第23話「最終話」:信州とのお別れの日

文字数 1,430文字

 1997年も9月となり、転勤する日が、近づいてきた。その週の週末に、家族全員で、多摩に行き、借家を捜したが、3DKのマンションまではあるが、駅に近い、戸建ては、少なく、徒歩圏内では見つからなかった。駅から車で10分程度の所に、築七年4LDKの借家があり、そこに決め、住む事に決めた。

 駅までバスで15分、便数も多く、駅まで、行けば、スーパーも、何でもある場所だった。その後、不動屋さんで契約して賃貸契約が終了した。家賃は、駐車場一台付きで、月、15万円、村下の役職では、月、10万円まで補助金が出るので、実質、月5万円の持ち出しとなる。小、中学校まで、徒歩15分。数日後、ついに信州と、お別れする日が、やってきた。

 松本駅から、特急あずさで、新宿に向かう電車の中、まず最初に目に飛び込んだは、雪をかぶった北アルプスの勇姿である。思えば、仕事に、落ち込んでいる時も、いつも、心を奮い立たせてくれた。凜として、神々しいまでの美しさは、また、都会のビジネスの仕事場に向かう、企業戦士を熱く送り出してくれるのには、十分すぎるほどの迫力だった。

 その他、思い出に残る山としては、小諸、佐久、上田に行く時に、必ず通る三才山トンネルを抜けると、白い雪をかぶった浅間山が、まるで、富士山の様な、荘厳な雰囲気を醸し出して、晴れた日には、必ず見えた。浅間山を見ると、必ず、急カーブの続く、山道を覚悟したものだ。この山は、北アルプスとは、違い、単独した1峰として、富士山の様に感じた。

 その後、特急列車は、10分程、過ぎると塩尻駅が見えた。ここから、木曽方面に、曲がりくねった国道19号線を二時間ほどかけて、通ったものだ。木曽の桧の臭いが、実に懐かしい。塩尻峠を越えると、岡谷、諏訪、右に、諏訪湖の優美な姿が見えてくる。間欠泉センターは、日本で代表的な、天然の間欠泉で、そこが、温泉施設になっていた。

休日に、温泉を楽しんだものだ。「現在、以前と同じ場所の温泉施設は閉館して存在しない」また数分後、左手に蓼科、その奥に、雄大な八ヶ岳があらわれてきた。夏の暑い日にドライブで車山高原、霧ヶ峰高原、美ヶ原高原の山岳ドライブを楽しみ、美ヶ原を、涼しい数の中、散歩したのが、懐かしい。

 小淵沢から山梨県に入り韮崎、甲府とつながる。一時間以上過ぎた頃に、やがて相模湖町が見えて神奈川県に入り、続いて八王子あたりからマンション群が、建ち並び、都会の様子となっていく。戦場に向かう、兵士の様な、武者震いを感じたのには、村下自身、奇妙な感じがした。

 新宿に着いた。そこから、徒歩10分、我が社の東京支店である。そこで挨拶をしてまわった。顔見知りの女子社員は、やさしくお帰りなさいと行ってくれた。しかし営業の連中は、何とも言えない複雑な顔つきで、こちらを見ていた。

 中には、良いなー、成績の良い営業マンは、転勤でも、わがままが言えてなどと、あからさまに、嫌みを言うものまでいたくらいだった。多分これが、営業社員の本音なのかもしれない。めんどくさい相手が、戻ってきた、また、大変だとでも言いたそうだった。

 そして、多摩営業所の販売会議に、出席した時、村下課長には、苦戦している山梨県の開拓を中心に、お願いしたいと所長から言われた。また、出張の日々が続くのかよと、村下は、心の中で、つぶやいた。しかし、ゴミゴミして、渋滞の多い、東京よりも自然豊かな、山梨の方が、よっぽどましだと、内心、安堵した。【終了】
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