寝る前にその日を振り返りたい 2

文字数 3,257文字

 一枚目の紙を書き終わって中を一通り確認すると、それをベッドのそばにある編み籠の中へと放り込む。
 その中にはこの家に来てからこれまでの客の記録全てが入っていて、既に籠の半分くらいが重なった紙で埋まっている状態だ。歴代の案内の賢者の記録は今までちゃんと受け継がれているのだが、個々人の記録の保管方法は非常に性格が表れる。
 自分はこうしてまとめて放置する方だが、歴代にはどうも彼女以上に適当な性格の者がいたらしい。
 ある代の記録に限って飲み食いのシミが多く残っていたりする。または保管方法が悪かったのか妙に紙がくしゃくしゃしていたり。かと思えば非常に上質の紙で色褪せすら許さず残している者もいる。
 結局、「霊が見える」ということと「頭が良い」という共通点以外は案内の賢者だって代々バラバラだ。
 まぁ人なんてそんなものだろう。型にはまった性格ばかりが溢れかえっている世界なんて見たくない。
 今日の二人目の記録のため、新しい紙を取り出す。
 明るい少女ノーティ。
”ノーティ。生き霊。本人の証言より推定。結果案内に問題なし”
 辛うじて、と入れたいのを我慢する。そんな単語に意味はない。
 個人の感傷など残してどうする。
”本人の記憶より、年齢十七。王都の商店タガニャーバの一人娘。両親と兄二人、婚約者と同居。学生。学校帰りに何かが発生し生き霊になったと推定される。生き霊判断の完全な証拠はないが、証言内における婚約者の存在から生存の可能性が極めて高いと判断し案内”
 自分でも呆れ果てるほど曖昧な記録だ。歴代の賢者が見たら、こんな当て推量だけで案内をするなんて恐ろしいと思うだろう。自分だって毎回、推測だけで案内先を伝える場合は心臓が凍るような思いをしている。もしこれで相手が案内した後すぐ消えてしまったら、それだけで自分も後を追ってしまいそうな程には重圧を感じて。
 でも、家を出ない限り、今が変わらない限り、出来ることは限られているから。
 命や存在に貴賎などないと言いつつ、今の自分はそれを選んでしまっている。本当なら賢者失格だと思う。その欠格な部分は誰も裁いてくれないし、気づいてもくれないけれど。
 きっとこの咎は、自分だけで死ぬまで背負っていくのだろう。
(あぁ本当、早く見つけないと、おちおち死ぬことも侭ならない)
「その方、何で婚約者で生存の可能性が高いと思ったんですか?」
 筆を止めた彼女に、投げかけられる当然の問い。
 気を取り直して、目の前に立って興味深そうにずっと覗き込んできている美青年を見上げた。
「そうね、例えばだけど」
「はい」
「貴方に、可愛くて天然で箱入りで交友関係は広めだけど普段の言動の危なっかしいお金持ちの婚約者がいたとするわよ?」
「はぁ」
「その子は貴方に対して素直じゃないんだけど、欠点とかそういうところも全部含めて可愛いそのままでいてほしいとか思うくらいには貴方はその子を大事にしてるとしてね? 学校帰りが遅かったら迎えに行くくらいには、普段から気にしてるとしてよ? 家族からは時にそれを頼まれたりもしててよ?」
「えぇ」
「その子が『今日はちょっと公園で人と会うから帰りが遅くなる』って言うんだけど、誰と会うかははっきり言わなかったとする。普段は友達なら友達って言う子が。その場合、貴方は彼女が家に帰ってくるまで黙って待ってるかしら?」
「いや、迎えに行きますね」
「ただし、途中で姿を見せるとなんでいるのよって怒って追い返される可能性がある場合は?」
「会う処を隠れて見守るしかないですかね」
「そういうことよ。多分、生き霊になる時に何かあっただろうけど、あの子の場合は最後の記憶の状況においては婚約者がこっそり見守ってる可能性が高くて、何か不審な事があれば婚約者が絶対に止めに入るか助けに入ってる筈だから、仮に危ない目に遭ってたとしても即座に死ぬに至る可能性は低いと判断したの」
 推測に推測を重ねた暴論だと言われれば、反論もできない程に稚拙な判断。
