4-12 宮藤由利
文字数 2,731文字
「そんな……」
その全てが、あまりにも悲惨な話だった。
顔を顰めて絶句する夏波に、志賀は寂しげに目を逸らす。
「けど、それならどうして志賀さんは今、……宮藤さんと?」
考えれば考えるほど理解ができない。
話を聞く限り、志賀から全てを奪ったのは宮藤由利だ。
そもそも彼女は一体何なのだろう。
夏波の知る宮藤と、志賀の話す宮藤はまるで別人だ。
しかし、志賀はポケットから携帯端末を取り出して一度眺めると、
「その話の前に……お前は整理がついたのか?」
と、夏波に問いかけた。
「え……っと……。あんまり……」
「何を思い出したのかは言えるか」
「は、はい。曖昧ですけど……」
夏波は訥々と思い出した事柄を語る。
キーホルダーで見た記憶。銀の顔を認識した瞬間に思い返された。赤い血にまみれた自分の掌。
志賀が黙って話を聞き終え、口を開きかけた、その時だった。
「キャァアッ!!」
けたたましい女性の叫び声に、志賀と夏波は咄嗟に腰を浮かせる。
階下からだと夏波が認識するや否や、志賀はコートを翻して屋上の扉へ駆けた。慌てて夏波もそれに続き、開け放たれた扉を潜って、階段を段飛ばしで飛び降りる。
「来るな!!来るなァ!」
叫び散らす怒声が通路の最奥から響いている。疾走した先に辿り着いたのは病棟の休憩室であり、先程患者の男女が雑談していた場所の程近くだった。
休憩室の入り口では、看護師が必死に内部にいる人間に何かを語りかけている。
「何があった」
突如背後から声をかけられ、看護師は軽く肩を飛びあげた。しかし志賀の姿を確認するなり、僅かに安堵の表情を浮かべ、部屋内部を指差す。
「あの方が病棟を抜け出そうとしてたのでお声がけしたのですが……パニックになってらして、あの……」
部屋の隅で、男が壁に背中をつけながらこちらを怯えるように睨んでいた。その腕の中には病院着姿の女性がおり、首を締め付ける形で腕を回されている。
「どこまでも騒がしい奴だ……」
志賀は半ば呆れ気味に、休憩室に一歩足を踏み入れる。が、男は更に怯えた様子で腕に一層力を込め「来るな!!」と叫んだ。
「んな事言ったって、ここじゃ行き止まりだぜ。お前の要求は何だ」
「逃がせ!俺を、ここから今すぐ!死にたくない……オレは……ッ」
「ここは病院だ。お前を助けるためにここに運び込んで――」
「死にたくない……ッ、オレは、……殺してない……!」
舌を打つ志賀。
会話は全く無意味だ。落ち着け、と言ったところでパニックを増長させる事にしかならないのだろう。
「……分かったよ。俺達はここからいなくなる。お前は病棟から出るなり何なり好きにすりゃいい」
志賀は両手を上げてひらひらと振りつつ、一歩後退する。背後にいた看護師と夏波にも、『下がれ』と目で合図した。通路の曲がり角付近まで3人が下がると、ようやく患者の女性が苦しげに咳き込む声が聞こえる。
男はそんな女性を抱えたまま、志賀たちを警戒しつつ休憩室から出た。背中を壁につけ、本館へ続く連絡通路の扉のノブに手袋をつけたままの手を伸ばす。――が、男がドアノブを手に取る寸前、それは自ずと引き開けられた。
「あら?」
顔を出したのは、藍色のワンピースに身を包んだ女性。
「宮藤!押さえろ!」
突然、夏波の隣で様子を窺い続けていた志賀が叫んだ。扉を引き開けた張本人は、疑問符を浮かべてこちらを見る。
「何?どういうこと?」
「邪魔だ!!どけ!!」
患者の首に手をかけたまま、男が宮藤由利に向かって吼え、そして体当たりとばかりに体重を宮藤へ傾けた。
「宮藤さ……」
反射で駆け寄ろうとした夏波だが、一歩踏み出し、しかし直様足を止めた。
諦めたのではない。必要がなかったのだ。
宮藤は襲いかかってきた巨体を既のところで避けると、奥の廊下へ誘い出した。たたらを踏んだ男の腕が緩むと同時に、人質にされていた女性が廊下の隅へ這いつくばるようにして逃げる。
「何かよく分かんないけ、どっ!」
宮藤は人質の行方に目を奪われた男の襟首を掴んで引き寄せる。そして、引き寄せた方向に逆らって男の足首を蹴り払った。
完全にバランスを崩し尻餅をついた男は、背後にあった扉にガツンと頭を打ち付け、後頭部を押さえて転がる。
「この女 ……ッ」
痛みに悶ながらなお起き上がろうとする男を見て、宮藤は慌てふためいた様子で駆け寄り、――そして男に手を広げ、彼の顔に抱きついた。
