第9話:レ線写真をパソコンに取り込めた

文字数 1,800文字

 しかし、骨折した程度が、今一つ、分かり難いと、言った。その脇に、従来からのレントゲン写真を見る明るい電光板があり、そこに貼り付けたレントゲン写真の場所へ行き、これだけ明るいと、骨折部位が克明にわかり、骨折の程度もわかるが、コンピューターで撮った、モニター上の画像では、完全に、程度がわかるとは、言えないと説明した。

 この結果に、この会社の担当者は70点ならば、もう少し改善できれば使えると理解して良いのですねと言った。教授に、その話を伝えると、全く、その通りだと答えた。もう一歩といった所だね、との答えに、IBMの担当責任者は、満足したようで喜んでいた。教授から、ところで、この装置、全体でいくらするのかとの質問がでた。

 担当者から、この装置は市販品でないので、値段はつけられませんが、最低1億円以上はするでしょうねと言った。それを聞いて、最低でも、その1桁下でないと、大学病院でも購入できないと言い切った。そして、この装置、医局に展示してと言うと無理ですと答えた。そこで会社に交渉しろと言うと聞いてみますと答えた。

 しかし、後日の連絡で、この機械は試作機で企業秘密が、詰まっているので、置いておくわけにはいかないとの連絡が入った。その会場の入り口に、関係者以外の男が、数人いたのを不気味に思った。多分、日本の大手コンピューターメーカーであろう事は、想像できた。その後、コンピューターの商社からマッキントッシュなら、できるかもしれないと連絡が入った。

 その数日後、マッキントッシュの製造メーカー、米国アップル社から正式回答が来て、弊社では、そういう目的でマックを開発したのではないので、積極的に協力する事は、できないという回答だったと連絡してきた。しかし、アップルとしては、大きなメモリーを買って、試してみるのは、自由ですとも語ったようだ。

 その実験から2年半後、マック・クアドラで白黒のレントゲン写真を取り込んでデータベース化する事が可能になった。価格は、ソフト込みで一台、五百万円と、以前より、随分、安くなった。信州大学の医局では、このセットを一台購入し、設置して、医局員が自由に使える様にしたいと教授が言い出した。

 そのため研究費から約8百万円の予算を拠出して当時、最大の大きさのモニターと28インチ・モニターとメモリーを64メガバイトと最新鋭のイメージスキャナーを導入した。もちろん、これは、日本初の試みであったことは言うまでもない。

 その後、時代の流れと共に、マックの時代がやってきた。パワーポイント「スライド関連ソフト」、パワースウェーション「スライド作成ソフト」、フォトショップ「スライド関連、写真スライド作成ソフト」、ファイルメーカー「カード型データーベース」、ロータス123「表集計計算ソフト」などのソフトの使い方を勉強していった。

 しかし、日本語ワープロソフトは、NEC、富士通製と言った日本製のパソコンで、使うソフトは、日本語ワープロソフト・一太郎の方が、日本語変換の正確さで勝っていた。村下も先生方の中古パソコンを買い取り、それを、また新入医局員に中古で安く売ったりした。そうしていろんなパソコンを使うことができた。

 マッキントッシュ・SE30、LCⅢ、LC475、クアドラ800など数多くのパソコンを自由に使えたのだ。また日本で、最初のCDに書き込んだソフトウェアを使う、「富士通製」FMタウンズも斬新だった。今から、考えても、村下に、とって夢の様な時期だった。しかし、1台でワープロ、スライドソフト、データベースソフト全てを満足させるマシンはなかった。

 日本製のパソコンとスライド用パソコンマッキントッシュの2台持ちの先生が、多かった。医局に、マック・クアドラと、NEC9801が、一台づつ置いてあり、医局員が、いつでも使えるようにしてあった。ソフトの不具合やアップデート、メンテナンス、管理を久光先生が行っており、業者の手を借りる場合は、村下の方で連絡して修理の手配をした。

 そう言う意味では、パソコンの創世記に、信州大学では、医学、医療の電子化について、最先端であった事は、紛れもない事実だと思っている。村下は、医局で、少しずつ人間関係が濃厚になり、徐々にであるが多くの情報を得ることができるようになった。そして先生の移動時、情報を赴任先の担当者に渡せる様になった。
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