 もしもノーティが遭遇したのがどうしようもない危険だったならば死霊だった可能性もあるが、人間は他の誰かに害される場合、余程運が悪いか、相手がその道の手練れでなければ「一瞬で死亡する致命傷を負うことはほぼ起こらない」。撲殺でも一撃で相手を死に至らしめるのは珍しいし、刺殺だって原因は臓器などの損壊より失血によるものの方が多く、一刺しで死を確定させるのは案外難しい。絞殺に至っては一瞬は不可能。この国で人を一瞬で殺める薬を通常に手に入れることは適わない。
 何よりあの、明らかに性的な意図が感じられる暴力の跡。
「あの子の服で明らかに何かあったのは上半身だけで、下半身には下着も含め乱れはなかった。おそらく『これから暴行を受けようとしていた』のでしょう。即死させられたり致命傷をもらってる可能性は低い。それならば彼女が何かの要因で気を失っていたとしても、生きてる間に婚約者に助けられてる筈ね。そしてそういう事をしようとする相手が、まず先に殺そうとするかしら」
 確率論にはなるが、普通そういう暴行をしようとする際に相手の生命を奪うことは、仮に証言を封じ自分の罪を隠す気があったとしても、行為の後に回す可能性が高い。ああいう行為をする場合に、その場で致命傷を与えるのはそういうものに興奮する者位だろう。そんな性癖の人間に巡り合うのは稀だ。
「世の中には死体にしか興奮しない変態もいるらしいけど、それは少数だし、婚約者がその場に隠れて居たなら当然殺そうとする途中で止められるでしょう。最悪の可能性としては婚約者も彼女も一緒にその場で殺される、なんだけど」
「ありえない、と?」
 その場合は死霊だった。が、やはりそれもノーティの話から推測できることがあった。
「ないとは言わないけど、その可能性も低いかなってね。あの子の話から見えるあの子の両親が、実際あの街では儲かっていることで有名なやり手の商売人が、本気であの子のためだけに用意した婚約者が『ただ娘と自分たちに従順なだけの男』かしら。商売をする上で不要な恨みも買うことだってあるでしょうに」
 ただの不器用で従順な男では、ノーティの日々の安全までは守りきれない。
 あれだけの親馬鹿であったなら婚約者に対し、娘に何かあった時の護衛・救出役の任を与えていない方がおかしく、当然そこにおいては「その期待に単独でも十分応える能力がある者」を選んでいる、と思われた。同時に少女自身がそれを知らなかったのは家族の意図的な情報操作まで窺わせる。
 ノーティは、己の安全や婚約者の強さに関しては、不思議な程に認識を持たされていなかった。大金持ちの娘にしては日常で危険がある認識は極端に低いようだったし、婚約者をただ力仕事が出来る男、としか思っていなかった。きっとそれは少女の日常における自由奔放さを慈しむ家族や婚約者によって、不要な情報としてあえて見えないよう気遣われてきたのだろう。
 全て推測にしか過ぎないが、そうしてしまう気持ちならば痛いほど解る。
「…………そういうことですか。確かに、話からすると相当な親馬鹿が伝わってきましたし」
「普段迎えに来たりするのだって、恐らくは家族公認でしょう。家の仕事を裏方しかさせないのも、その辺ある程度自由に行動できるように、って可能性が高そうね」
「家族にとっては、何より大事な一人娘、ですか」
「きっと婚約者さんからしてもね」
 だから、恐らくあの少女は何かあったその直後に助けられている、と考えた。
 恐らくその場に確実にいただろう婚約者が、発生した何かからノーティを救い出しているだろう、救われることで死に至る可能性も低いだろう、あの少女の両親が娘を己が元に置く為だけに用意した婚約者ならば、その程度ができないはずがない、と。
 結果としては生き霊だったが、実際に何が起こってどうなったのかはわからない。
 今頃は目を覚まして家族を喜ばせているだろう少女を思い、記録の紙の最後に「後日、詳細を確認予定」と付け加えた。
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