「ごめんなさい……!大丈夫ですか、お兄さん!?」
「え、……は……?」
「血は出てないですね!?あぁ、良かったぁー!」
自身の胸に男の顔を押し付けるように抱きしめる。流石の男も何が起きているのか分からないのか、困惑極まった声を上げ、なされるがままだ。
宮藤はさっと身体を離すと、自身の顔を男の目の前まで持ってきて、ニコリと満開の笑みを咲かせた。
「でも、念の為お医者さんに見てもらいましょう?ね?」
黙っていても天使と称される彼女の笑顔だ。毒気が抜かれた、というよりも呆気にとられて動けなくなった男の手を取って、宮藤はニコニコと男を見つめ続けていた。
その一部始終を遠巻きに眺めていた志賀が、「気色悪すぎる」という言葉と大きなため息を漏らす。そうして呆然とその状況を見つめていた看護師を振り返ると、本館に連絡を取って寿医師を連れてくるように言いつけた。ようやっと我に返った看護師は、志賀の頼みに頷き、近くのナースステーションへと走る。
通路の真ん中で、男に泣きつかれて宥めている宮藤を苦々しげに見つめる志賀。夏波が身体の硬直を解いて「あの……」と声をかけた。
「こ、……拘束とか、しなくていいんでしょうか……?」
「ンなことしたら逆効果だ。適当にアイツに世話させときゃいい」
「世話って……」
先程まで暴れ狂っていた男は、宮藤由利の青いワンピースにしがみつく形で泣き崩れている。そんな彼の背中を撫で、陽だまりの中で微笑む宮藤は、まるで懺悔する咎人を許す聖母のようだ。
「宮藤さんって……一体……?」
先程志賀から聞いた宮藤由利とは、やはり違い過ぎる。
冷酷無比で残虐な宮藤の面影が全く無いのだ。
夏波の呟きに気が付いた志賀が、苦い表情を更に曇らせて頭を押さえた。
「アイツは宮藤由利じゃない」
志賀の言葉に、首を傾げる。
「宮藤さんじゃない……?」
「あぁ。……まぁ、ガワは宮藤由利だが……」
ふと、宮藤が顔を上げる。夏波と志賀の存在に気付いた彼女は、白い手袋のはまった片手を上げて、穏やかな笑顔を浮かべながらそれを振った。
「中身が角井俊なんだ」
俺の目には、おっさん同士の抱擁にしか見えなくて気持ち悪い。
そう零し、志賀は耐えきれないとばかりに眩い笑顔を浮かべる宮藤から目を逸らした。
その全てが、あまりにも悲惨な話だった。
顔を顰めて絶句する夏波に、志賀は寂しげに目を逸らす。
「けど、それならどうして志賀さんは今、……宮藤さんと?」
考えれば考えるほど理解ができない。
話を聞く限り、志賀から全てを奪ったのは宮藤由利だ。
そもそも彼女は一体何なのだろう。
夏波の知る宮藤と、志賀の話す宮藤はまるで別人だ。
しかし、志賀はポケットから携帯端末を取り出して一度眺めると、
「その話の前に……お前は整理がついたのか?」
と、夏波に問いかけた。
「え……っと……。あんまり……」
「何を思い出したのかは言えるか」
「は、はい。曖昧ですけど……」
夏波は訥々と思い出した事柄を語る。
キーホルダーで見た記憶。銀の顔を認識した瞬間に思い返された。赤い血にまみれた自分の掌。
志賀が黙って話を聞き終え、口を開きかけた、その時だった。
「キャァアッ!!」
けたたましい女性の叫び声に、志賀と夏波は咄嗟に腰を浮かせる。
階下からだと夏波が認識するや否や、志賀はコートを翻して屋上の扉へ駆けた。慌てて夏波もそれに続き、開け放たれた扉を潜って、階段を段飛ばしで飛び降りる。
「来るな!!来るなァ!」
叫び散らす怒声が通路の最奥から響いている。疾走した先に辿り着いたのは病棟の休憩室であり、先程患者の男女が雑談していた場所の程近くだった。
休憩室の入り口では、看護師が必死に内部にいる人間に何かを語りかけている。
「何があった」
突如背後から声をかけられ、看護師は軽く肩を飛びあげた。しかし志賀の姿を確認するなり、僅かに安堵の表情を浮かべ、部屋内部を指差す。
「あの方が病棟を抜け出そうとしてたのでお声がけしたのですが……パニックになってらして、あの……」
部屋の隅で、男が壁に背中をつけながらこちらを怯えるように睨んでいた。その腕の中には病院着姿の女性がおり、首を締め付ける形で腕を回されている。
「どこまでも騒がしい奴だ……」
志賀は半ば呆れ気味に、休憩室に一歩足を踏み入れる。が、男は更に怯えた様子で腕に一層力を込め「来るな!!」と叫んだ。
「んな事言ったって、ここじゃ行き止まりだぜ。お前の要求は何だ」
