない。

「……そうね。うん、志賀君の意見も聞いてみましょうか」

 え、と夏波の口から声が溢れた。

「あの……大丈夫なんですか、その……」
「何の話だ」

 突如背後から聞こえたその声に、夏波の心臓が盛大な音を立てて鳴った。手に取っていたマグカップを取り落としかけ、慌てて指に力を入れる。

「あら、噂をすれば影」
「あ?」

 扉を開けて入ってきた少年は、どさり、と肩から下げていたショルダーバッグを机に置き、宮藤を睨んだ。

「新人捕まえて愚痴ってたのか?」
「えー、そんな事しないわよ」

 むー、と頬を膨らませ唇を突き出す宮藤に、志賀は心底嫌そうな表情を作って目を背ける。

「やめろ。キモい」
「朝から暴言フルスロットルね! そんなひどい顔してる?私」

 口を文字通りへの字に曲げて、宮藤は夏波を見る。

「いえ、僕はそんな事無いと……」
「あー、もうホント可愛いわ〜夏波君。志賀君もちょっとは夏波君を見習ってほしいんだけど」
「無茶言うな」

 志賀はバッサリと一蹴して、自分の荷物の中をゴソゴソと漁る。
 先程の夏波の言葉は、決して世辞などではない。女優顔負けの宮藤はどんな表情を作っても様になり、余程のことがない限り崩れない。だが昨日からの志賀を見る限り、宮藤への態度は散々だ。よく夏波が来る前まで二人きりでやってきたものである。
 宮藤は小さく息をつく。

「夏波君から昨日の件の報告をもらってたのよ」

 じろ、と志賀は夏波に視線を移した。

「……お前」
「き、昨日運んでくださったの、志賀さんですよね? これ、ありがとうございました!」

 夏波はとっさに立ち上がって、ソファの肘掛け部分に置いていた上着を抱えて見せた。志賀が夏波の方へと歩みを寄せる。そして夏波からコートを受け取り、受け取った方と反対側の手をずいと突き出した。
 疑問符を顔に貼り付けた夏波に、彼はぶすくれたまま言う。

「着けろ」
「え」

 手を出して受け取ったのは、灰色の薄手の手袋だった。そういえばそうだ、と、慌てて夏波は手袋を受け取る。昨晩、着けていた手袋の片方が塩と化してしまったのだ。もう2度と揃うことのない手袋を取り去り、夏波は志賀から渡されたものに付け替えた。
 
「あ、ありがとうございます」
「着けてもらわんとこっちが困るだけだ。それとな、能力者は亡くなってからも数分間は能力が発動する。幸い昨日は問題なかったが、今後は遺体であっても絶対に触るな」
「は、はい……。……すみませんでした……」

 夏波はしょぼんと肩を下げる。鼻を鳴らして踵を返した志賀に、宮藤が取り直すように口を開いた。

「あら、その手袋案外センスいいじゃない。でも朝からよく売ってるお店見つけたわね?」
「ファミマ」
「あ、そう」

 宮藤が頭を抱える様子に苦笑しながら、夏波は両の手を握って開く。前回の黒手袋とは違い、今渡されたものは夏波の手にぴったりで、多少の細かい作業でも困ることはなさそうだ。

「とりあえず、志賀君もこっちに座って。情報の共有をしましょうか」
「俺はここで良い。話せ」

 どかりと自分の席に腰を下ろし、志賀はふてぶてしく足を組んで肘掛けに肘をついた。これに王冠を乗せてマントを羽織らせれば、立派な王様の風貌になりそうだ。
 宮藤は夏波に向けて軽く肩をすくめると、これまでの話をかいつまんで伝えた。
 具体的に言うなれば、夏波の能力の発動条件についてと、能力を使って垣間見た伊霧芽郁の記憶について。夏波は内心冷や汗をかきながら志賀を窺う。が、彼はその話を聞いてもなお、顔色一つ変えることはなかった。

「“鯨”を調べるのは決定事項として、お前の“能力”も大概だな」

 志賀は組んだ足の上に肘を付き、手袋の装着された手で口元を覆う。

「『触れた対象の記憶を読む』が能力の内容だとしたら、どうしてコイツと伊霧匠は塩化した状態から戻った?」

 言われて初めて、確かに、と夏波は俯く。発動の条件が分かったことですっかり自分の能力を把握した気になっていたが、自身の自覚がない所で二度も不可思議な現象を起こしているらしいのだ。そちらについてはまるで心当たりがなく、条件も何もあったものではない。
 志賀はなおも呟く。

「それに、そうだとすると……」
「まぁ、聞いた感じ似てるわね」

 志賀に続いて反応したのは宮藤だった。頷いた宮藤と珍しく視線を合わせた志賀が、深いため息を吐きだす。

「何の偶然なんだかな……」

 話が見えず、夏波は助けを求めて宮藤に視線を送った。宮藤は柔らかな、それでいて少しものさみしげな笑みを浮かべて答える。

「私達ね、夏波君の能力と似てる力を持った人を知ってるのよ」
「奴の能力は“同化”だった。不可解な点が多いから完全に同じとは言えんが、発動条件もその内容も、類似点は多い」

 宮藤の言葉に対し夏波が問いかけを挟む前に、間髪入れず志賀は“同化”についての説明を切り出す。
 発動条件は夏波が察したように『傷に触れること』。そしてその能力は対象と意識を共有すること、なのだそうだ。

