第5話:飛騨高山旅行と後輩の応援

文字数 1,801文字

 高山ラーメンのやさしい醤油の味は、昔懐かしい感じがして、大好きである。その中でもチャーシュー麺が最高だと思う。お子さんたちにも、大好評であり、松本に帰っても市内にある高山ラーメンの店に通い詰める事になった。

 今晩泊まるホテルも、老舗のホテルで、自家源泉の天然温泉があり、ゆっくり温泉につかって、ビールを飲んで、床についた。翌朝は、朝食をとって、10時頃に出発。帰りは、奥飛騨温泉郷のヘルシーランド「奥飛騨・たるまの湯」という、クアハウスに立ち寄った。

 ここは、ヨーロッパ風の外観で、中もタイル張りで素敵だった。露天風呂は、やはり、目の前に、高い山が雪をかぶって何とも言えない良い気分。また、細かい白い湯の華も浮いていた。ここの休憩所で、ちょっと仮眠をとり松本へ、帰った。

 週に二回は、信州大学病院の医局を訪問し、事務の女性に、たまに手土産を持参し情報収集の活動を継続。そこで個々のお医者さんの個性、趣味、強み、弱みを丹念に手帳に書き込んで、個々の先生方に食い込んでいく様にした。村下は、昔、少しテニスをした経験があった。

そこで、医局の吉田講師が、たまに、医局の若手や看護婦と、松本市内の屋内テニスコートで、テニスを楽しんでいるという情報を得て参加したいと申し出た。すると、良いよとの返事が返ってきた。ちょうどコートを予約したりメンバーの出欠を取る人が欲しいと思っていた様だった。そのため大歓迎だと言われた。そこで週に1~2回、参加する様になった。 

 そして、この夏に優秀な後輩が、長野県に1人増員になるという情報が入った。村下自身、少し楽になると感じ内心喜んだ。夏、待望の村下の3年下の後輩の吉永君が、大阪から赴任してきた。これで、信州南部の担当の1年先輩の吉川君と1年後輩の長野担当の山下君、2年後輩の清水君の四人で全県を担当するようになった。 

 吉永君を北信地区と上田を担当してもらい。市場規模の大きい長野市周辺を清水君に担当してもらうことにした。もちろん、スナック中町のはるみママの店で、歓迎会を開く事にした。その席で、村下の方から長野県に数年後、営業所をもてる様に頑張っていこうと話し全員で乾杯した。全員が、その意見に賛同してくれ「はるみママ」も頑張ってねと言ってくれた。

 これは、あくまでも個人的見解だが、以前、村下が、新潟から長野県に赴任するとき、事前に長野県の歴史と住民の気質を調べた。その時、長野市など北信地区は、新潟に近く、県内では、よそ者に対して比較的寛容で、商売がしやすいと踏んだ。その予想通り北信地区に、いち早く増員して北信、長野市内の業績が、長野全県の売上をリードしていった。

 次に、松本を中心とする中信地区は、よそ者に厳しいと書いてあり新しく攻落するのには、時間がかかると考えた。会社でも中信、南信地区が、苦戦していた。そこで、村下が、本丸の信州大学病院の攻略を最重要と考え、自分で担当し、自分の仲間を増やそうと努力した。仲の良い先生が、やがて、県内の基幹病院に赴任して、やがて、業績向上すると考えた。

 そのため、松本、東信地区を村下が、担当する事にした。特に大学病院での情報収集と仲の良い先生を一人でも多くするために、多くのグループとつき合った。さらに、村下が、パソコンの事で個人的に急に親しくなった久光講師は、村下と同じNEC9801をメインに使っていた。

 久光講師は、医療にコンピューターを利用する時代が、きっと来ると注目していた。村下も横浜時代、データベースというのが、患者管理に使えると言う事も知っており、その情報を彼に話すと注目してくれ彼の部屋に出入りする様になった。データーベースソフトのコピーを渡した。

 米国で有名になっていたデーターベースⅢの本を数冊、貸した。すると、彼は、それを読んで、これだ、これを利用していこうと言う事になった。村下のデータベースⅢを使ったプログラムを見て、すごいね。彼の求めていたものは、これなんだよと、非常に喜んでくれた。医局全体でもカルテの電子化に動き出していて、その中心人物が久光講師だった。

 そして10月、会長を久光講師、事務局長を村下が担当する事で、信州大学メディカル・パソコン・クラブを設立。参加ドクターは若手中心で五人で始まった。このサークルが、我が社の営業成績をグーンと伸ばしてくれる原動力になってくれたのである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み