第1話:新潟から松本へ転勤と家探し

文字数 1,645文字

 新潟県から長野県に転勤することが決まってから、どうやって、担当交代を効率的に行うか、所長と議論した。村下が、新潟県で担当している病院で、長野県に近いのは、新潟の津南病院であった。そこで、小千谷病院、十日町病院、津南病院へ行った時、津南から、飯山線に沿った国道を使うことにした。

 具体的には、津南から、国道を走り約1時間で、飯山に到着し、飯山で一泊して、翌朝、飯山を出れば、約2時間半で、松本の信州大学病院へ行くことができると判明した。その方法で、担当交代を行うことに決定した。ただし、これは、村下が、若いからできる事で、なかなか仕事を終えての移動は、強行軍である。
 
 4月中旬、担当交代が始まり、月間、走行距離1万キロを超える月が増えた。そのため飯山のホテルに泊まる日が増えた。そして、5月になり飯山で、地元特産の根曲がり竹の季節になり、よく行く居酒屋で、サバ缶と根曲がり竹の味噌汁や味噌炒め、甘辛煮が出された。

 その中でも一番旨かったのは素焼きした根曲がり竹に、信州味噌につけたものだった。 
トウモロコシの様に甘く、えぐみがなく、しゃきっとした歯ごたえで最高に旨い。根曲がり竹は、信州でも、北信地方の、この地域だけしか取れないようだ。長野県は、現在、1年後輩の南信担当の吉川君と、3年後輩の北信地区担当の清水君と村下の3人である。
 
 長野県での村下の担当地区は松本市を中心に上田、佐久など、山間部を担当する事になった。最初、長野の冬は、新潟に似ており安心した。しかし、いくつか、違う点もあった。新潟では、地下水をくみ上げて、融雪パイプを通して流していた。しかし、長野では、それは見られなかった。

 ファミレスや郊外レストランは、長野の方が多い気がした。もちろん信州には、旨いそば屋が多かった。リンゴをはじめ、ぶどう、もも、なし、など果物もおいしい。それに高原や湖、観光地も多く温泉も非常に多い。また仕事面で、新潟と違う点は、よそ者に対して厳しい気した。

 それは、仕事をする上で、非常にやっかいな問題として、のしかかってくる事になった。考えてみると新潟は長い間、上杉家が治めており戦も新潟県内では少なかった様だ。 そのためか、新潟では、人を信用してくれる、やさしい気風があったように思える。

 それに対して長野県は川中島の戦いで御存知の通り越後の上杉と甲斐の武田の激しい闘いが続き、よそ者を信用しない気質がある様だ。うかつに信用して裏切られた歴史があるのではないかと推測する。言い訳の様に聞こえるかもしれないが、これが、市場開拓に時間がかかる原因の様に思えてしかたがない。

 また長野から、大学病院のある松本に、移動する時に、感じた事ですが、筑北村から
明科トンネル当たりで、日本海側の気候から太平洋側の気候に変わる様な気がする。それというのは冬場、長野方面から明科を過ぎると、寒いけれど雪が少なくなる。トンネルを過ぎると、そこは、雪国であった、あの情景に似ているのである。

 転勤のため松本での借家捜しを始めたが、なかなか大きい家が見つからず困った。3DK以上で倉庫があって,中信大学から近い物件を希望した。ここでは、2DKマンション迄の物件が、多いと不動産屋に言われた。我が社担当の不動産屋さんに良い物件があれば電話してくれる様に手配した。

 数日後、電話があり地元の酒屋さん息子さんの家で、息子さんがマンションに移るので、貸家にしても良いと話が、舞い込んだ。1軒屋で、5LDK、屋内車庫付で、家賃が、駐車場付で11万円であった。村下は、主任待遇で、月に10万円まで家賃が支給されるため借家を借りると不動産屋に告げた。
 
 15時、その借家を見に出かけ、そこへ着くと信州大学病院まで、徒歩10分と理想的な場所で、家の大きさも十分過ぎるほどの広さ。翌日、大家さんと面会して、挨拶し、会社契約と賃貸契約を結んだ。引越は、1ヶ月後と言う事で決まった。ただ、ダイニングキッチンが北側で、寒いのが難点だった。
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