「奴は記憶を垣間見るというよりも、本人と同一化して自分が他者の記憶を経験している、と言っていたがな」

 その感覚には心当たりがあった。ただしそれは伊霧芽郁と“鯨”が対話している記憶を見た時だけの話だ。あの時は明確に夏波本人の意識があり、伊霧芽郁と身体を共有しているかのようだったが、それ以前は全て本人の視点を借りた夢のようであった。  
 差異、と呼ぶにはあまりにも些細だ。口に出すかは少し迷ったが、そういえば志賀が『僅かな違和感でも共有しろ』と言った事を思い出し、夏波はそれをそのまま言葉にした。

「そうか……、やはり完全に同じではないのか、それか、能力自体が変化しているのか……」

 志賀は夏波の発言を受けて、そうぼやきながら熟考を続ける。
 舞い降りた沈黙の中、夏波は喉から出かかった言葉を飲み込んだ。

『自分と似た能力を持つその人は、今どうしているのか』

 問いかけようかとも思った。しかし、返ってくる答えが何となく察せられて気が引けたのだ。先程の宮藤の表情も、志賀の不自然な切り込み方も含め、触れて欲しくないのだろう。そう夏波が察するには十分だった。

「情報が足らん」

 やがて、志賀は諦めたように首を振ると、椅子の背もたれに体重を預けた。

「“能力”については、“鯨”をひっ捕まえて聞きだした方が良いな。それに」

 そこで突如、志賀は口をつぐんだ。まるで口を滑らしたと言わんばかりの彼に、夏波は首を捻る。

「それに……?」

 志賀はチラリと夏波を見やった後、わずかに視線を彷徨わせた。そうして暫く沈黙を貫いていたが、やがて

「お前、あまりネットニュースだとかは見ないのか」
「え?ええ……。普段もあまり見ない方なんですけど、今特にスマホ無いので……。何かあったんですか?」

 志賀の口はやはりへの字に曲がっている。が、夏波がじっと見つめ続ければ、ようやっと観念したかのように続きを紡いだ。

「……動画が上がっていた」
「えっ」

 それに『鯨の』がつく事はすぐに分かる。しかし、『何の』かまでは分からない。鯨は、事故など何かしらが起こった時にそれを配信、或いは動画を撮影しているはずだ。今回も同様だとすれば――
 そこまで思考を巡らせた夏波は、愕然と目を見開いた。

「まさか……!?」
「そのまさかだ」

 志賀は苦々しげに首肯して立ち上がると、自身の端末を夏波達の前、テーブルの上に置きやる。端末の画面に映っていたのは、古い廃ビルを下から覗くように撮影している一本の動画だった。動画時間は僅か三十秒足らず。画面には三角の再生マークが大きく表示されている。
 
「志賀君」

 対面に座っていた宮藤が、不意に端末を裏返した。驚いて見上げる夏波に、宮藤は眉尻を下げて微笑みかける。

「中身の確認は、また今度にしましょ」

 夏波は膝に置いていた拳を握る。心臓がギリリと音を立てた気さえした。喉の内側が酷く乾いてひりついている。
 分かりきっていた。これまで聞いた話の通りであれば、この動画に収められているのは『伊霧芽郁が飛び降りた瞬間』に他ならない。
 先程一瞬だけ見えたサムネイルには、例の廃ビルが写り込んでいた。しかし、撮影者はビル入り口の反対側に陣取っていたらしく、表通りの人並みの中で撮影していたように思える。
 夏波は裏返ったままの端末を凝視し続けた。中身の確認をしなければと心中で繰り返すが、どうしても手が動かない。

「何にせよ」

 不意に端末が黒い手袋をはめた手に攫われた。途端、それまで動かなかった身体から力が抜けていく。

「“鯨”が何のために伊霧芽郁とコンタクトを取り、その上あんな動画を撮影しているのか、今の段階じゃ理解できんな」

 志賀はそう言ったきり席に戻ると、手で口を覆い思案に耽る。
 沈黙。手詰まり、という事だろう。
 だが、一瞬流れた重苦しい空気を即座に破ったのは、ソファから勢いよく立ち上がった宮藤だった。

「さてと!じゃあちょっと、私側の本題に入らせてもらいましょうかね!」
「本題?」
「そうよ! まさかこの超絶多忙な私が、朝っぱらから手ぶらでここに来たとお思いで?」
「そうだが」

 分かりやすく膝を折って宮藤はずっこける。その動作はどこか古臭い。

「んなわけないでしょ! ちゃんと司令を持ってきたのよ」

 ソファの前に仁王立ちになり、彼女は腰に両手を当てて胸を張った。そうして、もったいぶるように志賀を見たあと、夏波に視線を落として彼女は言う。

「君達二人に、ミツキコウヘイと接触してもらうわ」
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登場人物紹介

夏波 奏 《カナミ カナデ》


25歳/O型/167cm/特殊対策室所属


自他共に認める気弱人間

志賀 太陽 《シガ タイヨウ》


28歳/AB型/159cm/特殊対策室所属


中央署の嫌われ者

宮藤 由利 《クドウ ユリ》


?歳/B型/154cm/特殊対策室所属


中央署の名物署長

三科 祭 《ミシナ マツリ》


26歳/B型/178cm/機動捜査隊所属


夏波の元相棒で親友

剣 佐助 《ツルギ サスケ》


28歳/AB型/181cm/機動捜査隊所属


苦労人気質の優しい先輩

村山 美樹 《ムラヤマ ミキ》


31歳/O型/162cm/機動捜査隊所属


飄々としてるけど面倒見はいいお姉さん

美月 幸平 《ミツキ コウヘイ》


24歳/B型/178cm/俳優


爽やかな青年

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