「逃がせ!俺を、ここから今すぐ!死にたくない……オレは……ッ」
「ここは病院だ。お前を助けるためにここに運び込んで――」
「死にたくない……ッ、オレは、……殺してない……!」
舌を打つ志賀。
会話は全く無意味だ。落ち着け、と言ったところでパニックを増長させる事にしかならないのだろう。
「……分かったよ。俺達はここからいなくなる。お前は病棟から出るなり何なり好きにすりゃいい」
志賀は両手を上げてひらひらと振りつつ、一歩後退する。背後にいた看護師と夏波にも、『下がれ』と目で合図した。通路の曲がり角付近まで3人が下がると、ようやく患者の女性が苦しげに咳き込む声が聞こえる。
男はそんな女性を抱えたまま、志賀たちを警戒しつつ休憩室から出た。背中を壁につけ、本館へ続く連絡通路の扉のノブに手袋をつけたままの手を伸ばす。――が、男がドアノブを手に取る寸前、それは自ずと引き開けられた。
「あら?」
顔を出したのは、藍色のワンピースに身を包んだ女性。
「宮藤!押さえろ!」
突然、夏波の隣で様子を窺い続けていた志賀が叫んだ。扉を引き開けた張本人は、疑問符を浮かべてこちらを見る。
「何?どういうこと?」
「邪魔だ!!どけ!!」
患者の首に手をかけたまま、男が宮藤由利に向かって吼え、そして体当たりとばかりに体重を宮藤へ傾けた。
「宮藤さ……」
反射で駆け寄ろうとした夏波だが、一歩踏み出し、しかし直様足を止めた。
諦めたのではない。必要がなかったのだ。
宮藤は襲いかかってきた巨体を既のところで避けると、奥の廊下へ誘い出した。たたらを踏んだ男の腕が緩むと同時に、人質にされていた女性が廊下の隅へ這いつくばるようにして逃げる。
「何かよく分かんないけ、どっ!」
宮藤は人質の行方に目を奪われた男の襟首を掴んで引き寄せる。そして、引き寄せた方向に逆らって男の足首を蹴り払った。
完全にバランスを崩し尻餅をついた男は、背後にあった扉にガツンと頭を打ち付け、後頭部を押さえて転がる。
「この
痛みに悶ながらなお起き上がろうとする男を見て、宮藤は慌てふためいた様子で駆け寄り、――そして男に手を広げ、彼の顔に抱きついた。
「ごめんなさい……!大丈夫ですか、お兄さん!?」
「え、……は……?」
「血は出てないですね!?あぁ、良かったぁー!」
自身の胸に男の顔を押し付けるように抱きしめる。流石の男も何が起きているのか分からないのか、困惑極まった声を上げ、なされるがままだ。
宮藤はさっと身体を離すと、自身の顔を男の目の前まで持ってきて、ニコリと満開の笑みを咲かせた。
「でも、念の為お医者さんに見てもらいましょう?ね?」
黙っていても天使と称される彼女の笑顔だ。毒気が抜かれた、というよりも呆気にとられて動けなくなった男の手を取って、宮藤はニコニコと男を見つめ続けていた。
その一部始終を遠巻きに眺めていた志賀が、「気色悪すぎる」という言葉と大きなため息を漏らす。そうして呆然とその状況を見つめていた看護師を振り返ると、本館に連絡を取って寿医師を連れてくるように言いつけた。ようやっと我に返った看護師は、志賀の頼みに頷き、近くのナースステーションへと走る。
通路の真ん中で、男に泣きつかれて宥めている宮藤を苦々しげに見つめる志賀。夏波が身体の硬直を解いて「あの……」と声をかけた。
「こ、……拘束とか、しなくていいんでしょうか……?」
「ンなことしたら逆効果だ。適当にアイツに世話させときゃいい」
「世話って……」
先程まで暴れ狂っていた男は、宮藤由利の青いワンピースにしがみつく形で泣き崩れている。そんな彼の背中を撫で、陽だまりの中で微笑む宮藤は、まるで懺悔する咎人を許す聖母のようだ。
「宮藤さんって……一体……?」
先程志賀から聞いた宮藤由利とは、やはり違い過ぎる。
冷酷無比で残虐な宮藤の面影が全く無いのだ。
夏波の呟きに気が付いた志賀が、苦い表情を更に曇らせて頭を押さえた。
「アイツは宮藤由利じゃない」
志賀の言葉に、首を傾げる。
「宮藤さんじゃない……?」
「あぁ。……まぁ、ガワは宮藤由利だが……」
ふと、宮藤が顔を上げる。夏波と志賀の存在に気付いた彼女は、白い手袋のはまった片手を上げて、穏やかな笑顔を浮かべながらそれを振った。
「中身が角井俊なんだ」
俺の目には、おっさん同士の抱擁にしか見えなくて気持ち悪い。
そう零し、志賀は耐えきれないとばかりに眩い笑顔を浮かべる宮藤から目を逸らした。